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【書評】『工部省の研究:明治初年の技術官僚と殖産興業』柏原宏紀著(慶應義塾大学出版会、2009年)

December 12, 2011

稲吉晃(新潟大学法学部准教授)

はじめに

近代社会においては、経済的発展のためにしばしば「先端技術」の導入が試みられる。けれども、それらは「先端技術」であるがゆえに、その導入に際して正否の判断が容易に付かない問題でもある。そもそも「先端技術」の成果は保証されているものではないし、その成果が社会全体にもたらす影響は、さらに予測がつかないからである。かかる性質をもった政策課題に対しても、なんらかの決定を下さなければならない点が、近代社会における政治のひとつの特徴ともいえる。

明治維新直後の日本政府にとって、西洋の電信・機械などの技術は、まさにそのような正否の判断が付かない問題であった。本書は、明治政府草創期における殖産興業の推進勢力として技術官僚に焦点をあて、組織の未整備や政策上の優先度の低さにもかかわらず、初期の殖産興業事業が着実に進んだ背景を明らかにしようとするものである。

本書の概要

本書の構成は、以下の通りである。

序章
第一部 工部省の成立と技術官僚
第一章 工部院設置をめぐる政治過程と技術官僚
第二章 工部省設置過程と「工部の理念」
第三章 草創期工部省の組織整備と技術官僚
第二部 明治初年における工部省の展開と政策実現
第四章 明治五年の行政史的展開
第五章 明治五年の政策展開と政治手法
第六章 明治六年の政局と工部省の政策過程
第三部 明治初年における工部省の政策実現の背景
第七章 明治初期鉄道建設をめぐる住民と技術官僚
第八章 工部省の「西洋性」と西洋意識
結章

本書の最も大きな特徴は、一次史料の徹底した渉猟と、それに基づく詳細な論証にある。

明治初年において、殖産興業はたしかに重要な政治課題であった。けれども、明治政府は他にも多くの政治課題を抱えており、殖産興業に対する政治指導者の関心が常に高いとは限らない。とりわけ、大久保利通が岩倉使節団の経験から殖産興業に乗り出す以前においては、政策上の優先度はそれほど高いものではなかった。急進的な近代化政策は、ときとして反発を招くものである。草創期の工部省は、たとえば幹部人事が空席とされるなど、組織が未整備な状態に置かれていたけれども、それは大隈重信などの開明派官僚が強引に省昇格を図った代償であると、従来は評されてきた。

これに対して著者は、主要政治指導者の書簡や行政史料を渉猟・分析することで、独立した政治アクターとしての技術官僚を浮かび上がらせる。大蔵省の幹部として政治的影響力を保持していた開明派官僚とは一線を画す存在として、鉄道技術者であった山尾庸三などの技術官僚を見出すのである。そして、これにより初期工部省の行動原理を理解することが可能になる、と著者はいう。

開明派官僚が、自らの影響下に「工部院」を置くことで、殖産興業政策の主導権を握ろうとしたのに対して、技術官僚らは政治抗争に巻き込まれることを忌避し、それゆえ独立した「工部省」の設置を目指した。大隈ら開明派官僚による介入ですら、技術官僚にとっては警戒すべきものであり、初期工部省における幹部人事の空席は、技術官僚が徹底して政治介入を拒否した結果であった。

かように技術官僚を独立したアクターとして捉えることによってこそ、組織の未整備や、政策上の優先度の低さにもかかわらず、初期の殖産興業政策が着実に進んだことを説明することが可能になる。また、明治6年の時点で、開明派官僚と工部省の技術官僚とが対立する遠因も、これによって明らかになるのである。

論点

以上のように、本書は明治初年における殖産興業の着実な進展の背景を明らかにしたものであるけれども、本書のもつ意味はそれだけにとどまらないように思われる。

1990年代末より日本官僚制における技術官僚に関する研究が相次いで発表されているけれども、それらは主として技術官僚の置かれている立場を制度的に解明しようと試みるものである。これらの研究では、現代技術官僚の問題点として、文官とのキャリアパターンの違いから、技術官僚が蛸壺的なセクショナリズムを形成する点が指摘されている。明治中期以後の高等教育機関の設置や、文官任用令の制定などによって、文官と技官との待遇の違いが生じたことが、技術官僚を「抵抗勢力」化させる制度的な要因であるとされる。

一方で、本書の叙述からは、かかる制度的な制約がなかった時期の技術官僚にとっても、政治的な独立性は極めて重要な課題であったことがうかがえる。工部省に集う技術官僚は、自らの政策課題の着実な進展のために、政治的独立性を過度に追求した。それは時として、彼らを庇護する立場にあった開明派官僚の方針にも抵抗することとなった。現在にまで至る技術官僚の典型的な行動スタイルを、本書の叙述から、われわれは明治初年の技術官僚にも見出すことができるのである。

彼らは政治的意思決定を下す立場を求めるのではなく、政治的意志決定者のあいだを立ち回りながら、自らの政策課題を追求しようとした。その意味で、「工部省誕生」の瞬間は、日本における「技術官僚誕生」の瞬間であったといえるのかもしれない。高度な専門知識をもった官僚の行動様式を、歴史的実証をもとに描き出した点に、本書の最大の意義があると評者は考える。

もっとも、以上のような観点から本書を評すると、新たな疑問もわき上がる。自らが政治的意志決定者とはならないという選択をした以上、技術官僚らは政治的意志決定者との関係を強固にする必要があるはずである。一方で、政治的意志決定者は、「蛸壺」化する技術官僚の施策を、総合調整する立場を担う。本書の叙述からうかがえるのは、技術官僚の庇護者であると同時に、調整者でもあった開明派官僚の姿である。大隈ら開明派官僚は、おそらく工部省やその他の各部門がセクショナリズムに陥らないようにフォローする調整者でもあった。それでは、技術官僚の代表者である山尾は、彼らの庇護者でもあり調整者でもある開明派官僚との関係を、長期的にはどのように構築しようと考えていたのか。

政治介入を避けるために幹部ポストを意図的に空席にするという手法は、短期的な対策にはなるだろうけれども、中長期的な対策とはいえまい。山尾は、中長期的にはどのように工部省を成長させ、また競合する他省との調整をどのように図ろうとしていたのだろうか。

むろん、以上の疑問をあきらかにするためには、本書の対象とする期間(明治3~6年)のみの考察では不可能であろう。一次史料との濃密な対話から生まれる著者の研究の今後に期待したい。
    • 新潟大学法学部准教授
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