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「開発の年」を振り返って

January 30, 2009

村上顯樹 (国連代表部一等書記官)

2008年、日本は第四回アフリカ開発会議(TICADIV)やG8北海道洞爺湖サミットの開催を通じて、国際的な開発課題に大きく貢献したが、国連にとっても2008年は「開発の年」であった。本稿では、開発の議論を通じて見えてくる、国連外交における各国の力学や日本の課題について触れてみたい。

国連における開発課題

開発は、平和と安全、人権と並び、国連が取り組むべき主要課題の一つとされている。21世紀に入った今なおアフリカを中心に低開発・貧困は深刻な問題であり、「下部構造が上部構造を規定する」ではないが、貧困が往々にして人権侵害や紛争の要因となっている。特に、ほぼ全ての国(191カ国)が代表部を置いているニューヨークにおける議論は、パリ(OECD・DAC)やワシントン(世銀・IMF)における先進国主導の議論と比べ、途上国の声がより大きく反映され、また、南北対立の要素を含め政治色が強いのが特徴である。

国連においては、例年経済社会理事会(経社理)や国連総会の第二委員会において開発が議論され、経済社会理事会決議や国連総会決議が採択される。また、数年に一度、開発関連の大規模国際会議が開催され、後々まで参照される基準や文書が作成される。こうした中で、現在国連においてもっとも頻繁に言及されているのが「ミレニアム開発目標」と「開発資金に関するモントレー合意」であり、2008年にはそれぞれに関して大きな動きが見られた。

ミレニアム開発目標(Millennium Development Goals)、略してMDGsは、2000年にニューヨークで開催された国連ミレニアムサミットで採択されたミレニアム宣言と90年代に開催された主要な国際会議等で採択された開発目標を統合したものであり、2015年までに達成すべき目標として「極度の貧困と飢餓の撲滅」など8つの項目と、「5歳未満児の死亡率を3分の2減少させる」などの具体的なターゲットを定めている。国連は毎年MDGsの達成度合いに関する報告書を提出しており、それによると、MDGsの達成度は地域によって差があり、特にサハラ以南の多くのアフリカ諸国においては、2015年までの目標達成は困難とされている。

MDGsが開発の結果に関する目標だとすれば、開発資金に関するモントレー合意は、結果を実現するための手段、道筋に関する指針であると言える。2002年3月にメキシコのモントレーでブッシュ米大統領、シラク仏大統領他の各国首脳の出席を得て開催された開発資金会合の成果文書であり、開発に必要な資金につき、国内資金の動員、民間投資、貿易、政府開発援助、債務、及び国際金融(システム上の課題)の6分野に分けて論じている。モントレー合意は、途上国自身や民間セクターの役割についても適切に論じており、全体としてはバランスのとれた文章となっている。しかしながら、政府開発援助(ODA)の国民総所得(GNI)比0.7%目標など、日本を含めたドナー諸国には厳しい注文も含まれている。

MDGsハイレベル会合(MDGs)

MDGsの達成期限である2015年に向けた中間点ということで、2008年には、MDGsの進捗状況と課題を確認し、その達成に向けた国際社会の意思を再確認しようとの機運が高まった。日本が同年5月の第4回アフリカ開発会議(TICADIV)の主要議題にMDGsの達成を据え、7月のG8北海道洞爺湖サミットにおける開発を巡る議論で、MDGsと密接に関係する保健、水、教育に焦点を当てたのも同じ問題意識に基づく。国連では、4月にはケリム国連総会議長の発声で「MDGsテーマ別討論」が開催され、各国から首脳が集まる9月の国連総会には、「アフリカ開発ニーズに関するハイレベル会合」と「MDGsハイレベル会合」が開催された。
9月の一連のハイレベル会合には、各国から首脳が出席し、開発課題の重要性を訴えていた。こうした中、麻生総理が総理就任直後に0泊3日の強行日程で国連を訪問し、総会一般討論演説において開発を含む国連における日本の重点課題及び取組みについて明快に発信したことは、大変意義深いことであった。アフリカ開発ニーズに関するハイレベル会合では、TICADIVで議長代行を務めた森元総理が総理特使として開会式で演説し、また、MDGsハイレベル会合には、中曽根外務大臣が出席し、TICADIVやG8北海道洞爺湖サミットにおける日本のイニシアティヴを紹介すると共に、人間の安全保障や持続的な経済成長の重要性を訴えた。

各国からハイレベルが出席し、援助関係者も集まるMDGsハイレベル会合は、各国政府や国際機関が積極的にそれぞれの方針や成果を宣伝する場ともなる。日本も従来より得意分野としている「水と衛生」に焦点を当てたイベントを開催した。日本からは政府代表として川口元外務大臣が、共催国からタジキスタン大統領、オランダ皇太子及び同首相、ドイツ副首相兼外相が出席し、更に潘国連事務総長等の出席も得て、サイドイベント中最大級の250名以上の参加者に対し、国際社会による水と衛生問題への取組み及び一層の資金動員の重要性を訴えた。

開発資金フォローアップ会合

「開発の年」の総仕上げが11月末にカタールのドーハで開催された「開発資金フォローアップ会合」であった。フォローアップ会合の態様や準備過程を決める決議交渉から始まり、モントレー合意の分野ごとのレビュー会合、成果文書交渉と足かけ1年3ヶ月にも及ぶ長いプロセスであった。開発に必要な資金について正面から論じるため、従来より途上国が高い関心を寄せていたのに加え、9月からの金融危機の本格化による開発への悪影響を途上国が懸念したため、成果文書交渉は難航を極めた。11月に入ってからは、週末も含め連日深夜まで交渉したにかかわらず、ドーハ会合開始時点で全体の半分も纏まっておらず、一時は成果文書交渉の成立自体が危ぶまれた。最終的には、総会議長が提示したテキストを基に論点を大幅に絞って徹夜の交渉を行い、89パラ、24ページに及ぶ成果文書が会合最終日にようやく纏まった。

厳しい財政状況によりODA予算が減少し続けている日本にとり、開発資金関連の交渉は決して楽ではない。また、国連における開発分野の交渉においては、G77(途上国グループ)とEUの二大グループの発言力が圧倒的に強く、この二つのグループが手を握ると米国とて太刀打ちできないことがある。こうした中、日本が民間セクターや途上国自身の役割を含めた責任の共有や、個人の能力強化やコミュニティの支援を重視する「人間の安全保障」の重要性を主張し、文書に反映された。日本の努力が適切に評価されない文言や日本として実現不可能な要求については、削除や修正を求めるわけであるが、「受入れ困難だから削除」と言うだけでは通らない。全員が納得できるような形で代替の文言を提示したり、問題意識を同じくする諸国と協働したりといった、様々な技術と努力が必要となる。

金融危機の影響もあり、国際金融(システム上の課題)に関する交渉は最後まで難航した。背景には、IMF等の国際金融機関に対する途上国の積年の不信感がある。こうした中、「金融危機への抜本的な対処のためには、G8でもG20でもなくG192(国連総会)による対応が不可欠」とのニカラグア出身のデスコト総会議長の主張に共感する途上国は多い。交渉最終盤では、自らの立場を成果文書に盛り込むべく、総会議長が側近を交渉の議長に据えるという動きに出た。日本や米国として、国連に国際金融に関して有効な解決策を打ち出す能力があるかどうか懐疑的な中、EUが米国への牽制の意味も込めて変化球を投げて来る場面もあった。国連と国際金融の関係は、各国の様々な政治的思惑を交えつつ今後も白熱した議論が続くものと思われる。

EUの外交力

去年一年の国連における開発関連の動きを振り返り、改めて気づくのが欧州諸国の巧みな外交手腕である。中でも卓越しているのが英国によるアジェンダ設定能力である。就任直後のブラウン首相が2007年7月に国連を訪問し、MDGsに関する国連のハイレベル会合の開催を提唱したのがMDGsハイレベル会合に繋がった。各国や国際機関に呼びかけて国連内外で40もの関連イベントを開催させ、ニューヨークに首脳が集まる一週間を「開発の祭典」にしたのも英国の発想である。そして、ハイレベル会合ではブラウン首相自身が開会式で演説し、開発問題の重要性を自らの言葉で力強く訴えた。

MDGsという国連において幅広く受け入れられている基準を用い、かつ、適切なタイミングを捉えてアジェンダ設定をした英国の手腕は見事と言うほかない。準備過程においては国連を前面に立て他国を動員し、ここぞというタイミングでブラウン首相自らが国際社会に訴えたのも鮮やかであった。日本はTICADIVやG8サミットの成果を国連で発信する好機と捉えて英国と積極的に協働したが、「なぜブラウン首相の得点のために汗をかかなければならないのだ」という、やっかみとも皮肉ともとれる声が主要国から聞かれたのも事実である。

また、開発資金交渉においては、EUの恐ろしいまでの交渉力を思い知らされた。国際機関に影響力の強い英仏に加え、ドイツ、オランダといった高い交渉能力とアイディアを持った諸国が集まって練られる交渉戦術は、極めてレベルが高い。過去の合意文書から適切な先例を見つけてきて妥協案を提示したり、また、一見中間的な案であるが実はEUの重点課題を含んでいるような文言を提示する能力にきわめて長けている。更に、ドーハ会合には欧州諸国からお互い顔見知りの開発担当閣僚が複数出席し、重要な局面では交渉を自らリードしていた。例えば、ODAの対GNI目標や複数年予算については、日米が難色を示すことが明らかなのでEUも担当レベルでは強く主張しないが、政治レベルになると容赦なく攻めてくる。その結果、EUとG77の連合ができ、日米が孤立しそうになった場面も何度かあった。

日本外交の課題

国連における「開発の年」を振り返ると、アジェンダ設定力、交渉力といった分野で日本外交の課題が見えてくる。

先述のとおり英国は、植民地大国としてのかつてのパワーを失った現在も、国際機関を巧みに動かし、自国の課題を国際的な課題とすることにより自国の影響力を維持している。日本の国際的な経済的地位が相対的に低下していくことが不可避な中、英国のように国際機関を上手く利用して自国の課題を実現していく必要は高まっていくのではないか。

翻って現実を見るに、開発分野の交渉における日本の立場は苦しい。背景には、例えば、ODA予算が減少する中、日本の国連開発機関への任意拠出の順位が低下し続け、ODAの対GNI比がドナー国間で最低レベルになっているという事情がある。しかし、このような厳しい事情の中、日本の援助関係者は現場で相手の目線に立って一緒に汗を流し、優れた援助を提供している。インフラ重視、持続的な経済成長、人間の安全保障といった援助戦略や哲学も確立してきた。我々国際機関における交渉担当者は、こうした日本の努力が国際的に然るべく評価されるよう努めなければならない。

潘事務総長は、開発に焦点を当てた首脳会合を2010年に国連で開催することを提案している。2015年のMDGs後の議論を念頭に、今後様々な動きが見られるであろう。日本としては、このような流れに乗り遅れることなく先を見越して積極的に議論をリードする姿勢が必要となる。しかし、これは一朝一夕にできることではなく、地道な宣伝活動や仲間作りから始まるものである。例えば、国連総会には英国から政治レベル9名をはじめ80名ほどが出張し、MDGsハイレベル会合の分科会や多くのサイドイベントに手分けして出席し、自国の政策の宣伝に努めていた。ドーハにおいても、成果文書交渉の傍ら、熱心な諸国はサイドイベントを実施し、新たなイニシアティヴを立ち上げていた。こうした中、日本にとり好ましい動きも見られる。例えば、アフリカ開発では近年インフラ整備の重要性が強調されるようになり、英国の国際開発省も経済成長を重点戦略に据えるようになった。人間の安全保障も賛同国を増やしつつある。日本の地道な実践と宣伝が効果を上げつつある例である。

政治レベルの指導力もアジェンダ設定や交渉における重要な要素である。開発資金フォローアップ会合には、9月にガーナで開催された援助効果に関するハイレベルフォーラムに引き続き、御法川外務大臣政務官が出席したが、同政務官が堪能な英語力を活かして築いた主要国の開発大臣とのパイプは、交渉の重要な局面で日本にとり大きなアセットとなった。

と、分不相応な大風呂敷を広げたところで、自ら実践すべき課題の多さに赤面する。プレゼンテーションや交渉の能力は、個々人の意識的な努力と切磋琢磨によるところも大きい。世界第二の経済国だから、G8の議長国だからというだけでは、主張は通らない。海千山千の外交官が集まり、各国の思惑が絡み合う国連は、決して生やさしい場ではない。謙虚さと高い目標を抱きつつ、日々地道に努力していくことが、国連において日本の外交官に求められていることであろう。

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