評者:前田宏子(PHP総研主任研究員)
中国共産党の統治に関して、しばしば投げかけられる質問に次のようなものがある。「中国の政策や現実をみると、とうに共産主義ではなくなっているのに、なぜ『共産主義』と言い続けるのか」、「中国共産党は中国の政治、経済、社会のすべてに対し強い拘束力を有しているはずなのに、地方の役人などが好き勝手なことをしているのは何故か」、「経済発展しているのに、なぜ民主化が進まないのか」等々。いずれも中国の統治を考える上で非常に重要な問題なのだが、これらの疑問に明快に答えるのは難しい。一国の中に先進国と途上国、日本以上の自由主義と権威主義、それらが同時に存在するようなこの巨大な国を包括的に説明しようとすれば、曖昧な説明に流れてしまわないか、単純化による事実の取りこぼしをしてしまうのではないかと恐れるからである。
本書の著者であるマクレガーは、20年にわたり中国報道に携わってきたジャーナリストであり、長年の中国滞在で得た知識・具体例を盛りこみながら、外部からは見えにくい中国共産党の機能と権限について丁寧に説明している。国の最高指導部から基層の民衆まで、さまざまな人々の声や事象を紹介していくことで、中国の内部にいかに多様な声や立場が存在するか、中国共産党がどのように人々を統治しているかを刻々と描き出していく。数多くの具体的な事例が紹介されているが、章ごとにテーマを設定しているため、事例の多さが煩雑さにつながってはいない。
本書の構成は以下の通りである。
プロローグ
第1章 赤い機械 党と国家
第2章 中国株式会社 党とビジネス
第3章 個人情報を管理する者 党と人事
第4章 われわれはなぜ戦うのか 党と軍隊
第5章 上海閥 党と腐敗
第6章 皇帝は遠い 党と地方
第7章 社会主義を完成させたトウ小平 党と資本主義
第8章 『墓碑』 党と歴史
第1章では、中国共産党という組織が外部の人間からは見えにくいが、いかに中国の政府や社会に浸透し影響を及ぼしているかについて述べている。章の冒頭に出てくる「わが国の党は神のようなものだ。目に見えなくとも、あらゆる場所に存在する」という中国人教授の言葉が象徴的だ。
筆者は、中国共産党はレーニンが考案したソ連の組織形態を、いまも存続させていると指摘する。表向きは労働者階級の救世主というイメージを打ち出しながら、実はそのシステムはエリート主義そのものである。システムの頂点では「できる限り中央集権化」、下層部分にあたる党の末端組織では「できる限り分権化」を図り、些細な情報もすべて中央に上がってくるようにする。党は政府、司法、メディア、教育機関の人事や予算配分を管理するという大きな権限を行使する一方、求心力を維持するために、脱イデオロギー化や経済成長エリートの取り込み、歴史・伝統を利用するなどの手段も取っている。
第2章では、中国共産党がどのように経済に関わっているかについて説明する。第二次天安門事件後、中国は改革開放を続行する方針を決定し「経済に関しては規制を緩め、政治に関しては厳しく管理」することになった。
その後、国営企業の合理化を断行し中国経済の牽引役としたが、注意しなければならないのは、国有企業の解体・整理=民営化ではないということである。大手国有企業においても、党委員会は表には出てこないが経営や人事に大きな影響力をもち、政府がかなりの比率で株を保有している。
第3章では、中国共産党が強大な人事権限を利用し、社会のあらゆる部門に統制を及ぼす様が描かれる。党中央組織部は、党、中央・地方政府、国有企業、教育機関、メディアなどの人事権を有している。人事に関しては、経済成長や環境など評価の基準は存在するものの、それらの基準は法律と同様、参考とされるだけであり、縁故や勢力争いなどがより大きな要因となる。これだけ大きな権限をもち秘密主義である組織には、当然腐敗が蔓延しており、腐敗を減らすことができるかは、共産党が党内部を統制できるかという問題の核心部分となっている。
第4章では、中国共産党と人民解放軍の関係について述べられている。毛沢東やトウ小平と違い、江沢民以降の文民指導者は、人民解放軍の掌握に対し不安を抱いている。江沢民は、台湾への強硬路線を取ることで軍タカ派を後押しし、胡錦涛は軍事衝突寸前という危険な状況を打開するため穏健派を支持した。文民統制という時代に入った中国で、最も危険なのは党と軍の関係悪化ではなく、党指導部内の分裂である。
人民解放軍は党の軍隊であり、中立的な存在ではなく、国家・国民のための存在でもない。しかし、軍の近代化が進み高度に訓練された集団となったことにより、党が考える使命とは異なるネオ・ナショナリズム的な主張も軍から登場するようになっている。
第5章では、中国共産党と腐敗について述べられている。第3章でも触れられたように、腐敗は中国共産党の統治を揺るがすほどの問題となっている。党の汚職取り締まり機関として中央規律検査委員会が存在するが、容疑者の取り調べのためには、容疑者の党内ランク一つ上の機関の許可が必要であり、それが中規委の機能を制限する原因となっている。
胡錦涛政権期に起こった上海市党書記・陳良宇の失脚と上海閥の腐敗の取り締まりは、陳が北京に対し公然と対決したこと、トップレベルでの政治的な取引が行われたことにより可能となった。しかし、中国では初めは厳格な汚職調査も、結局は尻すぼみに終わるのが常である。なぜなら汚職撲滅運動を徹底的に押し進めれば、共産党の闇の部分が白日の下にさらされ、党に対する民衆の信頼が失われるからである。
第6章では、中国共産党と地方政府の関係について述べられている。党の政策が地方でゆがめられ、汚染、事故、汚職などを引き起こしている原因の一つとして、著者は、党が権力を握り強力であるがゆえに政府が脆弱となり、未熟な機関が生み出されることを挙げている。また、党組織が自己完結的で不透明であるがゆえに、国民に対してのみならず、内部でも互いに秘密を保とうとする力が働き、問題の公表・是正につながりにくいと指摘する。他方で、地方の反抗は中国の発展の活力の源でもあるという共産党にとってのジレンマがある。
第7章では、中国共産党がどのように資本主義を取り入れたかについて述べている。トウ小平は他の社会主義国の指導者と違い、活発な民間経済だけが共産主義体制の破綻を防ぐことに気づき、経済では改革開放を進めることを決定した。しかし、中国の“資本主義”は他国のそれとは異なる。中国では土地に対する所有権は認められておらず、不動産などの法律も複雑で、民営と国営の区別も曖昧である。
中国の企業家たちは、党の統制をなるべく受けないよう距離を保つ一方で、党の後押しが有利な場合には積極的に協力もする。2002年の党大会で、企業家にも党員資格が認められたことは重要な転機となった。だが、党は無制限に企業家に対し寛容であったわけではない。党は、民間部門の成長に驚くほど適応し、彼らの繁栄を認めたが、党と敵対する勢力を作りかねないと考えたときには、その行動を取り締まるのである。
第8章では、中国共産党が歴史をどう支配しようとしているかについて述べている。党は、党の威信と権力を保持するために、歴史をめぐる論争やメディアを管理し、歴史を支配しようとしている。中国共産党宣伝部は、大躍進の被害、ソ連・東欧諸国の共産主義崩壊に関する論争など、敏感なテーマを扱う歴史論争に目を光らせている。とりわけ毛沢東のイメージに関しては、党が厳しく管理を行っている。
インターネットや携帯電話が普及した現在、かつてのように言論を封じることはできないが、宣伝部の「粛正」方法も洗練されたものとなり、公式な影響力や発言する場を奪うという手段を取るようになってきている。経済と違い、政治的な自由は、中国ではまだまだ制約が大きい。
著者は、ジャーナリストらしく、様々な具体的ケースやインタビューを織り込みながら、中国共産党の統治について明らかにしようとしており、それらは中国に対して外部の人間が抱きやすい偏見や単純化を正す役割も果たしている。例えば、国有企業改革などで辣腕をふるい、海外からも高い評価を受けている朱鎔基に関し、彼が他国首脳から「民営化」を進めていると賞賛されて「別の方法で国有化を実現しているのだ」強く反論するエピソード。あるいは、中国の国益のために活動していると思われがちなエネルギー会社シノペック(中国石油化工)が、原油価格の安い本国に原油を売るよりは高い価格で買ってくれる外国に売りたいと考えており、中国政府への不満を示すために操業休止という強硬手段を取ったエピソード。2000年代後半に、劣悪な労働条件を改善するためという名目で設置されていった労働組合は、労働者の権利向上より、むしろ党の企業に対する監視を強める方策となったというエピソード。外側からの価値観や基準で、中国で起こっている事象を安易に解釈しようとすると見誤る良い例を示している。
筆者は、レーニンが志向した方針・戦略を中国共産党が引き継いでいることをもって、中国が「共産主義」を強く保持しているとしており、これはこれで一つの解釈といえよう。文中では、ある中国共産党員の「中国の共産主義が何かということは、中国共産党が定義する」という言葉も紹介されているが、本来の共産主義からすれば、中国のそれは異なるという反論は当然有り得る。
また、経済政策や社会政策に関する描写が具体的事実やインタビューなどに基づいたものであるのに対し、外交・安全保障に関する部分の記述は、後付けや根拠が希薄であると感じられる。経済政策に関しては、中国でも情報の公開がある程度進んでいるのに対し、安全保障政策に関しては厳然として秘密主義が保持されており情報を入手しにくいこと、さらにインタビューを行えた場合などでも、インタビューに応じてくれた人の安全や立場を守るため、それらを公開できないことが間々あるという事情が背景にあるのかもしれない。だとしても、著者の分析の材料をもう少し示すことは可能であったと考えられる。
中国外交政策におけるナショナリスト、タカ派として閻学通の説を多く引用しているが、閻学通の政策に対する影響力や学会における位置づけを考慮すると、バランスに欠ける観を否めない。他の研究者や国際協調派の意見も紹介すべきであったろう。
とはいえ、本書は、中国共産党の統治について、実感的に理解させてくれるような良書である。筆者自身が述べているように、現在、中国に関する書籍や論評は多く発表されているが、その多くが中国の経済発展や社会問題を扱うもので、中国共産党の支配構造や機能について分析したものはそれほど多くはない。中国共産党の機構やシステムが見えにくい中、本書は党がどのように支配を及ぼしているのか、また人々がどのように党を恐れ、利用し、距離を取ろうとし、近づこうとしているのかを具体的に描写している。学術書ではないので、中国共産党の統治に関する新しい理論を提示しているわけではないが、中国をよく知っている人にとっては「そうそう、中国には確かにこういうところがある」と膝を打ちたくなるようなストーリーが随所に挿入されている。情報に富んだ内容でもあり、中国共産党の統治について認識を深めることができるだろう。中国のことをまだ良く知らない人にとっては、中国共産党の見えにくさや内包する矛盾を理解するための手がかりを与えてくれる本ではないかと思う。
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