1 プロジェクトの概要
研究目的
日本において、先端生命科学・医学を制御するルール策定の根拠理念となりうる概念=《生命倫理の土台》を構築する。現実の政策過程で求められる理念の形成を試み、日本における生命倫理政策の論議をリードする。
研究メンバー
ぬで島次郎(プロジェクト・リーダー、科学政策論)
洪賢秀(医療科学研究所、文化人類学)
小門穂(東京医科歯科大学生命倫理研究センター、フランス生命倫理思想)
島田裕巳(顧問、宗教学者)
ゲストオブザーバー:橋爪大三郎氏(東京工業大学、東京財団評議員、社会学)
2 研究成果
研究会の概要
1)ブレインストーミング・ミーティング(2007年11月26日)
プロジェクトの趣旨説明に続き、今後の進め方について議論を交わした。その際、出発点として、日本の生命倫理のこれまでの経緯と現状についての総括をメンバーで共有しておきたいとの提起があった。
2)第1回研究会(2008年1月30日)
ブレインストーミング・ミーティングでの提起を受けて、まずぬで島が、「日本の生命倫理のこれまで:近過去史としての整理」を発表した。それを受けた議論において、日本には全体の方向性を考える場がほかにないから、本プロジェクトでそれをつくるという目標が確認された。
次に、土台づくりの一つのモデルとして、ぬで島から、フランス生命倫理法の基本原理について、その形式と内容の紹介と問題提起がなされた。そこで抽出された受肉と霊肉一元論というキーワードについて、議論が交わされた。
それを受けて、島田顧問から、「日本人の生命観 西欧との比較から」と題した発表が行なわれ、最初に、日本の心身一元論の基盤となっている伝統信仰は、古来から続くアニミズムであるという通説に対し異論が提起された。この提起は参加者一同からたいへん興味深いものと受けとめられ、それぞれの社会・時代における「伝統」とは何かについて、議論が交わされた。
3)第2回研究会(2008年2月29日)
まず島田顧問から、「日本人の生命観:西欧との比較から」について、前回からの続きの発表とディスカッションがなされた。日本では神の視点からの「倫理」よりも人間中心の「こころ」が重視されてきたと考えられること、「こころ」のありようを巡る宗教的・哲学的思考の積み重ねに比べると「からだ」については相対的に関心が低かったと考えられること、その二点から、現代の生命倫理の問題について日本では欧米でのような原理原則からの政策論議がなされにくいことが指摘された。
次いで小門研究員から、日本における代理出産の規制に関する政策論議の経緯について報告があった。それを受けたディスカッションでは、数年をかけて複数の省や学術会議で審議・報告が重ねられてきたにもかかわらず、規制を実現させようとの意思が乏しいと感じられるが、それはなぜなのかが話し合われた。
4)第3回研究会(2008年3月21日)
前回に続き小門研究員から、「日本における代理懐胎規制のあり方-学術会議の議論から」の発表があった。今回は日本学術会議の最終報告書案の内容について議論を行った。検討の結果、報告書案の提言は、代理懐胎禁止の論拠が十分でなく、法規制として立法すべき事項も明示されていないので実現性・実効性に欠けると評価された。
本プロジェクトとしては、代理懐胎に限定せず生殖補助技術全般について対象とし、社会が何に合意することを求められているのか包括的に明示できるような理念と具体策の提案をすることが課題であるとの結論が導かれた。
「時 評」
生命倫理の土台に至る道筋の一つとして、そのときどきの最新動向の紹介や話題となった問題に対するコメントを、土台づくりという広い視点から、逐次発信して行った。今年度は、以下のように、韓国の生命倫理関連法改正動向について2本、フランスの生命倫理法関連動向について1本、国内の再生医学研究の最もホットな話題について1本、計4本の時評をホームページに掲載した。
・韓国の生命倫理議論を覗く(洪)
(1)人クローン胚研究への新たな方向づけ
(2)生命倫理法の枝分れ:生殖細胞の扱い分離の是非
・フランス「生命倫理法」の追跡
(1)移民法改正:DNA鑑定と親子関係の理念(小門)
・科学研究最新動向
「皮膚から万能細胞」~問われるのは倫理より科学政策の理念(ぬで島)
総 括
生命倫理の土台づくりのためには、人の生命・身体の要素をどこまで利用してよいか、第三者をどこまで巻き込んでよいかについて、説得力のある判断基準の根拠を構築する生命・身体論と、21世紀の生命科学・医学研究の自由と制約のあり方、社会における科学研究の拠りどころについて考える科学論の二つの面での考察が必要である。それが本プロジェクトの立てた目標課題である。
今年度はそのうち、生命・身体論について、フランスを中心とした西洋の理念と、日本の思想・宗教伝統の比較を進めることができた。西洋は心身二元論といわれるが、フランス生命倫理法の根拠理念とされたのは、心身一元論に立つ「人体の人権」という概念であったこと、それに対し東洋は心身一元論といわれるが、日本の宗教・思想伝統においては「こころ」のあり方に関心が集中し、「からだ」をめぐる考察が乏しかったこと、したがってフランス生命倫理法の理念と内容を日本で受容するには相当の困難が伴うであろうことを明らかにした。
個別の政策課題に対しては、日本で政策論議が進行中である代理懐胎を中心とした生殖補助医療の規制について、論点を整理し、今後の論究の方向を明らかにすることができた。
さらに時評という発信形式を採用し、生命倫理立法で先行する韓国とフランスの最新動向について、国内で他では紹介されていないポイントについて論評し、本プロジェクトのオリジナリティを示すことができた。
以上に対し、もう一つの柱である科学論について、今年度は予定していた人員の確保やインタビューなどの実施を進められなかった。ただ時評で科学研究の最新動向について論評するなかで、科学政策の理念の根本的な見直しの必要性とその方向性について試論を示すことはできた。
3 来年度以降の展望
継続課題
生命・身体論については、今年度の成果を踏まえ、海外動向のフォローもさらに充実させながら、日本において乏しかったことがわかった身体論に焦点を当て、法的・社会的・宗教的考察を統合しながら、土台となる理念となりうる要素を明らかにする作業を行っていきたい。
科学論については、「学問の自由」に関する憲法論の見直しと、科学の拠りどころについて一線の研究者にインタビューを重ねることを足がかりに、考察の足場を固めてゆきたい。
新たな課題の発見
1)西洋の倫理は、個々人を超えた普遍的なレベルでの、いわば神の視点に立った論究に善悪の基準があり、それを筋道立てて論証することにみなが従うのに対し、日本では善悪の基準は受け取る個々の人の側にある。これまでの日本の生命倫理は、西洋発の倫理をいかに納得するかという作業が主だったと思えるが、納得できるかできないかは個々の問題に対し関心を持つ特定の人々の間で決められるので、そこから社会全体のルールになり得るものが出てくることはほとんど期待できない。脳死者の扱いはその一つの典型である。神の視点で決まっていることを人々の視点にずらして決めているという、この台座のずれを自覚的に選択し行なっているのならよいが、そうではないところに、日本の生命倫理のレベルの低さがあるといえる。
以上の考察から、次のような新たな課題が見いだされる。この日本での倫理の台座のずれをどう評価するか。現状の個別納得主義を否定し、普遍主義を新たな理念として提示するか。それとも、個別納得主義を肯定し、日本の政策理念とするか。後者の場合、それは個々の場に依存するので、安定したルール(の原理)の形成にはつながらない。個別の場での「納得」と、社会全体のルールを示す法律などの策定を、どう位置づけ結びつけるか。このような観点を、今後の論究の軸の一つとしたい。
2)東洋は心身一元論というが、こころに比してからだについては重視してこなかった思想伝統が日本にあり、それも生命倫理の問題に日本がうまく対応できない要因になっていることがわかった。身体論は一見盛んなように思えるが、現実の生命倫理の問題への対処には役立っていない。人体の要素は人なのか物なのか、という最も解決が求められる基本課題について考える土台として、宗教伝統も踏まえた身体論を模索していく必要がある。
3)具体的な政策課題においては、今後立法が予想される代理懐胎の規制の是非を決める論拠を示すに留まらず、想定しうるすべての組み合わせで行なわれる生殖補助について、何をどこまで認めてよいのか、その根拠は何かについて、論究を進めるべきである。人の生命のはじまりの扱いと家族・親子関係のあり方について、どのような合意を形成しなければならないのかを、分かりやすく包括的に示す必要がある。そのうえで、具体的な政策課題に応じ、基本理念を示し、個々の生殖補助の実施がその理念に適うか反するかを論証していく必要がある。
研究体制
今年度のメンバーで構成する体制を継続する。また新たに科学論の担当として、院生ないしポスドクレベルのスタッフを一名、およびできれば自然科学者一名を顧問に迎えたい。
当面の発信目標と最終成果のイメージ
当面は時評による発信を、最新動向の紹介だけでなく、政策論議につながる論点の提示にも広げていきたい。また、研究会を重ね考察の蓄積を得たところで、時事問題と絡めた政策懇談会を年度後半以降に実施できればと考える。
さらに、個別の政策課題について法律試案をつくり、イメージを喚起できる形で政策論議を提起する方法も検討する。
最終的には、生命倫理の政策理念となる論点の提示と、そこから導かれる主な政策提言をまとめた報告書を刊行し、世に問えればと考える。