3つの力の緊張関係で自治体を運営
自治体の民主主義と国の民主主義とは、かなり性格が違う。国の場合、国民は選挙で国会を選ぶ。衆議院と参議院はあるが、民意は国会一つであり、一元代表制だ。その国会が総理大臣を選んで、総理大臣が内閣を作る。つまり議院内閣制である。国会が唯一の国民の代表として行動するわけだ。
自治体はこれと違って、長(市区町村長・知事)と議会をそれぞれ市民が別々に選挙で直接選び、民意を二つ作る。そして長は主に執行を、議会は決定を担当し、二つの民意が対抗しながら自治体を運営していく。
もう一つ違うのは、国民は国会議員を選挙で選んだら、憲法改正の国民投票以外は基本的に主権の行使を国会に任せる。国会議員を任期中にリコールをしたり、国会を解散させたりすることは国民にはできない。しかし自治体の場合、市民は選んだ市長がダメだと判断したら、任期中でも原則有権者の3分の1の連署による直接請求で住民投票を行い、リコールすることができる。同様に議会を解散させることも、議員をリコールすることもできる。
また、国の法律の直接請求はできないが、自治体の条例は直接請求できる。こちらは50分の1の連署による。あるいは1人で住民監査請求もできるし、これを経て住民訴訟もおこせる。この制度も国にはない。さらに自治体ごとに、もっと日常的な様々な市民参加制度をつくっていて、常設型の住民投票条例を制定している自治体もある。
つまり市民は、国では唯一国会に主権を預け、国会という1つの民意を中心に政府を動かしていくが、自治体では執行を担当する長と決定を担当する議会に分けて主権を代行させ、かつ市民が直接、監視と参加を行う。選挙で選んだ長と議会という2つの民意と、市民の直接参加、この3つの力が緊張関係を持ちながら自治体を運営し、結果として主権者市民の意思を反映させる。
市民参加を力にして対抗し合うのが二元代表制
しかし、実際には多くの自治体が、国の制度と混同して運営されているように思える。例えば、市長が重要なことをやろうしたとき、「市民に十分説明していない」と批判されると、「時間がなかったので市民全体に説明できなかったが、市民の代表である議会に説明した」と言う。国ならば「国民の代表である国会に説明したから国民に説明したことになる」と言えるが、市長は市民から直接選ばれており、市民に直接説明せねばならない。
また、市長が徹底して市民参加を進めると、今度は議会が「市民の代表である議会をさておいて、市長が市民との対話ばかりやっているのは議会軽視だ」と批判したりする。これも完全に国の制度と間違えている。国の場合、国会をさておいて国民とだけやれば、それは国会軽視になる。総理大臣は国会から選ばれ、内閣は国会に責任を持つ。しかし、市民から選ばれた市長は、市民から直接意見を聞くのは当たり前だ。議会はそれを議会軽視だと言っている場合ではなく、市長以上に議会は直接市民から意見を聞かなければならない。
長も議会も自分の活動へ徹底して市民参加を進めて自らの力にし、その力を対抗させ合うのが二元代表制だと言える。
自治体議会に与党、野党はない
国会の与党と内閣は一体化する。与党と内閣のトップは同一人物で、麻生さんは自民党の総裁であり、内閣の総理大臣だ。与党と内閣が一体となって政府を運営する。しかし、自治体においては、長と「与党」が一体になることはない。議会の多数党から長を出しているわけではないので、自治体の議会には国会で言う与党、野党は存在しない。
長は市民からさまざまな意見を聞きながら、議案(条例案・予算案など)をつくり議会に提出する。議会では与党、野党ではなく、全議員が是々非々の立場で、やはり市民の意見を聞きながら、議案が市民の利益にかなっているか、よりよい地域づくりにつながるか議論し決定する。
自治体では、長VS議会なのだ。長と議会は、全て市民に見えるオープンな場所で議論する。長が議会の与党と称する人たちと事前に十分協議して、議会に出す条例案を作ったり、予算案を作ったりすることはない。
「擬似」議院内閣制
ただ現実には、議会の各会派・各政党が共通して推薦できる人物を話し合いで選び、長の選挙の候補者にすることさえある。この人物は、候補者に選ばれた時点で99%当選が確実となる。実際の選挙で有力候補は他におらず、無風選挙になるからだ。そうやって選ばれた長は、議会とのオープンな論議を通してではなく、議会の圧倒的多数を占める「与党」と、市民には見えない議会の外で相談しながら自治体を運営する。結果、正規の議会はセレモニー的になる。多くの議員は、与党体制に入りその中で力をつけ、自分の支持基盤の要望を長や行政に働きかけ実現することをめざす。
一言で言えば、議会の談合で長をつくり、その長と議会の談合で自治体を運営する「擬似議院内閣制」だ。ここでは、憲法で保障された市民が長を選ぶ権利が形骸化し、日常の自治体運営から市民は疎外される。
こうした構造の下では一見平穏な自治体運営が行われるが、やがて市民全体の利益と離れた「首長の利益」「議会の利益」「役所の利益」を生み出し、市民の批判にさらされるだろう。また、財政危機、少子高齢化、地球環境、格差・貧困といった新しい社会の波に対応する能力を持つことができない。
議会改革の核心は市民参加
私は、我孫子市長に在任中、市議会の中に与党、野党を一切作らなかった。事前の根回や水面下の調整も一切しない。オープンな場所で、すべて市民の見ているところで、議会と議論するというスタンスをとった。
だから議案が否決されるということもあった。当初予算案も市長が出した原案がそのまま通ることはほとんどなく、議会の予算審査の中で修正(原案訂正)をされていく。これでいい。市長が出したことが全部議会を通るのであれば、最終的には議会は要らないという話になる。
ただし、我孫子市でも、その議会の決定の過程に、議会への市民の参加があったとは残念ながら言えない。これから二元代表制を担う議会に一番必要なのは、市民の参加だと考える。議会への市民参加とは、市民が議員の自宅や議会の会派控え室に行ってお願いすることではない。委員会など議会の正式な会議の場で、ちゃんと市民と議員が正式に議論するということだ。北海道栗山町の議会基本条例から、こうした取り組みが多くの自治体議会に広がろうとしている。
執行権を持っていない議会は弱いと言う人もいるが、確かに利益誘導の政治を前提とすれば、執行権を持っているほうが強い。しかし、本当の民主主義を前提とすれば、決定権を持っているほうが強い。
本来は、自治体が二元代表制を採用するか、あるいは執行委員会制やシティマネージャー制など他の制度を採用するかは、その自治体の主権者である市民の判断で、それぞれ決めればよいと考える。一律に地方自治法で決めるのはおかしい。しかし現在、二元代表制である以上は、まず、きちんと二元代表制を通して主権者市民の意思による運営を実現していくことが大切だろう。それが出来ない長や議会の責任を、制度論にすり替えてはならない。