対談シリーズ「医療保険の制度改革に向けて」
社会保険方式の原理原則から考える (下) -自治・参加、簡素化の必要性
被保険者、当事者による参加・自治
三原: 堤さんの書かれた『政策原理』(末尾参照)では制度の運営について被保険者の参加・自治が必要と指摘しています。政策提言でも地域に一元化された保険制度の下、被保険者である住民が負担と給付の関係を理解しつつ、医療費の規模や保険料の水準を決定する必要性を指摘しました。では、当事者による参加はなぜ必要なのでしょうか。
堤: 社会保険は被保険者が自分達のために結ぶ契約だからです。
三原: つまり、自分達の医療費の規模や保険料の水準を被保険者が自ら決められるようにする意味ですね。
堤: 被保険者でもない国が「こうだ」と言っても、被保険者が納得する保証はありません。納得してもらうには、保険料を負担して保険給付を受ける当事者たる被保険者に判断させることです。医療保険の場合、ほとんど国が決めているので、なかなか難しい面がありますが。
三原: その現状を細かく見ます。例えば、大企業のサラリーマンが加入する健保組合は労使同数の運営委員会があるので、実態面の課題は別にしても、制度上は自治が成り立っています。市町村国保の場合、保険料を市町村議会が決めていますが、被用者保険の加入者も含めて、国保被保険者以外の住民も選んだ議員による意思決定なので、「国保被保険者の代表が保険料を決めているか」という点では代表性に問題があります。
堤: 市町村国保の代表性については合理的な説明は困難です。1948年に市町村国保を復活させた [1] 際、代表性を巡る議論があり、戦前は組合方式だったのに、戦後は公営方式に切り替えた。当時は国保を再建するため、止むを得ない選択だったかもしれないけど、本来は戦前のような組合方式に戻し、組合の中で被保険者による参加・自治を担保すべきと思います。後期高齢者についても、制度を運営する広域連合の議会に各市町村議会の代表が出ていますが、そこに75歳以上の高齢者がどれだけいるのか問われます。
三原: 中小企業の人が加入する協会けんぽは如何でしょうか。現在、保険料率は厚生労働大臣が決めた運営委員会で決まっています。私は被保険者ですけど、全く参加権はありません。
堤: 今の運営委員会に被保険者の代表が入るように担保すべきだと思います。被保険者による選挙という民主主義の綺麗な形は難しいけれども、例えば経済団体、労働組合の推薦により、被保険者の代表委員を入れる形が考えられると思います。
三原: 現行制度を前提にすると、一つの方策として中医協 [2] の公益委員みたいに国会の承認を入れることで、間接民主制による民主的統制を強化することが有り得るかもしれません。
堤: それは良くないね。絶対ダメとは言わないですが、国会議員は協会けんぽの代表だけで構成されているわけじゃないから。
三原: しかし、運営委員会のメンバーを役所が決めることだけで「民主的」と言えますか。
堤: 役所が決めるというより、被保険者関係団体の推薦に基づき、指名するのです。被保険者代表以外の者も含まれる現在の姿より、よほど当事者構成が担保できます。さらに、協会けんぽの運営委員会に限らず、制度全体を動かす審議会の代表性も確保する必要があると思います。例えば、かつては事業主代表、被保険者代表、保険者代表による社会保険審議会という審議会がありましたが、今、代表性が明確に担保されているのは中医協くらいなものでしょう。代表性が担保されている審議会でも意見が完全に一致しない場合はあるし、シビアな議論になることもある。それでも当事者として合意形成を目指すわけです。当事者を入れず、学識者だけの審議会で決めたことに、被保険者が従わなければならない道理はありません。
三原: その「当事者」に「住民」は入らないのでしょうか。私達の提言では地域一元化と地方分権を進めた上で、住民自治を重視しているのですが。
堤: 住民を参加させるか、どのように参加させるかは制度・テーマ次第です。例えば、介護保険であれば被保険者である住民の参加が考えられます。その場合、サービスを受けている人と、全くサービスを使っておらず保険料を払いっぱなしの人を半々ぐらいにして、議会に諮る前の委員会で保険料の案を決め、議会はそれを尊重する。他方、事業計画については別の委員会を作って、被保険者のほかに事業所の代表が入るとか、参加の主体はテーマによって変わって来ると思います。
三原: 方法論は別にして、当事者による参加・自治の重要性について、大きな差異はないと思っています。むしろ、私が他の行政と厚生行政の大きな違いと思っているのが、余りにも省令や通知で重要なことが決まり過ぎている点です。70~80年の歴史を経て、色々と積み重ねてきた結果とはいえ、法律ではなく行政の運用で決まっているため、国民にとって分かりにくい制度になっています。例えば、診療報酬は大臣告示。この結果、医療機関の経営や国民の懐事情に深く関係するにもかかわらず、民主的統制が弱く、国会による議論も経ていないため、「改定を巡って、どんな議論があったのか」「この制度がなぜできたのか」「この制度改正はいつなされたのか」などの点が検証されにくく、制度の透明性は極めて低い。これでは国民が参加しようとしても分からないと思います。
堤: 診療報酬は、法令の形式の問題と言うより、その改正の趣旨についてどれだけ丁寧に議論し、説明するかが重要です。予算審議などを通じて国会でもしっかり議論すべきでしょう。法律事項にしたとしても、極めて概括的なことしか書けませんので、具体的な内容はやはり大臣告示ぐらいまで降りるでしょうから。本当の問題は、余りにも複雑になり、限られた人しか全体像を理解できていないことだと思います。診療報酬に限りませんが、最近は省令や通知だけでなく、Q&Aやマニュアル、ガイドラインを山ほど出していますね。この前、介護保険のQ&Aを読んだら1,700項目もありました。こういう類のペーパーを作ることが仕事だと思われている節がある。それと、法律に書いてあっても、とても読みづらく、一般の国民が読んでも分からない条文が増えています。前期高齢者拠出金の算定方法なんて、+-×÷の記号を使った横書きの数式であれば分かりやすいのに、「加える」「控除する」「乗じる」「除する」という言葉と二重三重の括弧を用いて縦書きで書かかれています。こんなこともあって今の法律は複雑になり、非常に分かりにくい。しかも、条文の意味や趣旨、狙いはどこにも説明されていない。
制度複雑化の弊害
三原: 制度複雑化の部分は認識を共有します。この観点で少し議論を進めます。介護保険の創設に関わった堤さんには釈迦の説法ですが、老人福祉法の枠組みを残したまま、その後から介護保険法を作りました。それなりに当時は判断があったと思うのですが、国民から見ると法律を建て増している印象があり、非常に分かりにくい。
堤: その指摘は理解できます。例えば障害者関係も複雑ですが、新しく障害者自立支援法(現在の障害者総合支援法)を作る際、重要な規定は身体障害者福祉法や知的障害者福祉法から引っこ抜いている。しかし、介護保険は違います。例えば、特別養護老人ホームは老人福祉法に残っており、低所得者などに対する措置も一部、老人福祉法に残っています。介護保険施設に関しては色んな議論がありました。療養病床は医療法に定められていますが、老人保健施設は元々、老人保健法に規定がありました。療養病床の「本籍地」を介護保険に移すことも考えられたが、政治的に難しかった。つまり「療養病床は病院であり、何で医療法の体系から介護に持って来るのか」という議論になるのです。老人保健施設についても、介護保険に規定はあるのですが、1986年に施設類型を作る際に医療提供施設と位置付けましたので、医療法にも書いている。在宅の関係も老人福祉法に残っているサービスと、そうじゃないサービスがあるし、もっと言うと社会福祉施設の根拠は社会福祉法で、その老人版が老人福祉法であり、介護報酬を受け取っている部分については介護保険法が適用されている。つまり、社会福祉法、老人福祉法、介護保険法の関係性が複雑。人形の中に人形が入っているロシアの「マトリョーシカ人形」みたいなイメージです(笑)。
三原: 私は「建て増しを続けた老舗の温泉旅館」と言っているのですが(笑)。
堤: 本当は、もう少しシンプルにすべきですが、いったん法律ができてしまうと難しい面があります。つまり、本館の隣に洋風新館を作り、今度は中華風の別館を作る感じになっている。本当は全面的に建て替えたいのだけど、しかし、オーナーが代わるぐらいの出来事がないと難しい。役人主導だと、建て増しが続くことになる。
三原: 旧館の営業を停止して新しく作り直すのは難しいので、建て増しが続いてしまう面は理解できますが、少しずつでも制度を簡素にする視点が必要と思います。しかも介護保険制度自体が今や複雑化し、「怪奇保険」になりつつあります。細かい加算減算が増えた結果、単価とサービスの種類を示す「サービスコード」は制度創設時の1760項目から2万9546項目まで膨らんでいます【資料】。
堤: ある厚生労働省の幹部も「久しぶりに老健局に戻ったら、こんなに複雑になっているのに驚いた」と言っていたと聞きました。『政策原理』にも書きましたが、役人は「善意(のつもり)」で一生懸命に仕事をします。しかし、それぞれの制度について、「こういう考え方でできている」という説明は余り熱心にはやらない。その結果、制度の本当の意味が現役の諸君に伝わっていかないわけです。つまり、「この制度はどういう趣旨で、何のためにできている」という基本を分かっていないと言うか、忘れている人が多い。役所はローテーションで人事が回るし、省庁再編で旧労働省と一緒になって幅が広くなったため、全然蓄積ができていない。現役の皆さんには制度を担当することになった時は、制度の歴史を勉強して欲しい。まず、「どういう考え方からできたのか」と、自分の頭で考えてみると少しずつ見えてくると思います。そうやって自分の頭で理解しないと本当に理解したことにはならない。今の制度の条文とか通知だけ見ていても、本当のところは分かりません。
三原: しかし、色んな意見を政治家、業界団体、メディアから受け取ると、真面目に対応してしまい、新しいルールを作るのは仕方がない面はあると思います。一方で、審議会の資料や議事録を見て違和感を覚える点があります。それは「この制度は××という基本コンセプトに立っています」という「そもそも論」を説明しないまま、いきなり課題から入っています。そうすると課題解決のための解決策が優先されてしまい、制度の根幹に関する議論が抜けてしまいます。
堤: 確かに国会などで、「こんなに困っているケースがある」と言われると、それに対応することから政策がスタートする面はありますね。そうすると、課題対応のために制度を改正するとか、診療報酬、介護報酬で対処することになるので、必然的に制度が複雑化します。つまり、「加算が付きました」という答弁のネタができる。そうすると、質問する議員も満足する。
三原: その意味では、(中)に触れた「枠外加算」なんか典型です。
堤: 役人が変に一生懸命過ぎる点もあるし、国民や代表である国会議員、事業者、利用者も痒い所に手が届くように、「これもして」「あれもして」と要望する。自治体職員も制度発足時のような自由な発想ができなくなっており、国に「制度改正はどうなっていますか」と訊き、国はQ&Aで答えるばかり。必然的に制度は複雑化するわけです。若い頃に戦前の内務省 [3] 時代の疑義照会に対する回答文書を見たことがありますが、それには「適宜取り計らわれたい」としか書いていない。しかし、こんな回答は今時できないわけですから、何らかの回答をすると、それが積み重なって膨大な回答集が出来上がるわけです。しかも、内務省時代の回答は考え方を書いておらず、結論のみ。自治体の自主性を尊重すれば、「適宜取り計らわれたい」も良いと思うのですが…。
三原: 介護は自治事務に位置付けられているし、自治事務に関する通知は「技術的助言」 [4] なので、自治体は本来、確認する必要なんてありません。
堤: 現実の問題として、国が突き放した対応をすると、「酷いじゃないか」「不親切じゃないか」と批判される可能性がありますから「適宜取り計らわれたい」じゃなくて、必ず具体的な答えが返ってくる。そうすると、国の答えに縛られる。だから本当は、いちいち国に訊くのではなく、「市町村は法律に書いていないことは自由にやっていい」という発想が必要です。国の制度改革についても、サービスのメニューを多く作らなくてもいい。例えば、小規模多機能居宅介護だって、通所、泊まり、訪問を組み合わせたサービスだけど、新しいサービスを作らなくても、既存のサービスを組み合わせることを認める代わりに、人員配置などの基準を若干緩める形でも十分です。役人の性質として、「俺は新しいメニューを作った」と言いたくなるので、新しいサービスを作ってしまうわけです。それと、介護保険の場合、法律改正は3年に一度やらなくても良いですよね。制度改正のタイミングに当たると、役人は絶対必要な条文だけじゃなく、どうでもいい条文を書きたがるわけです。そうすると法律は複雑になる。
三原: 制度が複雑になると、国民は制度の全体像が分からなくなり、制度を理解しようとする手間暇を嫌い、合理的な判断として関心を持つのを止めます。その結果、国民の参加が妨げられてしまい、制度改正の議論が役所、業界団体だけに終始する危険性が高まります。ハイエクが言う「複雑な制度が生む専門家支配」です [5] 。それと、民間の事業者にとっては、制度改変リスクが非常に大きいと思います。医療は2年に1度、介護は3年に1度行われる報酬改定に関して言うと、新しいサービスができた直後は高い報酬をぶら下げられて、その給付費が増えたらバッサリ削られる。ある経営者が「俺達は鵜飼の鵜だから」とボヤいていました。
堤: 報酬改定についても改定の内容をできるだけ少なくするとか、加算を1個作った場合は別の加算を1個必ず減らすぐらいのルールが必要かもしれません。それと、制度を作ると、制度では想定していない「落とし穴」が必ずできる面もあります。
三原: そうなると、役所は新しい制度で「落とし穴」を塞ごうとするので、複雑化が進むことになります。もう1つ付け加えると、日本の医療・介護サービスは民間によって提供されているので、制度が改変された場合、その影響を緩和するための抜け穴(ループホール)を探します。そうすると、今度は抜け穴封じのための制度が始まり、今度は別の抜け穴を探すので、「規制→抜け穴→制度→抜け穴→…」という形で制度が複雑になっていく面があります。
堤: 先程述べた加算はプラス・マイナスでゼロにするルールのように、制度を改正する時、複雑にしないことを強く意識する必要がありますよね。それと、(中)で話題となりましたが、制度を改正する時は美辞麗句を並び立てず、財政が厳しい点を説明し、理解を求めることも重要だと思います。変な加算減算を作るよりも、全体を下げるとか、そうしたシンプルな改正の方がまだマシです。
三原: 加算は1回スタートすると、これを取得している業界団体が見直しに反対するので、なかなか止められなくなる面もあります。
堤: それと、加算を取得するための書類作りに追われている点も見逃せません。
三原: 現場の職員は膨大な資料を読み込んだり、書類作成に手間取ったりして、事務処理コストも増えていますからね。私自身としても、この辺りは堤さんの著書を参考にしつつ、何度か文章を綴った [6] ので、制度複雑化の弊害については問題意識を共有できます。さて、対談の内容を少し振り返ると、連帯や参加・自治の重要性や制度の簡素化などでは意見が一致した一方、現行制度の見直しについては、地域一元化を掲げる私達の提言に対し、堤さんは被用者保険の見直しを重視されており、意見が分かれただけでなく、いくつか厳しい意見も頂きました。しかし、提言の「はじめに」では批判や反対を含めて様々な意見を頂くことが社会の関心やオープンな議論を作り出し、結果として社会全体の合意形成とビジョンの共有につながると指摘しています。今回の対談が少しでも役立って欲しいと思っています。大変長い時間を有り難うございました
[1] 戦前の国保は組合方式だったが、敗戦後に再建された国保は市町村による公営主義を採用した。
[2] 中医協には診療代表、保険者代表、公益委員が参加している。
[3] 旧厚生省は1938年、内務省から独立した。
[4] 2000年の地方分権一括法では、自治体を国の出先機関のように使っていた「機関委任事務」が廃止され、自治体の事務は法律に基づいて国が委託する「法定受託事務」(例:パスポートの発券事務)と、自治体の判断で決定できる「自治事務」に改組した。自治事務については法令に違反しない限り、独自の条例制定が可能であり、通知は「技術的助言」に過ぎない。
[5] ハイエクは「社会保障制度が極度に複雑であって、わかりにくいことは民主主義に深刻な問題を生んでいる。社会保障の複雑さは神秘なものである。ほとんどの人が複雑でたえず変化しつづける制度の詳細について無知である。結果として専門家が支配するようになっている」と指摘した。
[6] 三原岳・郡司篤晃(2015)「介護報酬複雑化の過程と問題点」『社会政策 通巻第20号』、三原岳(2015)「報酬複雑化の過程と弊害~原点に立ち返る議論を」『介護保険情報』2015年7月号』。同(2015)「報酬改定に見る介護保険の課題~制度複雑化の過程と弊害~」を参照。 https://www.tkfd.or.jp/research/detail.php?id=1146