バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領として、去る2009年1月20日に就任した。筆者は今回も、コロラド州デンバーの民主党大会(2008年8月24日-28日)、イリノイ州シカゴの祝勝会(2008年11月4日)と同様、米議会関係者とともにワシントンDCで宣誓式典に参加した。これにちなんで、オバマ大統領就任の日をめぐってのワシントンを総括してみたい。
【首都ワシントンの歴史的な過密状態】
これまで筆者は、オハイオ、アイオワなど各州の小さなタウンミーティング、ニューヨークやシカゴの大都市での街頭演説集会等のオバマの演説に接してきたが、大規模式典で聞く公式のオバマ演説は、デンバーの指名受諾演説、シカゴの勝利演説に次いで三度目だった。そのため、選挙中の演説と就任演説の差異は注目点の一つであった。
しかし、その演説をめぐる解説の前に、あえてワシントンDCの様子を振返ることから始めたい。オバマの就任式を特別なものとして印象づけたのは、首都ワシントンに押しかけた200万人を超えると言われた「人の波」とその情熱だったからだ。これまでワシントンに住んだことがある関係者のすべてが「過去に例がない」と認める過密状況が発生した。
オバマが勝利した11月から就任式に訪れようと人々がホテルの予約に殺到し、既に年末までに完売状態となり、価格も釣り上がっていた。ここまでならば、同じく全米から党派人が一つの都市に短期間だけ訪れる党大会でもよく起こりうる。例えば、2008年のコロラド州デンバーでは、ホテルが郊外のモーテルまで含めて満室御礼となり、民主党大会特需の恩恵を受けた。
【ホテルの飽和状態と参加者の情熱】
それと同じことがワシントンの就任式期間にも発生したが、二点において特別だった。一点目は、党大会ではとりわけホテルのキャパシティが弱い中規模都市で行われた場合、このような過密現象はしばしば起こることであるが、ワシントンの就任式でこのような事態になるのはきわめて稀であること。そのため、警備や運営など様々な局面で事態が予測不可能であった。
第二に、参加者の情熱が尋常ではなかったことだ。ネット上では「一泊だけでも泊めて欲しい」とワシントンと近郊のメリーランド、ヴァージニアの住民に対して、ホテルに溢れた人から呼びかけがなされた。ワシントンにも共和党支持者や何らかの理由で就任式に興味を持たない人がいる。就任式前後だけ、彼らに部屋を貸す個別契約である。
実際、筆者のアパートにも就任式前々日あたりから、スーツケースを転がした人々がバスで続々と到着し、まるでユースホステル状態となった。「あくまで友人を泊めている」という解釈であり、管理人サイドも細かいことを言わずに見て見ぬ振りの「粋」な対応がうかがえた。入り口で携帯電話でやりとりして、初対面の人を確認し、部屋に連れていき鍵を渡すなどしている。
面白いのは当初、休みを取ってワシントンを離れることにし、部屋を貸して小遣いを稼ごうとしていた人が、「お客さん」のあまりの情熱に驚き、「そんなに歴史的なことなのか。なら、自分もワシントンを離れるのはもったいない」と思い直して、お客さんにキャンセルを言い渡すか、貸す事はできないので「一緒に数日住む」という展開もあったことだ。
おかげで、さっきまで初対面の他人だった、即席の「友人」一家の親子三人が、自分の家の床と廊下に寝袋にくるまって寝ている、という前代未聞の光景も各部屋で生まれた。まさに街全体が「キャンプ」であった。アパートにも溢れた人はどうしたのか。当局は治安や美観の問題からも、テントを張っての野宿を禁止していたので、寝袋を抱えた登山ルックの野外キャンプ組はこれを断念。結果、観光バスの中で数日生活する「バス生活」が発生した。
バスをキャンピングカーにしてしまったわけで、バスの中のトイレや近隣の方の御好意、付近の外食などで数日のワシントン滞在を乗り切る持久戦となった。学校や教会単位で、就任式のチケットもなく、ホテルもないのに、勢いで押しかけてくる団体も多く、首都中心部から少し外れたエリアにはシカゴから学校の幼い子供達がバスで「停泊」し、バスの中で生活していたので、道行く人々から「就任式まであと少しだから何とか頑張って」と声援を送られた。
【各州民主党支部による慰労同窓会】
街の様子が最初に変化したのは就任式前の週末の土曜日午前中であった。地元の交通に皮膚感覚で一番精通しているのは、タクシーのドライバーだが、のちに複数のドライバーが口を揃えて「土曜日の午前から急に道が混み出し、ナンバープレートの表示も遠い州名が増えた。道がわからなくて立ち往生しているバスが道を封鎖して、渋滞の原因になっていた」と語っているが、これは筆者の実感とも一致する。
交通規制が激しくなり回り道が増えるとともに、ヘリコプターの台数と低空飛行が増え、地上派テレビのアンテナが影響を受け、画像がしばしば乱れるようになってきた。観光客らしき人たちがガイドブック片手とスーツケース片手に動き回る姿は、ワシントンでは珍しくはないが、その数が突然増えた。土曜日の夜から本格的に就任記念の関連イベントが始動していたからだ。
筆者が最初に招かれて参加したのも、かつてニューヨークで所属していたニューヨーク民主党のキックオフパーティで、旧知の関係者と旧交をあたためた。基本的に政治関係者が主軸なので、どうしてもこうした場ではキャンペーンの思い出話になる。200人規模となったパーティで、ヒラリーとオバマの名勝負や、各州への出張キャンペーンでの現場の苦労などの話題で盛り上がった。
ワシントン中心部のナイトクラブを貸し切ってのこのイベントには、ニューヨークから民主党の議員や支援者などが大挙して押し寄せた。就任祝賀会というのは、実は関係者にとってはお互いの慰労会とキャンペーンの同窓会を兼ねている。大統領夫妻が立ち寄らない非公式の舞踏会でも独特の熱気を帯びるのは、こうした事情もある。大統領を祝福するのは当然ながら、自分達にとっても貴重な慰労会と政治情報のやりとりの機会なのである。あのときオバマはこうだった、ヒラリーはこうだったと、朝まで談義が続いた。
各州青年部のボランティア達はホテルを男女3人ほどでシェアしており「一人当たり一泊600ドルは当たり前で、それでも場合によっては足りない」という状況だった。また、この就任式前の週末、ワシントンの飲食店は午前4時までの営業にした所が多く、これは深夜営業が珍しいワシントンでは異例のことであった。おかげでワシントン中どのレストランやバー、コーヒーショップにいっても人だかりという状況になり、賢い地元民はこの数日だけは予約無しの外食は難しく、タクシーもつかまらないと判断していた。
【ハイドパーク発大統領とシカゴ】
また、日本のみならずアメリカ人の一般の間でも意外と浸透していない事実に、オバマ一家が実は「シカゴ大学一家」である点がある。オバマ一家はシカゴ大学のあるハイドパークに居を構え、大学はオバマの政治活動を長年あたたかく見守ってきた。夫妻はそれぞれ、ロースクールの上級講師と学部や病院の大学職員を長く務め、選挙中も休職扱いだった夫人がシカゴ大学を正式に退職したのは選挙後つい最近のことである。マリアとサーシャの二人の娘さんたちも大学付属小学校に通っていた。
「ハーバード・ロー・レビュー」のアフリカ系初代編集長としての実績があまりに鮮烈で、ハワイなどのユニークな出自もあり、シカゴの印象は相対的に薄れているが、シカゴはオバマにとってはコミュニティ・オルガナイザーとしての舞台でもあり、夫人にとっての故郷でもある。そこでシカゴ大学としては、少しでもシカゴとシカゴ大学の存在観を出そうと、特別企画をシカゴからワシントンに「出店」した。そのすべてを紹介する紙幅はないが、「ハイドパークからホワイトハウス」へと銘打って、ニューヨーク・タイムズのディビッド・ブルックス(83年学部卒)、オバマ大統領経済顧問のオースタン・グールズビー(ビジネススクール教授)ら大学関係者によるオバマ政権の経済政策討論会を開催した他、シカゴ大学同窓会もかつてない規模でパーティを開催し、大統領就任を祝福した。普段見かけない各世代の同窓生も各国から帰国して結集するなど、ワシントンに「シカゴ・サウスサイド」が引っ越した格好だった。
オバマのシカゴ人脈系譜の特徴は、信頼関係の強さだ。バレリー・ジャレット大統領上級顧問兼補佐官(政府間調整担当)は、シカゴ大学評議員だったが、やはり家族ぐるみのシカゴ大学一家で父のジェームズ・ボーマンはシカゴ大学病理学教授である。52年学部卒で早期教育の専門家である母バーバラ・タイラー・ボーマンは、シカゴ大学付属学校の教師で、ジャレット自身そこに通っていたので、ジャレットはマリアとサーシャのシカゴ大学付属校同窓会の大先輩にもあたる。
また大統領顧問として陣営からホワイトハウス入りしたデイビッド・アクセルロッドは、76年学部卒だが、シカゴ大学時代は学生新聞「マルーン」の記者として、ハイドパーク取材からメディア人生をスタートさせている。シカゴ南部とシカゴ大学の表裏まで、学生新聞の名物記者として知り尽くした。その後、シカゴトリビューンの記者になった。シカゴ大学人脈には、ロースクール、ビジネススクールからのシカゴ学派頭脳の登用もあるが、むしろ興味深いのは、こうした地元を知るもの同士の信頼関係としてのシカゴ人脈であり、ホワイトハウスの若手中級スタッフにも、シカゴ地域選出の若手の議員スタッフを登用している。その少なからずが地域のコミュニティ活動を経験している。
【宣誓式、そして一般観覧による熱気】
ところで、就任の式典については、広い意味で就任式(Inauguration)という表現も少なくないが、the swearing inという呼び方をすることも多く、本来この式典はどちらかというと宣誓式という意味が強い。式典の主役は「演説」ではなく、大統領になる瞬間の「宣誓」にある。就任の瞬間を周囲でしっかり見届ける儀式であり、結婚式に立ち会い、その事実を新族や友人で認めるのと同じである。そのため「演説を聞きに行きました」等、式典の一部にすぎない演説に限定的関心を示すと、不思議がられることもある。ところで、その宣誓時にロバーツ最高裁長官が宣誓の言葉の語順を間違えた。就任式翌日に二度目の宣誓が行われたが、これも宣誓の神聖さと、大統領職のバトンタッチが宣誓の瞬間に確認されるという式典における宣誓の意味を示唆していよう。ちなみに、法律専門家の間では、宣誓は既に有効との見解も多かったものの、念のための措置がとられた。
宣誓式典にも、党大会同様に式典開催委員会がそのつど発足する。ワシントンに拠点を構えていた政権移行チームと連携を組んで今回の式典の開催にあたった。政権移行チームの職務と式典運営は相互に入り組んでいるが、議会関係、立法関係を担当するスタッフには、儀典色、プレス関係の職務の多い式典にはまったく関与しない政権移行スタッフも少なくない。
連邦議会議事堂のテラスに特設の演台を設け屋外で行うのが基本とされているが、1985年のレーガン二期目の就任式には寒さが激し過ぎて屋内になったこともある。演台の周辺には、就任する新しい大統領夫妻とその家族、退任する現職大統領夫妻と連邦議員をはじめ、主要関係者が顔を揃える。その周辺にさらに連邦議員や知事など主要党関係者が着席する。
招待客のチケットはエリア別に、グリーン、オレンジ、イエロー、ブルー、パープル、シルバーの6色に分けられ、池を跨いだ直後までが、招待客のチケット保有者エリアである。この区別は党大会チケットの「アリーナ」「ホール(名誉)」「ホール(特別)」「フロア」などのチケット区分と同じである。これらはすべて、そのチケット(クレデンシャル)で入れるエリアの制限を指し示している。チケットは党と連邦上下両院議員などにそれぞれ限定数が配分されるのも党大会と同じである。
それより先のワシントン記念碑まで数キロ広がる緑地帯の「モール」がチケットを持たない一般客向けに解放された。テレビで放映された大群衆は、9割以上を占めていたチケット無しのこの一般参加者のことであり、この数と熱気が歴史的だった。2008年のデンバーの民主党大会では、民主党は指名受諾演説だけ、ペプシセンターという屋内会場から、より収容人数の大きいインベスコフィールドに移したが、こちらもチケットがなければ入場はできなかった。選挙当日のシカゴのグランドパークの勝利式典も同様だった。周囲が森のように囲まれているので、中の様子は外からはうかがえない。ところが、就任式は「モール」が、会場と地続きになっているため、「モール」に入ることは可能な上に、大統領の姿そのものはほとんど見えずとも、観覧は可能であった。そこで、チケット無しの200万人に達する参加者が詰めかけた。
以上
■ 渡辺将人: 東京財団現代アメリカ研究プロジェクトメンバー、米ジョージワシントン大学客員研究員