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06い。ただし、共産党の歴史観において文革の責任は、毛夫人の江青女史を中心とする「四人組」に着せられている。むろん、文革を引き起こしたのは毛本人であり、紅衛兵を扇動したのも毛だった。江沢民政権と胡錦濤政権の指導部の多くは、文革前に教育を受けた。習近平国家主席自身も紅衛兵だったうえ、文革のとき、陝西省の貧しい農村に下放されていた。この世代の中国人は毛思想教育を受け、毛の影響を強く受けた。そこから抜け出すのはそれほど簡単なことではない。習近平政権では、まず集団指導体制が打破され、習近平国家主席を核とする集権体制を作り上げている。そして、2018年3月の全国人民代表大会(日本の国会に相当)で鄧小平時代に定められた国家主席の任期制(最長10年)が廃止された。要するに、クーデターが起きなければ、習近平国家主席は自ら辞任しないかぎり、国家主席を続けることができる。前述のように、ワシントンでは、左派親中派の論客が「中国は経済発展が遅れると、ますます独裁国家になる。逆に経済発展すれば、徐々に民主化していく」とする命題を議会に吹き込んできた。この命題は習近平政権になってから、崩れてしまった。中国が民主化していく期待が幻滅になったことこそ米中貿易戦争が勃発した原因ではないかといわれている。アメリカは強い経済力を誇る独裁政治の存在を看過することができない。むろん、習近平政権にとって長期にわたって権力を支配するには、課題が多い。一つは二期目が終わるまでに、輝かしく誇示できる成果を上げる必要があることだ。さもなければ、習近平政権は三期目を続ける正当性を主張できない。米国プリンストン大学の歴史学者・馮勝平氏は、「習近平政権は三期目を続けるために、まず台湾を統一し、そして、天安門事件を再評価する可能性が高い」と大胆に予測している。「一帯一路」構想の行方4一般的に政治指導者は、歴史に名を残す偉業を成し遂げようとする。中国のような専制政治の指導者であればなおさらである。それは虚栄心から来る部いとすれば、次の一手はやはり国民を幸せにする夢を提唱することである。習近平国家主席は国民に対して、中華民族の復興という夢の実現を呼びかけている。それはどんな夢なのか、中国の歴史教科書を読めば一目瞭然だ。すなわち、近代中国は、1840年のアヘン戦争以降、毎年のように列強に侵略されてきた。その理由は国力が弱かったからだといわれている。毛時代の末期、周恩来首相(当時)は、国民に「四つの近代化」(農業、工業、科学技術と国防の近代化)の実現を呼びかけた。近代化こそ強国復権の象徴と思われていた。40年前の農業、工業、科学技術と国防の水準に比べれば、今の中国は近代化したといえる。現在の中国が外国に侵略される心配はほとんどない。そこで、あらたな夢は中国が世界の強国になっていくことである。すなわち、今の中国人にとって侵略されないだけでは満足できない。中国人は中国が世界のリーダーになるための努力をしているのである。これこそ習近平国家主席が描く「強国復権」の夢なのである。脱鄧小平路線を行く習近平政権のチャレンジと課題340年前に「改革・開放」路線を決めたのは鄧小平である。鄧は「発展こそこの上なく理屈である」と言った。共産党のなかで、絶えず右(資本主義の自由路線)か左(社会主義の保守路線)かの論争があった。鄧はイデオロギーに関する論争に終止符を打ち、プラグマティック(実利的)な考えで改革に挑んだ。しかし、習近平政権になってから、かつてないほど言論統制が強化された。学校教育では自由と民主主義の内容が含まれる教科書の使用が禁止された。中国内外の研究者は習近平政権が毛時代への逆戻りを図っているのではないかと指摘している。では、習近平政権とこれまでの共産党指導部と比較して何か異なる点はあるのだろうか。習近平指導部のほとんどは60歳代であり、ほぼ全員が文化大革命時代の紅衛兵だった。紅衛兵は当時、「造反有理」(謀反には道理がある)が口癖だったため、権力に対する崇拝が強い。若いころ、彼らは毛に動員され、自分の先生を殴り殺すことすら躊躇しなかった、いわば野蛮な世代といっても過言ではなクーデターが起きない限り国家主席は変わらない。ChinaWatch1