評者:佐藤晋(二松学舎大学国際政治経済学部教授)
概要
本書は、1960年から1972年の日本の対中外交を、冷戦構造の変容という視角を導入して、まったく新しい歴史像を再構築するものである。ここでいう冷戦構造の変容とは、1950年代末に顕在化し1960年代末に最高潮に達した中ソ対立である。一方、米ソ関係については、キューバ危機以降をデタントの時期ととらえる。その結果、この期間の国際構造は米ソ対中国、すなわち米ソ連合による中国封じ込めということになる。この状況下で、戦後日本の保守政治家が、中ソ対立をどのようにとらえ、アジアにおいて中ソのどちら寄りの秩序観を持っていたかを、本書は類型化する。その結果は、これまでにない斬新なもので、「保守本流」の吉田、池田、佐藤、田中らが「日米中」提携で、「反吉田」の岸、石橋、椎名、三木、福田が「日米中ソ」協調を目指していたとなる。
実際の政策としては、まず池田内閣は「日米中」提携を追求した。その際、池田は松村とともに中国との関係改善を図った。しかし、アメリカの妨害で、道半ばで挫折した。それは、アメリカの「米ソデタント」=「中国孤立化」政策と正面衝突したためだという。具体的に池田は、国連に中国も入れて国連における「二つの中国」を実現させようとしたり、軍縮会議に中国を引き込もうとしたが、これが「中国支持」政策にあたるという。次に、佐藤時代前期においては「日米ソ連合」が形成されたと、著者は言う。佐藤は、本心は「日米中提携」だったが、沖縄返還、ベトナム戦争、中国核武装などの国際環境によって、「中国孤立化」を目指す「日米ソ連合」を形成したという。佐藤は、「ソ連の中共核武装への警戒は日本と同じ」と述べるなど、ソ連寄りの考えを持っていた。ただし、この時期の政策は、あくまで暫定的なものであった。そこで、その後、佐藤政権後期と田中内閣期は「日米中提携」を目指したという。もっとも、佐藤は本心の「日米中提携」に立ち返ったが中国に相手にされず、その路線を引き継いで田中が日中国交正常化を実現したという。佐藤は、この時期、ソ連との間に北方領土問題を持ちだすなど、中国寄りになったという。佐藤は、70年にNPTに調印してソ連寄りであったが、そのあとの批准は引き延ばされたのが中国寄りの表れであるという。
検討
本書を通読して、まずは、戦前日本の対中外交が「中国とは何か」をめぐって展開されたように、戦後の日本外交においても「中国」の意味内容は多様であるのに気づかされた。つまり、同じ「中国」といっても、各政治家が思っている「中国」は同じではない可能性があるということである。例えば、吉田茂のいう「中国」は共産主義を脱した中国であったはずで、かりに吉田が「トウ小平の中国」を相手にしていたら、おそらく緊密な協力関係を築いたのではないかとすら思われる。また、台湾と中国が分かれた「中国」と、台湾を武力解放することが確実な「中国」とでは、日本政府の対応も変わったであろう。ここからさらに広げて、日本側が中国をどのようなものと認識していたかをはっきりとおさえた上で、その中国政策を検討する必要があることがわかる。核を持った中国と持つ前の中国、米中接近前の中国と後の中国、文革中の中国とその前後の中国などである。
さらに、政治家や官僚の本心とは何かという問題も考えさせられた。彼らは、いつも同じことを言う訳ではない。その発言の場所、時期、相手などに応じて、ある時には計算をほどこし、嘘をつき、誘導し、脅しをかけるなど、いろいろな考慮から言葉を選ぶわけである。また、日記にある内容も、その時の思いつきなのか、年来の主張なのか、信念のレベルのものなのかなど、簡単には判別がつかない。もっと言うと、外務省内の文書でも、誰に向って書いたものか、どこまでの範囲に知られる前提で書いたものか、どの会議に出された文書なのかといった状況を加味して分析する必要がある。つまり、ある文書・発言録に何らかの考えが示されていたとして、それがどういう状況で、どういう意図があって記されたものか、それは思いつきか、それとも同じことが別のところで何度か繰り返されているかといった点を厳密に検討する必要があるのである。とくに、その発言の根拠になったと考えられる情報(インテリジェンス)について、調べてみると役に立つのではないかと考えられる。こうしたあらゆる背景を調べて、政治家の発言を解釈する必要性があろう。
そこで、資料のうちの会談議事録にからめて一言しておきたい。戦後日本外交史がアメリカの資料に依拠していた時期は、一種類の資料しか見られなかったために仕方がないとしても、日本側の資料が大量に公開され、それらが用いられた時期において、日米の同じ会談の記録を突き合わすといったような地道な作業を、我々は怠ってきたのではないか。実際、日米の記録で発言そのものが異なっていることは多い。日本側だけでも記録者によって内容が違っていたり、時間とともに議事録が修正されていたりすることは頻繁にある。海外の資料で言うと、日本側の発言を外国の公館員が正確に理解したか、記録できたかなどの問題もある。また、どの程度正確に報告書に載せたかという点もある。根本的に通訳・翻訳の際に生じる問題もある。もちろん、資料批判の必要性は議事録に限られない。外務省の資料でも、下は単なる思い付きの作文から、上は次官・大臣の決裁を受けた文書までさまざまである。ともあれ、これらの問題を詰める作業が行われないまま、今日のマルチ・アーカイバル・アプローチが登場したことで、この欠点がさらに増幅され、結果として解釈の幅が拡散してしまったようである。本来、外交史は、面白くないと揶揄されるほど、厳密な資料批判と正確な解釈の上に成り立ち、それが他者からの検証可能性・反証可能性を担保することで、研究としての信頼を得ていたはずである。歴史の解釈が多様であることは望ましいことであるが、共通のルールと厳格な規律の下に行われることは当然である。
今後の展望
さて、本書に帰って、中ソ対立に着目するアプローチは、社会党・共産党・進歩派知識人といった人々の思想を分析することにも利用可能であろう。東西冷戦下、同じ共産主義陣営が中ソに分裂したことで、かれらは思想的・政治的に大きな影響をこうむった。深刻な路線対立を引き起こした民間運動・団体もある。本書で打ち出された視角は、こうした分野に適用することが今後考えられよう。ちょっと思いつくだけでも、ハンガリー動乱、フルシチョフのスターリン批判、中ソイデオロギー論争、中国の核保有、プラハの春弾圧、中ソ軍事衝突、米中接近、カンボジア内戦、中越戦争など、これらをどう受け止めるか、どう対応するかと、革新陣営を悩ませた種は多い。
次に、一般に冷戦構造の変容とは1971年の米中接近を指すが、本書のように中ソ対立に着目することで、1960年代をも二極構造以外の視点から分析することが可能となる。それならば、1972年から1985年にかけての日本のアジア外交を分析する際には、この視点はより有効なものとなろう。1970年代は、インドシナ問題をはじめ、中ソ関係がアジア情勢・日本外交に大きな影響を与えたからである。例えば、福田内閣は日中平和友好条約を結んだが、中国との緊密化がソ連からの対日圧迫を増すのではないかと恐れていた。その中でアメリカからの後押しが、日本政府の決断に影響したとも言われている。また、大平内閣は、対中円借款を開始したが、アメリカが中国の軍事力強化につながる援助を中国に与えることには抵抗し続けていた。さらに、中曽根内閣は、中国との蜜月を演出したが、その背景にはソ連への脅威を両国が共有していたことがあった。
最後に、日本の対中外交について、1972年の日中国交正常化の際に台湾の「確保」を日本側がどう考えていたかを取上げる。厳密な論証は近刊共著で正確に資料を引用し状況を確認しその発言の意味を分析するが、田中はどうやら、中国は、台湾のソ連からの防衛を、日米安保条約を含めてアメリカの軍事力で守ってもらうと判断したと見ていたようである。その結果、中国は、日米安保にも反対しないし、台湾がアメリカの防衛コミットメント下に置かれていることをむしろ望んでいると、田中は思っていたようである。確かに、これは常識的には考えられない説であろう。こうした常識的に考えられない仮説こそ、資料を用いて厳密に実証する必要がある。そして、他の研究者の検証にゆだね、確証されるか反証されるかを待つことになる。特に、一見信じられないような仮説を主張する場合には、より慎重に説明責任を果たすことが必要になる。そのためには、ある発言を資料から引用し、それがどういう状況でなされたものであるからこのように解釈できるといった論理的筋道を明確にする必要がある。もっとも、他人の発言や記録なので、その理解には推論に頼る部分も出てこざるを得ない。その場合は、他の資料で傍証して補強材料にしたりもするが、同じ人間として与えられている常識を頼りに推論を行えば、読んでいる方も、その常識から「確かにそれはそうだろう」となるのであろう。通説が打ち立てられたときに用いられた常識をもってして、その同じ常識を用いて展開された仮説が、同じ読み手に対してより説得的ならば、それが新説として認められるのである。
本書のように斬新な説を主張する若手研究者が続々と登場することは望ましいことである。とりわけ本著者は、中国の資料を利用する等、世界各地の資料を利用している。その努力に報いるためにも、全研究者が資料批判、資料に伴う背景といったコンテクスト、さらに解釈する際のある程度の推論のルールといった方法論的な側面に自覚的に取り組む必要があるのではないだろうか。グローバル化とIT化が現代社会に与えつつある影響は、経済全般、雇用、格差、移民、異文化への対応など様々な領域に広がっている。古典的とみなされていた外交史研究分野も、その例外たりえないことは明らかである。ともあれ、本書のような成果によって、こうした現代世界のトレンドに日本外交史研究分野が乗り遅れていないことを示せたことは欣快にたえない。