※ 本稿は2016年7月14日に開催された 第103回 東京財団フォーラム 「アメリカ大統領選:トランプとヒラリーはどちらが強いか? 全国党大会と本選挙の展望」を元に東京財団が編集・構成したものです。 当日の動画は こちら よりご覧になれます。
【登壇者】(順不同、敬称略) アメリカ大統領選挙分析プロジェクトメンバー
- 久保文明 (リーダー/東京財団上席研究員、東京大学法学部教授)
- 中山俊宏 (サブリーダー/慶應義塾大学総合政策学部教授)
- 西川賢 (津田塾大学学芸学部准教授)
- 前嶋和弘 (上智大学総合グローバル学部教授)
- 安井明彦 (みずほ総合研究所欧米調査部長)
- 渡部恒雄 (東京財団上席研究員兼政策研究ディレクター)※モデレーター
米国史での位置づけ
渡部 予備選挙が終わり、共和党、民主党とも大統領候補はほぼ確定、いよいよ来週から全国党大会が始まります。
それぞれのご専門から、現状分析と見通しをお願いします。
久保 今回の米国大統領選挙は、第二次世界大戦以降の米国史のなかで「異例なことずくめ」です。
一つめに、共和党、民主党とも政治経験がほとんどない人を大統領候補に指名したのは初めてのことです。
ドワイト・アイゼンハワー元大統領(任期1953 ~ 61年)は狭い意味での政治経験はありませんでした。ただ彼は、第二次世界大戦中ヨーロッパで最高司令官だったので、当時の国際政治の中枢にはいましたし、彼を共和党の大統領候補に押し上げたのは共和党の主流派です。今回のように政治経験のない人が、主流派の意思に反して大統領候補の座を勝ち取るのは珍しいことです。
二つめに、共和党が孤立主義的な外交政策を提唱する人物を大統領公認候補に指名するのも異例のことです。戦後アメリカ政治の傾向は、共和党は国際主義的で、民主党はベトナム戦争後、それよりやや慎重でした。しかし、今回の共和党の大統領候補、ドナルド・トランプは孤立主義的です。彼が好んで使う「America First(アメリカ第一)」は、1930年代の孤立主義的な外交路線として知られています。トランプもそれを意識して使っているのではないか。トランプは確信犯的に保護貿易主義で、北米自由貿易協定(NAFTA)、環太平洋パートナーシップ(TPP)ともに反対といっている。ヒラリー・クリントンは、国務長官在任中にはTPPの推進役でしたが、現在は反対の姿勢を強めていて、再交渉を要求するとまでいっています。
もう一つ加えると、貿易・通商問題、イラク戦争への態度などのいくつかの争点で、共和党候補のほうが左に位置するのも異例のことです。
トランプは、クリントンより徹底して保護貿易主義を唱えています。クリントンは上院議員のときにイラクへの武力行使決議案に賛成投票をしています。トランプは、「イラク、アフガニスタンでの戦争に投じた費用はもったいない。国内のインフラ投資に使うべきだ」というわけです。共和党のネオコン的な人には受け入れ難いでしょうが、平均的な有権者、あるいは一般的な民主党支持者には違和感のないステートメントなのではないか。
こういった要素が今回の選挙にあって、結果や展開を読みづらくしています。
ひとつ数字を紹介します。ウェストバージニア州で行われた民主党予備選挙の出口調査で、「もしトランプ対クリントンなら、どちらに投票しますか」という問いに36パーセントが「トランプ」と答えている。トランプが民主党の支持基盤である白人のブルーカラー層に食い込んでいく可能性があることは、民主党にとっての脅威です。ブルーカラーの人たちが多いオハイオ州、ペンシルベニア州にトランプがどのくらい食い込んでいくか。
激戦州ペンシルベニアの行方
西川 ペンシルベニア州はもともと民主党の強い支持基盤でした。同州はアメリカの縮図ともいわれ、フィラデルフィアとピッツバーグは北部のようで、それ以外は南部のようだといわれます。州内には炭鉱があって労働者が多く、かつては労組の組織力も強かったのですが、いまではそれが低下し、白人のブルーカラー層が共和党化していっています。
一方、2000・2004年の大統領選挙と、2008・2012年の大統領選挙とを比較すると、全米で民主党化が進んでいます。共和党の支持基盤といわれていた南部の諸州――サウスカロライナ、ジョージア、テキサス、ノースカロライナ、バージニアでは、全米を上回るペースで民主党化が進んでいます。この変化は、かつてオバマ大統領がノースカロライナやバージニア、フロリダで勝ったことと符合します。つまり、南部は一枚岩の共和党支持基盤ではなくなりつつあり、民主党支持と共和党支持の二層に分かれている可能性があります。
ペンシルベニアは激戦州で、選挙のたびにどちらに転ぶかわからない州のひとつに数えられています。そこで共和党化が進んでおり、他方で民主党/共和党の二層に分かれつつある南部がある。これまでの政党支持の固定的なパターンが相当動いている兆候とみてよいのではないでしょうか。
渡部 政党の支持傾向が動いているとき、分析するのは難しいですね。
久保 今月中に両党とも全国党大会があります。それぞれの大会が終わると、各候補者の支持率が上がります。それが落ち着く8月半ばころの世論調査の数字が、今回の選挙戦の基本的なかたちとみていいと思います。
クリントンのイメージギャップ
渡部 民主党の動向をどう分析していますか。前嶋さん、お願いします。
前嶋 3つのポイントについてお話します。
まず一つめ、クリントンにとって厳しい予備選であったということ。出馬宣言をした2015年4月には、今年の民主党予備選の状況を正確に予想した人は誰もいなかったでしょう。ファーストレディ、上院議員、国務長官と素晴らしい経歴をもつクリントンは眩しすぎて、まともな対立候補すら想像できなかったのではないでしょうか。
実際、予備選前の2015年10月にはジム・ウェッブ元上院議員やリンカーン・チェイフィー前ロードアイランド州知事が撤退。翌年2月1日、アイオワ州党員集会の初日にマーティン・オマリー前メリーランド州知事も撤退。クリントンの一人勝ちだと多くの人が思っていた。
そのなかで一気に支持率を伸ばしたのがバーニー・サンダース上院議員です。出馬宣言をした2015年4月末、各社世論調査ではクリントンと50ポイント以上の差があった。まったく相手にならない数字だったのが、だんだん近づいてきて、今年4月半ばにはクリントンとほぼ並んだ。驚くべきことです。最終的には、獲得代議員総数4,763のうち、クリントンは2,811、サンダースは1,879でしたが、特別代議員の数を抜くと、クリントンが2,220、サンダースは1,831と、2割程度の差しかない。
二つめのポイントは、クリントンに何が足りなかったか、ということです。それは、「2016年の時代精神」とクリントンが自ら生み出してしまった「なんだか嘘くさい」というイメージです。
「2016年の時代精神」とは、「反ワシントン」「アウトサイダー希求」「ポピュリズム」という世論の傾向です。これら3つすべて、クリントンにはあてはまらない。クリントンが豊かな政治経験をPRすればするだけ、上滑りしてしまう。そもそも予備選の投票率は2割を超えたら高いほう。熱烈な若者たちを動員すれば、選挙戦は大きく変わっていく。しかし、クリントンを熱狂的に応援する人はなかなかいなかった。熱気が足りなかった。
「なんだか嘘くさい」というイメージのほうは根深いものです。夫のビル・クリントンが大統領選を勝ち抜いた1992年から、ヒラリー・クリントンはワシントンの中心に君臨し続けています。自前で自宅に特注のメールサーバーを設置して公用の連絡を行っていた「メール問題」も、なんらかの違法行為を隠すためなのではないかと疑惑となりました。若者にとってみれば、遠い存在です。昨日も私の教え子である留学生が「クリントンが勝つなんて信じられない。周りをみても、サンダースさんの応援しかいないのに」といっていました。
さて、3つめのポイント、今後どうなるのか。いまリセットの段階です。予備選を終え党大会に移っていくなかでサンダースと手打ちをし、メール問題もおそらく終わり、とりあえずリセットになってきています。今後はトランプとの一騎打ちです。
本選挙に向けて、トランプに比べクリントンは何が強いか。政治経験がある。組織力が強く、選挙資金も潤沢。
クリントンを外部から支援するスーパーPACも強い。クリントンは圧倒的に強そうにみえるけれども、まだわかりません。トランプには個人の豪快な魅力、爆発的破壊力がある。共和党の予備選もそれで勝ち残ってきました。組織力のクリントン、さて勝てるでしょうか。
中山 気鋭のジャーナリスト、エズラ・クラインは、クリントンをめぐる大きな謎のひとつとして「ザ・ギャップ」の存在を指摘している。クリントンを直接知っている人と、彼女のパブリックイメージがあまりにかい離し過ぎているという意味での「ギャップ」です。クリントンを個人的に知っている人たちは彼女を、人の話を聞く、人間味がある、ジョークもいえて頭の回転も早い、などと高く評価する。一方、パブリックなイメージは、その対極です。非好感度に関する世論調査は、トランプよりはましだとはいえ、歴史的には大統領候補のなかではありえないほど悪い。なぜこうしたギャップが発生するのか。
クラインはこういいます。政治家は政策的な知見、それを実現する能力、そしてコミュニケーション能力の3つのスキルが必要だが、選挙は主にコミュニケーション能力だけが試される。クリントンは政策的な知見も、それを実現する能力も高い。その証拠に国務長官、上院議員のときには評価が高かった。しかし、コミュニケーション能力は決して高くはない。こればかりはトレーニングをしても限界がある。ある人がこのことに関して、「もう神が彼女(クリントン)をそのように創り給うたとしかいいようがない」とさえ述べている。
これから彼女が変貌を遂げるのは無理でしょうから、経験、知見と実現力でどれだけトランプの攻勢を押し返せるかが、ひとつの見所になると思います。
選挙を左右する4つの乱数的要因
渡部 つづいて西川さん、お願いします。
西川 本選挙がどうなるかですが、2012年の大統領選挙で全州の選挙結果を正確に予測したネイト・シルバーによると、勝利の確率はトランプが20パーセント前後、クリントンが75パーセント前後だといっています。ただし、彼は一年ほど前、トランプが共和党の候補に指名される確率は2パーセントだといってはずしていますが(笑)。
予備選挙の得票率と本選挙の得票率には相関があるといわれています。この観点から、ニューヨーク州立大学ストーニーブルック校教授のヘルムート・ノーポスはトランプが勝つだろうと予測しています。
他方、経済の景気の指標と本選挙の得票の間にも相関があるといわれていて、この観点からだと、コロンビア大学のロバート・エリクソンはクリントンが勝つだろうと予測しています。
このように、今回の大統領選に関しては専門家の予測が大きく割れています。選挙は「生き物」のようなもので、さまざまな乱数的要因に左右されるからでしょう。
今回の選挙をみるうえで、4つの乱数的要因に注目する必要があると思います。
一つは社会経済情勢。6月の雇用は拡大傾向にあるといわれています。これと軌を一にするように、オバマ大統領の支持率は2016年の年頭から回復基調に向かっています。クリントンにとっては追い風です。この景気の拡大傾向が11月まで続くかどうか。
二つめに、内外における突発的事件の発生。例えば、イギリスのEU離脱問題、いわゆるブレグジット。アメリカ国内に目を転じると、6月12日にフロリダ州オーランドのナイトクラブで発生した銃乱射事件や、7月7日に発生したテキサス州ダラスでの警官狙撃事件。こうした事件が起こると世論の論調が大きく変わってしまいます。銃規制や人種の問題は、突き詰めていくと個人の自由、国家のあり方、憲法問題など、アメリカ政治の奥深い問題につながります。突発的事件によって大きく流れが変わることはありえます。
三つめに、本選挙の投票率です。ピューリサーチセンターはこの22年間、毎選挙前に選挙への関心度合いに関する世論調査をしています。それらの数値が高いときに本選挙の投票率が上がる傾向がある。過去の統計に比して今回はいずれの数値も高く、11月の本選挙の投票率上がるのではという観測が出ています。これまで選挙に行かなかった人が選挙に行くと思われますが、それらの人々がどういう価値判断・基準で何を選択し、誰に投票するのか読みにくい。
四つめは、先に指摘したように、政党支持の構造的パターンが変わってきていることです。
以上のような要素を総合的に考慮しつつ、冷静に分析することが重要だと思います。