宮本哲二・国連政府代表部一等書記官
1.序
「この人が来年の人道作業グループの議長です。」2006年9月、着任挨拶のために国連人道支援調整部(OCHA)の中を邦人職員の案内で回っているとき、そう紹介された。議長となる可能性があると聞いてはいたが、その断定的な表現に違和感を覚えた。しかし、不安はやがて現実となり、大使・公使の指揮の下、我が国は07年1月から人道作業グループの議長を務めることとなり、年末までに計18回の会合を主催することとなった。
2.日本の存在感
NYにおける人道分野での我が国の存在感は大きい。その理由は、国連本部の人道問題担当部局であるOCHA責任者として、かつて明石事務次長及び大島事務次長がその任を果たしたことが大きい。また、インド洋津波被害の際の大規模支援を持ち出すまでもなく、日本は主要ドナーとして見られている。こうした中で、相応の役割を果たすよう期待され議長になるよう求められたことは光栄なことであり、そのこと自体、我が国への評価を示していると言える。しかし、これが大変な事務であったことは間違いない。毎回ゲストを迎え時事の人道問題を議論するにあたり、ゲストの手配、メンバーへの会合の案内、関連資料の配付、当日の会場設営、司会進行を務めること等、全てをやらねばならないのだから大変だ。議長でなければ会合を欠席することもあるのだが、議長国は全てを仕切る必要があり、欠席はオプションでありえない。
3.NYにおけるメンバーシップの意義について
安保理メンバー拡大の議論に象徴されるように、あるグループのメンバーとなっているかどうか、或いは、なれるかどうかは、各国にとって重要な問題だ。NYには数多くのグループが存在するが、人道作業グループは中でも最も非公式且つ緩やかな集団であると思う。しかし、こうした非公式グループでさえ、メンバーシップの拡大についてはなかなか結論が出ないものであり、日本が議長に就任する前には、東欧の2ヶ国が2年以上前から手を挙げていたにもかかわらず、なかなか加入が認められないでいた。理由は、グループの定款(TOR)が存在せず、参加資格に関する合意自体が存在しなかったからである。我が身を振り返れば、誰もグループの発足の経緯など覚えておらず、どの国が何時メンバーとなったかなど、記録は残っていないのだが。
春から夏にかけ、東欧2ヶ国に加え、韓国もメンバーに加えるべきとのイニシアティブを日本はとった。韓国が国際社会の中でより大きな役割を果たせるよう日本が導くことが、我が国の国益と地域の安定に繋がると考えたからである。侃侃諤々の議論の末、韓国及び東欧2ヶ国の参加が決まったが、これはやはり非常に手間取った。理由の一つは、東欧の某国が既にメンバーとなっているユーラシアの大国との間で、当時大きな二国間問題を抱えており、嫌がらせを受けていたからである。コンセンサスが達成しえたのは、丸ごと1回の会合をメンバーシップに関する議論に費やし、最後に「加入に反対の国は大使発書簡を次回会合までに議長(日本)宛に送付して欲しい」と仕切ったからであろうか。
メンバーシップについて誰が反対しているかは機微な問題だ。証拠として残る書簡をわざわざ送付してくる国は多くない。この2~3年の懸案を解決した日本に対し、謝意が表明されたことは言うまでもないのだが、このアイデアは日本発でなかったことは、正直に書いておこう。これは、あるEU主催のレセプションの際、EU某国外交官が筆者にささやいたアイデアである。メンバーシップ拡大について議論する際には専門家レベルの会合だったので筆者が議長を務めたが、筆者が先の発言をする際、このアイデアを囁いた先輩外交官2名が満足そうに軽く頷いたのが脳裏にやきついている。レセプションは重要な情報交換の場であり、相談の場であるが、この話は筆者にとってはレセプション活用の成功談の一つとなった。
4.何を話しているのか
そもそも人道作業グループが何かについて書いていなかった。このグループは時事の人道問題について議論する場だが、ドナー各国にとっては最新情報を収集し他のドナーの動向を見極める良い機会であり、国際機関にとっては問題の深刻さをアピールしてファンド・レイジングを行い、或いは、必要な働きかけをドナー各国へ要請する絶好の機会となっている。議長就任に際し、我が国はアジアの人道問題と防災問題により関心を払いたいと宣言した。「温暖化と防災」を議論した際にはジュネーブからブリセーニョ国際防災戦略(ISDR)事務局長に来て頂いたし、「自然災害法(IDRL)」を議論した際には同様にジュネーブの国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)専門家に来て頂いた。アジェンダ・セッティングに主導権を握れるのみならず、世界各地から関係者を招集出来たのは、議長の醍醐味だった。
5.議長職のメリット
何事も経験してみれば、苦労は良い思い出となる。今振り返って議長を努めて良かったと思うのは、第1に、日本の存在感を高めたことである。先ほど書いたように、会合開催には国際機関との種々の調整が必要だが、色々と骨をおっていることを、案外周りは見ている(と思われる)。国連でも、汗をかいている国が評価される風土がある。つまらない話だが、少なくとも「日本代表部は時間を守ってくれるのはすごい」との評価を数名から聞いたことがある。「UN Time」という表現があるほど、国連ほど時間にルーズなところも多くはない。
第2に、人脈が広がり顔を売ることが出来たこと。外交交渉では人脈と関係者との事前の摺り合わせがモノをいう。これが生きた例が、夏の経社理人道決議交渉だった。筆者は防災の重要性について連携したいとEUから話を持ちかけられたが、自然災害の多発する我が国としてこれは望ましいオファーだった。EUとの連携が効を奏し、防災は持続可能な問題であり開発問題なので人道決議で扱うべきでないとするG77を説き伏せることが出来た。
第3に、国際会議の仕切り方、議長としての議事進行のコツをつかむことができるのみならず、国際機関の実情をより近く目にすることが出来た。こうした作業を手がけると(手がけなくてもそうかもしれないが)、もはや国連に対する幻想は持ち得ない。国連事務局は巨大官僚組織であり硬直性、セクショナリズム、不透明人事がまかり通るところだ。国連自体はというと、高邁な理想と大義を前面に出しつつ、ギブ・アンド・テイクを通じ、自国の国益を局限化する戦場である。日本では一般に国連が理想視されがちだが、その実態は、良く理解されるべきと思う。
最後に余談だが、その気になれば日本文化の宣伝にも使えるかもしれない。ある午後の会合でシュークリームを振る舞ったことがあるが、面白いお菓子と評判になった(彼らがその後どのくらい買ってくれているかはわからない)。付言すると、大人数が収容可能な会議室が当代表部に存在したことは幸いだった。議長を務めることが出来たのも大きな会議室があったおかげである。舞台装置が不十分では、十分な外交活動は困難だ。
6.結語
07年後半のEU議長国を務めたポルトガルの人道問題担当者(男性)のペドロは、議長就任から3キロ痩せたといい、彼のアシスタントのダイアナ(女性)は太ったと白状した。ダイアナによると、ストレスがある際の男と女の反応は違うという。筆者は年間を通じほぼ一定の体重を保ったので、大してストレスを感じていなかった可能性があるが、あった、と、記録に残しておこう。
外交官も組織の一員である以上、常に自分が希望する仕事を手がけられるわけではない。しかし、国連で交渉の醍醐味を満喫でき、一外交官としての力量を存分に発揮できる国連での仕事は間違いなく面白い。また、人道問題への対応強化という国際社会共通の課題を手がけ、右への貢献を通じて日本の声望を高められる仕事とは、実に幸せな仕事だと思う。
2007年12月