1月15日開催の第6回現代病理研究会は、ゲストに島薗進氏(東京大学文学部教授)を迎え「文明と生命倫理」をテーマに議論しました。
はじめに、島薗氏より、現在の生命倫理をめぐる論点を挙げて頂きました。島薗氏は、医療は「病気や障害を治療するため」という目的が自明であったがゆえに、その発展が全体の帰結として何を生むかということについて人々の関心が希薄であったこと、しかし、生命科学・医療技術の発展により、人々が医療に求めるものが、延命や男女産み分けなど「人間の欲望を満たす」という方向に変わってきており、「何のための医療か」の議論が急務であると指摘しました。
さらに、「エンハンスメント」と呼ばれる、男女産み分け、不妊治療、遺伝子操作など治療を超えた医療に見られる命の操作について、欧米での最新の議論を解説し、生命倫理では、長期的には命の道具化・資源化がもっとも重要な問題になってくるのではないか、と述べました。また、SSRIなどの抗うつ剤の使用量の増加、薬の服用による精神的な幸福の追求などの現状が紹介され、その背景には、社会における競争の激化や経済効率の過度な追求があることや、こうした医療自体が結果として人間の競争を煽っていることを指摘しました。
また、そうした医療行為における行き過ぎに歯止めをかけるためは、生命倫理においても、環境問題における京都議定書のような国際的合意や規制が必要と考えられるが、生命倫理は個々の文化や価値観が大きく作用する分野であるため、非常に難しいとのことでした。
続いて、島薗氏の発表にもとづき、先端医療における研究の自由と倫理的管理の問題、医薬品会社が社会に対して持つ影響力など、様々な観点から議論が行われました。また、生命倫理問題の根底にある、社会の競争激化や欲望の過度な追求に対する歯止めとして、仏教をはじめとするアジアの多様な宗教観が、キリスト教や近代二元論とは違う視点から、規範になりえるのではないか。アジアの中で政治的・学問的な対話の場を立ち上げるべきでないか。「罰(ばち)が当たる」という感覚など、地域固有の文化の中で長く続いてきた価値観の中に、新たな合理性を見出すこともできるのではないか、といった指摘がありました。
結論として、生命倫理問題は現代文明社会におけるひとつの大きな「病理」と言えること、医療は本来の治療行為を超えて、心身の「改善」に介入するものに転換しており、その行き過ぎに対する歯止めをどう考えるかは、万能細胞など新たな医療技術が発展する中で、宗教・文化をも含む重要な課題であることが確認されました。
(左から、米本昌平氏、島薗進氏、松井孝典氏、加藤秀樹東京財団会長)