2012 5.19 SAT
週末学校 特別公開シンポ「私たちはここから日本を変えたい~首長達と語る地域に最適な行政」
週末学校 特別公開シンポ「私たちはここから日本を変えたい~首長達と語る地域に最適な行政」
このシンポジウムは、東京財団が市区町村職員を対象に実施している研修「週末学校」の特別公開プログラムです。
「週末学校」は、住民を主体とする地方自治の実現と地域の潜在力を活かした多様性あるまちづくりのため、自らの頭で考え、行動を起こすことができる人材の育成を目指しています。
【日 時】 | 2012年5月19日(土) 13:30-15:30 |
【場 所】 | 日本財団ビル2階 会議室(港区赤坂1-2-2) |
【テーマ】 | 「私たちはここから日本を変えたい ~首長達と語る地域に最適な行政~」 |
【登壇者】 | 伊澤史夫 (千葉県白井市長) 片山健也 (北海道ニセコ町長) 中山弘子 (東京都新宿区長) 松島貞治 (長野県泰阜村村長) |
【モデレーター】 | 亀井善太郎 (東京財団研究員・政策プロデューサー) |
【参加費】 | 無料 |
-------------------- ● 告 知 文 --------------------- 長年にわたる国からの画一的なコントロールの下、日本中の自治体は金太郎飴のように特色を失い、今や閉塞感にあえいでいるのが現実です。そのような中、行き詰まりを打破しようと格闘を続ける首長がいます。 首都圏のベッドタウンとして人口増加を続ける千葉県白井市。対して、東南アジアや豪州からの投資や観光客に沸く北海道ニセコ町。日本有数の繁華街と高層ビル街を有する東京都新宿区。一方、村の9割を山林が占め、住民の4割が高齢者となっている長野県泰阜村――。 極端に違う状況のもとで、多様性を活かし、様々な工夫をしているこの4自治体の首長から、それぞれの取り組みの軌跡、発想や行動の極意を披露していただきます。地域の可能性と行政のあり方を考えるシンポジウムにぜひご参加ください。 |
登壇者プロフィール
伊澤 史夫(いざわ・ふみお):千葉県白井市長
1955年千葉県白井村(現白井市)生まれ。 1978年白井町役場(現白井市役所)入庁。企画政策課長、教育総務課長、健康福祉部長、市民経済部長を務め、2011年4月退職。同年5月白井市長に就任。現在1期目。事業仕分けでは、3年間で市実施計画事業すべてを対象として無作為抽出の市民による市民判定人方式で実施することを決定するなど、市民参加・協働の手法を取り入れた行政運営を積極的に展開している。事業仕分け実施初年度である2011年度には、仕分けを一過性のパフォーマンスに終わらせず、判定結果をきちんと反映させるため、仕分け実施前に「事業仕分け判定結果取り扱い要領」を公開するなど、市民とともに実直な財政運営を目指している。
片山 健也(かたやま・けんや):北海道ニセコ町長
1953年北海道赤井川村生まれ。民間企業((株)エーコープライン、現全農物流(株))勤務を経て、1978年ニセコ町役場入庁。町民総合窓口課長、環境衛生課長、企画環境課長、総務課参事、教育委員会町民学習課長、会計管理者、教育委員会学校教育課長兼学校給食センター長を務め、2009年7月に退職。同年10月ニセコ町長に就任。現在1期目。就任以来、経済の自立した町を目指し、子育て環境の充実、農業基盤整備の実施、地下水保全条例の施行をはじめとする環境保全等に積極的に取り組んでいる。町長自ら、予算公聴集会「まちづくり懇談会」や「まちづくり出前トーク」といった住民参加の場に赴き説明をするなど、2001年に施行された全国初の自治基本条例「ニセコ町まちづくり基本条例」の2つの柱である「情報共有」と「住民参加」の原則を貫いている。
中山 弘子(なかやま・ひろこ):新宿区長
1945年台湾で生まれる。翌年群馬県沼田市に引き揚げ、高校卒業まで同市で過ごす。1967年東京都庁入庁。労働行政をふりだしに、子ども・女性行政、消費者行政、東京湾埋立地の水辺と緑の回復事業、清掃事業、人事委員会、監査等に携わり、2002年10月退職。同年11月、23区初の女性区長として新宿区長に就任。現在3期目。就任以来、歌舞伎町の課題解決に向けて取り組み、2005年には地元住民、事業者、国、都、有識者など多様なアクターで構成される「歌舞伎町ルネッサンス協議会」を設置。戦後、自治会が目指した安心安全で大衆文化・大衆娯楽を発信できるまちとしてのDNAを重要視し、地元住民や事業者とともに「クリーン作戦プロジェクト」や「地域活性化プロジェクト」等、価値創造型の取り組みを進めている。また、多くの外国人が住むまちとして、多様性を力にすべく、多文化共生にも力を入れている。
松島 貞治(まつしま・ていじ):長野県泰阜村村長
1950年長野県泰阜村生まれ。1968年泰阜村役場入庁、1988年からは村診療所事務長として高齢者の在宅医療・在宅福祉に携わる。1990年に退職、下伊那郡町村会職員を経て、1994年泰阜村村長に就任。現在5期目。公的介護保険制度が2000年4月に導入される10年以上前、1988年には老人医療費窓口負担を無料化(村が肩代わり)、1989年には全在宅サービスの無料化を開始。就任後も一貫して歳出削減を図りつつ在宅福祉サービスの維持を図り、介護保険制度導入後は、利用料一割負担のうち60%を村が肩代わりすることによって受益者負担を最低限に抑えている。著書に、共著『「安心の村」は自律の村―平成の大合併と小規模町村の未来』(自治体研究社、2004年8月)、『松島語録―地方自治は山村から考える』(自治体研究社、2007年1月)。