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【書評】『平和を勝ち取る-アメリカはどのように戦後秩序を築いたか』ジョン・ジェラルド・ラギー著

March 9, 2009

評者:佐藤晋(二松学舎大学国際政治経済学部准教授)


本書の概要
本書は、1996年に出版されたジョン・ジェラルド・ラギーのWinning the Peace: America and the World Order in the New Era, New York:Columbia University Press, 1996の翻訳である。
著者は、本書を通じて、アメリカは国際秩序維持への関与を継続すべきこと、その方法はマルチラテラルな関係を通じて行われることが望ましいことを主張している。ちなみにこの書名は、真珠湾の二日後に行われたルーズヴェルトのラジオ演説から取られており、それは戦争にも勝利するが、その後の「平和構築でも勝利する」という文脈であった。著者によれば、1990年代は、第一次大戦、第二次大戦に次ぐ、三度目の「戦後」(=冷戦終焉後)であり、アメリカにはあらためて平和構築=世界秩序構築が求められていると考えられていた。その際に模範とされるべきなのが、マルチラテラリズムを基調とするルーズヴェルトの戦後構想であるとされている。なぜなら著者の認識では、当時は撃退すべき外部の脅威がアメリカにはなく、また近い将来もなく、さらには海外で守るべき死活的利益もない時期とされており、それが1947年の冷戦発生以前の状況に類似しているからであった。ただし、9・11を経験した今日のわれわれからは明らかに違和感があるため、この訳書の末尾には2006年発表の別論文が収録されている。とはいえ本書の主張は一貫しており、それを一言で言うと、ユニラテラリズム批判と「ニューディール国家(=政府が積極的な雇用・所得政策を行う)」擁護である。

アメリカの安全保障政策とマルチラテラリズム
まず著者の用語の定義と分析枠組みを説明しておこう。著者は、マルチラテラリズムをすべての国に適用される行動規則ととらえ、その中で各国間の「利益の不可分性」が増大するとし、その結果、共同行動による利益追求の動機が増大すると述べている。次に、ユニラテラリズムとは、いかなる制度的制約にも取り込まれることを避ける政策を指し、例えば「アメリカの海外武力行使は自らの意思で行い、国際機関などに制約されてはいけない」といった言説になって現れてくる。しかし、この二つはともに国際主義であって、国際主義と対立するものは孤立主義であるとされる。その孤立主義は、制約のないユニラテラリズムの結果生じてくるものであり、「アメリカ国土への直接の攻撃でもない限り、海外で軍事力を行使しない」といった言説に代表される。

著者は、アメリカにとってマルチラテラリズムが親和性を持っており、実際、冷戦期のアメリカの安全保障政策においてもマルチラテラリズムはみられたという。最も純粋な形のマルチラテラルな機構は集団的安全保障システムを採用する国連であるが、そもそもルーズヴェルトが実現させた国連は、大国間協調と普遍的安全保障の両立(妥協)の産物であった。それゆえ、後述するブレトン・ウッズ体制と同様に、国際秩序維持へのアメリカの関与を引き出す枠組みとして有効であった。ルーズヴェルトの構想は、米ソ対立といった「二極」を前提としない点でマルチラテラルなものであったとされる。

こうした定義に立つと、その後のアメリカの政権もマルチラテラルな制度の構築に尽力していたこととなる。まず、トルーマン政権のマーシャル・プランはOEECを通じた多角的援助であった。さらに著者によればNATOもマルチラテラルな制度に分類される。確かにNATOは、一般的なリアリストの整理によると集団防衛機構であって、純粋にマルチラテラルな集団安全保障機構と区別されるのであるが、著者によるとNATOは東アジア諸国との間に見られる二国間同盟ではなく、さらに特筆すべき点として西欧・北米諸国の「利害が不可分であるとの意識」を涵養したのであり、そもそもこの不可分性の認識は「集団的安全保障」に不可欠のものであったのであるから、NATOはマルチラテラルな機構に分類できるという。また、結果としてもNATOは安全保障共同体を生み出しており、これはマルチラテラルな制度であったからこそ可能であったのである。

次のアイゼンハワー政権も、EDC創設の試み、EURATOM、IAEAの設立などの点でマルチラテラルな外交を展開したと指摘される。さらに著者は、スエズ戦争を契機に設立されたPKOを望ましいマルチラテラルな仕組みとして、アメリカのPKO関与を望んでいる。ただし、著者は国連での自らの経験からPKO活動において、マルチラテラルな「協調」が現場に移されると指揮系統やドクトリン統一の点で問題を引き起こすとの指摘も行っている。こうしたPKOの分析には貴重なものがあるが、著者は以上のマルチラテラルな安全保障政策を「協力的安全保障」とまとめ、集団安全保障と勢力均衡の間に位置するものとしている。

最後に、なぜアメリカ人はマルチラテラリズムを好むのかというと、著者によれば、第一に大洋に隔てられている地政学的事実から二国間同盟を忌避する傾向があり、第二にその建国原理、すなわちアメリカが「誰にでも開かれた普遍的な基礎を持つ」国家だという観念が国際関係にも投影されているからであり、第三に各国家を平等に扱うマルチラテラリズムが、アメリカにおけるあらゆるエスニシティを味方にできるという国内政治上の有効性を持つからだとされている。

「埋め込まれた自由主義」
著者は日本では戦後国際経済体制の分析、特に「埋め込まれた自由主義」という分析枠組みを提供した点で知られている。そこで、このキーワードについて説明していく。評者なりに理解すると、この「埋め込まれた自由主義」とは、国内安定を脅かさない姿に「市場の力(自由主義)」を(抑制して)「埋め込む」ことによって成立した体制であり、それは国際的安定と国内的安定という「双子の目標」を両立させる国際的枠組みのことであり、戦後のアメリカを国際的に関与させる枠組みとして有効なものであった。ここで、国際的安定とは開放・無差別の自由経済秩序が維持されることであり、国内的安定とは国家が国民の雇用と所得を守るという社会契約が遵守されることである。この本来は矛盾する要請を両立させた妥協が「埋め込まれた自由主義」であり、具体的にはブレトン・ウッズ体制と呼ばれるマルチラテラルな戦後経済秩序であった。確かに、元来、国際経済秩序はマルチラテラルなものであるが、金本位制と自由貿易によって支えられた19世紀のレッセ・フェール的自由主義では、国内政策は国際均衡に従属させられてしまい、著者の言う「ニューディール国家」は維持不可能であった。

こうした国際的安定と国内的安定の「妥協」のための制度は、1970年代以降危機に瀕した。特に、各国の国内政策が優先されて自由化が否定され「新保護主義」が台頭するのではないかと憂慮された。ところが著者によれば、こうした危惧は杞憂に終わり、むしろ逆に無制限な自由化が進展したことで、制約されない市場の力が各国内社会の脆弱性を増大させていくことになったという。つまり「埋め込まれた自由主義」の「埋め込み解除」は、国際的自由化が優先され国内安定が犠牲にされる形で起こったのである。

以上のブレトン・ウッズ体制の崩壊プロセスを国際金融論的な立場から説明すると以下のようになる。まず、一般に(1)資本移動の自由、(2)金融政策の自律性、(3)固定相場制(調整可能な釘付け制度)の三つは、すべてを同時に実現することはできず、同時実現はせいぜい二つだけに限定される。その中でブレトン・ウッズ体制とは(1)を規制して、(2)と(3)を両立させる枠組みであったが、1960年代末から先進国政府は(1)を選好する(せざるを得なくなる)ようになった。その結果、各国政府は?か?を放棄せざるを得ないが、(2)は国内の雇用・所得・インフレ対策に必要なので放棄できないため、(3)が放棄されることとなった。これこそがブレトン・ウッズ体制の崩壊、すなわち変動相場制への移行を意味している。

ところが、さらに資本移動の自由化の行き過ぎで、金融政策の自律性も失われていき、これが「新自由主義」への移行となって現れたのである。それでは、なぜこのような資本移動の自由化=グローバル化を各国政府が選択したかというと、確かにこの結果として政府の自律性は低下したが、政府は国家の経済的厚生を増大させるからこそ受け入れて促進してきたとされる。また、金融面の自由化こそが国家の能力低下をもたらしたのは、それまでも行われてきた貿易面の自由化は、逆に社会的調整のために国家の役割を増大させたからであるとされる。

考察
以上のようなラギーの考察において、国際経済秩序の分析はよく知られ定評あるものだが、安全保障面の分析はかなり独特であるといえる。その着眼点は、マルチラテラルな機構においては、参加国の間に「利益の不可分性」という意識が生まれるという点にある。また著者は、冷戦後の世界においてはケナン、キッシンジャーといったリアリストの分析はもはや通用しなくなり、とりわけ経済のグローバル化が進んだ状況ではなおさらそうであるという。ただし、冷戦終焉を待たずとも、世界経済が不安定化した1970年代の状況に対処したのはキッシンジャーであったわけで、実際にキッシンジャーがブレトン・ウッズ体制崩壊後の世界経済運営にどのような考えを持ち対応したのかは興味あるところである。

確かに、1970年代以降、世界経済において自由化が進んだことは間違いがないが、その実際のプロセスにおいて重要であった要因は何であろうか? 例えばイギリスにおける「新自由主義」への移行はサッチャーの経済思想がもたらしたものなのか? それとも1976年のIMF危機への対応が必然化させたものであろうか? さらには労働党のキャラハン内閣は、IMF危機以前から「新自由主義」的な政策に転換していたとの説もある。この問題を、日本に当てはめてみるとどうなるであろうか? ラギーの「埋め込み解除」の説明は十分に理論的であるが、ここに歴史研究者としての仕事が広がっている。また、1970年代の「新保護主義」への懸念が国家の力=自律性を前提としたものであり、実際に顕著であったのはむしろ「市場の力」の増大であったという指摘は重要である。しかし、1970年代の保護主義の懸念を払拭する上で、サミットなどの場を通じての国家間協力が果たした役割は軽視されるべきかどうか。さらに言うと、貿易面での保護主義的もしくは管理貿易的措置、エネルギー面での国内価格統制など、協調を乱す動きをした国家はアメリカに他ならなかった点も捨象されてはならないであろう。

このように本書の分析は、理論的で、かつ「アメリカ中心主義」的であるとの批判は十分に成り立つが、実際の歴史を研究する上で有益なヒントとなる分析枠組みを提示することに成功している。また、著者の好むマルチラテラリズムが、オバマ政権以降、アメリカ外交の基調として復活してくれることが望ましいことも確かであろう。その意味でも本書は、出版から年月を経ているといえども、熟読吟味するに値するものといえよう。

    • 政治外交検証研究会メンバー/二松学舎大学国際政治経済学部教授
    • 佐藤 晋
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