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「ヨガの日」を国連に採択させたインドのソフトパワー外交

March 31, 2015

[特別投稿]竹内幸史氏/東京財団アソシエイト

今年から6月21日が「国際ヨガの日」になる。インドのナレンドラ・モディ首相が提案し、多国間外交を得意とするインド外務省が国連での採択に成功した。次の目標は、ヨガを世界文化遺産として指定登録することだ。ヨガを通じて国際社会でのインドのプレゼンスを高める「ソフトパワー外交」とも言えるが、その手法には批判の声もある。

提案から国連史上「最速」で採択

昨年8月末にモディ首相が来日した時、京都や東京での歓迎の催しで、座敷に座る場面があった。9月1日、東京の茶道表千家の稽古場で開かれた茶会では、畳の上に正座していた。 安倍晋三首相が「大丈夫ですか」と気遣うと、モディ首相は「ヨガをやっているので(大丈夫だ)」と答え、笑いを誘った。(*1)

米欧の首脳であれば、日本の首相が座敷でもてなすのは、かつての「ロン・ヤス」のようによほど打ち解けた相手か、日本文化に馴染みが深い人だろう。公式の席で床に座る習慣がないし、ましてや正座など考えられない。その点、平然と正座していたモディ首相の姿に親しみを感じた人は多いだろう。 それから3週間余り後の9月27日、モディ首相はニューヨークでの国連総会で演説し、ヨガについて言及した。「ヨガは私たちの古代の伝統からの貴重な贈り物である」「心と体、思考と行動、緊張と実行の一体化、人間と自然のハーモニーを表し、健康と福祉への統合的なアプローチでもある」(*2)

そして、「私たちのライフスタイルを変え、自覚を形成することによって気候変動にだって対処するための一助になる。『国際ヨガの日』を採択するため、協力しようではないか」と訴えた。 この演説から3カ月足らずの12月11日、国連は177カ国の賛成で6月21日を「国際ヨガの日」とすることを採択した。6月21日前後は、昼夜が同じ長さになる夏至にあたり、心と体のバランスを重視するヨガを奨励するのに最適な日らしい。

ちなみに、この採択は国連史上、提案から「最速」で実現したという。インドは独立後、非同盟主義を掲げ、国連外交を重視し、平和維持活動(PKO)では世界最多の約16万人の兵力を派遣してきた。安保理改革と常任理事国入りを目指して積極的な国連外交を展開しており、「国際ヨガの日」採択でも自国のプレゼンスを高める狙いがあっただろう。ヨガの世界文化遺産への指定登録という次の目標に向け、さらなるソフトパワー外交を推進することだろう。

モディ首相の地元にヨガ専門大学も設立

今さらヨガの解説など不要だろうが、歴史について少しだけ振り返っておこう。起源は古く、紀元前1900年ごろのインダス文明に遡る。近代に入ると、19世紀後半にインドの思想家スワミ・ヴィヴェーカナンダが米欧を歴訪し、ヨガを紹介したのがきっかけになり、米欧の知識人の間で最初のヨガ・ブームが起きた。ところが、米国では1910~20年代に南アジアからの移民を排斥する動きがあり、これと一緒にヨガにも逆風が吹いた時期もあった。

ヨガの普及に大きな影響を及ぼしたのは、1960年代のビートルズ訪印だ。ジョージ・ハリスンらがヒンドゥー教の聖地リシケシュなどを訪れ、ヨガと瞑想、シタールなど伝統音楽に親しむ姿が世界に伝わった。ヨガは米欧でヒッピー文化やベトナム反戦運動とも結びつき、さらに広がった。こうした裾野の拡大が、現在2000万人ともいわれる米国のヨガ人口の礎になった。

ご本家のインドでは、独立前の1920年代にヨガの科学的研究が始まり、独立後は伝統の自然療法と合わせて多くの大学にヨガ学科が設立された。上記のヴィヴェーカナンダゆかりの財団は2002年、ヨガ専門の大学院を設け、修士、博士の学位を授与するようになった。また、2013年にはグジャラート州の商都アーメダバードに、インド初のヨガ専門の私立大学であるラクリシュ・ヨガ大学が設立された。同州では2014年までモディ首相が州政府首相を務め、この大学の設立も積極支援した。(*3)

ヨガ・アーユルベーダ担当省も発足

モディ首相は2014年11月の政府組織の改革で、保健・家族福祉省の中にあったヨガやアーユルベーダ、自然療法などの担当局を省に格上げした。この省、英語の正式名称はMinistry of Ayurveda, Yoga and Naturopathy, Unani, Siddha and Homoeopathyで、頭文字からAYUSH省と呼ばれる。モディ首相率いるインド人民党(BJP)は2014年総選挙のマニフェストで、これらの伝統文化を基盤にした保健政策を進める公約を掲げた。人民党ならではのポピュリズムとナショナリズム色の強いアプローチである。

初のAYUSH大臣には、シュリパッド・ナイク前文化観光相が就任した。文化観光相だった2014年10月に来日した時に会うことが出来たが、人民党のヒンドゥー至上主義的な文化政策を担う人物だ。今回のAYUSH大臣就任については、インドメディアに対し、「AYUSHはわが国伝統の療法だったのに、植民地支配に来た英国がこれらを弾圧し、対症療法ばかりにしてしまった」と指摘し、反植民地主義的なイデオロギーが滲み出ていた。 こうした動きに対し、インドのメディアや識者からは懐疑的な意見も出ている。

ジャーナリストのラジャ・モハン氏は、「国連での『ヨガの日』採択は、面白い一歩だ。モディ首相のもとでインドのソフトパワーの展開にきわめて大きな可能性が出ている」と一応の評価をする。しかし、その一方、「ヒンドゥー至上主義の組織が不寛容の文化とヘイト・ポリティックスを展開し、モディ首相のソフトパワー戦略をひっくり返すかも知れない」と指摘した。さらに「ヨガやボリウッド映画など、インドのソフトパワーが堅実に育ってきたのは、政府が何もしなかったからだ。モディ政権は、ヨガを我が物にしたいヒンドゥー至上主義勢力と距離を置くべきだ」と述べている。(*4)

日本でもヨガは人気を集めており、20~30万人のヨガ人口があると言われる。今年3月中旬には、インドのバンガロールに本部を置く国際的なヨガ集団、アート・オブ・リビング財団のシュリ・シュリ・ラヴィシャンカール総帥が来日し、東京で大規模なヨガの公演をした。健康増進とストレス解消、そして瞑想による平和の実現が彼らのスローガンだ。これらの公演はインド大使館が後援した。日本を舞台にインドのソフトパワー外交が全開モードである。

ところが、公立学校の教育にヨガが取り入れられている米国では、一部にヒンドゥー至上主義の子供たちへの影響を懸念する声も出ているという。米国ではインド人民党の母体である「民族義勇団(RSS)」や聖職者中心の組織である「世界ヒンドゥー協会(VHP)」の活動が活発なことが背景にある。

民主主義こそ最大のソフトパワー

確かに「国際ヨガの日」の採択は、インドの存在感を多少高める意味はあるだろう。だが、政府が今さら政策としてヨガ普及支援に乗り出したところで、大した効果があると思えない。モハン氏が言う通り、逆に警戒される恐れがあり、むしろ民間に任せておくのが最善だ。 それよりも、インドはもっと重要なソフトパワーを有していることを忘れてはならない。それは、民主主義である。

日本以外のアジアの国の多くは過去、民主主義に一定の制約を課してでも経済発展を優先する「開発独裁」の道を選んだ。ところが、インドは開発途上国ながらも独立直後から自由な選挙に基づく議会制民主主義を選択した。歴史上、軍事クーデターが起きたことがないのは、徹底した文民支配と軍人のプロフェッショナリズムによる。

モディ首相も、外交舞台での演説でインドの強みとして3つの「D」を挙げ、インドが国際社会で良きパートナーを得ていくためのキーワードとして提示している。それは、Democracy、Demography(若年層が多い人口動態)、そしてDemand(市場のニーズ)である。(*5)

モディ首相は昨年5月の就任後、ブータン、ネパール、ミャンマー、スリランカなど近隣の途上国を相次いで訪問した。これらは近年、内戦から和平と復興の道を歩み始めたり、閉鎖的な国家体制を改めたり、軍政から民主制に転換したりした国々だ。いずれも民主主義はまだまだ脆弱である。彼らにとって、12億もの人口を抱えながら、草の根的な民主主義が定着しているインドは、「民主主義の先輩国家」として一目を置く存在なのだ。 もちろんインドの民主主義とて、全く盤石ではない。ヒンドゥー至上主義勢力を地盤にした右翼政治家として力を伸ばして来たモディ首相は、国政のトップに立った今、経済重視を強め、中道右派のプラグマティストとして自己を再定義しつつある。だが、今年2月のデリー首都圏(州に相当)議会選挙では新党に押されて大敗し、政局のかじ取りに苦悩を深めている。

今後も左右両翼からの攻勢を受け、政局が揺れ動くことが予想されるが、モディ政権は極端なポピュリズムやナショナリズムの政治手法に走ることなく、穏健な路線を堅持し、経済発展を優先していくことが望ましい。それでこそ、インドモデルの民主主義がソフトパワーとして意味を持つことになるだろう。

    • 元東京財団アソシエイト
    • 竹内 幸史
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