評者:小宮京(桃山学院大学法学部専任講師)
1. 本書の構成
本書の著者は、1993年に成立した非自民非共産連立政権で総理大臣を務めた細川護煕氏である。細川元首相は、1938年生。新聞記者、参議院議員、熊本県知事を経て、1992年に日本新党を結成した。1993年に衆議院議員に初当選し、その後成立した細川連立政権は、1955年以来続いた自民党の一党優位体制を終焉させた。
刊行の経緯については、構成者による「あとがき」で詳細に述べられている。構成者が細川元首相から相談を受けたのは「2009年の夏」、「麻生太郎内閣が衆院解散に踏み切った直後で、8月末の総選挙を控えて政権交代が相当の現実味を帯びてきたころ」であった(527頁。以下、書評中に記載した頁は、特に断らない限り、本書の頁を指す)。「その頃、政財界の要路から政権交代が行われた場合の心得や、政権との付き合い方などについて意見を求められる事が急に増えていたという。細川氏が希望した出版の時期は「2010年の春くらい」。政治の決断とリーダーシップが問われる局面がいずれ来ると見越し、当時の経験や背景を紹介しておくことが激動の時期に国政を預かった者として責めを果たすことになると考えたようだ」という(527-528頁)。
本書の構成は以下のとおりである。
プロローグ 1993年の夏
第1章 刷新(1993年7月31日~9月30日)
第2章 疾走(1993年10月1日~11月30日)
第3章 決断(1993年12月1日~12月31日)
第4章 虚心(1994年1月1日~1月31日)
第5章 亀裂(1994年2月1日~2月28日)
第6章 崩壊(1994年3月1日~4月28日)
インタビュー
あとがき 〔伊集院敦〕
巻末資料 〔1990年以降の政党の主な流れ、関連年表〕
2. 意義
本書を一読した感想は、「日記」というよりも、良くできた回顧録に近いというものであった。それは本書の丁寧な構成と読みやすさから生じたものと考えられる。具体的に書くと、各章の末尾に、構成者による懇切丁寧な解説が付されている。この解説を読めば、当時の政治状況や細川首相の置かれた状況が理解できる。また、解説の中にも貴重な証言が含まれている。本文に目を転じれば「日記」の下段に日本経済新聞の「首相官邸」を配し、さらに関係者インタビューや関連書籍からの引用も付されており、「日記」の記述だけでは十分に理解できないところを丹念にフォローしている。
昭和戦前期・戦中期の研究者にとって『細川日記』と言えば、本書の著者・細川元首相の父である護貞氏の日記を指す。護貞氏は岳父・近衛文麿元首相の秘書官を務めたこともあり、大変貴重な資料として知られているが、これから平成の政治を研究する者にとっては『細川日記』と言った場合、本書を指すことになるのかもしれない。
戦後の総理大臣の資料として、公刊されたものは『佐藤榮策日記』(朝日新聞社刊)など、ごく稀であり、刊行を決断した細川元首相の行動は高く評価されるべきであろう。
3. 記述の検討
本書を読み進める中、ついつい細川政権当時と現在の政治状況、とりわけ本書刊行時の鳩山由紀夫民主党政権とを比較してしまった。内に目を向ければ「官邸主導」や官房長官の役割、さらに与党の実力者との関係である。奇しくも10数年前と鳩山政権当時の与党の実力者は同一人物であった。外に目を向ければ、北朝鮮情勢である。このように、現在の政治状況とも重ね合わせて読むことが可能なのも、本書の特徴である。
評者がとりわけ印象に残ったのが、武村正義官房長官、及び、小沢一郎新生党代表幹事をめぐる記述である(いずれの肩書きも当時)。やや詳しく検討してみたい。
一般的に、細川政権を評する場合には、政府=細川首相、武村官房長官ら、与党代表者会議=小沢新生党代表幹事、市川雄一公明党書記長らという関係を踏まえ、「二重権力」という表現が良く使われた。さらに武村官房長官対小沢代表幹事という構図も基本的なものと受け止められている。
しかし、本書が提示するのは、以上の構図とは違う、細川元首相の視点である。本書を読み進めることで、成田憲彦元総理秘書官がいみじくも表現したように「もっと上の政治」(171頁)を、読者は垣間見る事が出来る。
前述した構図は、ある特定の価値観を反映しがちである。すなわち「二重権力」とは、細川首相と小沢代表幹事との間に考えの違いがあった事を前提とした発想に繋がる。武村官房長官対小沢代表幹事の構図は当事者も認めており、これに「二重権力」論と、さらに「官邸は一体」との想定が重なれば、細川首相・武村官房長官対小沢代表幹事という構図を所与のものと考えてしまいがちである。
しかし本書を読み終わったときに受ける印象は全く異なる。
まず「二重権力」について、細川元首相は、政治改革法案は自身の主張する自民党との話し合い路線が実現し、UR(ウルグアイ・ラウンド)対策も自身の考えているとおりに解決したため、「実感から言えば二重権力と言う感じは全くなかった」と語っている(インタビュー、519頁)。
次に、武村官房長官対小沢代表幹事の構図も、細川首相の視点からは違って見える。細川首相は、小沢代表幹事を「予て、今日の政界の中で傑出した戦略を持ち、それを実行する力量を持ち合わせたる人物と評価しおる」と記している(12月16日、231頁)。これに対し、武村官房長官の当初の評価は明確ではない。与党をまとめるために話をする機会が多い小沢代表幹事に対して、官房長官は総理の女房役として身近な存在であるがゆえに、かえって記述が少なくなったのかもしれない。さきがけメンバーでは、武村官房長官よりもむしろ、田中秀征特別補佐が重要な役割を果たしている。特に国連常任理事国入りを巡っては、田中特別補佐の発言が詳細に記録されている。興味深かったのは、武村氏の官房長官就任時を振り返った、「細川さんと武村さんの信頼関係は最初から最後までいまいちでした」との証言である(25頁)。
田中証言を踏まえ、ここからは、細川首相と武村官房長官との関係に焦点を当て、検討を進めたい。
武村官房長官は、かつてその回顧録のなかで、予算の年内編成にこだわる「官邸」と越年編成やむなしとの与党代表者会議という予算編成をめぐる「細川・武村対小沢・市川の対立」を記した(武村正義『私はニッポンを洗濯したかった』毎日新聞社、2006年、199-200頁)。だが、本書において、細川首相は、政治改革最優先、予算の越年編成を決心と記している(11月18日、181頁、及び、12月11日、219頁)。また、武村官房長官が連立内で問題視される様子も散見される。とりわけURに関連する羽田孜外相のジュネーブ派遣をめぐっては与党側の反発が大きくなった。曰く「連立与党への事前根回しが不十分なりしため、小沢、市川、米沢氏らが初耳とて猛反発」、「問題の根は予てからの不信感に発するものなり」と(ともに12月10日、216頁)。これに成田首相秘書官の証言を加えれば(218頁)、細川首相の官房長官への不信が募った様子が伝わってくる。なお、武村前掲書にはこの問題に関する記述が存在しない。そして「国民負担の増加は避けて通れぬ課題なり」(12月30日、253頁)、「最終的に私の決断にて、政府提案として税制改正案を提出することを決す」(2月2日、343頁)と、細川首相が重視した税制改革、いわゆる国民福祉税をめぐって、官房長官への不信は頂点に達する。細川首相は「武村氏も相変わらずギラギラと動く」、「私心なく天下国家を憂う人とは思えず」(ともに2月5日、360頁)、武村官房長官に直接「核心は小沢-武村などという権力闘争の次元にあらず。官房長官の挙動が結果的に官邸と与党間との軋轢を生み、首相と女房役たる官房長官とのすきま風を生じさせおることを強く懸念しおる旨を伝」えるまでにいたった(2月15日、384頁)。さらに自民党の後藤田正晴元官房長官の発言「武村氏の最近の動きにつきて、社党と手を組むのは間違いなり。官房長官の立場は総理とは言わば夫婦の関係であり、最近の彼の言動は明らかにそれを逸脱している」をわざわざ記録している(2月28日、405頁)。
以上の記述からは、細川首相から見た、職責を果たしていない武村官房長官像が浮かんでくる。本書からは、細川首相と武村官房長官との関係は、遅くとも2月には完全に破綻したと評しうる。これは従来の武村官房長官対小沢代表幹事の構図が強調された結果、後景に引いていた視点であり、実に興味深い。このように、従来の構図では見落とされていた点を明らかにしたという意味でも、貴重な書といえる。
記述の検討は以上にとどめるが、それ以外にも、一連の石原官房副長官の証言が指摘する、様々な「制度」の変容など、興味深い記述が散りばめられている。
4. 気になった点など
本書の資料的価値の高さを認めたうえで、いくつか気になった点を付け加えておきたい。
一点目は、資料としての使い勝手の悪さである。通常、資料を公刊する場合には、冒頭に「凡例」が付され、末尾に「索引」が付されることが多い。具体的には、本文中に時折出てくる「()」は構成者による補足と推察されるけれども、本来ならば、違った形の処理が必要ではなかったか。後述する修正に関しても、本来ならば訂正するのではなく「(ママ)」を付すべきであろう。
二点目は、アメリカが示唆したとされる武村元官房長官と北朝鮮との関係をめぐる記述である。武村官房長官更迭の理由の一つとされることもある事柄だけに、本書の構成にやや唐突な印象を覚えた。本文中、日米首脳会談前後には、武村官房長官に関する記述は存在しない。唯一、小池百合子日本新党衆議院議員の証言が触れている(382頁。小池氏のより詳細な証言は「細川首相退陣の引き金は「北朝鮮有事」だった」、『正論』2002年7月号所収。http://www.yuriko.or.jp/column/column2002/column020704.shtml を参照)。この小池証言は、本書の随所に挿入されたインタビューの中でも、とりわけ印象に残るインタビューの一つである。
三点目は、本書の元となった資料についてである。「あとがき」によれば「出版の作業に取り掛かった時点で、日記の文章の大半は神奈川県湯河原町にある細川邸のパソコンに入力されていた。今回の出版では外交や現在の政治に与える影響に配慮し、細川氏が公開を見合わせる判断をした一部の記述を除き、ほとんどを原文のまま掲載した。もとの資料の価値を重視する観点から、修正は明らかな事実誤認があった点など最小限にとどめた」という(528頁)。本書の元となったメモが存在するのか、それはどの程度の量なのか、大変気になった。
最後に、著者・細川護煕元首相を論じるに際して、マスメディアとの関係を抜きには語れないであろう。本文中に引用されている各紙の報道、世論調査などは印象的である。本書をメディア研究者がどのように論じるか、興味は尽きない。