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【書評】Daisuke Ikemoto, European Monetary Integration 1970-79: British and French Experiences (Basingstoke: Palgrave Macmillan, 2011). <Page 2>
November 9, 2012
第6章では、欧州通貨統合に関する英仏の政策比較の第二の事例として、EMSの設立が扱われる。1978年4月、コペンハーゲン欧州理事会でシュミットがEMSにつながる提案を行った。シュミットの新たなイニシアティブの背景には、アメリカのリーダーシップへの信頼の欠如と77年秋以降の米ドルの下落があった。78年3月、フランス国民議会選挙で、大統領多数派の勝利とUDF(選挙前にジスカール・デスタンが非ゴーリスト右派を糾合し結成)の躍進があったことにより、大統領の欧州政策での裁量が拡大した。さらに選挙後、ジスカール・デスタンはミッテラン率いる社会党との連携を進め、EMS受け入れのための国内支持基盤を確保した。それに対して、キャラハンも、安定した為替相場を重視し、労働組合を離反させるリスクも受け入れる用意があった。しかし、総選挙が近づくなかで、首相にとって国内政治状況は特に不利になっていく。そうしたなか、78年7月、ブレーメン欧州理事会で、シュミットとジスカール・デスタンがEMSを共同提案する。
フランスは、EMS交渉の当初から、強い通貨と弱い通貨が等しく介入義務を負うべきとし、各国通貨バスケット方式の欧州通貨単位(ECU)がEMSの中心となることを主張した。しかし、それにもかかわらず、ECUはEMSの介入メカニズムの中心的役割を果たさなかった。だが、フランスはよりよい選択肢を欠いていたため、EMS参加を選択する。この点に関しては、キャラハン政権もフランスと同様の立場であった。つまり英仏が協調行動をとればより強い立場に立てたはずだが、それは実現しなかった。なぜだろうか。キャラハンは、ブレーメン欧州理事会以降、おそらく国際的孤立への懸念からEMS構想により前向きになっていたが、国内政治状況からEMS参加の条件として共通農業政策(CAP)改革など強硬で非現実的な要求をしたため、フランスとの協力は不可能となった。
1978年10月、労働党の全国執行委員会(NEC)は、「EMSを非難し拒否する」という動議を16対9で可決した。翌日、労働党大会は、政府の賃金政策を非難する動議を圧倒的多数で可決する。キャラハンは、EMS発足段階からイギリスが完全なメンバーになることを最終的に断念した。保守党の影の内閣も、EMSへの「注意深い歓迎」を表明するが、同時に政府を激しく攻撃し、EMSに関する二大政党間の合意に基づくアプローチの可能性はついえた。総選挙が近づくなかで、政敵を批判することは党の結束を維持するための最良の方法であった。78年11月、ヒーリー蔵相の提案に基づき、閣議で、EMSに参加はするが、その中核をなす為替相場メカニズム(ERM)には不参加という妥協がなされた。
第7章(結論)では、研究結果が要約される。ヒースにとって、EMUは、帝国の遺産(スターリング残高)を清算し、アメリカへの金融面、外交面の依存を解消することにつながるプロジェクトであった。この問題に関して、二大政党の指導部はおおむね同じ立場に至ったが、ではなぜ外交努力は無駄に終わったのだろうか。そもそも、スターリングの欧州通貨協力への参加を阻む二つの国内的障害が存在した。欧州固定相場レジームへの参加と相容れないような経済政策と、政党システムの特徴である。しかし、IMF危機の結果、キャラハン政権は経済運営の方向性を変更し、78年初めにEECがEMSについての交渉を始めた時には、経済的考慮はイギリスにとってもはや乗り越えがたい困難ではなくなっていた。そこで重要となるのは、イギリス政党政治の敵対的な特徴を反映した二大政党間の協力の欠如である。欧州統合に関する意見の分裂は左右両派を超えて存在したため、政府がその欧州政策への国内的支持を調達できるかどうかは、二大政党双方の親欧州派の間で協力が達成されるかどうかにかかっていた。しかし、そうした二大政党間の協力は、1971年10月の下院投票以降失われていた。フランスも、欧州通貨協力への参加に関してイギリスと類似した困難に直面していたが、1978年3月の国民議会選挙がフランス政治の状況を変え、EMSへの参加が可能になった。英仏の対照的な政策は、欧州政策をめぐる政府と野党との協力の成否によって最もよく説明できるのである。
著者によれば、本書は、欧州通貨協力に関して、社会経済的要因の影響のみに焦点を当てた説明の限界を明らかにした。それは、イギリスがそのプロセスからオプトアウトし、フランスと異なる道をたどったことを説得的に説明しないのである。本書は、欧州統合の主流の理論で軽視されてきた制度的要因(国家の政党システムの特徴)により注意を払う必要に光を当てたという点で、理論的研究のための新たな分野を開拓したのである。
以下、評者なりに本書の特長をまとめたい。まず、本書は、著者がオックスフォード大学に提出した博士論文をもとに、70年代末の史料の調査の成果を加えて出版した英語の単著であり、欧州統合史や欧州統合理論研究における最先端かつ重要な研究成果である。とりわけ、著者は政治学・国際政治学者でありながら、国際金融や通貨統合といった専門的、技術的なテーマを十分な知識を持って説得的に分析している点は特筆に値する。仮説の提示から詳細な事例研究、結論へと至るプロセスの明晰さも出色である。史料面では、イギリス側について、政府文書のみならず、政党文書や私文書にいたるまで広範に使用している。特に政党文書の使用によって野党側の議論や決定を実証的に解明している点は高く評価すべきである(野党側の史料の活用は、先行研究では、他の時期やテーマを扱ったものも含めてほとんど見られない特長である)。同じテーマを扱った先行研究との関係でも、Peter Ludlow、Loukas Tsoukalis、Kathleen Burk and Alec Cairncrossらによる主要な研究を、ときに積極的に活用しつつも、それらの不備を指摘し、随所で新たな知見を提示している。さらに、本書の今日的意義についても少なくとも二点を指摘できると考えられる。まず、ギリシャ財政危機に端を発する現在のユーロ圏の困難を考えても、欧州通貨統合の起源は非常にアクチュアルなテーマである。また、初期の欧州通貨協力の試みへのイギリス政府の対応は、著者が丹念に事実を掘り起こすように常に否定的、消極的であったわけではないが、最終的なERM不参加はその後の英欧関係に大きな影響を残した。
最後に、若干の疑問点を記しておきたい。第一に、著者は、本書の冒頭で「フランスの事例との簡潔だが系統立てた比較を行う」と記しているが、実際、一次史料の使用はイギリスのものが大半である。フランスについての記述・分析は説得的と思われるが、主に二次文献や回顧録・新聞に依拠している。フランスの政府や与野党の対応について、より実証的、具体的な説明があるのが望ましいのではないだろうか。第二に、著者はリーダーシップ要因の重要性を否定はしないが、政党や政党システムと、それらを実際に運営する政治指導者の関係について、より踏み込んだ分析がなされているとなおよかったのではないだろうか。例えば、党の結束を重視し、党内調整に長けた(そしておそらくその点に過度に敏感だった)ウィルソン、「話し合いの政治」を信条とし、フットを入閣させたキャラハンといった指導者の個性の影響について、より詳しい分析があればと感じられた。第三に、アメリカという存在が、この時期の欧州通貨協力とそれをめぐる英仏の政策の相違に及ぼした影響について、その経済・通貨の不安定さや安全保障上の役割などとの関係で、より体系的に論じられているとより望ましかったのではないかと考えられる。むろん、これらの評者の拙い疑問点の提示は本書の意義を損なうものではない。本書はさらに、近年のイギリス政治の変化や政治改革の動き(選挙制度改革の試み、首相解散権の事実上の廃止など)が、イギリスの「対決政治」を変容させるのだろうか。もしそうだとすれば、イギリスと欧州統合との関係は今後変化しうるのだろうか、といったより現代的な関心も喚起してくれる。本書は、欧州統合史や欧州統合理論研究のみならず、広く国際政治学、比較政治学などの研究者にとって、最新の知見とともに、多くの示唆を与えてくれるといえる。
フランスは、EMS交渉の当初から、強い通貨と弱い通貨が等しく介入義務を負うべきとし、各国通貨バスケット方式の欧州通貨単位(ECU)がEMSの中心となることを主張した。しかし、それにもかかわらず、ECUはEMSの介入メカニズムの中心的役割を果たさなかった。だが、フランスはよりよい選択肢を欠いていたため、EMS参加を選択する。この点に関しては、キャラハン政権もフランスと同様の立場であった。つまり英仏が協調行動をとればより強い立場に立てたはずだが、それは実現しなかった。なぜだろうか。キャラハンは、ブレーメン欧州理事会以降、おそらく国際的孤立への懸念からEMS構想により前向きになっていたが、国内政治状況からEMS参加の条件として共通農業政策(CAP)改革など強硬で非現実的な要求をしたため、フランスとの協力は不可能となった。
1978年10月、労働党の全国執行委員会(NEC)は、「EMSを非難し拒否する」という動議を16対9で可決した。翌日、労働党大会は、政府の賃金政策を非難する動議を圧倒的多数で可決する。キャラハンは、EMS発足段階からイギリスが完全なメンバーになることを最終的に断念した。保守党の影の内閣も、EMSへの「注意深い歓迎」を表明するが、同時に政府を激しく攻撃し、EMSに関する二大政党間の合意に基づくアプローチの可能性はついえた。総選挙が近づくなかで、政敵を批判することは党の結束を維持するための最良の方法であった。78年11月、ヒーリー蔵相の提案に基づき、閣議で、EMSに参加はするが、その中核をなす為替相場メカニズム(ERM)には不参加という妥協がなされた。
第7章(結論)では、研究結果が要約される。ヒースにとって、EMUは、帝国の遺産(スターリング残高)を清算し、アメリカへの金融面、外交面の依存を解消することにつながるプロジェクトであった。この問題に関して、二大政党の指導部はおおむね同じ立場に至ったが、ではなぜ外交努力は無駄に終わったのだろうか。そもそも、スターリングの欧州通貨協力への参加を阻む二つの国内的障害が存在した。欧州固定相場レジームへの参加と相容れないような経済政策と、政党システムの特徴である。しかし、IMF危機の結果、キャラハン政権は経済運営の方向性を変更し、78年初めにEECがEMSについての交渉を始めた時には、経済的考慮はイギリスにとってもはや乗り越えがたい困難ではなくなっていた。そこで重要となるのは、イギリス政党政治の敵対的な特徴を反映した二大政党間の協力の欠如である。欧州統合に関する意見の分裂は左右両派を超えて存在したため、政府がその欧州政策への国内的支持を調達できるかどうかは、二大政党双方の親欧州派の間で協力が達成されるかどうかにかかっていた。しかし、そうした二大政党間の協力は、1971年10月の下院投票以降失われていた。フランスも、欧州通貨協力への参加に関してイギリスと類似した困難に直面していたが、1978年3月の国民議会選挙がフランス政治の状況を変え、EMSへの参加が可能になった。英仏の対照的な政策は、欧州政策をめぐる政府と野党との協力の成否によって最もよく説明できるのである。
著者によれば、本書は、欧州通貨協力に関して、社会経済的要因の影響のみに焦点を当てた説明の限界を明らかにした。それは、イギリスがそのプロセスからオプトアウトし、フランスと異なる道をたどったことを説得的に説明しないのである。本書は、欧州統合の主流の理論で軽視されてきた制度的要因(国家の政党システムの特徴)により注意を払う必要に光を当てたという点で、理論的研究のための新たな分野を開拓したのである。
以下、評者なりに本書の特長をまとめたい。まず、本書は、著者がオックスフォード大学に提出した博士論文をもとに、70年代末の史料の調査の成果を加えて出版した英語の単著であり、欧州統合史や欧州統合理論研究における最先端かつ重要な研究成果である。とりわけ、著者は政治学・国際政治学者でありながら、国際金融や通貨統合といった専門的、技術的なテーマを十分な知識を持って説得的に分析している点は特筆に値する。仮説の提示から詳細な事例研究、結論へと至るプロセスの明晰さも出色である。史料面では、イギリス側について、政府文書のみならず、政党文書や私文書にいたるまで広範に使用している。特に政党文書の使用によって野党側の議論や決定を実証的に解明している点は高く評価すべきである(野党側の史料の活用は、先行研究では、他の時期やテーマを扱ったものも含めてほとんど見られない特長である)。同じテーマを扱った先行研究との関係でも、Peter Ludlow、Loukas Tsoukalis、Kathleen Burk and Alec Cairncrossらによる主要な研究を、ときに積極的に活用しつつも、それらの不備を指摘し、随所で新たな知見を提示している。さらに、本書の今日的意義についても少なくとも二点を指摘できると考えられる。まず、ギリシャ財政危機に端を発する現在のユーロ圏の困難を考えても、欧州通貨統合の起源は非常にアクチュアルなテーマである。また、初期の欧州通貨協力の試みへのイギリス政府の対応は、著者が丹念に事実を掘り起こすように常に否定的、消極的であったわけではないが、最終的なERM不参加はその後の英欧関係に大きな影響を残した。
最後に、若干の疑問点を記しておきたい。第一に、著者は、本書の冒頭で「フランスの事例との簡潔だが系統立てた比較を行う」と記しているが、実際、一次史料の使用はイギリスのものが大半である。フランスについての記述・分析は説得的と思われるが、主に二次文献や回顧録・新聞に依拠している。フランスの政府や与野党の対応について、より実証的、具体的な説明があるのが望ましいのではないだろうか。第二に、著者はリーダーシップ要因の重要性を否定はしないが、政党や政党システムと、それらを実際に運営する政治指導者の関係について、より踏み込んだ分析がなされているとなおよかったのではないだろうか。例えば、党の結束を重視し、党内調整に長けた(そしておそらくその点に過度に敏感だった)ウィルソン、「話し合いの政治」を信条とし、フットを入閣させたキャラハンといった指導者の個性の影響について、より詳しい分析があればと感じられた。第三に、アメリカという存在が、この時期の欧州通貨協力とそれをめぐる英仏の政策の相違に及ぼした影響について、その経済・通貨の不安定さや安全保障上の役割などとの関係で、より体系的に論じられているとより望ましかったのではないかと考えられる。むろん、これらの評者の拙い疑問点の提示は本書の意義を損なうものではない。本書はさらに、近年のイギリス政治の変化や政治改革の動き(選挙制度改革の試み、首相解散権の事実上の廃止など)が、イギリスの「対決政治」を変容させるのだろうか。もしそうだとすれば、イギリスと欧州統合との関係は今後変化しうるのだろうか、といったより現代的な関心も喚起してくれる。本書は、欧州統合史や欧州統合理論研究のみならず、広く国際政治学、比較政治学などの研究者にとって、最新の知見とともに、多くの示唆を与えてくれるといえる。
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