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05パニック状態に陥っていた。例えば、ロックダウンに関する中央政府からの指示よりも早く、各地方の「社区」(住民の居住区画で日本の町に相当する)の居民委員会は、自主的に居住区の封鎖措置を取った。日本における町内会の会長レベルでは、町民の行動を制限する権限はまったく付与されていないので、中国のようなやり方はできない。欧米諸国で取られた緊急事態措置は、戦争やテロに対応するときのやり方に準じたものだった。住民の外出を原則として厳しく制限して、その措置を無視して外出した場合は、高額の罰金を課すというものである。人々の行動を制限する意味において、欧米諸国のやり方は、中国で実施されたロックダウンと効果は同じであるが、法的な根拠の有無から、やり方そのものはまったく異なるものである。要するに、欧米諸国で実施されたのは、法に基づいたロックダウンだったのに対して、中国で取られたのは無法かつ住民自主的な措置であったといえる。中国では当初、新型コロナウイルスの市中感染が多かったが、都市封鎖が行われて以降は、院内感染が急増した。習近平政権になってからは「一帯一路」プロジェクトなどを通じてアフリカや中東などへの大規模な経済援助が行われていたが、その一方で、中国国内における医療施設の整備が遅れていることが、ここで露呈した。武漢市は、1,100万人の人口を有する中国の最大級の工業都市であるにもかかわらず、医療施設の不足が深刻な状態にあったのだ。また中国では、高齢化が急速に進むなかで医療サービたとき、WHOはそれについて「過剰反応すべきではない」と批判しているのだ。総括すれば、世界の社会・経済がグローバル化されているにもかかわらず、感染症の情報共有が十分になされず、また、感染を防ぐための防波堤としての役割を果たすべきWHOは機能しなかったことが問題である。結局のところ世界各国は、それぞれの国が単独での対策を取るのみだった。しかも、感染を防ぐためのマスク生産の8割は中国で行われている。まず、中国での感染が広がったため、マスクの出荷は中国における国内需要が優先され、世界主要国でのマスク不足が表面化した。そして結果として、医療現場がマスク不足に陥り、院内感染が起こることによって、拡大はさらに広がっていったのだ。民主主義と独裁政治をめぐる論争2新型コロナウイルスの感染拡大については、民主主義体制よりも、独裁政治のほうが思い切った措置を取ることができ、優位性があるとの見方がある。この論争の背景にあるのは、中国が初動こそ遅れたものの、武漢市をロックダウンした後、すぐさま他の都市も一斉にロックダウンできたことにある。それに反して、民主主義体制である日本の場合は、政府が都市をロックダウンしていいかどうか、ずっと躊躇していた。一般的に民主主義の国では、都市をロックダウンする前には必ず、法律によって政府にその権限が付与されなければならない。そして既存の法律が適用できなければ、新たに法律を制定する必要があるのだ。従って、野党の反対などで議会の審議に時間がかかることが多くなり、その結果、ウイルスの感染が拡大してしまう可能性がある。一方、中国は法治国家ではないため(中国政府は法治国家と主張しているが)、正しいことをするならば、法的根拠を必要としないという考え方が社会的に根強い。つまり“政府”にとってではなく、“社会”にとって何が正しいことかという議論となるが、ウイルス感染を食い止めることは明らかに正しいことである。ただし本来ならば、どこまで人々の行動を制限するかといったことは、科学的な分析に基づく判断が必要であるが、2020年1月下旬の中国社会は、各国の政治体制ではなく、国際機関の改革こそが課題に!図表1●国際観光客数の推移注:①図中は1泊以上の観光客、②2030年は推計値資料:国連世界観光機関(UNWTO)20.015.010.05.00.0億人9.518.013.211.410.414.011.912.411.010.02030年2016年2013年2018年2015年2012年2017年2014年2011年2010年