2012 2.1 WED
第47回東京財団フォーラム「日米から見るTPPの行方」
TPP(環太平洋経済連携協定)交渉参加に向けた米国をはじめとする参加各国との事前協議が大詰めを迎えようとしていますが、依然として賛否両論の議論が先鋭化していて、問題の本質が見えにくくなっています。
その全体状況を正確に見極めようと、東京財団では2月1日、貿易問題に詳しい米ナショナル・ジャーナル誌のブルース・ストークス氏をゲストに迎え、米国から見るTPPの行方について語っていただきました。また、東京財団研究員と専門家も加わり、日本側から見るTPPの行方と今後の展望についても議論しました。
スピーカー:
ブルース・ストークス(ジャーナリスト)
盛田清秀(日本大学生物資源科学部 食品ビジネス学科教授)
土屋了介(東京財団上席研究員<医療問題>)
原田 泰(東京大学上席研究員<日本経済、通商貿易>)
久保文明(東京財団上席研究員<米国政治>)
モデレーター:
浅野貴昭(東京財団研究員兼政策プロデューサー)
ストークス氏の基調報告と日本側パネリストの発言の概要は以下のとおり。(文責:編集部)
ブルース・ストークス氏の基調報告(概要)
世界経済において地殻変動が起ころうとしている。その一つがTPP(環太平洋経済連携協定)であり、日本とEUがFTA(自由貿易協定)を結ぶという動きや、アメリカとEUでFTAがすすめられつつあるといった話もある。これらは先進国の三大経済プレーヤーである日米欧がさらに緊密につながるチャンスであって利用しない手はない。
日米欧は経済の停滞、失業率の急増といった共通の問題を抱えている。政府は借金漬けで、特にゼロ金利時代を迎えている日本とアメリカでは、金融政策の道筋が見えない。成長を促して構造改革を成し遂げるには、国債発行以外の手を考えなければならない。
日米が抱える共通の課題は、経済的な競争相手の中国との関係だ。ヨーロッパだけでなくアジア各国とも協力しなければ、中国のチャレンジに応えることはできない。そうした意識が高まりつつある。TPPはそのための一つの道となる。一定のスタンダードと共通の価値観をつくり、能力を最大限に発揮して競争力を持ち続ける。ここにTPPの志がある。
TPPで提起される問題はそれぞれが十分対処しなければならない。どのような交渉でもギブ・アンド・テイクがある。問題の一つが自動車で、昨年、日本はアメリカに約140万台の乗用車と軽トラックを輸出した。アメリカは日本に約1万6,000台しか輸出していない。日本側は「アメリカ人は努力していない」「ディーラーに投資もしないし、日本に合ったモデルも開発しない」という。アメリカ側は「非関税障壁で日本の市場から締め出されている」と主張する。私はここで一方が正しくて他方が間違っていると言うつもりはない。しかし、140万対1万6,000という数字の開きは、アメリカ側からすればアンフェアに見える。
日本にとって農産品もまた大きな問題であろう。交渉の原理からすれば、すべてがテーブルの上に出されるし、当然、例外もある。米韓FTAではコメを関税撤廃の例外とした。米豪FTAではサトウキビが外された。TPPでも農産品の取り扱いで、最終的には何らかの合意ができるだろう。国民皆保険制度については、アメリカが日本の制度そのものを変えてやろうという野望を持っているわけではない。だが、アメリカは日本の決断をいつまでも待つ姿勢はとらない。オバマ大統領は今年12月までと言っている。一部の日本人は、TPPにあと乗りもできると言うが、あとになればなるほど列車に乗るのが難しくなる。有利な交渉も引き出せなくなる。最善の自国の利益のため、日本が自らどうするかを決断しなければならない。
オバマ大統領も共和党候補のロムニー知事も、日本のTPP参加を支持している。両者の意見に大きな相違は見られない。選挙戦の争点になっていないことからも、アメリカにとってTPPは国民的な課題ではないが、今度の議会選挙を注意深く見ていただきたい。上院で共和党が多数を占め、共和党の大統領が勝利することになれば、大統領と議会との間でTPPに関するイシューの協力が見られるだろう。
日本側パネリストの発言(概要)
浅野 昨年11月に野田首相がTPP交渉参加の意向を表明し、それに先立ってTPPの是非をめぐり日本国内で賛否両論が入り乱れ、議論が先鋭化した。まず、食生活に与える影響ということで農産品市場の開放について伺いたい。
盛田 TPPは「環太平洋経済連携協定」と訳されているが、仮に日本がこれに参加すれば、日米豪の3ヵ国で全参加国のGDPの95%を占めることになる。つまり、日米豪のFTA(自由貿易協定)、あるいは3ヵ国の経済連携といえる。また、政治的な側面がかなり強調されているので、もう少し経済的な視野に立って冷静に分析し判断すべきだろう。参加することで日本経済にどれほどのメリットがあるのか。これが最大のポイントだ。
TPPよりも東アジア経済圏を重視したほうが経済的なメリットが大きいといった試算が出ている。それを撥ね退けてまで、なぜTPPなのか。エモーショナルな議論ではなくて、中長期的な視野から論点をきっちり整理すべきだ。
農業に関しては、TPPに参加してもメリットはほとんどない。参加をきっかけに構造改革をすすめようということだが、自由化して改革が進むというのは100%あり得ない。加入して生じるのは、食料自給率の大幅な低下であろう。2010年の自給率はカロリーベースで39%、穀物で27%。これが下がるのは目に見えている。
穀物を他国に依存するのは極めてリスクが高い。2008年のリーマンショック以前に穀物価格が暴騰したが、その際に輸出規制が行われたのは記憶に新しい。アメリカでもどこでも自国の国民を飢えさせておいて、他国に食料を輸出するというのはあり得ない。
長期的に見て“開国”は必要だが、短期となると農業分野は対応できない。GATTウルグアイラウンドで総額6兆円をつぎ込んで農業支援策を講じたが、活性化にはつながらなかった。その二の舞になるのではないか。お金をつぎ込んだものの何も変わらなかったという構図がいちばん怖い。そうなったら日本国民の農業、農村に対する支持、共感が一気に失われてしまう。
TPPに加入する、しないにかかわらず、日本の農業は構造改革を行うべきだが、プランを出しきれていない。これが問題なのは誰の目にも明らかだ。
日本を含む東アジアの農場規模はせいぜい1、2ヘクタール。ヨーロッパは10から30ヘクタール、アメリカはおおよそ180ヘクタール、オーストラリアは3,000ヘクタールである。この桁違いの構造をどう解消するのか。
政府は昨年、5年で平均20から30ヘクタールに持っていくとしたが、今のままではおそらく不可能だろう。TPPへの加入よりも、むしろ農業の構造改革をどうすすめるかについて真剣に考えるべきだ。
浅野 TPPに限らずFTAでも、農産品を含む物品貿易に留まることなく、サービス分野でも自由化交渉はすすむが、医療への影響はどうか。
土屋 TPPに対する日本医師会の見解として、公的医療保険制度を交渉対象から除外し、混合診療の全面解禁を認めず、医療に株式会社を参入させないといった要請がある。
だが、日本医師会は組織率が低く、その意見は勤務医あるいは病院全体のものではない。また、アメリカは公的医療保険の運用の見直しを10年来言い続けており、今回に限ったことではない。アメリカのように低所得者が医療を受けられなくなるといった意見もあるが、アメリカではメディケア(公的保険制度)、メディケイド(公的医療保障制度)が定着している。そのあたりを冷静に認識して議論すべきであろう。
医療への株式会社の参入については、医薬品・医療機器の輸入超過が2兆円超という現状がある。にもかかわらず、国内の医療産業から反対の声は聞こえてこない。「お互いに競争すると値段が高くなる。株式会社が揃って利益を追求すれば、医療費が高騰する」と言うが、資本主義において競争によって値段が下がるというのが原理である。
今日の医療機関の経営体質を是正するには、税と社会保障の一体改革では無理だろう。高度医療のほとんどが公的病院、半官半民の病院で行われているからだ。その代表が国立病院機構であり、日本赤十字社、日赤病院である。済生会病院も恩賜財団とは言うものの、その多くに公的資金が入っている。各都道府県には県立病院、市立病院があるが、ここには税が投入されている。他方、最近評判の千葉県鴨川市にある亀田総合病院などは私立の病院だが、多少の補助はあっても交付金のような多額の公的資金は受けていない。
国立がんセンター中央病院とがん研有明病院を比較した場合、国立がんセンターは、おおよそ250億の出し入れのうち、毎年11億の補助金を受け取って病院の運営を行っている。がん研は300億の出し入れだが、一銭も交付金は受け取っていない。それでもがん研のほうがはるかに多くの症例数を取り扱っているし、研究成果が出ている。こうした現実を見れば、いかに公的病院が非効率かがわかる。日本の医療の体質を変えるには、外圧を入れたほうがよいのではないかと思うくらいだ。
原田 アメリカの世論は自由貿易に対してよい印象を持っていない。同じく日本でもTPP参加に向けた協議を開始すると言ったら、民主党の若手議員を中心に反対の声が上がった。
これは1990年から現在までの約20年間、日本もアメリカもほとんど経済成長していないからではないか。つまり、40代あたりの若い世代は、大人になって不況しか経験しておらず、「今は縮こまっているしかない」と考える傾向が強い。「不況だからこそ自由貿易で頑張ろう」と思うわけにはいかないものか。どんどん海外に打って出て自国の経済を立て直すんだという志のあるエリートを育てていかなければならない。
アメリカは日本とのTPPに概ね賛成だが、各論で反対だろう。自動車が輸入超過になりすぎているという話だが、輸出超過になったり、輸入超過になったりするのはやむを得ない。日本では医薬品が輸入超過である。
日本国内における公的医療保険制度に関する議論はかなり極端だ。よくよく考えてみれば、オバマは自国の医療保険改革を積極的に進めようとしているわけであって、日本の保険制度まで変えようとはしていない。
農業の問題については、日本がTPPに参加しても何もよいことはないというのは、そのとおりだろう。しかし、TPPへの参加如何に関わらず、農家への補償は必要ではないか。それによって農業を維持することができる。輸入促進にならないようなかたちで農家への戸別所得補償を行えば、おそらくTPPへの参加も認められるだろう。
食料自給率の低下の要因の一つとして休耕田がある。田んぼや畑を余らせていながら、自給率が下がって大変だと言うのはおかしい。まず田畑を余すことなく使うにはどうすればよいかを考えるべきだ。農業を大規模化し、少しでも安く農産物を作るようにして輸出するしかない。
浅野 アメリカ政治の研究の切り口から、TPPをどのように見るのか。
久保 アメリカには、TPPは極めて質の高い自由貿易だという理想がある。その理想を追い求めすぎ、あまりにも厳しい要求を突きつけて日本を追い出してしまえば、それがアメリカの成果になるのかというジレンマもある。
米韓FTAに対するアメリカ議会での賛成、反対の数を示した昨年のデータがある。それによると、民主党の上院ではFTAに賛成の議員が多く、下院では反対派が多い。全体的には民主党のほうが保護主義的、つまり米韓FTAに反対だというのが見て取れる。来年以降は、共和党が上下両院で多数を占める可能性がある。TPPを比較的支持する勢力が議会で影響力を持つことになる。
ただ、2010年頃からの兆候として、共和党支持者のほうが自由貿易に否定的な意見を持つようになっている。特にティーパーティ系の人たちに顕著に現れてきた。こうした現象はまだ投票行動に波及しておらず、日本のTPP参加とは関係ないものの、アメリカ政治の動向を占う上で興味深い現象である。
経済の専門家はTPPによる経済的な損得の話をされるが、国と国の関係は必ずしもお金の勘定だけではない。日本と中国との貿易額が伸びたとしても、やはりそこには一定の距離がある。もちろん感情とか情緒で判断すべきではないが、日米の重層的な同盟関係が両国の関係強化に役立っているという側面も存在することを指摘したい。
やはり巨視的な判断が必要であって、たとえばTPPとともに東アジアとのFTAをすすめるとか、自由貿易の道をたどりつつも農業を切り捨てにしないことが大事だ。日本の戦後の成功の源を考えると、軍事的な成功ではないことは明らかで、製造業が頑張って今日の地位を獲得した。そうした日本の生きてきた道を考え、農業だけのために日本全体が閉じこもるという判断がどのくらい妥当なのかを判断しなければならない。ミクロな議論だけではなく、大きな方向性について理解し、語っていければよいのではないか。
今回の問題の根本は、日本社会全体の体質の問題でもある。競争力が非常に弱くなっている。日本の産業はトップレベルにあるものの、いつまでも守られたままだと、ますます弱くなっていくのではないか。競争というのは不愉快で不安をもたらすが、日本はその中で戦って勝ち残っていくしかないのではないか。
盛田 最大の争点となっている農業ついて、2つの分野に分けて考えていただきたい。一つはサクランボなどの施設園芸による非土地利用型の農業である。技術の粋を尽くして品質で勝負できる分野であり、国際競争力は十分ある。価格が10倍でも売れ続けるし、外国にも輸出できる。
もう一つがコメ、小麦、大豆など、幅広い地域で機械によって高能率でできる土地利用型農業。問題はこの土地利用型農業だ。日本のコメは品質がよいから輸出できる。だが、所詮は機械化農業であって、外国でも技術革新と習熟によって必ずその差は縮まっていく。
現在、民主党はコメ60kgを1万3,700円ベースに3,000億円の個別所得補償を行っている。それが仮にTPPに入って関税をなくしたとして、60kgが6,000円あたりで販売されるようになれば、1兆700億円かかる。それを構造改革で60kgあたり1万円くらいにすれば、その半分の5,200億円で足りる。日本の国民にとって貴重な財政を節約するためにも構造改革をやらなければならない。
ただし、これは節約できるからやるということだけではなくて、日本の農業が努力して、それを国民が支持するようなかたちに持っていかなければならない。TPPに入れば何とかなるとか、TPPを機会に構造改革をやろうというものの、未だに具体的な処方箋は示されていない。単に農業の問題と捕らえるのではなく、日本人全員の英知を結集して考えていかなければならない問題である。