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《時評》米国政権交代と生命倫理政策のゆくえ

January 15, 2009

2008年10月末から12月末にかけて、研究倫理審査の研修のため、東京医科歯科大学生命倫理研究センターからハーバード大学公衆衛生学部人対象研究事務局へ派遣され、米国に滞在する機会を得た。
この滞在の間に、米国では大統領選挙が行われ、政権が共和党から民主党に交代することとなった。そこで今回は、米国の生命科学・医学政策の一環をなす生命倫理政策に関し、選挙戦での争点や、新政権において予想される方向性などについて、コメントしてみたい。

選挙戦で生命倫理政策が主要争点にならなかった理由

米国の大統領選挙ではこれまで、人工妊娠中絶の是非と、それに関連して人の生命の始まりである胚を研究材料に用いる幹細胞=再生医療研究の是非が争点にされてきた。宗教保守などを支持基盤とする共和党はこれらに反対し規制を主張する一方、リベラル勢力を支持基盤とする民主党は賛成・推進の立場を取る、というのが基本的な構図だった。
しかし今回2008年の選挙戦では、これら生命倫理に関する問題はほとんど争点にされなかった。それはなぜだろうか。
第一の理由は、共和党の候補だったマケイン氏が、前任者のブッシュ大統領と距離を置いて中道寄りの立場を取る戦略をとったため、民主党候補者との違いを打ち出しにくかったことが挙げられる。
第二に、今回の選挙では、イラク戦争や世界経済への対応といった課題が大きくクローズアップされたので、相対的に生命科学と倫理の問題は優先順位が低くならざるをえなかったといえる。

オバマ次期大統領の基本姿勢

オバマ氏が自らの基本政策を掲げた公式ウェブサイトでは、取り組むべき課題がトピックごとに並べられている。そのなかで生命倫理に関する問題は、独立の項目ではなく、「女性政策 Women issues」の中で触れられるにとどまっている。
そこでオバマ氏は、人工妊娠中絶について、子を産むか産まないかの選択を女性の権利と認める立場を支持している。また幹細胞研究についてはその推進を支持し、胚を材料に用いる研究を認める2007年の法案の共同提案者となっていることをアピールしている。
胚性幹細胞研究の是非を、科学技術政策や医療政策ではなく、女性政策の一つと位置づけるオバマ氏の基本姿勢は、たいへんユニークであるといえる。私は、この位置づけには非常に違和感を持った。中絶も女性だけの問題ではないと思う。それと同じように、胚性幹細胞研究における人の生命の始まりの扱いも、科学と社会の間に起こる問題であって、女性にだけ関わる事柄ではない。オバマ氏はこの従来の構図に「チェンジ」を呼びかけているのだろうか、それとも科学研究における人の胚の扱いに関心が薄いことの現れにすぎないなのであろうか。

今後予想される政策変化

このようにオバマ新政権では、生命科学と倫理の問題は優先順位の高い政策課題ではないようだ。しかし再生医療研究の推進は、前政権との違いを際立たせることができる点の一つであり、また世界における米国のプレゼンスを高める重要な分野でもある。したがって、連邦政府が胚性幹細胞研究推進に舵を切ることが予想される。
連邦議会はこれまで何度か、連邦政府の胚研究助成に対する厳しい制限を緩和ないし撤廃するよう求める法案を採択してきた。しかしブッシュ大統領は拒否権を行使してその成立を阻んできた。オマバ次期大統領は拒否権は行使しないものと思われるので、胚研究を大幅に認める法律がついに米国でも成立する公算が高まったといえる。

米国の生命倫理政策の限界

このように、選挙による政権選択を通じて、人の命の始まりの扱いをめぐる価値観が反映される生命科学研究の倫理問題についても、国民の意思が示されることには感銘を受ける。
しかし米国の生命倫理問題への対応は、人の胚を用いる研究に連邦の助成を認めるかどうかという実務的な二者択一に限られている。人の生命はいつ始まるか、人の尊厳はどこまで及ぶのか、精子や卵子や胚といった人の生命の要素の何をどこまで利用してよいかという生命倫理の理念にまで踏み込むものではない。
こうした米国の生命倫理政策の限界は、われわれがこれまで時評や研究会報告で取りあげてきた、フランスの立法に示された政策対応と比較すると、いっそう明らかになる。日本からだけでなく、フランスをはじめとしたヨーロッパの視点からもみていくことで、米国の対応の特徴と射程をよりよく知ることができるだろう。

小門穂(こかど・みのり)
プロジェクトメンバー、東京医科歯科大学生命倫理研究センター非常勤研究員

    • 元「生命倫理の土台づくり研究」 プロジェクト・メンバー
    • 小門 穂
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