星野俊也(国際連合日本政府代表部公使参事官)
はじめに
国連平和構築委員会(PBC)の実質的な活動が始まって一年が経った。そして、去る6月27日の組織委員会公式会合では初年度の活動に係る総会への年次報告書について基本合意が成立した後、日本がPBCの第2会期の議長国(任期一年)に選出された。全会一致で、議場は歓迎の拍手に包まれた。これは、日本が平和構築支援の分野、あるいはPBCにおいてこれまで果たしてきた建設的な役割に対するメンバー国の評価の表れでもあり、個人的にも喜びを禁じえなかった。学者として国連や平和構築の研究に携わってきた身としては、この時期に国連代表部でPBC関係の仕事を担当でき、心の躍る思いでもある。本稿では、過去一年のPBCの主な活動を振り返るとともに、議長国日本としての今後の役割について考えてみたい。
1.国連平和構築委員会の「政治」
(1)国連平和構築委員会の素顔とは
PBCは、紛争から抜け出した国の平和構築戦略について助言する機関として2005年9月の国連首脳会合での合意を受け設立された国連の新機関である(正式な設立は、同年12月の安保理及び総会決議による)。多くの国で内戦が終結しても、半数近くの国が和平合意から5年も経たないうちに紛争状態に逆戻りしてしまうという現実に対し、何か有効な手立てはないのか、という問題意識から設立されたのがPBCである。だが、同委員会の意思決定を行う組織委員会31カ国の顔ぶれや仮手続き規則の決定にあたってはメンバー国間の思惑や確執等が交錯し、半年近くの交渉を経てようやく実質的な活動に踏み出したのが昨年6月だった。
最初から国連政治の洗礼にさらされたPBCだが、この機関をめぐるイメージと現実のギャップも大きい。まず、国連の「平和構築委員会」という名がついている以上、あたかも国連システムの平和構築事業に関する全てを統括・実施しているかのようなイメージを持たれているのではないかと思うが、この一年間で実際に行われたのは、作業手続きに関する議論を除くと、ブルンジとシエラレオネを国別に取り上げて両国の平和構築プロセスについて議論するということが中心で、極めて地味なものだった。それでもなぜPBCの活動に携わることが心が躍る思いなのかといえば、PBCには大きな潜在性があると思うからである。ポスト紛争国における紛争の再発を食い止めるためにどのようなプログラムを組み、どのような支援を行うべきかについて、これまでは国連システム内外の各機関が独自に、相互の調整もなしに取り組む場合が多かった。PBCは、当該国の平和構築のプロセスにおいて多くの関係主体による多様な取組みが戦略的・統合的・組織的なものとなるように助言するという野心的な試みであり、それはとても大切なイニシアチブである。
もう一つ、イメージと現実のギャップということでは、PBCが検討対象とする国の平和構築活動に直接携わっているかのような印象もあるかもしれない。あるいは平和構築基金(PBF)という財源をもつドナー機関だという誤解もある。しかし、PBCは設立決議に明記されているように「政府間の諮問機関(intergovernmental advisory body)」であり、ドナー機関でもなければ、プロジェクト実施機関でもない。これは、やはり真っ先に確認しておかなければならないことだろう。言い換えると、PBCは政治機関だということである。実際、ポスト紛争国における平和構築のプロセスには(プロジェクトを実施する側面ももちろん大事だが、)「政治のプロセス」としての側面も切り離せない。それまで対立していた勢力が和平に合意し、さらに和解を進めるにしても様々な政治的な利害が関わっており、また、司法部門や治安部門の改革、ガバナンスの改善等を行うにも、当事者の政治的な意思がなければうまく進まず、紛争へと逆戻りしてしまうことになりかねない。政治的意思ということでは、国際社会がある国の平和構築プロセスを支援しようとする意思も喚起・促進する必要がある。
したがって、PBC自体が援助主体となることはなくても、PBCがある国を検討対象国に取り上げることにより、平和構築にコミットするその国に対し、(PBCメンバー国も含む)国際社会から支援や資源が流れるように「触媒」の役割を果たすこと、現地での平和構築活動が前進するように政治的な後押しをすることがPBCの役割、といえる。過去一年間、PBCとして我々はどのような付加価値をつけられるのか、と常に自らに問いかけてきたが、その答えの一つは、ニューヨークを拠点とし、国連という看板の下、当該国(現在はブルンジとシエラレオネ)において「平和構築」というきわめて合目的的な方向にプロセスが順調に進むよう、政治的な働きかけ(国内・国際両面での政治的意思の動員)を行っていくことだと私は考えている。
組織委員会の31カ国の選出母体は安全保障理事会、経済社会理事会、日本のような主要財政貢献国、さらに主要要員派遣国、地域バランスを考慮した総会枠と幅広い。理論的には、これらの国は、それぞれの持ち味を出すことで、平和構築という政策目標に貢献ができるようになっている。紛争経験国も含まれている。紛争後の平和構築を自ら実践したアンゴラが初代のPBC議長国を務めたシンボリックな意味もあると思う。さらに、「統合平和構築戦略(Integrated Peacebuilding Strategy : IPBS)」というキャッチフレーズのもと、国別に平和構築に必要な優先課題を洗い出し、そこに必要な資源が流れるような枠組作りを促すというアプローチは概念的に非常に面白く、将来の応用可能性のあるものだと思う。また、PBCの議論では、国連システムのみならず、世銀・IMFや機関ドナー、市民社会も予めパートナーとして協力・協議が前提とされていることもユニークな特徴である。
(2)初年度の成果
ところで、そのPBCの初年度における活動の成果だが、まず、体制としては、平和構築委員会(PBC)・平和構築支援事務局(PBSO)・平和構築基金(PBF)という、平和構築の三位一体の「アーキテクチャー(基本体制)」ができた。また、ブルンジとシエラレオネについては、PBCからの要請に基づき、現地の関係主体(政府・国連チーム・世銀/IMF・ドナー国・市民社会代表等)の手によるIPBSの策定プロセスが始まった。これは、当該国の平和構築の促進という観点から優先的に取り上げるニーズのある分野及び課題を特定し、当該国政府と国内・国際パートナーがそれらに積極的に取り組む政治的な意思を盛り込んだ文書を作る作業である。この文書は、私なりに表現すると、支援の手を差し伸べようとする人々にとっての「メニュー(Menu of Choice)」にもなりうるものであり、どこにどのような支援をすれば平和構築に寄与できるのかがわかる手引きのようなものである。こうした国別のアプローチのほか、PBCでは教訓作業部会を通じ、平和構築に係るテーマ別の議論にも着手した(紛争後の選挙のあり方、「アフガニスタン・コンパクト」モデルの検討、平和構築における地域的取組の役割、等を議論)。
PBFに関しては、目標額の2億5千万ドルのうちほぼ90パーセントまで各国のプレッジ(誓約)で確保できた。日本は基金立ち上げに間に合うように2千万ドルを拠出した大口ドナーの一つである。本基金の運営はあくまでも国連事務局であってPBCではないが、PBCの議論と助言を踏まえ、事務総長はブルンジとシエラレオネに基金のエンベロープ(支援)(各3,500万ドル)を決定し、プロジェクトも動き出している。
ニューヨークにいながらどれほど現地に密着した議論ができるのかとの批判もあったが、本年初めにはブルンジとシエラレオネの両方に対し、PBCからのミッションを派遣することができた。これは単に現地情勢を視察するというだけでなく、ニューヨークの国連から現地の平和構築プロセスを真剣に見守り、支援をしているとのメッセージにもなっている。また、政治的なメッセージということでは、シエラレオネの大統領・議会選挙(8月11日)を控え、PBCは先の国別会合(6月22日)で「議長宣言」を発出し、選挙の平和裏の実施に向けた支援の呼びかけを行っている。安保理や総会でPBCに関する公開討論が行われるようになり、PBCへの関心の高まりも指摘できる。
もっとも、これらの成果を上げるためにどれほどのコストがかかったのか、という「バランス・シート」で考える必要もある。個人的には、初年度のプラスとマイナスを比べると「バランス・シート」はプラスに傾くと概ね評価しているが、概観すると次のようなものになるのではないだろうか。まずはマイナス面としては、
・実質論よりも手続き論にかなりの時間が費やされた。組織委員会を構成する31カ国の顔ぶれは多彩で、PBCの設立自体が安保理と総会の両方で決議され、両機関の下部機関とされたことにそもそも象徴されるように、安保理とのつながりを強調したい国(主に主要先進国)もいれば、総会とのつながりを強調したい国(主に途上国)もいて、安保理と総会の権限争いともいえる対立が随所に見られた。こうした対立が手続き論に跳ね返り、決定に時間がかかることになった。いくら平和構築は政治のプロセスだと言っても、現地のそれを促すためにはPBC内のポリティックスについてはできるだけ抑えていかなければならない。
・冒頭にも述べたように、PBCへの漠たる期待とその活動の地味さとの落差から、失望やシニカルな見方が出されたことも事実。会議の数が多い上に情報流通が悪く、必ずしも効率がよくなかったことに不満を抱くPBCメンバー国は多かった。
・「統合戦略」策定プロセスの遅れも指摘できる。シエラレオネでは予定されていた選挙の日程がずれ込んだり、ブルンジでも援助ラウンドテーブルの日程が後ろ倒しになったりする等不可避の理由もあるが、全体的に作業は遅れがち。そもそも両国では既存の世銀の戦略枠組等もあり、PBCはむしろ「新参」機関として認知度やオーソリティがまだ確立できていない。現地との調整も一筋縄ではいかないこともあり、最初の検討対象国として、ブルンジ、シエラレオネが果たして適当だったのか、との議論も時折でてくるが、何はともあれ、少しでもPBCのクレディビリティを高めることは急務と言える。
・平和構築委員会(PBC)と平和構築基金(PBF)とは、上述の通り、役割も性質も異なるが、両者の混同が頻繁に見られた。
一方、プラス面としては以下のような点が挙げられるだろう。
・アンゴラが初年度の議長国に就任し、エルサルバドルが副議長国として教訓作業部会をリードする等、多くの国が自らの平和構築経験をシェアしようとの意欲が頻繁に表明されたことの象徴的・実質的な意義は大きかった。
・検討対象国に取り上げられたブルンジとシエラレオネに対する国際的な関心はやはり高まったといえるのではないか。両国の政府関係者や市民も平和構築に主体的に取り組むようになり、目に見えない成果が上がっている。両国の代表がPBC会合で「平和構築に向けた強い決意やPBCへの感謝」等に言及するが、それはそうした意識の変化の表れであり、とても意を強くしている。PBC側も両国に対する連帯意識を強めている。
・PBCは、国連システムの中では珍しく、世銀やIMFの議論への参加が所与のものとなっている。そのため、国連機関を超えて一緒に平和構築支援に取り組んでいこうという前向きな姿勢が醸成されつつある。
・安保理からの諮問に答え、政治的なメッセージを発出する試みに踏み出した(上述のシエラレオネ選挙に関する国別会合議長の宣言)。
・新しく設立された機関であるがゆえに、試行錯誤はあっても、PBCの運営にあたっては過去のしがらみや国連の古い慣行は乗り越えるべき、という声がメンバー国から出てきている。
・31カ国の間には、新設のPBCを何とか活発にしようという仲間意識も芽生え始めた。
・PBCの役割については、検討対象国の平和構築活動を促進し、資金を動員するための触媒、あるいは平和構築支援に係る国際社会の認識の向上を促すべく政治的なメッセージを送る政治機関としての共通認識が見え始めたこと。
以上から、私は初年度のPBCは、一定の活動の基盤を作ることができたと考えている。
2.国連平和構築委員会の展望と日本の役割
そこで日本が議長国となったPBCの第2会期では、第1会期の反省点を活かし、改善できるところは改善し、PBCとしての付加価値とクレディビリティをさらに高めていくことが大切だと考えている。昨年はアンゴラに落ち着くまで調整がかなり難航した議長国選びも、今回はとてもスムーズで、幸先のよいスタートとなった。初代議長国がアフリカから選出されたため、第2会期はアジアから、との考えが(どこにも明文化はされていなかったものの)一般的な共通理解であり、日本がごく自然なかたちでアジア・グループのなかからの推挙を受け、それがPBC全体に受け入れられたかたちだった。PBCは、既得権の固まりのような安保理とは歴史も実力もまったく違う。何しろ日本はPBCの創設メンバーであり、第1会期には過度に政治化してしまった問題(例えば、市民社会参加に関する手続き問題や総会への年次報告書の内容をめぐる議論等)に対して良識的、建設的な立場から論点を整理し、合意の手助けをする場面も多かった。
アジア・グループのとりまとめ役としてアンゴラが指名したのはスリランカだったのだが、意気に感じたスリランカは、積極的に日本擁立で調整を進めてくれた。以前から懇意にしていた同国次席常駐代表から私の元に舞い込んだメールは、支持集めは順調で、一両日中にも朗報を届けられるだろう、といった内容だった。そこで面談を求め、国連のデリゲーツラウンジで話を聞くと、グループとして推挙することで根回しは進んでいる、スリランカとの友好関係はもとより日本のPBCでの活動や平和構築分野での実績に鑑み、純粋な気持ちで動いたのだから、自分の手柄にするつもりもないと言う。我々はこうした期待に応える責務がある。
では、議長国・日本が果たすべき役割とは何か。あるいは、この時期に日本がPBCの議長国に就任した意義は何なのだろうか。私はこの関連する二つの問いに、主に二つの角度から考えたい。
第一は、日本としてPBC全体にどのような付加価値をもたらすことができるかを考えることである。この点について、PBCは設立1年そこそこの新機関であり、国連システムの中でも新参者である。期待される政治的な役割を果たそうにもまだ十分な地位を得ていない。そうしたなか、日本が議長国として多方面で立ち回ることでPBCの存在感や政治的重みを増すことにもつながるとよいと思っている。その意味でも国連の主要機関(安保理、総会、経社理、事務総長)や世銀・IMF、地域機関、市民社会等とのコミュニケーションを深めていきたい。試行錯誤のなかから積み上げてきた規則や慣行を整理し、作業手順を合理化する一方、ブルンジとシエラレオネ以外にも支援の手を伸ばせるように道をひらくこと(新規検討対象国の追加)も重要だろう。「平和国家・日本」として平和構築という政策目標の重要性を広く唱道していくことも必要だ。また、PBFへの大口拠出国として、基金のより効果的な運用や透明性の向上のための働きかけもできるのではないか。
第二に、日本外交の観点からもPBC議長国に就任した意義は大きいと思う。PBCは、言うまでもなく安保理とはまったく性格を異にする機関だが、それでも日本が安保理の外にいる時期に「国際の平和及び安全」に関わる案件に主体的・積極的に貢献する機会を提供してくれる。この結果、平和構築の分野での活躍が安保理常任理事国入りを目指す日本にとっての経験や実績になるとの考えも当然あるだろう。だが、それだけに留まらず、「平和国家・日本」として、いわば「平和国家の拡大再生産」のプロセスでもある平和構築分野で日本ならではのアプローチや発想、メッセージを広く世界に訴えかけていく機会にしていくことも重要と考える。
これからもしばらくは試行錯誤が続くとは思うが、この1年間を通じ、日本なりの持ち味を出していけたらと願っている。
(本稿は、去る2007年7月9日にニューヨーク、国連代表部にて開催された「国連フォーラム」における講演の記録をもとに加筆したものである。本文中の分析や所見は筆者個人のものである。)