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中国の防空識別圏設定による南シナ海問題への影響

March 3, 2014

益田哲夫 研究員

中国は、2013年11月、一方的に東シナ海における防空識別圏を設定した。この結果、ASEAN各国、特に南シナ海問題で中国と対立しているフィリピンやベトナムは、改めて中国の強圧的な姿勢に脅威を抱き、南シナ海でも同様の行動に出るのではないかと警戒を強めている。

また、ASEAN諸国をめぐる中国と米国の間の緊張も高まりを見せている。米国海軍は、全艦隊戦力のかなりの部分をアジアや中東地域に展開しているが、中国も、近年飛躍的に海軍力を増強しており、特に空母「遼寧」のデビューはその象徴と言えるであろう。

こうした状況下、米海軍と中国海軍の艦船が南シナ海近くの洋上でニアミスを起こし、米国はこれに苛立ちを見せたが、中国側は、これをクールに受け止め、静観を決め込んだ。このことは、海洋権益をめぐる米・中双方の今後の動きを予想する上で格好の指標と捉えられ、特に、中国の意図がどこにあるかを類推する上で重要な手掛かりを提供した。すなわち、中国は、今後も、より広大な海域を配下に収めようと攻撃的な姿勢で周辺国と対峙していくものと考えられ、この中国の脅威は、今後もさらに拡大していくと見られる。

1 南シナ海における緊張の増大

南シナ海の問題をめぐるASEAN諸国と中国の摩擦は、2013年を通して緊張の度合いを高め、特に、 フィリピン、タイ、ベトナムの漁民に対して中国の艦船が嫌がらせを行っているほか、観光船に対しても威圧的な態度をとっている。 こうした各国のクレームに対し、中国は交渉のテーブルに着く気配さえ見せていない。

昨年11月の東シナ海における防空識別圏の一方的な設定に加え、12月には、米国海軍のミサイル巡洋艦「USSカウペンズ」と中国海軍の戦艦が南シナ海近くの公海上であわや衝突という事態にまで及ぶという事件が起きたが、この注目すべき二つの事象は、中国の同地域における軍事力の増強を如実に示すものであり、今後、中国がどのような行動に出てくるか固唾を呑んで見守っているASEAN各国に大きな不安を投げ掛けている 。その一方で、米国のオバマ政権が約束した、“アジア海域での米海軍の活動を強化し、中国の攻勢を退ける”との文言を米国民に再認識させることにもつながり、ASEANの米国依存がさらに高まっていくことが予想される。

2 ケリー国務長官のアジア訪問

米国のケリー国務長官は、2013年12月前半にアジアを訪問し、「中国が設定した東シナ海における防空識別圏を承認しない」と発言し、中国に対し、南シナ海においても、防空識別圏を設定しないよう警告した。一方、 中国政府は、「東シナ海以外でも防空識別圏を設定する計画でいる」と宣言しているものの、その場所については特定していない。 南シナ海は、その可能性が最も高い海域であるが、これに対しては、米国も何とか阻止したい考えでいる。 ケリー長官は、さらに、「コード・オブ・コンダクト」(行動規範)が、地域のさらなる平和と協力を推進するものであることを理解し、ASEAN諸国に対する海上安全保障の支援を増強すると言明した。 ケリー長官は、南シナ海の領土問題で中国と紛争状態にあるフィリピンとベトナムを訪れ、「フィリピンが国連に仲裁を求めている問題について支援する」と発言したものの、米国は、同問題については、いずれの側にも肩入れしないというのが公式な立場である。したがって、 ケリー長官は、「紛争当事国は国際法廷で円滑に問題を解決する必要がある。双方とも、国際社会にこの問題の本質を訴えることができ、また、国際ルールや法廷での決定を遵守することが求められる」と言及するに止まった。 ケリー長官のコメントを聞いた中国外交部スポークスマンの華春瑩は、穏やかな調子で米国の介入を批判し、「この問題について、どちらの側にも肩入れしないことが名誉ある行為であり、言葉遣いや態度も思慮深くあるべきだ。地域諸国の相互信頼を醸成するために行動し、地域の平和と安定を維持する必要がある。それ以外の方法を選択するべきではない。中国とASEAN諸国は、コード・オブ・コンダクト(COC)について、極めてスムーズで効果的に意思疎通している」と発言した。

しかし、 中国は、数か月前にもCOCについて話し合いを行うことに同意しているが、これまでのところ、何らの進展も見られない。

3 米国ミサイル巡洋艦と中国空母「遼寧」の対峙の詳細

12月5日、近年では最も緊張が伴う米・中の軍事的対峙が発生した。米国海軍のミサイル巡洋艦「USSカウペンズ」が、南シナ海近くの公海上で、不可解な操作を行う中国海軍艦船とあわや衝突しそうになった事件である。米国側の発表によれば、“カウペンズが通常の操作で航行し、中国の空母「遼寧」を観察していたところ、同じ中国の戦艦が急接近してきたために、カウペンズが衝突を避けるために緊急に回避行動をとった”という事件である。 米国は、中国戦艦の不注意と、無理矢理カウペンズを停止させようとした中国側の挑戦的な態度を厳しく批判した。 これは、同海域では決して珍しい事件ではないが、中国側の反応に興味がそそられる。中国政府は、マスコミを使い、極めて詳細に報道させているが、その内容は米国側のものとは全く違っている。中国側の主張は、“中国海軍は訓練中であり、その途中に外国の艦船が接近してくるのに気づいた。「USSカウペンズ」は、中国側がそこで何をしていたか気づいていたはずであり、我々の警告の後も離れようとはせず、中国艦隊の隊列に割り込み、空母「遼寧」の近くまで接近しようとしたが、行く手を阻まれた”というものである。 中国は、情報を公開して自らの立場を正当化しようとしたが、中国には別の目的があった。すなわち、中国軍は米軍に対して優勢であったとの印象を内外に植え付けることである。両サイドの報道を見ると、中国は、米海軍との洋上の対峙に勝利したと吹聴し、中国国民と周辺国に、人民解放軍の強大さと、南シナ海の支配権を印象づけようとした のである。 中国海軍空母「遼寧」甲板上の中国軍人   中国海軍の尹卓(Yin Zhuo)少将は、人民日報に対し、「カウペンズは不注意な航行を行い、航行規定違反を犯した」などと自己に有利な発言を行ったが、これらは中国語のウェブ・サイトと新聞に掲載されただけで、英語には翻訳されなかった。このことを見ても、尹卓少将の発言は、明らかに自国民向けのものであったことがわかる。

人民日報は、後に、「12月に行われた空母“遼寧”による作戦行動と演習は成功裏に終了した。戦闘体制や戦闘艦群の役割等、100以上のテストが行われた。 南シナ海における演習及びテストにより、航空母艦は同海域では絶対的に必要であることを認識した」 と報じている。

米国と中国のメディアが一致しているただ一つの点は、それ以来、 両国間の不信はさらに増幅されており、東シナ海及び南シナ海における両軍の海洋作戦行動に好ましからぬ効果をもたらす可能性がある ということである。中国の新華社通信は、この点について、「信頼の欠如と軍事面で協調性を失うことは、中国と米国の関係促進のためにはマイナスの要因となる」と報じている。

中国が南シナ海での行動で周囲の信頼を失っていることは、南シナ海問題に関係している小国家にとっては、むしろ脅威となってのしかかるであろう。

4 フィリピンの動向

ASEAN諸国の中でも、中国と領土問題を抱えているフィリピンは、域内では最も真剣に同問題の解決に向け行動している。 南沙諸島で数年間維持されている岩礁上の小さな軍事ポストは別にしても、 フィリピンは、中国との領土紛争については、国連海洋法条約(UNCLOS)の規定により、国連仲裁裁判所への提訴準備を進めている。 ASEANは、中国の防空識別圏設定に対しては沈黙を守っているが、フィリピンは、域内では最初に反応し、同国のアルベルト・ロサリオ外相は、「次は南シナ海で同様の防空識別圏が設定されるだろう」と警告した。「ASEAN-日本サミット」での共同声明は、中国の声明に関しては間接的に触れただけであるが、 ASEANは、中国の地域支配と強圧的な態度にどう対処するかについては、通常の協議と切り離して取り組む意図であることがうかがわれた。 他方、ASEANの数か国から飛び立つ航空機が、中国の防空識別圏を通過する際に求められている飛行計画の届け出は、既に始められている。

「USSカウペンズ」と中国空母「遼寧」による事件は、まさに、「遼寧」が駆逐艦2隻とフリゲート艦2隻を率いて南沙諸島に向かう途中で発生しており、中国側は、「遼寧」ほかの艦船は南シナ海での演習のために航行していたと主張している。米国筋によれば、これは、同海域での空母の仮想戦闘のための作戦であったと考えられる。

また、米・中艦船のニアミス事件が発生したのは、米国バイデン副大統領のアジア訪問時であった。同副大統領は、中国が一方的に設定した東シナ海の防空識別圏による新しい情勢に対応するために、アジア各国を訪問したのである。

中国は、ハーグの国際司法裁判所におけるフィリピンの提訴に掛かる審議への参加を公式に拒否している。中国は仲裁裁判のボイコットを表明しているが、フィリピン側は、2014年3月に国連仲裁裁判所に提訴する予定でいる。しかし、中国がこのような態度をとり続ける限り、仲裁裁判で判決が出ても、これを中国に従わせることは難しいと見られている。 結局、国連海洋法条約(UNCLOS)は、南シナ海問題の解決に向けては、効力も強制力もない骨抜きの条約ということになってしまう。 中国は、今後も南シナ海における領土主張を弱めることはないが、同海域の権益確保を正当化するために行っているコンクリート物体建設の動きなどは、ある程度控える可能性はあろう。 中国の強圧的行動の全ての原因を中国自身に求めることにも、問題があるかもしれない。中国は、実際、地域では強大な軍事力を誇っているが、フィリピンなどの小国も、中国の動きに神経をとがらせ、国境線のチェックに余念がない。 フィリピンは、中国艦船に包囲されているスプラトリー(南沙)諸島のアユンギン・ショール(礁)でなおもプレゼンスを継続している。 この小さな前哨基地は、1999年に座礁した第二次大戦当時の錆び付いた船を監視所にしており、同所を8人のフィリピン軍海兵が守備している。中国海軍は、この施設を取り囲んでおり、監視所に近づくフィリピンの船を時々停止させている。

フィリピン海軍の南沙諸島の監視所になっているシエラ・マドレ号

監視要員の交替や食料・飲料水の補給は、ほとんど邪魔されることなく行われているが、時々中国艦船に嫌がらせを受けることがある。 フィリピン海兵隊は、同礁に駐留し、監視所になっている座礁船から中国軍の動きを監視しているが、一方の中国海軍も、同座礁船内の動きをつぶさに監視しているほか、フィリピンの漁船を追い回したり、時には、近くを航行する一般の船舶を停止させたりしている。 アユンギンを取り囲んでいる中国艦船は、ほとんどが民間から徴用されたものであり、これによって中国は、少なくとも外見だけは国際規範を遵守し、和平交渉に臨む姿勢を見せかけている。

アユンギン・ショールの岩礁自体は重要ではないが、同海域は、国際貿易のルートとしては極めて重要である。 同海域を通過する船舶による貿易品の総額は、5兆3,000億ドルに上るとされる。さらに、海底油田、海底ガス田の開発も期待されている。 米国のエネルギー情報局(EIA)のデータによれば、南シナ海の石油と天然ガスの埋蔵量は、確認されているものだけでも、それぞれ110億バーレルと5兆3,200億立方メートルほどとされている。 EIAは、南シナ海における未発見の資源についても試算を行っているが、そのほとんどは、同地域内でも紛争になっていない場所に位置しているといわれる。
<出典:eia>

他方、中国の東シナ海における防空識別圏の発表について、これが南シナ海にも設定されるとの懸念はそれほど強くはない。特に、米国は冷静に分析している。最も深刻に考えているのはフィリピンであるが、同国は、中国の防空識別圏の設定が、自国との紛争に影響を与えかねないと見ているからであり、時の経過とともに、穏やかな雰囲気を取り戻している。フィリピンには、なおも防空識別圏が南シナ海にまで拡大すると見ている者もいるが、その一方で、 東シナ海での設定は、多分に日本との間の尖閣問題を意識したもので、現実には、米軍の脅威にもなっていないと分析している。しかし、中国は、2012年にフィリピンなどの小国に対して挑発行為に出ており、これが再び南シナ海問題の当事国に降りかかる可能性も否定できない

5 ベトナムの動向

ベトナムは、フィリピンよりはトーンが低いが、引き続き中国に対しては挑戦的である。 ベトナムは、南シナ海の紛争はさらに拡大するとの懸念を表明しており、特に、中国が次は南シナ海に防空識別圏を設定するのではないかと警戒している。ベトナムは西沙諸島を網羅する防空識別圏を自ら設定しているが、この点でも中国と紛争に発展する可能性がある としている。もし、中国が、南シナ海に一方的に防空識別圏の設定を宣言した場合には、ベトナムは苦境に陥ることになろう。 多くの航空会社が、中国による東シナ海の防空識別圏を尊重し、同地域での飛行計画を報告しているが、同識別圏は、日本、韓国、台湾の3つの既存の防空識別圏と一部で重複している。 ベトナムの西沙諸島を含む防空識別圏も、中国が新たに識別圏を設定した場合には直接ぶつかってしまい、さらなる紛争が生じかねない。 ベトナムは、東シナ海沿岸諸国ほどには、今回の防空識別圏設定に反発する立場にはないが、中国の圧力に屈服してしまえば、中国は勢いを得て、西沙諸島の占有に乗り出すであろうと警戒している。 中国は、地域を支配するまでは圧力をかけ続けるであろうが、これは中国の常套手段であり、中国が南シナ海のスカボロー礁を支配下に置いたのは、まさにその手口を使った行動であった。 中国は、西沙諸島でも測量を開始しており、既に同地にもポストを建設してしまっている。 他方、ベトナムは、西沙諸島だけではなく、南沙諸島にも自国権益を主張している。

6 ASEAN各国の足並みの相違とフィリピンの孤立

フィリピンは、中国による防空識別圏の設定を逆に利用することも可能であろう。 フィリピンは、現実にスカボロー礁や南沙諸島の問題で中国から圧力を受け、また、中国の策略でASEAN内でも孤立させられようとしたが、しかし、フィリピンは、周辺国や大国との協力関係をさらに促進させて、何とか不利な状況を乗り越えようとしている。 日本とフィリピンは、協力関係の強化を約束し、ベトナムとフィリピンも、相互に支援し合い、依存し合える関係を構築した。さらに米国は、地域の同盟諸国の再結束を図り、中国が設定した防空識別圏内に重爆撃機を飛行させ、安全保障条約を結んでいる各国に安心感を与えている。

ASEANの中にも、中国への対応をめぐって不一致があることは否定できない。 2014年におけるASEAN会議の議長国であるミャンマー政府の関係者は、「どのような国際的な圧力を受けようと決して屈することはない。しかし、我々は中国と敵対することはあり得ない」と語っている。 さらに、同人は、「ミャンマーは両サイドのバランスをとるために努力し、ASEANの議長国としては、1月15日に予定されている次期サミットの準備を淡々と進める」と述べた。これまで発言を控えてきたASEANがとった行動は、ASEANの典型的な態度であり、中国の攻勢への対処法などの重要案件に対しては、いつものように十分に時間をかけるという消極姿勢である。

中国にとって、相手を孤立させるための有効な手段は、経済政策を有効利用すること である。中国は、ASEAN諸国に対して経済制裁を課したことはないが、 中国は、地域の友好諸国に対しては経済交流を促進させ、貿易や投資などで支援を行うという手段を講じてきた。この手法は、習近平が国家主席に就任してからより顕著になっている。 フィリピンは、当然貧乏くじを引くことになったが、 中国によるフィリピンへの対処法は、他の近隣小国ほどにも支援を与えないというように徹底したもの である。

フィリピンやベトナムのような国は、中国との領土問題で妥協できないのであれば、米国に接近し、米国と関係強化を図る以外に方途はないであろう。 中国から圧力を受ければ受けるほど、米国との関係を緊密にする必要がある。 その見返りとして米国の庇護を受け、中国の攻勢を凌ぐことができるのである。

以 上

    • 元東京財団研究員
    • 益田 哲夫
    • 益田 哲夫

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