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【書評】宮下雄一郎著『フランス再興と国際秩序の構想』(勁草書房、2016年)

October 5, 2016

評者:川嶋 周一(明治大学政治経済学部准教授)

本書の目次

  • 序章 「戦勝国」と「敗戦国」の狭間
  • 第1章 英仏統合を模索したフランス
  • 第2章 自由フランスの脆弱な基盤
  • 第3章 自由フランスの「運動」からの脱却
  • 第4章 戦後構想と自由フランスの試練
  • 第5章 北アフリカの「フランス」
  • 第6章 「西ヨーロッパ統合」構想をめぐる政治
  • 第7章 大国間協調体制への順応
  • 終章 後味の悪い「勝利」

本書の概要―第二次大戦期フランス外交研究の意味

本書は、第二次大戦期におけるフランス外交を取り上げ、とりわけド・ゴール率いる自由フランスに集った人々が描いた戦後秩序構想が、いかに戦線の推移と連動していたのか、またそれらの様々な構想の諸相とその意義を分析した研究書である。日本語で書かれたフランス外交史の本格的研究書は数少なく、重厚な本書の出版をまずは喜びたい。その上で、本書の内容をかいつまんで紹介したうえでその射程と研究上の意義について、評していきたい。

本書が取り上げるテーマは、フランス外交史から見ても第二次大戦史から見ても、これまで多くの研究がなされた訳ではない。まずフランス外交史研究において、第二次大戦期は実は暗黒の時期である。本書でも取り上げられている、仏外交史の大家ドゥロゼルがこの時期の通史に「デカダンス」(頽廃、衰退)と銘打ったのは、フランスにとって第二次大戦は戦勝国として終えたとはいえタブーに満ちた時期でもあった。それは、第二次大戦期の緒戦フランスはドイツに敗れ国土は占領の憂き目にあったばかりか、その後フランスは分裂し、最終的に英米ソの力添えを得てようやく戦勝国の地位を得ることができたからである。フランスにとって第二次大戦とは「奇妙な敗北」に始まり「奇妙な勝利」に終わったのである。

本書の内容:第1章~第5章-失われたフランスを求めて

本書は、全七章立てであり、特に第五章以下が本書の中心となっている。それでは内容について一瞥しておこう。第一章では、1940年6月12日に英国チャーチル内閣によって発表された英仏連合案について、誰が何のために作ったのかを資料を基に再検討している。この英仏連合案は、端的にはイギリスとフランスを合併することを宣言したものであるが、発表直後にフランスがドイツに降伏したことで歴史の中に消えていったものである。宮下氏は仏外務省の史料を縦横に使い、この案がジャン・モネの働きかけてによって、戦局打開のための奇策であることを立証する。フランス領内にドイツ軍が侵攻し、敗北が必至の状況下で、敗北の受け入れに動くものもいれば、モネのような奇策に打って出た者もいた。しかし、第二次大戦のフランスにとって最も重要なのは、徹底抗戦を主張し、ロンドンに渡って一種の海外亡命政府である「自由フランス」を組織した、シャルル・ド・ゴールであった。

しかし自由フランスはアメリカから正統な政府とは認知されず、ド・ゴールは対独勝利の前に対米的な政治的承認を得る必要があった。しかしこれがいばらの道で、第二章から第四章にかけては、この自由フランスが正当な政府かつ国際政治的アクター(要するに第二次大戦の対独戦線に貢献できる実力あるアクター)の地位を得ようともがく姿と、そのような弱い体制においていかなる終戦後のビジョンが描かれたのかが叙述されている。興味深いのは、体制が整っていない時期には本格的な戦後構想は着手されていなかったこと、アメリカがずっと正当な政治アクターとして認識しなかった自由フランスの意義を認めるきっかけとして、太平洋戦争が始まったことの指摘である。自由フランスは海外植民地からの支持を集めることで政治勢力としての力を整えてきたが、太平洋には自由フランスの支配下となったフランス海外植民地の諸島が存在しており、戦略的にそれらの島々の重要性が高まったからである。

しかし、決定的だったのは1942年11月の連合国の第二戦線としての北アフリカへの上陸作戦だった。ただし、アメリカは自由フランスを北フランス上陸作戦の立案遂行に関して、意図的に排除した。英ソは、自由フランスを正当なフランス(亡命政権)と扱いつつあったにも関わらずである。いずれにせよ、これ以降、第二次大戦遂行においてフランスの北アフリカ領は戦略的に決定的な重要性を帯び、それゆえアメリカもフランスを本気で対応する必要が出てきた。

第五章は、この北アフリカへの連合国上陸作戦の成功によって劇的に変化した自由フランスの状況と、戦後フランスに向けた決定的な転換を描く。というのも、ド・ゴールの自由フランスにやはり不信感を持っていたアメリカは、北アフリカのフランスの指導者として、ドイツから脱走したジロー将軍を据えることとし、その補佐役としてモネをワシントンからアルジェに送り込んだ。ド・ゴールもアルジェに乗り込み、ここにジローとド・ゴール間の政治闘争が勃発、ド・ゴールはこの政治闘争に勝利した。ド・ゴールが指示して設立させた全国抵抗評議会の設立成功は決定打だった。この闘争に勝利した自由フランスは、ようやく正当な政治アクターとしての地位を確保する。

本書の内容(2):第六章-西ヨーロッパ統合構想

第六章は、北アフリカに確固たる地位を築いた自由フランスが、1943年から44年にかけて、統治体制を整えるのと同時に、戦後構想を練り始めたその内容について分析したものである。その戦後構想とは、一言で言えば「西ヨーロッパ統合」、すなわちドイツを工業地帯を中心に分断し、その分断小国家を西欧諸国と一緒に(国家)連邦として再編することで、対独封じ込めを実施する、というものであった。しかし、この構想の実現には英米ソの支援が不可欠だったが、支持は得られなかった。とりわけソ連の不支持や協議パートナーのベルギー・オランダとの対立によって日の目を見ることはなかった。

本章と続く第7章は本書の白眉の部分であり、その内容には圧倒される。「西ヨーロッパ統合」構想に対する様々な側面を分析しているが、ここでは三点興味深かった点を挙げたい。第一点は、一口に構想と言っても、微妙に力点の異なる三つの異なる構想が異なるアクターによって提示されている点を分析していることである。第二に、にもかかわらず、これらの戦後構想の議論のキーパーソンとして本書で重視しているのは、外交責任者のマシグリである。マシグリは、理念先行の国際認識を持ちがちな自由フランス内であって現実的な子草認識の持ち主として描かれており、本書の隠れた主役の一人である。第三に、当構想とはやや独立して披露されているド・ゴールの国際状況認識である。ド・ゴールは、ソ連よりもドイツに対して警戒感を持っていた。それゆえ、ソ連と手を結んでドイツを抑え込むべきと考えており、これと「西ヨーロッパ統合」構想の実現により、ドイツは二重に封じ込められるというのである。このような外交方針は、43年10月には文書化された。ここでは、戦前の国際連盟のような集団安全保障は不十分であり大国協調を推進すること、アメリカの積極的な介入を期待すること、ドイツを弱体化させフランスとの力の均衡の実現させること、といった方針が打ち立てられた。また、「西ヨーロッパ統合」構想はロンドンに亡命政府があったベルギー、オランダとも協議が進められた。ベルギーはフランス以上に熱心な統合推進論者であった一方で、オランダの熱意は低かった。結局の所、この「西ヨーロッパ統合」構想は、特にソ連から強い反発にあう一方で、当初熱心だったベルギーの態度の消極化にという二つの要因によって、実現することなく終わってしまった。

本書の内容(3):第七章-大国の地位のひとまずの確保

本論の最後を飾る第七章は、フランスは暫定政府へ移行し、無事フランスは復活を果たした1944年から45年にかけての終戦過程を扱っている。ここでは、この時期に設立交渉が進む国際連合においてフランスが安全保障理事会における常任理事国入りがいかなる意味を持っていたのかが多面的に分析されている。まずなによりフランスが望んだのは「大国の地位」であった。当初フランスは戦後ドイツ問題の協議を行っていたヨーロッパ試問委員会に入ることで大国の地位を確保しようとしたが、既に同委員会の役割は終わっていた。そこで見出されたのが、設立交渉が進んでいた国際連合の常任理事国入りだった。ところが、これと並行して、ド・ゴールの国際情勢認識にあったように、ド・ゴール自身は対ソ協調によってドイツ抑え込みを優先しており、その表れとして44年12月に仏ソ条約を締結する。これは、アメリカを筆頭に、連合国が普遍的国際機構に基づく戦後国際秩序の構築していたのに対し、フランスはこれに背を向け、むしろ伝統的同盟政策に基づく国際秩序を追求しようとしたことを意味する。それゆえ、国連に関する協議においてフランスが取り組んだのは、既に締結した仏ソ条約の内容を保全し、ドイツに対する安全保障を伝統的同盟政策によって確保することだった。この考えでは、仏ソ条約の規定こそが、対独安全保障を確保する。仏ソにイギリスを組み込んだ、三角形の枠組みの形成こそが、フランスが望んだ戦後秩序だったのである。

本書の分析では、この時期のフランス外交には、二つの路線が衝突していた。一つは、マシグリが唱えていた「大国協調論」であり、もう一つはド・ゴールが重視しかつ戦間期のフランス外交の定型でもあった「小国の親分論」である。後者の路線とは、ヨーロッパやその他の小国の意見を代弁する立場としてフランスがあり、そのような立場はフランスの大国性を保証する、というものだった。

国連憲章が採択され国連が成立するサンフランシスコ会議は、これまで本書が分析してきた戦後国際秩序に向けたフランスの構想が終着点を迎えた所だった。ここにおいて、フランスが重視していた仏ソ条約規定はソ連の非協調的姿勢より充分なものとならず、また「小国の親分」としての立場も、安全保障理事会における非常任理事国の扱いにおいて中小国の期待に反した振る舞いによってむしろ中小国の失望を招いた。「協調的なイメージを形成しようと努力し、大国と小国の両方を満足させようとしたフランスは、概して流動的な姿勢で、むしろ自らの否定的なイメージを拡散させた」(390頁)のである。とはいえ、フランスの最大の願いである「大国」の地位への復活は、国連の中の安保常任理事国への即座の着任、すなわち大国協調体制によって確保することに成功した。著者はフランスが「おおむね」満足した、と分析している。おおむねにカッコ付けしている点が、著者の当時のフランス外交に対する評価を表していると言えるだろう。

そして「後味の悪い勝利」と題された最終章において、これまでの内容が振り返られている。大国への地位を志向し続けたフランスのむしろ地位の弱さが、第二次大戦期には表れていた。フランスの外交は次々に変化する戦局状況に対応していく「状況対応型」外交として力を発揮したが、これは皮肉であり、フランスは確かに大国の地位を確保し、第二次大戦における戦勝国の立場を得ることには成功したものの「後味の悪い勝利」に終わったのである。

評価とコメント

本書は圧倒的ドキュメンテーションに基づく古典的かつ王道の外交史研究である。本書が慶応義塾大学法学研究科に提出・受理された博士論文を元にしたというのもあるが、その史料実証主義は、他の追随を許さない。筆者の圧倒的なフランス語能力に裏打ちされた歴史研究である。

冒頭でも触れたように、当該時期に関するフランス外交史研究は、実はそれほど正面から研究されたテーマではなかった。とりわけ、従来ではあまり取り組まれなかった、①英仏連合案の解明、②自由フランス内の戦後構想、③西ヨーロッパ連邦構想、④国連創設時におけるフランス外交という四つの題材を組み合わせて、第二次大戦期および大戦を終えて「戦後体制」を構築する時期におけるフランス外交の苦悩を描いているのが本書であり、その叙述と狙いは多くが成功していると言えるだろう。

どの論点も興味深いが、ここでは第三番目の「西ヨーロッパ連邦」構想について触れたい。序章の先行研究でも触れているが、これまでは西ヨーロッパ連邦構想が戦後のヨーロッパ統合との関わりで触れられることが多く、当該時期の構想を対独封じ込めの一方策という視点からここまで包括的に明らかにしたのは、本書が初めてであろう。他方で、2010年から深刻化したユーロ危機以降、ヨーロッパ統合に複合的な危機が襲っているが、この第二次大戦末期に自由フランス内で議論された「西ヨーロッパ連邦」は、現在の統合とどのような関係があるのだろうか。本書ではその関連性や含意については禁欲的態度を取っているが、西ヨーロッパ連邦の意図は兎も角、その内容については戦後に実現する統合とやはり似た内容と言わざるを得ない。であれば、その異同ないしはその関連性の射程について、もう少し踏み込んだ分析があってもよかったのではないだろうか。

また、本書を彩るのはその多彩な登場人物である。この書評ではやや話を単純化するために、ド・ゴールの自由フランスというような表現をしたが、本書で描かれているのはむしろド・ゴール一人だけに還元できない自由フランスの複雑な人間模様である。とりわけ、本書の実質的な主人公といってよい、外交官出身のマシグリと後にヨーロッパ統合の父と呼ばれるモネは、ド・ゴールの考えとは一線を画している。親英的であるのと同時に勢力均衡的な国際政治観を抱いていたマシグリは、外交のプロとして自由フランスの要となる人材だったが、彼の国際政治観に基づいたバランスの取れた外交は実践されなかった。他方で、後年ヨーロッパ統合の父として名高いモネは、親米的であるのと同時に、実現しようと思った目標を手練手管を駆使して実現にもっていこうとする敏腕政治的プロモーターとして描かれる。その適切な政治判断もさることながら、実現したい目標を実現にもっていくために必要な手段を判断する能力と、実際に実現するための彼の暗躍の実行力については、唖然の一言である。ヨーロッパ統合という史上例を見ない国際政治現象を実現にもっていったのは、決して理念の力ではなく、稀代の政治的プロモーターとしてのモネの規格外の剛腕さにあったのであろう。本書で描かれているモネとは、そのような人物であり、その評価はそれほど間違っていないであろう。

最後に、本書におけるフランス外交評価について触れておきたい。終章で筆者は、フランスの知識人レイモン・アロンのいう「暫定的同盟」と「恒常的同盟」の違いについて触れ、二次大戦期にこの二つを取り違えたフランスの認識の甘さを指摘している。終戦末期、特にド・ゴールはソ連に対して対独のための「暫定的同盟」をきわめて重視し、自由フランスの一貫した庇護者的存在だったイギリスから離反した。しかし、これは大きな間違いだった。「戦争遂行という目の前の協力関係ばかりに関心を奪われ、戦後国際秩序の姿を見据えるという長期的視点が欠けていた」(398頁)のである。19世紀に至るまでヨーロッパの、否世界の大国であったフランスが、その地位から決定的に落伍したのが第二次大戦であった。それゆえ、フランス外交の自己認識をめぐる論争と苦悩がこの時期に発生したのである。本書は大量の未公刊史料に依拠しつつも、その過程をきわめてビビットに描くことに成功した。フランス外交史の正統なる重厚な研究書が日本語で読めることの僥倖に感謝しながら、本格的なフランス外交史研究者の誕生を祝いたい。

    • 政治外交検証研究会メンバー/明治大学政治経済学部准教授
    • 川嶋 周一
    • 川嶋 周一

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