2007 7.27 FRI
第7回東京財団政策懇談会「沖縄の『本土復帰』が意味するもの」
東京財団では、少人数で気軽な雰囲気の中、実質的な議論ができる場を目指し、政策懇談会を開催しています。
7月27日(金)に開催した第7回東京財団政策懇談会では、宮城能彦沖縄大学教授を迎え、「沖縄の『本土復帰』が意味するもの」と題する講演を行いました。これは昨年度研究プロジェクトのひとつ「日本人のアイデンティティー教育―沖縄問題を通じて―」の成果をもとに、沖縄にとって「本土復帰」とは何であったのかを明らかにし、同時に、沖縄の「本土復帰」が日本に何をもたらすのかを解き明かす目的で開催したものです。
まず、この研究を実施する動機についてお話がありました。1960年に沖縄で生まれた宮城氏は、小学生の時、日の丸を作り路上で振って、本土復帰の情熱を表現した鮮明な記憶を持っていました。しかし、復帰後、「米軍統治があまりにもひどく、それよりはまだ日本の方がまし」という理由で復帰したという消極的復帰説が通説になりました。その変貌を紐解くのが研究の動機だったとのことです。
調査を開始すると、宮城氏の日の丸を作った記憶が誤りでないことがはっきりしてきました。日の丸を路上で振った体験は、「写真記録沖縄戦後史」(沖縄タイムス)に掲載されている1967年の復帰要求行進団の写真で確認できました。また、1961年の「琉球新報」には、小学校に日の丸の掲揚が許可されたとの写真入りの記事が見られ、日の丸は当時の沖縄人にとってあこがれであったことが分かりました。
続いて、県民意識についての考察がありました。新聞等の報道ではあまり目にしませんが、沖縄県民の暮らしに対する満足度は調査毎に高まっているとの内閣府実施の「沖縄県民の意識」調査が紹介されました。また、1996年実施の日米地位協定の見直しと基地の整理縮小についての賛否を問う県民投票(予想を大きく下回る投票率59.53%)と1997年に行われた普天間基地に替わる海上ヘリポートの受け入れに関する名護市民投票の結果(小差51.63%で受け入れ反対が上回る)が示しているのは、?理想主義的な反戦平和への願望ではない?補助金をはじめとする経済支援を求めているのでもない?求めているのは、政治的な思惑で駆け引きをせず、沖縄と対等に向き合ってくれる態度であると説明がありました。その県民の総意が表明されたのが、老若男女、各界の労使やすべての政党から8万人を超える参加者が集まった1995年の少女暴行事件に対しての総決起大会との見解でした。
最後に、宮城氏から次のような主張がなされました。
日本において、沖縄は唯一自らの意思で日本人を選択し日本の一員として加わった県民であり地域である。そして、それを本土が受け入れたと考えるならば、今度は沖縄が本土に対して、沖縄に固有の様々な歴史や文化を示すことで、多様な歴史や文化をもった国としての日本の再発見と再構築を求めることができる。同時に、沖縄は日本という国をよりよいものにしていく義務も当然生じたことになる。沖縄だけが被害者であってはならないが、沖縄だけが特別の優遇を受けるべきと主張するものであってはならない。
今後、東京財団では、様々な歴史と文化を持った地域に関心を払いながら研究事業を進めていこうと考えております。
■講師: 宮城能彦 沖縄大学教授
昭和35年沖縄県那覇市生まれ。県立那覇高校、琉球大学法文学部社会学科卒業。沖縄女子短期大学を経て平成11年より沖縄大学人文学部で勤務。現在同教授。専攻は社会学、沖縄村落社会論、共同体論。平成15年に那覇教育史研究会を立ち上げ『壺屋初等学校日誌1946年』の復刻などを手懸ている。小林よしのり『新ゴーマニズム宣言スペシャル・沖縄論』でエフエム沖縄の喜友名智子氏とともに沖縄の案内役として登場。