アジアの海賊取締り | 研究プログラム | 東京財団政策研究所

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アジアの海賊取締り

November 28, 2008

伊藤嘉章 (アジア海賊対策地域協力協定情報共有センター事務局長)


今年4月、日本の大型タンカー高山丸がソマリア沖のアデン湾を航行中に海賊に襲われ被弾したというニュースを記憶されている方も多いと思います。その後も各国の商船がソマリア沖で軒並み襲撃をうけ、世界的な大ニュースになっていますが、本稿では、アフリカ沖とともに海賊対策に十分な対応を要するアジアの海賊とその取締にむけた地域協力を中心に紹介したいと思います。

シンガポールにようこそ

昨年公開されたハリウッド映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド」でこんな場面があったこと覚えているでしょうか。
アジア人の海賊サオ・フェンに扮する香港の大スターであるチョウ・ユンファが、ジャック・スパロー船長救出のために彼のところを訪れた主人公達に次のように呼びかけるのです。
「ウェルカム・トゥ・シンガポール!」

マレー半島とスマトラ島などインドネシアの島々を隔てるマラッカ海峡(正確にはマラッカ・シンガポール海峡と呼ぶべきですが)は、古くから中東や欧州と東アジアの国々を結ぶ海上交易ルートであり、マレー半島(すなわち、アジア大陸)最南端に位置するシンガポールは、その出入り口にあって、東西ルートだけでなく豪州など大洋州と南アジア・欧州を結ぶ南北方向の海上ルート、東南アジア域内の貿易ルートの拠点となっています。

今では、この海峡を利用する船舶は年間約7万5千隻、タンカーで運搬される世界の原油の半分がここを通過するといわれており、シンガポール港に寄港する船舶のトン数も合計で13億総トンに達しています。現在の世界不況進行の前の数字ですが、07年3月に(財)運輸政策研究機構が行った交通量予測では、この海峡を利用する船舶数は今後とも増加し、2020年にその数は14万1千隻、排水量にして64億トンに達するだろうとのことです。

一方、この海峡は、航行上の難所として知られ、座礁、衝突といった海難事故とそれに伴う海洋環境の汚染の危険に何度も晒され、更に、航行中の船舶からの金品の強奪や乗組員への傷害行為、いわゆる海賊行為が頻繁に発生する海域としても以前から知られていました。

例えば、15世紀初頭の明の時代に、鄭和率いる大艦隊がマラッカ王国の海賊退治に協力したことは有名ですし、また、現代の海賊問題に詳しい山田吉彦東海大学准教授が「海賊の掟」という文庫本の中で、マラッカ海峡の南側に点在する島々には海賊を生業する村落がごく最近まであったことを紹介しています。

したがって、海賊を題材にしたハリウッド映画の中でシンガポールを登場させたことは、ある意味自然だったのでしょうが、現代の海賊には、孤高と冒険・自由を愛する海賊のイメージと全くかけ離れ、国際的に組織化・分業化された犯罪者達の姿がそこにあります。
彼らは高速小型船を駆使し、海の国境を軽々越え、僅かな時間のうちに強盗・傷害事件を起こすだけでなく、船員の誘拐と身代金の要求、奪った船に艤装を施し船名を塗り直し、乗組員もそっくり入れ替え他国の港で荷揚げをしたり、あるいは船そのものを沈めて犯罪の隠匿を図るといった悪質なものです。

特に、1990年代の終わりに、いわゆるアジア経済危機がこの地域を襲った時期、頻繁に海上強盗事件がマラッカ海峡で起こり、ここを通る船舶と船員の安全に対し重大な脅威となったばかりでなく、保険額の引き上げ、あるいは、海賊による被害を保険支払いの対象から除外する(戦争海域指定による免責)といったことが船舶保険業界の中で本気で議論されました。

新たな地域機関の設立

このような事態に対応するため、マラッカ海峡国だけでなく、広くアジアの諸国が集まり、自分達の海域での海賊問題に対する国レベルでの取組みを強化し、もって、「アジアの海は危険」という世界の認識を払拭するべく作成されたのが「アジア海賊対策地域協力協定」(通称ReCAAP)です。具体的には、ASEAN10カ国とASEAN地域の東西に位置するアジア6カ国、即ち、東からは日、中、韓、そして西からはベンガル湾を臨む印、バングラデシュ、スリランカの3国の計16カ国が参画し、マラッカ海峡を含めたアジア海域の海賊問題に対する取組み強化を目的とした新たな協定枠組み作成のための話し合いが2001年から進められてきました。

その結果、2004年11月、?シンガポールに常設の情報共有センター(以下ISC)を設立、?ISCを通じた容疑者の発見と被害者・被害船舶の発見などに関する情報の迅速な共有と協力体制の確立、?海上犯罪の取締能力が不足している国々への能力開発支援などを主な目的とする協定が東京で作成・合意されました。

その後、各国はそれぞれの国会承認と批准手続きを進めた結果、18ヶ月後の2006年6月には発効に必要な10カ国の批准が集まり、同年11月に開かれた発足会議にはインドネシアとマレーシアを除く14カ国が批准を終えた正式メンバーとして参加しました。この種の多数国間協定の発効までに数年を要するというのが普通なので、これはとても異例な速さと言ってよく、日本のみならず各国、とりわけ中国、インド、韓国といったASEAN以外のアジアの国にとって、マラッカ海峡の航行安全確保がとても重要な意味をもつことを示す証しではないかと思います。因みに、現在中国では、日本と同様、国内消費される石油の8割はマラッカ海峡を通過するタンカーにより運ばれているとのことです。

シンガポールで開かれたその発足会議では、会社でいえば理事会にあたる「総務会」の議長にシンガポール海事港湾庁のテイ長官を、また副議長にインド沿岸警備隊のコントラクター長官を選任、更に、ISCの日常業務を司る事務局長には日本より私が3年任期で選ばれました。更に、シンガポール政府は同国にISC本部の立上げ・維持のための費用として220万シンガポール・ドルの拠出を約束、今後最低5年間は同様の財政支援を継続することも明らかにしました。また、日本政府も年間50万シ・ドル程度の拠出を続けることを表明しました。(因みに、08年に入り、韓国、中国、及びインドからも5~10万米ドルの拠出表明がありました。)
07年1月には、シンガポール政府とISCの間の本部協定施行のための法律改正が公布、更にシンガポール政府、特に海事港湾庁(MPA)の全面的な協力で事務所探しやセンターの心臓とも言える新たなコンピューター・ネットワーク・システムの構築などを含めたセンターの具体的な立上げも進み、私が着任した07年2月には、同国の5名の専門家スタッフが実務を開始、更に、フィリピン、インド、中国及び韓国からも事務局職員を自費負担で派遣するとの申し出があり次々と着任、そして、07年7月の総務会特別会議において、その年の前半の海賊・海上強盗の発生状況と傾向を分析した事務局報告書を提出することができました。なお、日本からは私のほかに海上保安庁より松本孝典保安官が派遣され、06年10月から現地での事前準備に従事。07年3月末からキャパシティ・ビルディングを担当する事務局長補として正式に任務につきました。

ReCAAPの主な役割

ISCの最も重要な役割を一言でいえば、事件発生の第一報から現場への取締船の急行、被害を受けた船舶船員の救助、捜査の開始、犯人手配など行政・取締サイドで費やされる時間を極力短くしていくことだと思っています。
先にも述べましたが、現代版海賊は、各国にまたがる海の国境を軽々と越え、僅かな時間のうちに金品を強奪、奪った船に艤装を施し船名も塗り直したり、乗組員をそっくり自分達の仲間に入れ替えたりと巧妙な手口を駆使します。このため、海上取締当局だけでなく港湾、関税、陸上捜査当局等との連携を含め、政府の専門組織が一体となって迅速かつ正確な情報の共有が不可欠となっています。
センターでは、このような要請に国際的に対応するため、保秘性を高めた情報ネットワークを構築し、各国での取締の窓口となる機関に即時・一斉に情報提供を行うサービスを開始したところです。
ただ、国際的な情報ネットワークの構築と一口でいっても、国によって状況は千差万別で、情報通信インフラの遅れによりネットワークへの常時アクセスが困難な国があったり、海上犯罪の取締権限が不明確で国内当局間で情報共有がほとんど出来ない国などもあるのが実情です。したがって、これらの国には、まず情報共有能力のグレードアップのための支援をしていくことが必要となります。

ReCAAPの進化

これまで、マラッカ海峡を中心としたアジア海域での海上安全対策は、海賊対策のみならず航路整備や海洋環境保全も含め、民間主導の形で進められてきたと考えます。たとえば、海賊発生状況の速報については、国際商工会議所(ICC)の国際海事局(IMB)の下に置かれた海賊レポートセンターが独自のルートで自主的に行っていました。
ReCAAPの設立は、アジア各国政府がこれに協同して応えた最初のケースと言ってよいでしょう。今後ReCAAPが先鞭となり、その他の海上安全保障課題、例えば、麻薬・銃器等の密貿易、人身売買、密漁といった分野での多国間協力が進められ、アジアでの海上安全保障の確保が一国の国益にとどまらない「アジア益」の確保につながるとの機運が醸成されることを強く期待しています。
この意味で、ReCAAP作成作業にはすべて関わったものの、最終段階でシンガポールがセンター設置場所に決まったことを含め交渉過程への不満から国内締結作業が滞っているインドネシア及びマレーシア両国が、このような共益保護の観点から協定締結を進めてくれることを期待しています。ただ、両国政府とも、海賊情報の共有の必要性とその緊急性については良く理解しており、協定未締結の段階にあっても実務レベルでのセンターとの協力関係強化には既に一定の配慮を得ており、実際、両国海域で発生した海上強盗事案の詳しい情報収集と分析への協力、あるいは若手取締官を対象としセンターが主催したワークショップ・机上訓練プログラムへのオブザーバー参加も行われています。

アジアでは海賊事件は減少、一方、アフリカでは重大化

ISCでは、その発足前に遡りアジア海域の海賊・海上強盗の発生情報の収集も行い、その傾向や手口を現在のそれと比較する作業も行っています。それによれば、03年には未遂も含め210件の事案が確認されましたが、08年にはそれが100件となっており、今年上半期も同様な減少傾向が見られました。また、使われる武器も刃物が大半、精々拳銃程度で、ソマリア沖で顕著な、ロケット・ランチャーを含む使われる武器の火力増加の傾向もみられません。
因みに、ReCAAPでは、国連海洋法条約の規定に従い、公海で発生する犯罪行為を海賊事案、他方、各国管轄水域内で起こるものを海上強盗事案と区別しており、後者には、港湾内での犯罪行為も含めています。

その減少の理由としては様々な要素が考えらますが、マラッカ海峡では、海峡沿岸3カ国の海軍・警察等取締機関による合同パトロールが実施に移されたことが大きく寄与したことは明らかだと思います。(例えば、3国では空からの海上監視を強化するアイ・イン・ザ・スカイ協力なども進んでいる)。また、テロ対策を主な目的とした武器取締の一般的な強化、主要港湾施設内への部外者立ち入り制限の励行なども港の中での強盗事案の減少、重武装化の防止に結果的に貢献したと考えられます。一方、航行船舶の側でも海賊被害を未然に防止するため、危険水域での船上見張り員の増員、警報設備の整備、場合によっては高圧放水銃の設置など自主的な努力を積み重ねたことも大きな要因です。

勿論、だからといって、監視・取締の手を緩めることはできませんし、特に、先のアジア経済危機の際に海賊が横行したように、今回の世界経済危機が再び海上犯罪増加の引き金にならないよう最大の努力を傾けていくことが重要なことは疑いないのですが、ただ、ソマリア沖で発生しているような、白昼堂々大型船が襲われ、何ヶ月にも亘り船員ともども拘束され多額の身代金支払いが要求されるといった事態が起こる危険性は、アジアの側ではかなり減っていると言ってよいのではないかと思います。

上述しましたとおり、アジアでは既にこの問題の重大性に20年も前から気づき、各国がそれぞれ対策を考え、実際に協同してきた経験があります。シンガポールに長く住んでいるある日本の船会社の関係者は「ソマリア沖でも昔から海賊は出没していた、ただ当時はアジア側と同じように、ごく沿岸で発生し、使われる武器も大きなものではなかった、しかし、今では、沿岸から何百海里も離れた地点で大型船舶を襲うことができるまでに組織の能力を高めてしまった」と漏らしていました。

現在、国連海事機関(IMO)では、東アフリカ沖で地域諸国間の海賊情報共有を促進するための国際的枠組み作りを促進しています。いわばReCAAPアフリカ版の作成です。アジアの経験をアフリカで生かすとの動きであり、将にTICAD精神にも通ずるものです。日本としてもこのIMOのイニシアチブに全面的に協力していくことが大事ではないかと思います。いずれ私もソマリアで海賊対策に取り組む日が来るかもしれませんね。

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