北海道美瑛町長/浜田哲氏インタビュー概要
○日時:2010年6月6日
○場所:美瑛町役場
○インタビューアー:東京財団政策プロデューサー 井上健二・ 亀井善太郎
大雪山十勝岳連峰の裾野に広がる丘陵地帯で営まれている農業景観と、なだらかな曲線が作り出す耕作地の美しい風景で有名な「丘のまち 美瑛」。
美瑛町 にとどまらず、他の町村と共に 「日本でもっとも美しい村」連合 を立ち上げ、その理念と共に町づくりを進める浜田哲町長にお話を伺いました。
「美しい村」を合言葉にした町づくり
(事務局)
本日はお忙しいところお時間を頂戴し、ありがとうございます。
まず最初に、美瑛町長として、どのような町を目指しているのか。町長が目指しておられる地域ビジョンについてお聞かせください。
(浜田町長)
ちょうど、私が町長に選出される直前、写真家の前田真三先生 * が亡くなられました。
先生が残した文章の中に、この丘の町の景色はもうなくなるだろう、こういうふうな形で残っていかないで、どんどん都市化だとか、それから農業の荒廃だとか、そうした形の中で潰れていくだろうと書いてあるんです。
私もその文章を読んで、何か、何クソっていうことではないんだけども、結局、前田先生が我が町で見ていた価値っていうのは何なんだろう、実は、前田先生ばかりでなくて、我々も共有できる価値なのかも知れない、我々もそういう価値を育てることができるかもしれない、もう一度、自分たちで作り上げてみたい、それが「美しい村」という考えの原点です。
とはいえ、私は思想家でもなんでもありません。現場が一番大事な現場屋です。現場にいる職員や町民がそれぞれに考え、ものを言い、さて実際に何ができるかっていうことを見ながら、町全体を経営していくのが自分の仕事だと考えています。
もっといえば、単に景観が美しいのではなく、生きる姿が美しい町にしたいということではないかと思っているんです。ひとつには、美瑛の景観がツーリズムのためのものではなく、人の生業である農業によって作られているということです。もうひとつには、地域の中に「たくさんの幸せな顔」をつくることが大事です。子供達がどういう顔で我々の町の中で育ってくれるか。それから高齢者の方々が、どうやって人生を全うしたという顔を描いてくれるか、そうしたところに目が届く町にしたい。地域の力が高まれば、地域がある種の共有資産を持つことができるわけで、結局、個人それぞれが買わなきゃならん物って、そんなにたくさんあるわけではないんだと思います。そういう町であれば、そんなに所得が高くなかったとしても、それはそれで、幸せな暮らしができると思うんです。
自分自身として、とくに意識しているのが、子供達の姿です。朝晩歩いて通っているので子供達といっしょになる。そんな時にいつも声をかけています。「おはよう。今日は元気ないなー、どうした、学校行きたくないのか。」などと。子供の答えは素直なもんです。子供達がなにを見て育つかと言えば、我々の世代が何をしているかです。子供を見てればわかります。息の抜けた子供が我々の地域で育っているとしたら、我々のやっていることが、全くできてないんだと思うしかない。子供達は我々の鏡ですからね。
そこにある木一本にもこだわる景観づくり
(事務局)
「美しい村」という町づくりの理想を掲げ、具体的にはどんなことに取り組んでいらっしゃいますか。
(浜田町長)
美しい村といっても、そんな簡単にできるものではありません。それぞれの活動を重ねることによって、質を高め、作り上げるしかありません。細かいことかもしれないが、一つひとつのことに徹底的にこだわらなければ美しい村はできません。
例えば、木一本に手をつけるんでも、ものすごくうるさいですよ。防風林でも、町の中の公園の木でもそう。住民から邪魔だからって言われたので切ってしまって、無断で切るとは何事だと、お前何やっているんだと、木一本一本こそが我々の財産だと町長が叱るんです。職員からすると、町長は細かいことにうるさくて何言っているんだということかもしれないけれど、根本のところをわかってもらわないといけない。
その一本の木が、町づくりの中で、何十年も育てられてきて、それを、そこで切った方いいなんて言われて、ポッと切ってしまうという、その感覚がわからない、それでは美しくないじゃないかと思うんです。他の自治体でだったら切っちゃうような場合でも、美しいかどうかを考えれば、もしかしたら、住民の人達に、「この木は、この町でこうやってずっと生きてきたんだから、少し迷惑かもしれないけど、ちょっと勘弁してくださいよとか、あるいは別の方法を考えましょう」っていう声のかけ方になるかもしれないわけです。
木一本を生かす道を考えることが自然との共生の第一歩です。木を生かすことができれば我々自身も生きるし、それこそが「共生」ということなんだと思うんですね。木一本にこだわるところからやらなければと美しい村なんてできるはずがありません。例えとして一本の木の話をしましたが、すべてそういうことです。
経済の競争原理ばかりでなく、多様な価値観で地域は育つ
もうひとつ大事なのは、我々の文化、我々の地域づくりに誇りを持っていこうよということです。
実は、我が町の民宿やペンションが60ぐらいありますが、その8割以上が東京や大阪などの外から来た人です。そういう人達が美瑛に来て、新しい何かを発見してくれます。彼らの美瑛の良い所を見る眼を活かしながら、地域づくりに誇りを持って進めていきたいと考えています。
地域づくりの具体例の一つとして、他地域との交流があります。農家民宿の方々の協力をいただいて、修学旅行生の農業体験を受け入れています。また、新しい二地域居住というような、若い人達、都市の人達が、我々の町で人間的なリフレッシュをしたり、若い子供達を育てるような、交流の場、都市とは別のもう一つの居住の場を作っていこうとしています。
現在、町内に実験棟を建てて、進めています。単に二地域居住される人を増やすっていうだけじゃなくて、外から来た人を、どう町づくりの中に組み込んでいくか、活用するかっていうのが大切なことだと考えています。
加えて、二地域居住を核にして、様々な産業への展開も進めています。居住用の住宅を作るためのプレカット工場は民間に資金を出してもらって立ち上げました。損益がどうかまでは、町長である私自身が関わるべきではないことだけれども、彼らと一緒に町づくりを進めていきたいと考えています。
これ以外にも、強力粉として使える新しい小麦品種の育成や広々とした丘陵を活かした放牧による酪農経営など、美瑛の価値を認めてくださる企業の方々といろいろな取り組みを進めています。まだまだ、できあがりの姿は見えていませんが、それぞれが成長し、段々とそういうものが見えてくることで、それぞれの関係性ができて、美瑛らしさが出てくればよいと思います。まだまだ、そのできあがりの姿が見えない現状ではありますが、だからこそそれらをどう組み合わせていくかが町長の腕の見せ所でもあります。
地域と企業の関係でいえば、地域においては、都市と同じように企業が利益が出るか出ないかというので、参入されたら、地域は結局ダメになるってことなんです。経済の競争原理で地域は動いちゃダメなんですよ。利益というモノサシばかりでなく、いろんな役割分担があって、それとは違うモノサシがあるはずで、それを作っていかないといけません。利益を出したから、あれは偉い企業だとか、勝ち組だとか、負け組だっていうふうにやったら、地域はきっとダメになっちゃう。だから、企業が地域でやる部分については、利益だとかが出なくても、地域の中で、その代わりによりよい原材料を得たとか、半加工品を得たとか、優れた人材を育てられたとか、そういうレベルで理解してもらえればと思うんです。
いま、都市が人を育てる力を失っていると思うんです。これは国家的な問題です。都市ではできませんが、我が町では人を育てることができます。そういうことを理解してくれている企業が現に美瑛に来てくれているわけです。こうした、地域に根付き、地域と共に長らく歩む企業を探し、どうお付き合いしていくのかが最も大切な課題です。
結局、東京と同じ土俵で戦ったらダメだっていうことだと思います。美瑛には美瑛の土俵があるから、東京は、その土俵に乗っかってきてくださいということですね。
自ら考え、動く人を育てることで地域が育つ
(事務局)
町が人を育てるという話もありましたが、地域のリーダーである町長として、人を育てるという観点で心掛けていらっしゃることは何でしょうか。
(浜田町長)
まず、美瑛町の場合、行革の連続で随分と職員の人数を減らしてきました。そんな前提を考えれば、うちの職員はよくやっていると思います。何がよくやっているかというと、美瑛の役場に入った時に、雰囲気がまず他の役場と違うと言われます。これは職員への信頼感であると同時に、職員間同士の繋がりも何となく見えているからだと思うんです。
やはり、自治体職員として何よりも大切なのは、やっぱり現場の声をできるだけ吸い上げられるような関係性を地域の中で作るっていうのが町の強みであり、職員の使命なんだと思います。
町民との関係が見えること。これは自治体職員としてはまず大事なことです。
その上でのことですが、自治体の職員という仕事には、二つの面があります。
一つには、住民の信頼を得るために、そこにある仕事を地道に愚直にやり遂げること。もう一つには、町の未来を見据え、新しいことを考えて、新しい価値を創る、さらには、いろんな人やいろんなことを組み合わせて、その新しい価値を形にするということです。
自治体の事務というのは、間違いが許されないという意味で前者のバランスが大きいので、全体として自治体職員というのは、どうしても、変な意味での石橋を叩いて渡るっていうようなところがあります。とはいえ、町長から指示したからとか、与えられた仕事だからと、そのままこなしている職員ばかりでは、町はけっしてよくなっていかないと思うんです。組織としての調和ばかり追い求めると、その手の組織のやり方は限界だと……。
だからこそ、自分としては、彼らをできるだけ追い込むようにしました。つまり、「おまえ、このままでよいのか」と私がやるわけ。そうしていると、だんだんとそれぞれの職員が今までに無いものを出し始めてきました。そりゃ大変かもしれないけれども、今まで無いものを創るんだから、そこはあたりまえの話です。
リーダーが率先して動く/リスクを取ることで物事が前に進む
新しいことを始めるというのは既得権を変えるということでもあります。これはものすごく難しいことです。既得権の構造を変えるためには、それによって、こういう良いことがあるんだよということをやっぱり見せなきゃならない。それは言葉じゃなくて、実際に見せることが必要です。
例えば、農業で言えば、自分が町長に就任するまでは、農協は農協、役場は役場でまったく情報交換していませんでした。商品開発のことも、売り先開拓のことも、何の相談もしていません。けれども、役場といっしょにやれば、東京や大阪などの大きな市場を抱えるところと取引ができるようになるし、美瑛の農産物の良さをいっしょに伝えて、説得して、関係を作ることができれば、今までとは全く違う成果をもたらすことができるわけです。まずは、いろいろ言っても仕方がないから、役場といっしょにやるとこういうことができると具体的な成果を見せました。こういう成果を見れば、農家の皆さんも、農協も、町長の言うとおりだと納得します。その結果、農協が一緒になって、企業にモノを納めたり、新しい農産物を作ったり、それから付加価値を付けてというような動きに、農家の人も協力するようになってきました。
もうひとつ大事なのは、リーダーがリスクを取るということです。
若い人達は、自分達が動くことによって世の中が動き、社会が動き、役場が動くとなったら、出てきますよ。それなのに動いていないというのは、つまり、町長がちゃんと動ける場所を作ってない、動ける環境を作れてないということです。彼らが動けば、彼らがリスクを負ってしまう形にしかなっていないということなんです。
だから、私は、一切批判はしない、批評はしないと決めたんです。私には、経過を報告するだけでいい、リスクは全部私がとる、という形にしました。
そうすると、職員達の動きが変わってきました。それじゃあ一歩踏み込みましょうということで、光ファイバーを全町にひくにせよ、美しい村にせよ、農業の話にせよ、いろいろと動き出しています。
リーダーが全体の整合性を取っていくことも大切です。
それぞれの事業の責任者はそれぞれの事業をうまく進めるのが役割である一方、全体を見ながら、それぞれの整合性を取っていくのは経営のレベルの仕事です。皆が皆、全体とか、経営を議論するようになっちゃうとそれじゃあうまくいきません。それこそは、地域の経営者としての町長の仕事です。「美しい村」という全体のビジョンに照らして、それぞれの事業がどこにあるのかをわかっているのは、町長である自分自身でやらなければいけないものだと思っています。
地域の存在感とは「現場」を持っていること
(事務局)
「美しい村」という新しい価値観をもって、地域経営を具体的に進めている中で、国との関係などを含めて、本来の地域のあり方については、いかがお考えでしょうか。
(浜田町長)
現在の地域づくりのあり方についてはものすごい危機感があります。
それは何かというと、社会の構造、つまり、日本という国づくりの中に、地域が絡んでいないんですよね。これこそが最も重大な問題だと思います。
それぞれの地域に歴史や文化があり、それらを生かして町づくりを進めてゆくことが何よりも大切なことですが、そこに国の施策が絡んでくると、いつの間にか地域に主導権が無くなり、強い意欲を持つ町づくりの主役が失われていく状況が続いています。
そういう意味では、分権したら何とかなるんだという漠然たる思いで議論されているようでなんだか恐ろしいですね。地域主権というのもなんだか言葉ばかりが先走りしているような気がしてなりません。権利がないから町づくりできない、権利があるから町づくりできるっていうのはウソです。必要なのは、その地域に町づくりの方向性があったり、エネルギーがあったり、その町そのものへの愛着であったり、プライドだったり、そこがあるかどうかだと…。
北海道では道州制特区で北海道を特区にという話で進んできましたが、そういうのを見ながら思うのは、一体何なんだということです。地域が主権であるとか主権でないかっていうものはね、大したことないと思います。国が中央集権に流れれば、それなりに我々の対応もできますし、逆に、地域にいろんな権利をやるように言われて、言われればそれもやりますし。どんな形でもやれますよ。
結局、大事なのは、それぞれの町や村が、そこの住む人にとって、どういう存在感を持って運用できるのか。つまり、子供達が美瑛の町の中で遊んだり、学校へ通ったりと子供が育っていったり、そういう部分が町の文化になるような町を、我々が歴史を重ねて作れるかどうかという、その一点だけが大事なんだと思うんです。
地域の本来の強みは「現場」があることです。先ほども申し上げた通り、「現場」の声をできるだけ吸い上げられるような関係性を地域の中で作るっていうのが町の強みであり、職員の使命なのですが、国も都道府県も「現場」を持ってはいない。結局バーチャルです。あらゆる「現場」を持っている我々が一番強いんですよ。「じっさいのところはこうです」と北海道にも、国にも自信をもって言い切ることができます。
今までのように国から出てきて事業をやった場合、現場と全く繋がらない、浮き上がったものができてきてしまう。けれども、それが現場を持っている地域から出てくれば、うちはこういう民間の人達といっしょに、こんなことやって、こういう住民にも入ってもらって、こういうことやるんでという具体的な計画になる。そして、最後の責任は町長である自分が取るといえばいいわけです。それが「現場」があるか、ないかの違いです。
本当は政治においては、そういう現場感というのが大事なんだけれども、そういう所以前に、いまは政治的な部分も含めて、歪められてしまっているのが残念です。
とすれば、我々は、その「現場」を持つ美瑛町として、国にどんな貢献ができるかを常に考えるというスタンスで臨まなければならないと思って、いろいろなことに取り組んでいるんです。つまり、私たちは美瑛町民であり、日本人なんです。
日本が見失った価値観を我々が取り戻したい
昨日も、多くの人に「美しい村」のビデオを見てもらう機会があったのですが、その後に、隣町の住民に質問されました。
なんで、日本と同じ財政状態が厳しいと言われているイタリアの地方の小さな村に住んでいる人達でありながら、とても幸せそうに暮らしているように見えるのか。子供と爺ちゃん婆ちゃんが99パーセント同居している、施設に行かないでも同居する町ができていると。幸せに暮らしているように見えると言うのです。我々、日本も財政が苦しい、けれども、GDPは世界で2位だとか3位だとか言っている。その中で、我々はなぜああいうふうな、幸せに暮らそうということが言えないんだろうかと。そこは、町長、なぜなんでしょうかという話なんです。
それは、歴史であり、積み重ねの違いなんだと思うのです。基本的には、我々が何を積み重ねてきたかという、違いだと思います。彼らは長い歴史を経て、ものすごい戦いと苦しさと、その積み重ねとして、あの都市国家みたいなのが、今となってはああいう町になってる。そんな中で、本当の豊かさとは何か、生きることとは何か、幸せとは何かを今も自分たちのものにしているんです。
フランスやイタリアの「美しい村」に招かれたことがあります。その時の彼らのもてなしはすべて彼ら自身の手作りでした。「どっかの工場で作ったようなパンやワインなんて出さない、あなたたちに最高のもてなしをするというのは、我々が作ったものでもてなすということなんです」と言われました。彼らが農業の豊かさを土台に「食」を徹底的に楽しんでいるんです。自分たちの食に誇りを持って、暮らしの時間、一緒にテーブルを囲んでる時間を楽しんでいるんです。これこそ、日本にもあったはずの農村の豊かさなんです。実は、いま実験で進めている二地域居住というのも、そういう考えも入っているんですけどね。
東京で今がんばって作っている新しい東京タワーみたいなものとかあるけど、十勝岳に比べれば何てことはないんですよね。作ってはみたけど、やっぱり富士山の方が綺麗だよとか、やがてはそうなるはずです。東京が今追いかけているものが、じわーとだけど変わってきていると感じるんです。都市だけでは人を育てられないこと、豊かさを作りだせないこと、いろいろな都市が抱える問題を我々が受け止める時が必ずくると思っています。その時のためにも、美瑛らしい町づくり、美瑛らしいライフスタイルを作っていかねばなりません。
地域の実情に合った機能ごとの多様な連携
(事務局)
美瑛町では、機能ごとに周辺の町村と事務組合を立ち上げ、連携を進めていると伺っています。その狙いと現状について、お聞かせください。
(浜田町長)
我が町も、平成の大合併の際には、日本中の市町村と同様、合併の話が出ました。その当時は、どの地域でも、合併が行政の最大の課題であるかのように言われましたが、私はそうは思いませんでした。合併というのは、自治体経営も企業経営と同様で、選択肢の一つです。財務的にやっていけないなら合併すればよい。けれども、美瑛の町長としてはそれでよいのかと考えたのです。すでに申し上げたとおり、我が町を笑顔が溢れる美しい町にするには合併が答えではありませんでした。
けれども、行政として費用がかかることはあります。自分たちだけでやるよりは、周囲の町村といっしょにやった方がよいことがたくさんある。自分たちの独自性を残すべきことと、周辺の自治体でいっしょにやってコスト削減を図るべきことをきちんと分けて考えれば、一部の行政事務については広域連合にしようという答えは明らかでした。
消防、清掃、火葬については一般的ですが、6年前に始めた大雪広域連合では、介護保険、国民健康保険、乳幼児医療給付、母子家庭等医療給付等にも取り組んでいます。今年は周辺の8町村で徴税に関する事務組合の立ち上げも検討しています。
そうしたことを通じて、美瑛ばかりでなく、それぞれに参加する町や村も、あるところでは共存して、あるところでは切磋琢磨する関係ができてくればと考えています。
* 前田真三(1922年生-1998年没)、日本各地の風景を撮影した写真家。
美瑛町の景観を題材に、代表作『麦秋鮮烈』をはじめ、多くの作品を残した。美瑛町内に主要作品を所蔵した「拓真館(たくしんかん)」がある。