評者:本間剛(東京大学大学院法学政治学研究科博士課程)
1.はじめに
2012年の第二次安倍政権発足以降、集団的自衛権等に関する憲法解釈見直しの流れの中で、9条問題について様々な立場から多数の書籍が刊行された。これらの大部分は、政府答弁、憲法学説、近年の安全保障環境等に依拠して賛否の議論を展開しているが、本書は、憲法9条をめぐるこれまでの議論とは一線を画す視点から執筆された。著者・篠田英朗の言葉を借りれば、「なぜこのような憲法学がまかり通るようになったのか。その歴史的経緯を解明し、日本が国際社会の一員として国際協調主義を採り、真に立憲主義国家になるための道筋を問い直す」ことを目的としている。篠田は国際関係論を専門とし、前著『集団的自衛権の思想史─憲法九条と日米安保』(風行社、2016年)においても、憲法問題では国際協調主義を重視すべきことを説いている。
2.内容紹介
本書の目次は以下のとおりである。
Ⅰ ほんとうの憲法の姿
第1章 日本国憲法をめぐる誤解を解く
第2章 日米関係から憲法史を捉えなおす
Ⅱ 抵抗の憲法学を問いなおす
第3章 押しつけ憲法論への抵抗―歴史の物語を取り繕う憲法学
第4章 国際化への抵抗―国際法と敵対する憲法学
第5章 英米法への抵抗―幻の統治権に拠って立つ憲法学
おわりに―9条改正に向けて
○立憲主義と平和主義
Ⅰでは、日本国憲法に関する誤解を解き、ほんとうの憲法の姿を浮き上がらせようとする。まず第1章で立憲主義と9条の価値を問い直す。本書は「国民が主権者なので、政府は国民に従わなければならない、といった『絶対国民主権』主義を唱える態度は、『信託』契約の重視を軽視する点で『立憲主義的(constitutional)』なものではない。(中略)日本の憲法学における『立憲主義』は、日本国憲法が前文で謳っているような『立憲主義』とは異なる」と述べ、立憲主義の根本規範は、権力の制限ではなく人民と政府の間に結ばれている「信託」関係を相互に遵守することだと説く。次いで「憲法9条の価値は、かつて国際法を無視して侵略行為を繰り返した日本を、平和主義国家化するのに貢献したという具体的な政策的効果によって、発揮された」と指摘して、9条は画期的な理念ではなく国際標準的なものであると述べる。
○戦後日本の国体 「表」と「裏」
第2章では、憲法を日米関係の文脈で検討する。本書は戦前日本の国体との比較において、戦後日本の表側の国体の支柱は憲法9条だが、「憲法9条に依拠した国家体制が、現実には『裏』側で日米安保体制によって維持されている」と述べる。その上で、ペリー来航以来、「日本という国家の存立にとって不可避の命題に、アメリカとの安定的な関係の構築があった。(中略)日本の憲法制度もまた、アメリカとの安定的な関係の構築という命題と、無関係ではない。」としつつ、戦後日本の国体が、「表」の憲法9条を「裏」の自衛隊・日米安保体制が支えるかたちで定着していく過程を明らかにする。
○「なぜこのような憲法学がまかり通るようになったのか」
Ⅱでは、Ⅰで論述された「ほんとうの憲法」とは異なる理解が、なぜ日本で一般化したのかを、美濃部達吉にさかのぼる「東大法学部系の憲法学者」の歴史から解き明かそうとする。第3章では、天皇機関説事件とは「天皇の絶対主権という『顕教』を信じていた『国民大衆』が、天皇は立憲君主だとする『密教』を持つ『インテリ』に反発した事件であった」と位置付ける。
その上で戦後の「抵抗の憲法学」運動は「一般大衆から見放される恐怖から生まれた。『抵抗の憲法学』は、常に『国民』を味方にして『権力者』を措定して敵対して見せようとする」と分析する。さらに、宮沢俊義が唱えた「八月革命」によって「実際の憲法制定権力者としてのアメリカの存在を消し去ることに成功した。これによって、アメリカによって作られた日本国憲法は無効だ、という議論に対抗し、日本の憲法学を自律的なものと考えることが可能になった」と論述し、「絶対国民主権主義」と「八月革命」の原点を明らかにしようとする。
第4章では、国際法に対する憲法学者の「抵抗」を検討する。まず、「集団安全保障及び個別的・集団的自衛権を否定する日本の憲法学の態度は、世界最先端の議論ではない。(中略)憲法9条こそが汚れた国際政治を否定する理想の灯であるかのような『物語』を拡散させてきた。」と憲法学者を厳しく批判する。そして、憲法が条約に優越すると主張する「憲法優越説は、革新的な憲法9条が、国際法によって骨抜きにされないようにするための理論的防波堤であるかのように考えられてきた」と説く。
さらに米国への猜疑心から、米国主導の国連憲章・国際法と憲法の調和的関係まで懐疑的になってしまう憲法学者の心理を解き明かしていく。その上で、自衛権は国際法の概念であると前置きし、美濃部の統治権論の影響が残った東大系憲法学者が、国家の人格的統一性を重視し、憲法と国際法の関係を整理する中で、自衛権を憲法問題として「横取り」したと指摘する。
第5章では英米法への「抵抗」を論じる。米国人が起草した憲法と英米法の親和性を説いた上で、「日本の憲法学は、(中略)アメリカ流の憲法思想の伝統の中で日本国憲法を読み解こうとはしてこなかった。」と指摘し、「侵略戦争の禁止という第一義的な目的を強調し、政治的方向付けも尊重しつつ、現実の中で具体的な政策を決めるための枠組みを提供しているのが9条である、という法体系全体の論理を重視した理解をとっていくべきなのだ」と結論する。
以上、本書は憲法に対する誤解を正し、戦後日本の国体の実像を明らかにした上で、美濃部憲法学を継承した「東大系憲法学者」がこうした誤解を作り出し、国際社会の通念とは乖離した憲法学説を広めて日本の憲法学を「歪」にしたと主張する。そして「おわりに」の中で、自衛隊の存在及び活動の合憲性確保は国際法の遵守を通じて達成されると結ぶ。
3.論点・国民意識をどう捉えるか
本書は広範多岐にわたる資料を駆使して日本憲法学の源流に遡ることで、「なぜこのような憲法学がまかり通るようになったのか」という疑問に答えようとしたものと評価できる。また、マッカーサーノートに始まる憲法制定過程に鑑みて、日本憲法学の主流であるドイツ国法学系ではなく、英米法系の論理で理解することの重要性を主張した点も注目できる。しかし、国民意識についての考察で物足りなさを感じる。
第一に、2017年にNHKが行った世論調査によれば、回答者の43%が憲法改正は必要と答えたが、9条については57%が改正不要とする(必要25%)。また、82%が9条は日本の平和と安全に役に立っていると考えている(「非常に」29%、「ある程度」53%)。一方、内閣府が2015年に行った世論調査では、回答者の84.6%が現状の日米安保体制と自衛隊で日本の安全を守るべきであると答えている。つまり国民の多数派が、戦後日本の「表」と「裏」の国体を同時に支持する現状を示唆している。かかる国民意識について本書では「自衛隊が日本社会の中で定着しているのは、憲法が標榜している精神と根本的には矛盾していないと、国民の多くが感じているからであろう」(P.50)と言及するにとどまるが、さらなる考察を期待したい。
第二に、本書は「自衛隊の存在あるいは活動の合憲性を確保するやり方を、一言でまとめれば、国際法の遵守、である」と結論する。国際法の遵守で対外的な正当性は確保できるとしても、活動内容によっては国民から憲法の精神と矛盾したものと見なされる可能性も考えられる。国際法の遵守=合憲という図式を国民が常に受け入れるかどうか疑問が残るのである。
第三に、篠田は自らのカンボジアPKO参加を振り返り、「国際協力という観点からすれば、四半世紀にわたり、日本は堂々巡りだけを続けたような気がする」と嘆息するが、上記内閣府世論調査において回答者の89.8%がこれまでの自衛隊の海外活動を評価し、91.3%がPKOへ今後も取り組んでいくべきであると回答している(「積極的に」25.9%、「現状維持」65.4%)。政府部内において自衛隊が海外で危険に遭遇することを回避しようとする姿勢が見られることは事実であり、さらにPKOで犠牲者が出れば世論が一変する可能性もある。それでも、四半世紀を経てPKOを支える国民意識は着実に前進したように思われる。
4.結論
歯止めの効かない北朝鮮の核・弾道ミサイル開発や中国の海洋進出など日本周辺の安全保障環境は深刻な状況にある。そのような時に出版された本書の意図を忖度すれば、国際協調と乖離した天皇中心の憲法学説が、戦後は9条至上主義に変化して再度日本を国際的な孤立へ陥らせるのではないか、という危機感と捉えることが出来る。読者によっては「自衛権は憲法問題ではない」とか「幻の統治権」などパラダイムシフトな議論に戸惑いを感じる向きもあるだろう。それを踏まえても、憲法の精神と国際協調を両立させる方途を考えるため、専門家・研究者はもとより広く一般に読まれることが望まれる研究成果であると言えるだろう。