評者:松本佐保(名古屋市立大学 人文社会学部教授)
本書の論点
本書は2016年の米国大統領選挙を前にタイムリーに出版され、共和党内に生じた中道と右派の間の分極化がいつ起きたか、その起源をアイゼンハワー大統領期に遡り、その本質にせまる本格的な研究書である。トランプのような非主流派(アウトサイダー)の台頭がなぜ現在起こっているかを理解するにも有用である。勿論トランプの台頭の理由には、グローバル化の進展による格差問題や移民・難民問題をテロと結びつけて論じようとする21世紀的な言説もあるが、著者が冒頭で言う「分極化が生み出すアメリカ民主主義の病理」としての非妥協的精神とは何かを説明し、またこの非妥協的精神こそが分極化をもたらしたことを立証した研究である。
また本著は政治学的研究手法と歴史学的手法双方を採用している点で野心的であり、しかもその成功例と言える。歴史学的研究から政治学に関心を持っている評者の立場から言うと、本著は全米38か所の大統領図書館やアーカイブスで収集した史料を駆使しており歴史研究者顔負けの実証的な研究であり、ヨーロッパや日本と異なり公共交通が発展してない巨大な大陸国家米国では並大抵の努力では実現できない。そしてその方法論には因果メカニズム、事例過程分析、過程追跡を採用しており、最終的には政治学の理論やモデルの形成も試みられている。
共和党の保守主義研究の先行研究に対して、本著はどう位置付けられるのであろうか。著者は四つの先行研究に対して批判を展開する。
一つ目はナッシュの研究で、これによると保守主義の最大公約数としての融合主義が、反知性主義と言われたリバタリアニズムを知的に理論付けた『ナショナルレビュー』の創刊で、党内に保守化が浸透することになると主張する。この『ナショナルレビュー』は1955年にウイリアム・バックリーによって創刊された現存する保守主義のジャーナル雑誌で、リバタリアンニズムを新保守主義とし、伝統的保守主義と差別化して、小さい政府や強烈な反共産主義を主張している。この主張の問題点は、融合主義が共和党内の保守主義の台頭に繋がったという因果関係の実証性に欠けていると著者は指摘する。
二つ目は、アブラモウィッツらが唱えるいわゆる「レーガン革命」で、1980年のレーガン当選以降に大幅減税や福祉支出削減、国防費増大などのレーガンの政策によって保守的凝集性が高まり、党内の穏健派と保守派の間に分極化が起きたとするが、これでは時期区分的に遅すぎて、60年代に台頭したバリー・ゴールドウォーターなどの保守の存在を説明できない。
三つめはスティムソンなどが唱えたイシュー・エボリューション説で、南北戦争以来伝統的に共和党が南部に基盤を持ち黒人の公民権問題に擁護的であったのが、民主党のニューディールで徐々に変化し、1964年の大統領選でゴールドウォーターが人種差別的であったことから、南部や黒人票が民主党に流れて共和党が一挙に保守化するというものである。ゴールドウォーターの存在は共和党が保守党となる転換期であることは正しいが、大統領選挙という民主党との対抗関係で保守派が突然誕生したわけではなく、これ以前に共和党内で穏健中道派と保守派の間に対立が生じていたという立場を著者は取る。
四つめが政治的なアクティビストに共和党が操縦されたというウィルダフスキーなどが主張する説で、これは草の根レベルでの政治的な活動やシンクタンク、メディアなどの役割に注目しているが、64年の時点ではまだヘリテージ財団のなどの保守系シンクタンクも創立しておらず、メディアが政治に本格的に大きな影響を及ぼすのはもう少し後の時代であることから、著者が言うようにあまり説得力がないのであろう。64年選挙で突然ゴールドウォーターが出てきたわけではなく、彼が出てきた経緯をさらに時代を遡ってもう少し前のアンゼンハワー時代に、中道穏健派であったアイゼンハワーに対する反発として保守派がすでに共和党内に台頭したという立場を著者は取っている。
これら四つの先行研究を要約すると、共和党内部に生じたイデオロギーの分極化、右傾化の起源は従来レーガン大統領時代、あるいは、1964年の選挙で民主党のジョンソンに敗北したがゴールドウォーターが「分極化」や「右傾化」をもたらし、それがレーガン当選を準備したとされてきた。しかし本書はこれをさらに遡り、穏健派であったアイゼンハワー政権の時代にこそ、共和党の「大統領化」の行き過ぎに対する党内の右派の反発こそが、分極化の起源とする見解を打ち出している。共和党の「大統領化」の意味は、長い民主党政権時代(33~53年の20年間)からの脱却をはかるための「大統領選に勝てそうな人物」、つまり穏健なアイゼンハワーを選んだことが、共和党内の保守派の反発を招き、分極化が起きたとする主張である。
本書の概要
次に本書の概要を章ごとに見ていこう。
第一章の「中道主義の確立―アイゼンハワーと52年の共和党予備選挙」では、ルーズベルトのニューディール政策が行った労働者階級へのボトムアップや社会保障政策の拡充など「大きな政府」的な政策は民主党だけでなく、共和党にもこうした考えは歴史的に存在していたと説明される。アイゼンハワーは保守的なニューディール政策を打ち出し、党内のより保守的なロバート・タフトと対立し「民主党の二番煎じ」と揶揄されながらも、党内の穏健派の支持を得て大統領候補に担ぎ出される。
第二章の「中道主義の試行と挫折―アンゼンハワー政権の共和党運営(1953~60年)」では、20年ぶりに念願の政権奪還に成功した共和党内に民主党の専売特許だったニューディールを共和党のイデオロギーとして再構成しようと試みるが、党内の保守派との対立を招く経緯が述べられている。財政均衡と減税を掲げていたにもかかわらず、アイゼンハワー政権時代に住宅政策や社会政策で財政支出が大幅に増大、また労働政策では労働組合に好意的な政策を行い、労働問題と密接に関わりを持つマフィアなどの犯罪組織との癒着が問題視され、右派のゴールドウォーターはこれらの政策を選挙公約違反として厳しく批判した。
54年の中間選挙で共和党は敗北し、その結果、上下両院で少数派になるが、56年に再選されるものの、議会では議席を減らし、58年の中間選挙で敗北して、「南進政策」などで議会は共和党内の保守に乗っ取られることになり、アイゼンハワーは、共和党の中道化に失敗することになる。実際には農業政策への連邦政府の関与を低下させるなど、共和党らしい政策も見られたが、共和党の保守派はこれらを評価せず、彼の政策が共和党の保守派からますます反感を買うことになる。
こうして第3章ではアンゼンハワーの中道主義が失敗し終焉して、1960年大統領選挙にむけたニクソンの共和党代表選出と、大統領選挙での民主党への敗北が述べられる。ケネディに対抗して、公民権運動に寛大で人種政策に力を入れるニクソンだったが、反公民権のゴールドウォーターには「民主党の猿まね」と揶揄され、最終的にケネディに敗北する。ゴールドウォーター反公民権政策は、南部の白人票を獲得する「南進政策」として重要であり、後のレーガンやブッシュに受け継がれる。この共和党の敗北の結果は、伝統的保守ロックフェラー(左派)、中道のアインゼンハワー穏健派、そして右派のゴールドウォーター保守と、共和党を三つの派閥へと分裂させた。
第4章では「二重の敗因―ゴールドウォーターと穏健派の戦い(1964年)」と題し、ゴールドウォーターは「小さい政府」を掲げ財政支出を削減し、社会保障は民間で行い農業支援補助金撤廃を掲げたが、大統領選挙でケネディの後継者のジョンソンに惨敗した。ジョンソンが南西部テキサス出身であることから、南部票をジョンソンに取られたことなどが敗因とされる。予選から共和党大会の時点で、穏健派との妥協など統合をはかることなく、ゴールドウォーターが共和党代表になったのである。また強硬派の間にも一部対立が見られ、これらの要因も含めて、大統領選挙での共和党の敗北は、ロックフェラーがゴールドウォーターを過激主義と糾弾するなど、共和党内はばらばらに分裂することになる。その後、元々穏健的であったニクソンが復活し、彼が右傾化する中で、ゴールドウォーターの支持を得てその強硬な姿勢を引き継ぐことになる。つまり選挙で党が敗北しただけでなく、アンゼンハワーやロックフェラーなどの穏健派が党内で完全に退潮する二重の敗北と言うわけである。
そして著者は、共和党はアインゼンハワー的な中道主義の維持に失敗し、これに強烈に反対する保守派が急速に台頭し、今日に至る共和党の保守的な性格を形成するきっかけとなり、さらに今日の米国全体のイデオロギーの分極化、分断化が起きたと結論付ける。
終章ではこの後の1970年代後半に台頭するキリスト教保守・右派の票の掘り起こしと共和党への取り込みとなり、レーガン時代をむかえ、また地理的な北東部から南部への支持基盤がシフトするが、この起源がアイゼンハワー時代にあったとしている。
著者が導き出す理論とは、長期間の野党経験→勝てる候補擁立→与党の大統領化の失敗→大統領と与党が譲歩・妥協すれば分極化が緩慢であり、逆に大統領と与党が譲歩・妥協しないと分極化が促進されるというモデルを引き出し、さらに時代を遡って民主党のグローバー・クリーブランド(1885~89年、1893~97年)、ウッドロー・ウイルソン(1913~21年)、フランクリン・ルーズベルト(1933~45年)の場合にあてはめて同様のことが言えるかどうか検討も行っている。長期間の野党経験→勝てる候補擁立→与党の大統領化の失敗→大統領と与党が譲歩・妥協すれば分極化が緩慢であることを、「いささか仮説的である」としながらフランクリン・ルーズベルトの時代には言えると述べている。一方、長期間の野党経験→勝てる候補擁立→与党の大統領化の失敗→大統領と与党が譲歩・妥協しないと分極化が促進されるのは、クリーブランドと本書のメインテーマであるアイゼンハワーの時代に当てはまると結論付けている。
本書への考察と批判
さてこの分極化の起源がこのアインゼンハワー期にあったということになるが、著者が本書で導き出したこのモデルの妥当性をより最近の共和党に当てはめて、評者なりに考察を試みることにする。冒頭で本書はトランプ現象を理解するためにも重要と述べたが、トランプをどう位置づけるかは、まだ定まっておらす、著者は東京財団の主催する「トランプは生き残るか?米大統領予備選挙の行方」でも共和党について報告しており、それによるとトランプは「アウトサイダー」的存在であり、移民については過激な発言が目立つものの、金融や大企業より中小企業優遇政策や社会政策の拡充などリベラルな政策を唱えているので、右派的とは言えないとする。一方テッド・クルーズの方が、キリスト教右派やリバタリアンのティーパーティーなどの支持を受けている。ではトランプやクルーズなどの候補が出てきて、現在のような共和党内の主流派との分極化が起きた起源はいつであったのであろうか。二期に渡たるオバマ政権に対する反発、特にティーパーティーについてはオバマ・ケアへの反発であると一般的に言われるが、著者のモデルに従えば、一つ前の共和党の与党時代に遡るとジョージ・W・ブッシュ時代に、アイゼンハワー期にみられたような類似した分極化の起源があったかどうかである。ジョージ・W・ブッシュ自身がかなりの保守的であったことから、穏健派のアインゼンハワーとの比較は困難そうに思えるが、類似した図式が描けなくもない。
ブッシュの当選は、ビル・クリントン民主党からの政権奪回のために、保守政権でありながら「思いやりのある保守主義」をかかげており、福祉政策でも手厚い保育・教育政策が行われ、リバタリアン的な「小さい政府」ではなかったことから、与党共和党の「大統領化」現象が起きと言える。さらにブッシュ二期目の2004年の再選には、特にブッシュの上級顧問だったカール・ローブによるキリスト教右派票の動員が行われ、2004年2月にブッシュは結婚や中絶について彼らの同性婚や中絶反対に考慮した合衆国憲法修正案を支持する意思表示を行った。しかし再選後の2005年になってもこの合衆国憲法修正案は進展せず、2006年には議会の上院でこの法案は僅差で否決、また下院でも否決され廃案となる。これに失望した宗教右派はブッシュの支持から離れ、その結果2006年の中間選挙で共和党は敗北し議会の上院・下院ともに議席を減らし、最終的に2008年の民主党オバマの誕生という流れになる。
ティーパーティー運動は2007年末にロン・ポールによって開始され、彼は2008年の予備選で敗れたものの、現在のテッド・クルーズに継承されている。宗教右派についてはカトリックだが2012年共和党予備選で善戦したリック・サントラムの存在もある。オバマ・ケアへの反発でこの運動がより支持を得たと言えるとして、起源はその前の時代、つまりブッシュ時代に遡るのは妥当と言える。ブッツシュによる共和党の大統領化がティーパーティーを生み、さらに共和党という政党政治への失望を生み出し、リバタリアン的な「小さい政府」を唱え、彼らの60%が宗教右派である。政党政治への失望と言うことと、2008年のリーマンショックの文脈を入れると、トランプのようなアウトサイダーの存在もある程度は説明出来るのかもしれない。
以上のように本書は、取り扱っているアイゼンハワーとその後の時代だけでなく、現在の大統領選についての示唆を含意し、米国政治を専門としない評者が上で述べたような解釈を試行錯誤する機会を、読む者に与えてくれる良書である。
本書に対する批判はあまりないが、一点のみを指摘しておく。著者は1968年以降のニクソンに対する評価を右傾化と述べているが、彼の政権を見てみるとケンインズ的な経済政策、ソ連とのデタント、中国との国交樹立などは、右寄りの政策とは言い難い。ベトナム戦争への反戦運動などで乱れた法と秩序を回復するというスローガンも保守的ではあるが、およそ右派的な政策とは言いがたい。
最後に政治学的な問いと共に少しだけ批判を行って本書評を終わらせる。二大政党政治が民主主義政治の理想的な形態と言われてきたが、一方でこれに対する批判も多く存在する。本書はアングロ・サクソン的な二大政党政治モデルの枠で論じられており、これはアインゼンハワー期についてはこの枠組みで十分である。しかし現在も起き、拡大していると言われる分極化は、二大政党政治の限界、あるいは、ひずみとして起きているなら、二大政党政治の枠を超えた研究が求められる。勿論それは本書が直接意図するところではないし、無いものねだり的な批判である。ただし、ハイ・ポリティクスに対して、ロー・ポリティクスへの配慮が公民権(人種問題)、労働組合問題、南北の地域格差などなされてはいるものの、こうした問題をもう少し深く掘り下げる必要があったのではないか。アメリカ研究では社会史などロー・ポリティクス研究も盛んであり、これらはこれで政治や政治史などのハイ・ポリティクスを無視するという問題もある。だが、これらのロー・ポリティクス研究と、本書のような手堅い政治学研究・政治史研究を統合させることで、2016年現在起きている「分極化するアメリカとは何か」をより良く説明し、その理解を深めることができるのではないだろうか。