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討論:日本経済とTPP論争

December 28, 2011

2011年11月11日、ホノルルAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会合参加を前に、野田総理は記者会見を行い、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉参加に向けて「関係国との協議に入ること」を明らかにしました。これは日本政府による、実質的なTPP協定締結交渉への参加表明として国の内外で受け止められています。

参加表明に先立って、国内で展開されたTPP是非論はマスメディア報道を賑わせ、賛成・反対両派間の論争は先鋭化しましたが、日本の通商貿易政策をめぐる論議は必ずしも深まりませんでした。

そこで、東京財団の各分野の専門家が一堂に集まり、一連の論争を振り返るとともに、国際交渉の枠組みとしてのTPPをいかに評価すべきか、そして今後の日本の通商貿易政策や、農業を含む国内産業の構造改革についてどのように考えるべきかを議論しました。


<参加者>
岩井克人 上席研究員
生源寺眞一 上席研究員
土屋了介 上席研究員
原田 泰 上席研究員

冨田清行 研究員兼政策研究ディレクター
今井章子 研究員兼広報渉外ディレクター
浅野貴昭 研究員兼政策プロデューサー
坂野裕子 研究員兼政策プロデューサー
三原 岳 研究員兼政策プロデューサー
吉原祥子 研究員兼政策プロデューサー

TPP論争を振り返って

原田 ― アメリカは一方的に有利なのか

原田 個々の議論が事実に基づかないまま、賛成・反対の論争が行われたとの印象を受けている。例えば、政府と投資家の紛争を処理する仲裁手続き(ISDS)については、アメリカが一方的に有利であるという言説が多かった。ISDSは、外国投資家が協定に違反した投資先国家に対して、直接、損害賠償を求めることができるという条項だが、そもそも日本に対する直接投資は少なく、むしろ日本企業による積極的な海外投資活動を保護するという視点からメリットが大きいのではないか。また、TPP参加によって混合診療が解禁され、日本の皆保険制度が崩壊するという議論もあったが、これも大げさである。

土屋 ― 医療業界の最大の懸念は海外医療者の流入

土屋 日本医師会の中では、国民皆保険制度が守れるならTPP参加に賛成という穏健派と、TPP参加は国民皆保険制度の崩壊につながるため反対、という2つの立場に概ね分かれている。TPP協定の内容を精査することなく、TPP参加はアメリカ的制度の押し付けを意味するという認識が主だったように思う。通常、学会では事例の報告、実験を通じた確認等を通じて仮説の正誤を判断するが、今般のTPPをめぐる論争では具体的な証拠が取り上げられることのないまま、議論が進んでいたのではないか。

日本の医療業界が国際化に関して一番懸念しているのは、海外の医療保険や医療者が国内市場に参入してくることだ。日本医師会は、外国勢の参入による医療水準の低下をTPP反対の理由に掲げているが、すでに日本の医療水準は国際的には決して誇れる水準ではなく、あえて言えば皆保険制度が何とか機能しているというのが現状だ。

生源寺 ― ブレる農政がTPP問題の混乱と対立の遠因

生源寺 2010年10月に菅前首相がTPP交渉参加の検討を掲げたわけだが、多くの農業関係者にとっては唐突な話であり、この度の野田政権による参加表明もコンセンサスのレベルが低いまま、踏み切ってしまったのではないか。また、民主党の農政は小規模農家の保護と農地集約を通じた競争力確保という2つの方向性を打ち出しており、これがTPPと農業をめぐる混乱と対立の遠因になっている。

ウルグアイラウンドのときは6兆100億円が農業土木を中心に使われた。また関税化を拒否したことで、ミニマムアクセス、輸入義務の量に上乗せ措置を採られた。しかしあけてみればどの国の関税も非常に高く設定されており、日本だけが判断ミスをして、後に関税化することを選んだ。その二の舞になりかねないと感じている。6兆100億円については、妥結後1年ぐらいのところで1年で1兆円だと決まったのだが、実はウルグアイラウンドの交渉のプロセスでは、妥結後どうするという議論は封印されていた。仮定の議論をすることは敗北だとして、避けたようだが、今でもそのような雰囲気がある。

TPP参加を検討するための材料として試算が必要になるが、2010年10月に農林水産省が明らかにした試算ではTPP参加は4兆1000億円の生産減につながるとしている。しかし、これは全世界に対して主要19品目の日本の関税を撤廃した場合を想定しており、TPP参加に伴う影響評価としては過大なものとなっている。この数字が一人歩きをしているが、このような誤報はかえって農業者に対する社会の信頼喪失につながりかねない。

農業や食料の問題に対しては固定観念のようなものがあり、2005年の産業連関表による推計では、この国の飲食費支出74兆円の中で国内の農業水産業に帰着する割合は13%。あとは加工や外食や流通で形成・移転された付加価値。そのため国境措置の撤廃で素材となる農産品の価格が仮に半分になっても全体の食費はあまり減らない。この点については、消費者の過度な期待につながりかねないので、市場開放の影響について妥当な数字を示す必要がある。コメは加工をあまり経ないので、価格は下がるが、ものによっては加工の複雑な経路をたどっているので、小売価格に反映されにくい。

TPPの参加国構成を考えると、米よりも乳製品や小麦の生産、加工に従事する関係者への影響が大きいのではないか。コメは日本産として品質で差別化できても、乳製品、小麦に関しては差別化は難しく、輸入品の方が品質の高い場合も多い。私も官邸に設置された「食と農林漁業の再生実現会議」に参加していたが、この会議が2010年10月にまとめた基本方針・行動計画における議論も基本的にはコメ作農家を想定したものであり、明らかに準備不足だ。

ウルグアイラウンドの時と比較して、今回は、問題は農業だけではないとして、反対派の論客に農業以外の専門家も加わったのは新しい動きであろう。今のヒートアップした熱はさまさなければならないが、このような議論自体は、そもそも「国益」とは何かを議論するという意味で悪くない状況だと思う。

原田 FAOの統計を見ていると、ベルギーのチョコレートや、イタリアのパスタ、オランダのチーズなどが輸出農産物として含まれている。日本は美食の国としていいイメージがあるので、原材料を輸入して加工して付加価値をつけることはできないのか。

生源寺 TPPは例外なき関税撤廃を掲げているだけに、日本の農業、食品産業にとって相当厳しいことは間違いない。また、TPP参加に伴い、農産品価格の下落が想定される中で、生産刺激的な農業補助金を認めないというWTO規律についてどう考えるべきか、という問題もある。例外措置に関しては、砂糖や乳製品を除外した米豪FTAがどのようにTPPに反映されるかがひとつのポイントになる。カナダは乳製品の生産調整をしているなど問題を抱えているので、日本に似ている。さらにここにきて日中韓FTAを急ごうという議論も出てきている。コメについて言えばジャポニカ米を作っている地域が含まれる日中韓などアジアのFTAの枠組みのほうが日本向けの供給余力がある。

TPPについての評価

岩井 ― 個別利益保護、アメリカ路線への嫌悪、国際交渉能力不信という3つの反対論

― 通商協定を包括的に見て、メリット、デメリットを明らかにすることはできるだろうか?(浅野)

岩井 私も一番気になる点だ。私はTPP問題の専門家ではないが、基本的には交渉に参加すべきだと考えている。自由貿易の推進は中長期的にはGDP増加につながる、という経済学の命題を前提に、損害を被る個別の産業分野に対する補償措置を考慮しても社会としてのメリットが上回ることが明らかになれば、自由貿易政策を進めるべきである。

今般のTPP論争において3種類の反対論があったように思える。1つは農業や医療業界といった個別利益保護の立場からの反対論、2つ目はアメリカの自由化路線に巻き込まれることを嫌ったTPP反対論、3つ目は日本政府の国際交渉能力に疑念を持つが故の反対論だ。1つ目の個別産業の利益擁護の立場からの反対論にはあまり説得力はなく、例えば皆保険制度のあり方などについては、むしろ米国と協議できる余地があるのではないか。2つめの反対論は、アメリカの自由主義に対する反発が基調低音になっているわけだが、今はアメリカ自身も自由貿易も含めた国際経済体制のあり方に悩んでいる。哲学的な議論も深めていくことで、これからの世界経済のあり方についての方向性を変えていくことも可能なはずだ。3番目の対政府不信感については、これまでの経緯を踏まえると、肯かざるを得ないところはある。

原田 医療、政府調達、さらには人材の移動の自由化などがTPP協定の懸念材料として挙げられているが、国際協定の原則は相互主義であって、相手がしていないことを自分がする必要はない。また、完全な制度調和や移民の全面的受け入れなどを認めることができる国はTPP交渉中の9カ国にはない。

自由貿易とルールメイキング

岩井 最近では自由貿易が必ずしも善ではないという議論もあるが、そのほとんどは幼稚産業保護という観点からの自由貿易一部制限論である。FTAの効用は「スコープ(範囲)の経済」という観点からも注目されている。日本にとっては、中間財貿易に関して「規模の経済」、「スコープの経済」の両面からメリットを期待できると議論されている。

生源寺 私はTPP参加によるGDP押し上げ効果は劇的なものではないと考えているが、ルール作りの枠組みとしてのTPPの役割には注目している。ただし、これはややもすると米国型vs中国型という安易な対立構図としてとらえられてしまう。

岩井 TPP参加を通じて、日本が国際的な経済ルール策定プロセスに従事することは大きな意味があると思う。日本の参加表明を受けて、カナダやメキシコも参加の意思を明らかにしたようだが、これからは中国を見据えながら、交渉を進めていくことになるのだろう。

土屋 日本医師会の反対論の背景には、アメリカ社会は皆保険制度に反対しているという認識があり、また医療紛争を扱う弁護士の日本市場参入を嫌っているのではないか。その点でアメリカ型ルールへの嫌悪感が基盤となっているのかもしれない。

原田 アメリカ的なものへの反発というのは、以前から見受けられた徴候である。規制改革を日米間で議論していた1990年代においても、日本社会をアメリカ化してもよいのか、という感情的な議論が国内には存在したが、そのような無益な議論よりも、具体的な事実認識を積み上げることが大切だ。

岩井 対米警戒という視点からTPPに反対する議論があるが、アメリカも一枚岩ではない。むしろ多国間交渉を通じて、アメリカに変化を促し、グローバル規模の変革につなげていく、という視点が日本の論者には欠けている。

― 日本の制度の良い部分をアメリカに、世界に持っていこうという外向きの発想はあまり聞かれないが?(冨田)

生源寺 農業に関しても、TPP問題を契機に日本が新たなルールのあり方を発信することができるかもしれない。例えば、生産刺激的な政府補助金を認めないWTO規律を変えるよう働きかけるべきではないか。余剰農産物に頭を悩ませてきた欧米諸国はともかく、アジアの食料輸入国、あるいは潜在的な食料輸入国と日本は、今後の農業のあり方について一定の共通認識を持つことができる。日本はアジアで最初の先進国で、農業・食料政策でも非常に孤立した立場だったが、今後はアジア地域共通の農業・食料問題について情報発信することができる。他の経済ルール同様、日本は常に受け身の立場であってはならない。

また日本の選択肢として、TPPではなく、ASEAN+3、+6を優先するべき、という考え方はあり得る。日本農業にとってはアジア諸国中心の通商枠組みの方が取り組みやすい。

韓国の急成長

岩井 この10年間で変わったことは韓国の国際競争力の強化だ。FTA網構築という点でも日本に先行しており、韓国の存在を気にしている国内識者は多い。

土屋 医療について言えば、この数年間で韓国に医療サービスの面でも、医療制度の面でも日本は抜かれている。今回TPPの議論で感じたのは、10年後の医療の姿はどうありたいか、という点について日本国内でコンセンサスがないということだ。自らの判断基準がないまま、受身で話を進めているので、議論が大きくぶれる。

生源寺 農業政策についても、かつての韓国は日本の農政の後追いのようなイメージがあったが、今は違う。韓国はコメを守ることをはっきりと規定し、その他の分野については国際競争を促し、撤退する場合には補償金を支払うという姿勢が明確である。

グローバル化と国内制度

吉原 グローバル化、自由貿易の進展は世界の潮流であり、その中で日本の何を守り、強みをどのように売り込んでいくのかに関する戦略が必要だと考えている。

その際に命綱となるのが、国内制度の整備具合だ。海外諸国とルール策定を進めても、各国の既存の制度がまったく異なるため、結果が大きく異なることになる。交渉各分野について日本の制度を洗い出し、TPP参加によって想定されるマイナス部分は既存の法制度で守ることができるのか否か、不十分ならあるべき法制度の姿を具体的に示すべきだ。そうした作業を怠っているから「日本はアメリカ化するのか」という抽象的な議論になる。

例えば、森林売買と土地制度の問題を取り上げた東京財団の提言では、諸外国の土地売買のルールについても情報をまとめたが、日本よりも厳しいルールを持ち、守るべきところは守る体制を整えていることが分かる。まずはグローバル化の中で、守るべきものを守る法制度を日本が持ち合わせているのかどうかも含めて、国内制度の精査が必要だ。

岩井 グローバル化された社会では、法制度の整備を通じて権利を確定しておくことが、国際交渉・取引を進めるための大前提である。

― 国内法を整備した後に国際交渉をスタートさせるのは実際には難しく、何か問題が生じた際に世論が巻き起こる形になるだろう。そう考えるとTPP参加後10年間は国内的にも困難な状況が続く可能性がある。日本の利益が守られているか否かを何らかの形で測ることはできるのだろうか?(今井)

生源寺 所得配分や貧困などに関わる数値に留意する必要はあるだろう。

― 日本農業の多面的機能やコミュニティはどのように評価をすればよいのか?(三原)

生源寺 水を使って稲をつくるからこそ支えられているコミュニティがあり、農業がなくなればこうしたコミュニティは存在しなくなる。野田総理がその保護を掲げた「文化」や「美しい農村」と農業の関係を明確にし、それを広く国民に問いかけるよい機会が到来していると思う。

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