特別寄稿 東日本大震災を農業・農村の現場から考える
株式会社野菜くらぶ代表
澤浦 彰治
1.自由化と関係なく衰退していく農業・農村
震災でTPPへの参加議論が下火になった。「参加を見送る事が当然」と言う人と「今だからこそ開放することが重要」という人と色々な意見がある。農業振興という面で見たときに、どちらも正しいが、どちらも的を射てないように感じてしまう。
TPPについては色々な意見があるが、仮にTPPに参加しなくても、現状の農業情勢を表す高齢化、価格低迷など様々なデータを見る限り、今のままでは日本の農業や農村はいずれ近い将来崩壊していくように思う。
私は自由化論者でも、反自由化論者でもないが、農業生産を行い食料供給している農業現場に居て、その事をすこし詳しく知る1消費者として考えたときに、日本で出来る農産物は国内生産することが良いと思っているし、私はやはり国内で生産された農産物を選ぶ。
また、TPPをはじめ自由化交渉は農業問題だけが取り上げられるが、自由化の見えてない到達点は、様々な職業やサービスの国際化であり、つまり人や労働の自由化に繋がり、結果生活環境の国際化になってくるのだと思う。
新聞や報道を見ていると、何でも海外のルールを取り入れることが国際化だと勘違いしている様に思えてならないが、本当の国際化とはその地域の文化や生活を守りながら、他国の事も理解をして貿易をしていくことだと思う。
今の政治を見ていると、果たしてそのような力を持っているか不安ではあるが、たとえTPP交渉に入ったとしても、日本国内で農業生産を活性化するための新たなルールを、国内社会や国際社会に提案し堂々と主張して、そのルールを作っていくことは重要だ。
2.農村リーダーの育成が急務
私は農村復興について色々な議論がある中で、農業や農村を活性化させる究極の手段は「人財」育成だと思っている。ドラッカーも「究極の経営資源は唯一人だ」と言っているし、松下幸之助も「人に光を当てる経営」と言っている。私が経営を学んでいる中小企業家同友会でも「人間尊重の経営」と言って人材教育に力を入れている。これは企業経営の考え方であるが、農業経営や農村の活性化にも同じ事が言えると思う。
このことを考えるときに、私は戦前の農村の仕組みの中に未来を創る種があるように思っている。戦前の農村の仕組みの中で、学ぶべきエキスを今のルールの中で再生していくことではないか。
・戦前の農村のリーダー
戦前の農村のリーダーは、行政側の庄屋と、民間側の地主や豪農と言われる農家などだったと理解をしている。
私の父も地主の家に生まれた。私は幼少の頃、ドラマや学校教育の中で地主に対して、ネガティブな印象を持っていた。戦前の仕組みはすべて悪いと知らず知らずに教育されたのだろう。
その為か、農地解放について父親から直接話しを聞くことが多かった。その当時はその意味を理解できなかったが、今になってみると戦前の地主や豪農が行っていたことの中に、今後の農業経営や地域経済を発展させるとても参考になる内容が多いと思っている。
今回、大災害が起きて東北地方の方は大変辛い思いをしているが、被災規模こそ違うが昔もこのようなことはあった。そのようなときに地域の復興や土木工事等を地主や豪農と言われる人たちが、私財を投げ出して行い、復興事業で地域の雇用をつくりながら整備した話しはいたるところにある。
和歌山県の「稲むらの火」と「濱口梧陵」はその中でも有名な話しだ。その地域のリーダーが地域の将来を考え、ビジョンを描き復興していったのだ。濱口梧陵の場合は、醤油造りを行い地元に資金を還元し、津波を防ぐ防波堤を、津波で職を失った百姓たちの労働力を活かして築いた。それが現在も地域の住民を守っているのだ。
今回の震災も、「国を開放して外国の力を借りて」という意見があるが、このことから学べば自分自身や地域の将来を、単に他人にゆだねることは間違いではないか。地域作りはやはりその土地をよく知り、そこに関係している人がリーダーとなり進めていくことが重要だ。
だからこそ、その地域を何とかするという高い志と、知識そして行動力を持った人がいるか居ないかが、その地域の未来のあり方を分けるのだと思う。
このように戦前のリーダーは回り番で決めるのではなく、人気投票で決めるのでもなく、間違った権力を使う者でもなく、人間力を備えた実力のある人が地域を修めていたと私は思っている。そしてそのような人がいた地域は今でも豊だと感じることが多い。
・戦後の農村のリーダー
戦後、農地解放で地域をおさめる地主や豪農は居なくなった。それぞれが農地を持つ小さな自作農家が生まれた。それをまとめる役割として農協が生まれたと私は思っている。
そのおかげもあって、食料生産意欲は高まり戦後不足していた食料を、早い段階で満たすと同時に、優秀な農村の余剰人員が工業へ移動し、日本は経済大国に成長してきた。
また、自作農家がたくさん生まれたことで日本の民主化が維持されたと言っても良いと学んだ。
戦後の混乱した中で、農協を立ち上げた人たちには、戦後復興と食糧増産という命題があった。そしてその事を成し遂げるために大きな力を持ってきたと思っている。
しかし、食糧不足に加え1ドルが360円のときには、「一人一票」「多数決」「平等な成果配分」「回り番の組合長決め」という方法は機能していたが、今のように食料が豊富にある状況の中では、民主的な組織が新しいモノを生み出す力の阻害要因になったと考えられる。
モノが有り余っている豊かな時代にあって、農業が経営として成り立つためには、多数決ではない意思決定が出来るかどうかが問われる。たとえ賛成者が1%でも、その事を実行できるリーダーが必要なのだ。しかし農地解放以後、地域はそのようなリーダーの出現の芽を摘んできたように思えてならない。そのことが今の農業問題に繋がっているのではないかと私は考える。
・今、重要なのは地域発の株式会社
これらのことを考え、戦前の仕組みを現在という時代に当てはめてみたときに、その機能を持てるのは協業の利益を追求した組合組織ではなく、地域発の株式会社ではないかと思うのだ。勿論、株式会社が完璧とは思わないが、リーダーの資質向上によって立派な会社が日本には多くあることを考えたときや、リーダーの意思決定がはやいことなどを考えると一番向いている組織だと思う。(ちなみに「会社」という言葉をつくった人は福沢諭吉だと聞いたことがある。社に人が会い集まった集団を会社と言ったのだ。社は「志」「理念」「目的」とも捉えることが出来ると思う。つまり目的を達成するために人が集まった集団を会社というのだ。つまり、会社とは株主だけの物ではないのだ。)今こそ、しっかりした目的を持った組織とリーダーを育てていくことが重要だと思うのだ。
3.米を残すのか、地域を残すのか
今から7年くらい前に、ある山間の綺麗な水が流れる地域に行った。そこは20軒位の集落で、米を生産する集落営農をしていた。その地域に新規就農者として20歳代の若者が住み始めた。その若者に集落営農組合の組合長が「組合を任せるから、米を作ってくれ」と言った。その青年はいきなりの話しに面食らったようだった。その話だけ聞いて、私は考え方の進んだ組合だなと感じたが、実情はそうではなかった。
その組合の平均年齢が70歳代で組合長は80歳代だった。毎年、組合員が亡くなって減るのだそうだ。笑い話にもならない。
この話を聞いて私はその青年に2つの方法をアドバイスした。コミュニティーを残すのか、米作農業を残すのかという選択だ。
・農村コミュニティーを残すためには
米は単位面積あたりのカロリー生産量が多い。その為、日本の農村は集落を形成できてきた。欧米が広々した所に家が点在していたのは、それだけその土地の生産力が低いともみることが出来る。
しかしながら、現在の農村地域を成り立たせているのは、その土地のカロリー生産量ではなく、その土地からの換金高で決まると思う。
そう考えたときに、その地域の農村コミュニティーを維持していくのであれば、米の生産を止めて、換金性の高い農産物に変えて行くか、米を含めた中で付加価値の高い商品化をして、換金高を上げていくしかないと考えた。
・米生産を残すためには
逆に、約20ヘクタールの美しい田園風景と米作を残して行くのであれば、そこに1軒の農家があればそれで十分なわけだ。
厳しい言い方であるが、米をやろうとしたときにはその集落全員が農業をする必要がなくなる。他の人たちは農業を辞めて他産業に着かなければならない。または、付加価値を付けるために違う事業を行うように変化する必要があるのだ。
この話は、極端かもしれないが、どの地域でも同じ様な問題に直面していると感じるし、誰でも常にそのような危機感を持って変わっていくことが求められていると思う。
私自身、たくさんの方から先進的な農業経営?と、実態以上に高く評価していただいているが、全くそのような実感はなく、常にこの地域のような危機感を持って仕事に当たっている。
つまり、どちらを選択するにしても、その地域が自ら変化していかない限り、国の支援だけでは成り立たないと感じたのだ。
そして、そこに必要なのが真のリーダーシップだと感じる。
4. 自由化の本当の被害者は消費者
最近の日経新聞に日欧EPAの話しが載っていて、そこに「消費者利益」という言葉があった。とても耳ざわりの良い言葉だ。
ここで気をつけなければならないのは消費者利益には、短期的消費者利益と長期的消費者利益があると言うことだ。
短期的利益とはその時の相場での損得勘定で、長期的利益とは相場に左右されない普遍的で絶対的な価値を持つ利益と考えている。
短期的消費者利益だけ考えたときに、目先の損得に目を奪われて、大切な物を失い取り返しの付かない不利益を被るのは、回り回って最終的に消費者になるのだ。
これは農業と全く別の話だが、現在産婦人科医院が減少している記事やニュースを見ることが増えた。以前友人の医者から聞いた話だと、妊婦さんの個人的な原因に基づく出産事故でも、訴えられると産婦人科医院は裁判で勝てないようだ。大切な命を扱う尊い仕事が、常に訴訟と隣り合わせの仕事になってしまったのだ。その結果、リスクを負う産婦人科医院は減少し、子供を安心して産める場所が少なくなり、結果出産難民が出ているようだ。
私の叔父がアメリカに住んでいる。アメリカでは事故や急病等で病院に運ばれても、支払い能力が確認できなければ病院は受け入れないそうだ。アメリカも訴訟社会で消費者利益が尊重されている。
日本はまだそこまでにはなっていないが、それは日本人の中に使命感や道徳心などが有るからだと思っている。しかしながら、消費者利益が行きすぎれば、使命感や道徳心も失われ経営は成り立たず、その結果生産する者は自己防衛に走り、平時でないときに商品やサービスの供給が突然止まり、取り返しの付かない状態になってしまう。
・あり得ない事が起きた今回の震災
例は違うが、今回の震災はその事を私たちに教えてくれたのではないだろうか。スーパーには、必ずあると思った食料が突然なくなり、安全だと言っていた原発までもが想定外の事故になっている。人間の想定を超えた事実があることを私たちは知るべきだと思う。
特にこれらの事故が、私たちが生きていく為に重要な食料で起きたとしたら、そのときには今回の原発のように、為す術もなく手遅れになってしまうのだ。政府や行政にいくら文句を言っても限界があり、物理的にすぐに助けることが出来ないことも目のあたりにした。究極、自分の命は自分自身の購買行動で守るしかないのだ。
私の農場は米を生産していないので、そう言った意味では私も1消費者である。農業している私でも米は重要だと考え、1俵3万円で近くの生産者から直接買って食べ続けている。そうすることでその農家に後継者が育ち、米を生産し続けてくれる。そうしてくれることで私は安心していられるのだ。
・1ドル360円から80円に
貿易の自由化を唱える人の根拠の中に「比較生産性」という理論があると、東大の神野先生から聞いたことがある。その理論に基づいて国際分業論という話しが出てきたらしい。
しかし、その理論が成り立つためには2つの前提がある。それは「人の移動がないこと」「為替が一定であること」ということだ。今はその前提が、成り立たないことを誰もが知るが、その前提を忘れて国際化という言葉だけが、今、一人歩きしているように思える。
実際に、私が小さいときには1ドル360円だったが、今はその4倍の80円になっている。やっていることは変わらなくても、日本人の労働価値や生産する生産品が4倍の価格になった。
為替は経済状況で変わるだけでなく、最近のニュースを聞いていると、各国の金融政策で変わるように思える。リーマンショック以降アメリカはドル札を大量に発行してドルを安くしていると聞いた。
もしそれが本当だとすれば、実体経済や生産と全く違う金融操作で、私たちの生産品の価格は国際競争にさらされているし、命の糧である食料もそうなのだ。為替次第で私たちの食料事情は左右され、為替の影響を受けない自国の生産が減れば減るほど、その振れ幅は大きくなるのだ。
仮に、円が1ドル160円になれば安いと思った輸入食品は大まかに今の倍の価格になる。100円だった物は200円になるのだ。しかし、国内生産をした食料であれば、その生産に関わる外国からの原材料費は野菜の場合5%に満たないので、おおざっぱに見てもせいぜい5%の価格変動で、100円だった物が110円になるくらいだろう。
円高を無視して競争原理を食料に持ち込み輸入食品が増えたときに、逆に円安に振れるとその負担をするのは消費者しかいないのだ。残念ながらその時には一時的ではあったとしてもオイルショックの時のようなパニックになると思える。そして、その終息までの時間は国内の農業生産力で決まるだろう。
・生命は合理化とは無縁
以前、ある有名な経済学の先生が、「戦後の経済成長の中で、農業は他産業に比べてGDPの伸び率が低く、生産性が低い。」と言っていた。私は、その先生に「ではこの間、人間の身長は何十倍にも大きくなったのですか?」とくだらない質問をしてしまった。お金という尺度の価値観ではその通りだが、工業や金融や商業的なコントロールの限度がある命を扱う農産物と、それらを比べること自体、私からしてみると奇妙だったのだ。
人が幸せに生きていくためには、それだけでない違った尺度が必要なのだ。経済を無視しているわけではないが、経済の語源が「経世済民」である。「世を経(おさ)めて民を救う」と言う意味だ。つまり人々を幸せにするのが経済で、お金だけでないことを知る必要がある。
5. 農業は資本産業であり現場が命
農業は資本産業であり、その面では工業と似たところがあるが、特に農地を利用する農業形態では、農地価格が高いという問題がある。
農地の価格は、その土地から収穫され、換金される価格を元にした収益還元で決まってなく、公共事業や宅地化したときの、キャピタルゲイン期待価格になっているところが多いと感じる。その為、土地利用型の農業形態は、農地を所有すればするほど経営は成り立たず、賃貸借農業に自ずからなっていく。
また、最近「6次産業化」という言葉を耳にするが、農産物に付加価値を付ける場合にも、今までの農業にない大きな投資が必要となってくる。
能力ある人がその能力を発揮できる場所をつくるためにも、私はそのステージやグランドをしっかり整備する必要があると思っている。その為に資本というのは重要である。
しかしながら、資本だけでは農業は成り立たないことも、農業へ参入した多くの企業が示してくれた。農業生産が成功するかしないかは、現場の管理者や経営に関わる人たちの能力にかかっていて、現場に決裁権がどれだけあるかという人事も重要なのだ。
これらのことを考えたときに、多くの人が資本参加できる仕組みをつくることで、農業や農村の資本充実をはかりながらも、同時に現場に決裁権がある仕組みづくりの両立が必要なのだ。
6.平和の前提は食べ物が豊富にあること
私は世の中が平和であってほしいと願っている。このことは誰でも一緒だと思う。
平和の前提条件はいくつかあるが、その1番元になっているのが、食べ物があると言うことではないか。マズローの五段階の欲求でも第1段階として「生理的欲求」を満たすことがあげられている。
つまり、平和であるためには食べ物が有り、隅々まで行き渡るという状況をつくる必要がある。そして、それが将来にわたり確保できるという状態がなければ安心できないのだ。
食べ物が隅々まで有るという状況は、需要が100に対して供給が100では行き渡らないのだ。需要が100に対して供給が110とか120とか必要なのだ。
また、今日は食べることができても明日のご飯がないという状況では安心は出来ない。すると、将来にわたり有るという状況をつくることも重要なのだ。
つまり、現在という空間と未来という時間軸の両方において欲求を満たすことではじめて平和になる条件が整うのだ。
一般的に商品価格はものが余っているという状態の時には価格が暴落する。現在、デフレ状況にあるがこれは消費以上に生産量が多く、モノが有り余ってその価格が下がっているという見方が出来る。
世の中が平和である為に食べ物は豊富になければならないが、その状況になると農産物価格は採算に合わなくなってくるのが俗に言われる市場原理だ。
これを経営という視点で解決策を考えたときに、平和なときの農業は、他とは違う価値創造をして付加価値を高める事が重要になるが、もう一方で安定した食の確保という面で考えた時に、米など基礎的な食については市場原理だけでない、理性的な価格形成への啓蒙活動や、そのようなルール作りが必要だと考えている。
そうしなければ、災害や緊急時にパニック状況になる可能性が高いのではないだろうか。
7.永続的な農業と地域をつくるために
・人財育成
前にも書いたように、「人財」育成は地域のリーダーを育て、地域経済を発展させ、安定的な農業生産をしていくために、最重要課題だと思っている。
群馬県では今から20年近く前に高崎経済大学の山崎教授を塾長にして「群馬農業未来塾」という勉強会をしていた。これは全県から募集された受講生が、2年間の中で12回の講義や視察、ディスカッションなどを行い、農業や地域について学びあう農業塾だった。
その時、仲間が集ると何時も色々なことを夜中まで議論していた記憶があるが、時代を経て、今その人達が地域リーダーになってその地域を支えている。
また、5~6年くらい前から静岡県ではアグリビジネススクールを継続している。私はそこの1つの授業の講師として参加しているが、毎年20名くらいの農業生産者が集まり、熱気に満ちた学習をしている。静岡県という地域性もあるかもしれないが、個性の際だった農業経営が多いのも理解できた。
残念ながら群馬農業未来塾は現在なくなってしまったが、静岡県だけでなく昨年からは栃木県や熊本県でもこのような取組が始まり、今年から大分県でも始まる。私もその中の1つの講義を受け持っているが、常に受講生の農業者は乾いたスポンジのように色々な知識を吸収しようとしている。
群馬の例から見ても、「人財」育成には速効性はなく、10年単位の長期的視点で考える必要があり、短期的効果をねらって行うモノではないと思っている。今後各県で行政主導の中で、このような取組を継続していくことが、10年後の日本農業や地域を変えていくと思うので、そのような取組が広がって行くことをとても期待をしている。
また、民間でも新規就農者を受け入れて独立させる取組をしているところが多い。熊本の阿蘇エコファーマーズセンターや長野のトップリバー、山梨のサラダボウル、香川の近藤農園などこの他にも様々な法人が様々な方法で独立を支援している。私が経営する野菜くらぶでも、平成13年から「独立支援プログラム」という、研修から独立そしてその後の販売を含めた経営サポートまで一貫した支援制度を行っている。
現在までに12人の研修生を受け入れ、6人が独立して、青森、群馬、静岡で農業を行い、1人がモスフードサービスと設立したサングレイスというトマト生産農場の幹部として働いている。
来年以降も2名独立する計画で研修中であり、今後も1年に2名くらいずつ受け入れたいと考えている。独立したほとんどの人が黒字経営で、中には住宅を購入した人や農地を買った人など、地域の中でも成功をしている状況である。
私は、今後地域農業を活発にしていくためにも、このように農家に生まれてない人の中から、農業を出来る人材を採用して、優秀な社員としてあるいは独立する経営者として育てていくことが重要で、このことについては民間の農業法人の力が重要になってくると思っている。そして、そのサポートを行政や企業がするという仕組みが出来ると、このスピードは速くなってくると考えている。
また、今回被災した地域の復興には多くの時間がかかると思っている。色々な意見がある中で、やはりその地域の人材が活躍して復興していくことが正道だと思っている。
だからこそ、そのリーダーとなるべき人に地域復興のための学ぶ場所を提供することが、今、重要だと思う。被災地全体から有志を公募して、農業法人や農産加工をしている会社での実地研修をしながら、哲学や他の被災と復興の歴史やその時のリーダー学などを集合研修で学び、その人達が地域に戻りながら調整をして、集合研修の中で知恵を出し合い地域の復興プランを実現可能なモノに仕上げていくのだ。
地域復興はその土地に住んでいる人が一番よく知っている。また、何もなくなった時に新しい芽が伸びることも歴史が証明している。このようなときだからこそ、地域のリーダーが目先の事だけに目を奪われるだけでなく、大局から見る機会を与える必要がある。
是非、志のある人を募集して地域リーダーを行政や政府、農業法人や企業などの民間、研究機関や大学、哲学者や研究者、参加者などで総力を出し知恵を出し合って進めていく必要がある。今、このようなときに、今まで貯めた知識を知恵に変えて、実践することで実になっていくのだ。そのようなことに協力する人たちはたくさんいるはずである。
・顧客との関係づくり
農業にとって人材と同じくらい重要なのが、顧客の存在である。顧客のない産業は成り立たないことは他産業では当たり前だが、何故か農業となると「顧客」意識はなくなってくる。
しかし、戦前の豪農と言われる家には必ずお客様が宿泊する部屋があった。遠くから米などを買い求めに来る商人を宿泊させたのだ。
また、海外の農家と日本の農家の違いを比べたときに、日本の農家は耕作面積が小さいから経営が成り立たないという発言が多いが、私から見ると耕作面積の違いはそれほど大きな問題ではない。海外の農家と日本の農家の決定的な違いは、顧客が居るか居ないかと言うことだ。日本の農家に「あなたのお客様は?」と聴くとほとんど答えは返ってこない。しかし、海外の農家は規模の大小にかかわらず、必ず自分自身の顧客を持っている。他産業では顧客の存在しない仕事は成立しない。農業も全く同じで、自分の顧客を持つことだ。
私はその為に行わなければならないのは顧客とのコミュニケーションだと思っている。これは単なるモノの売り買いではなく、地域や社会問題、生活上の問題など様々な課題を解消し合うウィンウィンの関係づくりだ。
農村や農業には都会にない価値を持っている、その価値を最大限に高めるために農村のコミュニティーに都会の人たちを受け入れていくことが重要だ。
私たちの会社にもたくさんのお客様が来社される。とてもありがたいことだ。その時にいつも課題の共有をするようにしている。お互いの課題を出し合えるようになれば、短期的な損得勘定以上の関係が築け、それが価格競争でない価値競争をつくっていく。
・物流機能の充実
今回の震災で、物流機能が重要であることが周知されたと感じる。民主党が土日の高速道路1000円を実施して、レジャーに行く人たちにとってとても良かったと思う。しかし、重要な生活物資を運搬する運送業者は対象外だった。また、都心から比較的近い観光地は閑古鳥が鳴き、農産物直売所も軒並み売上が減った。フェリー会社が倒産の危機にあるニュースは記憶に新しい。
私は本当であれば、日常の生活物資を運搬しているトラックほど、高速料金を無料にすることが重要だと考えている。そうすることで農産物であれば青森から東京まで高速を利用して運ぶことが出来、地方に競争力が付き、地方での農業や産業に色々な可能性が生まれてくるのだ。生活者もレジャーなど特別な日だけ恩恵を受けるのではなく、日常の生活の中で恩恵を受けられるようになる。
とにかく、運送業社の高速道路無料化は地方経済や地方の農業を活性化していくためにはとても重要な事になるのですぐにでも行っていただきたい。
・情報インフラを整える
私が住む田舎に、高所得者が住む地域がある。別荘地ではないが何故が世界的に有名な会社の社長や有名大学の教授、映画監督、トレーダーが住んでいたりする。
今年、中国出身の会社員が親の介護のために、中国で20日間在宅勤務をして、日本で10日間出社して勤務をするようにした。
このようなことが出来るのは光ファイバーなどの情報インフラと交通インフラが整ってきたからに他ならない。
今、情報産業や金融、知的産業に勤務している人の中には、鬱病などの心の病にかかっている人が多いと聞いている。情報インフラが整うに従って、都会でやらなければならない仕事は減っているのではないだろうか。それと反比例して光ファイバーさえあればどこでも仕事が出来る人の数は増えてきた。
つまり、田舎こそ早く情報インフラと都会への交通インフラを整えることが重要で、それが整備されることで、様々な人が田舎に住めるようになってくるのだ。そうなればその地域所得は増えて、それに伴い様々な知識や知恵が田舎に定着する。また、都会とのパイプも太くなり、地域資源が活かされるようになってくるのだ。
以前、「人も通らないところに橋をかけることはけしからん」と言って地方の道路や代議士をメディアはたたいたが、地方の道路が整備されてきたからこそ、都会の人は当たり前のように食事が出来るようになってきたことを忘れていたと思う。これからモノだけでなく知識や人の移動を簡単にできるようにするために、田舎ほど情報インフラと都会に通じる交通インフラを整えて、地方に情報産業基地づくりを進めていく必要があると思う。
・農業と産業、都会と田舎の対立から共存へ
TPPでは「農業」対「産業」という構図で議論になってしまう。政治では「田舎」と「都会」という対立構造になってしまう。
そう言った面は確かにあったかもしれないが、それではこれから地域社会の発展はないと考える。
地域が疲弊しているのは地域の中に地域外からお金が入ってこないからだ。地域内循環だけではその地域は豊かにならない。必ず何らかの生産やサービスをして地域外からお金を持ち込む必要がある。以前は建設業がこれを担っていたが、これからは交流インフラを整える建設と情報産業や知識、そして農業や食料がその役割をすると思う。
また、これを日本というスケールに当てはめると、日本は外国に日本の製品や技術、アイディアを輸出して外貨を獲得して、外国はその製品、サービスやアイディアを使って豊かになり、外国共々豊になっていくことが重要だと考えている。
国レベルで考えたときに、その中心になるのは産業界だ。地域を越えてサービスを展開できる産業界が海外で活躍し、海外を豊かにしていくことが日本の豊かさに繋がると思う。その時に、日本が安定的にいるために日本の農業や地域産業の存在は重要である。自国に農地がなく生産できない香港やシンガポールなどとは違い、生産力を持つ日本はその力を発揮して自国の食料を賄うことが、日本だけでなく世界の平和に繋がると思うのだ。
田舎と都会についても新たな関係が必要だと思っている。都会が様々な機能を司っていることは百も承知で、その重要性を理解している人は多いと思う。それと同じように田舎も大切なのだが、その事を忘れてしまっているように思える事がしばしばある。
原発が安全というならば東京の丸の内に作れば良かったのだ。しかしながら安全と言いながらも、暗黙の内にそうでないことも承知しながら福島県が受け入れてくれたのだ。今回の事故は東電だけの問題ではなく、私たちにもその責任はあると思っている。
当たり前に飲んでいる水もこのように豊富な国は世界に滅多にない。海の恵みにしても同じ事が言える。水を当たり前に飲める事や、海の恵みをふんだんに食べられるのも水源地に住んでいる人たちが、山を整備してそこから豊かな水が海に流れているからだ。
田舎に住んで、そのような所を守っている人たちに、私たちは料金を払っているだろうか? 当たり前すぎて忘れているのではないだろうか? 私は「水源税」と言うモノを作って、国民1人1人が応分の負担をして、水源がある田舎の整備をして守っている人に還元することが大切だと思っている。その事で田舎が観光資源になっていくこともあるだろう。
田舎と都会が対立ではなく、それぞれの価値を認めて価値交換をして行くことが、これから日本が豊になっていくために重要だと思う。
そう言った意味でも、都会も田舎も農業も産業界も、真の地域リーダーを育てていく必要があるように思う。
そして、今回の震災復興は、地域リーダーを総力を挙げて育てる、とても良い機会だとも思うのだ。
澤浦彰治氏プロフィール
1964年 群馬県昭和村の農家に長男として誕生。農業高校を卒業後、畜産試験場の研修を経て家業の農業、養豚に従事。コンニャク市場の暴落によって破産状態に直面するなかで、コンニャクの製品加工を始める。1992年仲間3人と有機農業者グループ「野菜くらぶ」を立ち上げ、有機野菜の生産を本格的に開始する。第47回農林水産祭において、蚕糸・地域特産部門で「天皇杯」を受賞。群馬中小企業家同友会副代表理事、日本オーガニック&ナチュラルフーズ協会理事、沼田エフエム放送取締役を務める。著書に『小さくはじめて、農業で利益を出し続ける7つのルール』(2010、ダイヤモンド社)がある。