大分県竹田市長/首藤勝次氏インタビュー概要
○日時:2010年8月31日
○場所:竹田市役所
○インタビューアー:東京財団政策プロデューサー 井上健二・ 亀井善太郎
大分県の南西部に位置し、くじゅう連山、阿蘇外輪山、祖母山麓に囲まれた地にある 竹田市 は、広大肥沃な大地や豊かな草資源、夏季冷涼な気象条件を活かした農業と、自然だけでなく歴史や文化にも触れ合える観光が盛んです。また、竹田市は、平成17年4月1日、旧竹田市、荻町、久住町、直入町と合併して新しく誕生した市でもあります。
竹田市のリーダーとして、「温泉療養保険制度」をはじめ、全国に先駆けて様々な政策に取り組む首藤勝次市長にお話を伺いました。
地域が持つポテンシャルを徹底的に活かす「行政力」
(事務局)
本日はお忙しいところお時間を頂戴し、ありがとうございます。
まず最初に、竹田市長として、どのような市を目指しているのか。市長が目指している地域ビジョンについてお聞かせください。
(首藤市長)
竹田市は平成17年に合併しました。竹田市と周辺の荻町、久住町、直入町が合併して、28,000人の町として新しくスタートしたのだけれども、それぞれの4つの自治体が、歴史文化、自然環境含めて、個性豊かでね。例えば、温泉があり、湧水があり、高原があり、それから城下町、岡城もありますし・・・。それぞれに魅力にあふれ、ポテンシャルはきわめて高いと考えました。加えて、他地域の合併と違うのは、旧の市町が、すべて中川公が治めた岡藩の領下であったという、だからそういう意味では、また昔の流れに束ねて戻ってきたという、そういう時代背景、強さもあるんです。
しかし、それだけのポテンシャルがあるにもかかわらず、いわゆる政策というか「行政力」がそう高くなかったように思います。地域、行政を含めた意識改革も十分になされていないなあと。
そうしたことから、「行政力」に磨きをかけて、ポテンシャル通りの本来の力を発揮することができれば、必ず全国のトップモデルの地域に成長させることができるなあという、そういう夢を抱きました。
(事務局)
市長がお考えになる「行政力」とはどういうことでしょうか。
(首藤市長)
首長の経営能力はもちろんのことですが、まずは、職員の政策立案能力がどこまで高いかがやっぱりいちばん重要なことでしょう。それから、どこまでも独創的でありたいですね。私はTOP *1 といつも言っていますが、何よりも“竹田らしさ”を大事にしたいのです。竹田でしかできない、竹田らしい政策をもって全国のトップレベルの地域に育っていきたいなというのがあります。けれども、その“らしさ”は存分にあるんだけれども、それに気づいていない人が多い、その気づきの世界を創出してあげさえすれば、火がつけばね、必ず立ち上がってくるなあと感じていました。
首長は当然のこと、市役所の職員が、我が町の“演出家”になってほしい、そして、その面白さを実感してほしい、そうなれば、もっと素晴らしい町を築くことができるはずです。
世界に通用するものを探し、自分たちの町の価値を知るべき
(事務局)
職員が自ら気付くために必要なことは何でしょうか。また、職員が自ら気付くために、リーダーである市長はどんなことを心掛けていらっしゃいますか。
(首藤市長)
情報も足りないし、感性の問題もあるでしょうが、ものの考え方がグローバル化していないのが一番の問題だと思います。地域にいるからグローバルな物事は関係ないというのは大間違いです。
つまり、グローバル化してないから、ローカルの強化ができていないわけです。自分たちの立ち位置がわかっていない。そのためにも大事なことは自分たちが外に出ていく、異文化に触れることなんです。異文化に触れることで、「あ、そうか、自分たちのアイデンティティっていうのはここにあったのか」っていうのがわかれば、そこに自信が生まれるし、誇りが生まれるわけでしょ。
私は、若いころ、平松さん(平松守彦・元大分県知事)にずいぶんと教えられました。「一村一品運動」から教えられたのは、「小さくても世界に通用するものがある」ということです。モノにこだわるばかりではありません。今を生きている自分たちだけじゃなくて、過去、先人たちが歩んできた道の中に、そのヒントがありはしないかと。先人たちが、あの当時、例えば車もなかったかもしれない。情報発信も今のようにはできなかった。やりたかったけれどもできなかった。それで忘れられているものの中に、世界に通用するものがありはしないかっていうことなんです。迷ったら、一回振り返ってみればいい。過去、先人たちがやってきたこと、誇りに思ってきたことに学べば、必ず未来が見えてきます。方向性が見えてくるもんです。
いま、私が盛んに言っているのは「地域学を深めろ」ということです。自分たちが生まれた町がどんな町だったのかということを知らずして、誇れる心なんか絶対生まれてくるはずがありません。
例えば、長湯温泉 *2 です。町の人は生まれたときからその温泉に入っているから、「温泉って、こんなものなんですよ」なんて言っています。炭酸泉で、入ると体に泡のつく温泉って、これ、よそから来てみたら「なんだ、この温泉は!」って思うはずなのに、この温泉がすごいということに気がついていませんでした。ところが、ドイツと交流することでいろいろなことが見えてきました。炭酸泉がヨーロッパのクアハウスの原点でした。ドイツでは、炭酸泉でなければダメだっていうぐらいです。炭酸泉の効能もきちんとわかっていいます。「おいおい、俺らの町が持っているのは世界に通用する素晴らしいものだったじゃねえかえ」っていうことに初めて気づかされたんです。
温泉にしても、高原にしても、城下町にしても、それぞれに世界に通用する価値を持っています。城下町のこの町割が、そのまま400年守られてきた。400年築いてきた、まちに記憶されてきたものの目に見えない力とか姿を見ようとしないから、この町割の素晴らしさっていうのに気付いていない。だからまちの中にドーンと16メーター道路をつくろうか、なんていう発想をする人がいるんです。
なかなか、そういう価値に気付かない人がいるから、例えば、東京大学の景観研究室の中井さんや内藤さんのようなその筋の権威の人にも入ってもらって、「皆さんね、こんなことなんだけど、どう思います?」って言ってもらえると、「いや~、俺ら、間違ってたよな」なんていう話で、自分たちの本当の価値に気付くように仕向けているんです。
この町には、川端康成が訪れ滞在したストーリーがあります。滝廉太郎も、田能村竹田も、たくさんの歴史があります。町にはいたるところに歴史的なストーリーがあります。東工大の桑子先生(桑子敏雄・東工大大学院教授)が「空間の履歴」という、非常に素晴らしい言葉を投げかけてくれました。「目に見えないものの中から伝わってくるものってあるでしょ。その力っていったい何なんでしょうか。それはそこに息づいている――私が「地域遺伝子」って話しているように――、その地域遺伝子が浮遊している、それを感じ取れた人は、すっとね、不思議な力が宿ったり、感じたりするんだよね」っていう話なんです。「そこに気付かせてもらえるまち、それが竹田なんだ」という。わかりにくいのか、わかりやすいのかわからないけれども、「そういう力を宿しているまちなんだよ」ということを、あらゆる場面で語っていくと、今見える力だけでは見えないものに思いを及ぼそうとする感性が生まれ育つと思います。こういうお金で買えないもの、けれども、きっちり持っているものが、ものすごく大事だと思います。
そういう“気付き”というのは、全体でやっていくっていうのではなくて、やっぱり1人2人から遺伝子が目覚めていくっていう、火がついていくっていう、そういう作業の繰り返しなんでしょうね。
“市民が言ったことが現実になる”身近な行政
(事務局)
首藤市長は就任されてから、まだ、2年も経っていらっしゃらないのに、多くの政策が立ち上がってきています。他の自治体を見るとなかなか1期目のそれも前半でこれほどの多くの政策が立ち上がることはありません。そうした点についての秘訣というか、実際の進め方について、お聞かせください。
(首藤市長)
私は、とにかく政策は市井にあるというか、住民の声の思いの中にあるから、みんなと対話して、対話行政の中からその政策を生み出していくっていうのが基本だぞと考えました。なので、就任してすぐ、市内の各地域、全部で15カ所ありますが、各地で懇談会をしました。そして、「住民から出てきた全ての声を絶対消すな」と言って、こんな厚いものに集積をさせました。もちろん、小さいことも大きいこともあります。
それを持って帰って、こういう声にどう対応するかということで生み出したプロジェクトが67あります。67プロジェクトには、1つの課単独でできることもあるし、横断的に対応しないとできないこともあり、その場合には、市役所の課を超えて横断したプロジェクトを作るんです。だれがやるのか、押し付け合いになりそうな時には課長以上を集めて、自分も入って、そこで仕切ります。「これは建設課、お前たちの問題だぞ」、「これは全体で考えるものだぞ」という感じですね。そうした方向性を出したあとは、責任者を決めて、例えば、大きいテーマなら副市長をトップにして、課を超えて横断的に皆が絡んで進めていくわけです。
それと、私も相当壁に何回かぶち当たって、なんで職員に浸透していかないんだろうかっていうものがあったんですが、重要なことに関しては、私自身が、全職員を集めて、全部レクチャーをやるんですよ。だいたい一つのプロジェクトについて40分くらいでしょうか。そういう時には、消防職も含め、400人くらい集まるんです。そういうプロセスを経て、何が大事なのか、なぜやるのか、市民の期待はどんなところにあるのか、目指すべき姿はどういうものなのか、本当に大事なところをみんなに共有してもらうんです。
例えば、先日、「空飛ぶ100人委員会」というのをやりました。地域で話している時に聞いたことがきっかけなんです。おばあさんが「もう先は長うねえけんど、生活している所を空の上から見てみてえ。飛行機に乗ったことはねえ」と言うんです。一方で高校生からも声がありました。「来年は市長、私はもう東京に出るんやけど、岡城がどれぐらい大きいか空の上から見てみてえ」と。これは同じようなことを言っているんじゃないか、それならやってみたらいいんじゃないかと考えて、庁内で話してみました。そうすると、ヘリコプターを飛ばすのに60万円、100人で割れば1人6,000円ですが、市から補助を出して、1人3,000円にしました。実際、飛んでみたら、みんな喜びましたよ。「おばあさんが言ったことを市が取り上げた」、「私たちが言ったことが現実になった」って、行政が近くなっていくんです。そうなると住民にとってもよいことだし、職員にとってもやりがいが出てきます。地域の人達といっしょに動いていく、地域の人達といっしょにストーリーを作っていく、その面白さがわかってくれば、どんどん進んでいくものです。
先般の口蹄疫の問題でも、国と県よりも先に防疫対策について一番早く対応できたのが竹田市でした。竹田市でやったことが、テレビ、新聞でバンと出たら、県がたまげて、「何やってんだ。竹田市、もう全部無料で配ってやってんじゃねえか」って。
元々は畜産振興プロジェクトというのを立ち上げていて、畜産では飼料価格の高騰など色々な問題があったので、立ち上げる時に、とにかく柔軟に使える、いちばん政策的にお金がいることに使えるように、500万円を用意して、それ用のプロジェクトの基金を作っていました。この基金を使って、一頭あたり2袋ずつの飼料を配りました。口蹄疫でなかなか出荷出来ない中、「私たちをいつも見てくれているっていうことは、これだけでもありがたい。嬉しいんですよ」と農家の方々からは大変喜ばれたんです。補助金をやるとか、やらないという話じゃないんですね。
東京などの他地域にいる人でも故郷に思いがあればどんどん活かしていく
(事務局)
竹田市では、先ほどもお話がありましたが大学の専門家など外部の人材をうまく活用されて政策を進めていらっしゃいます。加えて、東京事務所長や政策審議官のような外部人材も積極的に活用されています。こうした経緯と狙いについてお聞かせください。
(首藤市長)
元々は私が県会議員だった時からのことなんです。私は東京にかなり人脈があったりしたんだけど、私の先輩で東京のコンピュータ会社の部長をやっている竹田市の出身者が「故郷のお手伝いをしたいと思うんだけど、家族も東京におるから、残念ながら故郷にはもう帰って住むということはできないけれども、東京にいてふるさとに貢献、あなたに貢献できる、力になれるっていうような、そういう場面はないでしょうかね」って、こういう話になりました。それで、「じゃあ、私は東京に行かなきゃ会えない、話もできない。私がこういう話をしたいとか、こういうことについて意見を求めたいというときに、あなた、じゃあ、行って、そういう人たちに会ってもらって、それでいろんな情報を得て、私に教えてくれる? 僕の東京事務所長になってくれる? もちろん、今の仕事を続けながらでよいから」って言ったんです。そうしたら、よろこんでなってくれまして・・・。事務所長の名刺を持って、竹田市のために大活躍してくれています。政策審議官もそうですね。
いまどき、お金かけて、芸能人を観光大使にしたり、東京事務所や大阪事務所を作っている市町村があるけれども、私がお願いしている方々はそういう人ではありません。心から竹田のことを思い、竹田の役に立ちたい人が活躍する”場”を作ることができれば、思いもよらない力を発揮してくれます。そういう場を作るのが市長としての自分の仕事だと考えています。
農業の本当の面白さに気付かせるための“流通改革”
(事務局)
竹田市では農業が盛んです。竹田市では「地産地消」のみならず「知産知消」を掲げています。また、農村商社を立ち上げて、農業の流通改革を図りながら、農業の活性化に取り組んでいらっしゃいます。こうした竹田市で進める農業に関する取り組みについてお聞かせください。
(首藤市長)
まず、農業問題というのは国策だと私は思っています。国が農業に対してどういうふうなスタンスで臨むかがやっぱり明確に示されていかないといけない問題だと思っていますね。まさに国の根幹をなす問題だと。
一方、今、農業者や後継者と接していて、今まで気づかなかった農業の楽しみ方とか、農業の可能性に関するヒントを彼らに授けていけるような政策をしていきたいと考えています。竹田市では農村商社の「わかば」 *3 というのをつくりました。農業における流通の大切さということをみんなにやっぱり共有してもらいたいんです。今までは、農業というとすべて生産現場のことばかりなんですよね。どうしたら虫がつかんかとかいう生産技術、どうしたら基盤がしっかりするかとかいうようなことばっかり。出来上がったものはだれかが売ってくれるっていう視点しかなかったわけです。自分たちの作ったものがどう売れていくのか、売っていくのかっていうところの面白さを知ってもらうとか、気づいてもらうとかって、これがまず私、再生の道だろうなと考えています。
いちばんわかりやすいのは、直販店の「道の駅」です。売場を拡張したら1.5倍の売上になりました。消費者の顔が見える中、自分たちの出したものが自分たちで値段がつけられて、そして売れていく楽しみという、そこで流通の本当の面白さがわかってくるはずです。
例えば、畜産でいえば、子牛をつくって売りゃそれでいいということではなくなるはずです。佐賀や宮崎の動きを見れば明らかなんです。彼らは自分で店を持っています。自分たちの牛をどこに売って、どう店で売りさばくか。そういうことを考えるようにならなきゃいけません。
「地産地消」ばかりではなく「知産知消」
最近はやりの「地産地消」は、その土地の地で産して、その地で消費するということですが、それでは、その地域でしか経済が成り立たないから、外貨獲得につながってきません。
私が提唱しているのは「知産知消」です。「知っている」の「知」。知っている人が作った、それを遠くの知ってる知人が消費をする。遠いかもしれないけれども信頼している人が作っているもの。本当に顔が見えているということですね。「あの人が作った、これは俺の友だちが作ってるのを、俺はここで売ってるんですよ」と。これが進めば、これも一つの流通革命になるだろうと考えています。
大事なのは「なぜそこにあるのか」っていうストーリーです。ここをしっかりと見ておかなきゃいけない。取ってつけたようなのはダメ。「俺が好きでおいしかったけん、そこで売っちょう」じゃなくて、「実は、これはね、九州のこういう人がこういうものを作って、こいつはいいやつでねぇ」って。「こいつが作ってる。食べてごらん」って。「この人は何だ」って、「いやあ、俺のもう無二の親友でね」なんていうような、そういうストーリーがあるっていうことが、この物語性が魅力的にしているわけです。
全国で初めての「温泉療養保険制度」を導入
(事務局)
竹田市では、全国で初めて「温泉療養保険制度」を2011年4月から創設されると伺っています。この制度の狙いとこれまでの検討されてきた経緯について、お聞かせください。
(首藤市長)
それはもう長い話で、昔から炭酸泉が体に良いなんていう話があって、九大の温泉治療研究所もありました。また、ドイツとの交流を重ねていく中で、彼らは炭酸泉の医療効果の高さについてエビデンスを相当に多く持っていました。そんな中で、温泉を飲むという飲泉文化の構築や温泉で体を癒し治す温泉療養を市民が学びながら進めていくという方向性はできてきました。
しかし、その一方で国の壁というか、いわゆる温泉療養に保険が適用できるか、できないかということに関しては、だいたい結論が見えていました。これだけの専門家、先生方が環境省や厚労省を巻き込んでいろんな研究をやってきたにもかかわらず、その壁は突破できません。特区をつくっても、そんな取ってつけたようなものでは、まったく根本解決にはならないのです。
そんな中、2月だったかな、TVで『ビートたけしの家庭の医学』で竹田の温泉での湯治が取り上げられました。そうしたら、ドッと全国から人が押し寄せた。いかに国民が今、健康に関心が高いか、それも、いわゆる日本に数々ある自然資源の”温泉”を活かして、温泉で体を治す、精神を癒したいということの憧れがいかに強いかっていうことが、強烈に呼び起こされました。
それに加えて、昨今の「地域主権」です。「地域でできることは地域が決定してやったらいい」という流れがあります。
「あ、そうだ。これ、自分ところでその制度をつくったら、いとも簡単にできるじゃねえか」と、こう思ったわけです。それで、声をかけたら、すぐに組み立てがバーッとできました。どういうことが必要かとか、どういうことができるかとか、そういう組み立てができたんで、それで副市長をトップにして庁内プロジェクトを立ち上げて、5つか6つかの課がリンクして。で、もう十何回議論を重ねて、具体的に進めるための方策が見えてきたところです。
日本中の病気に悩む人々に竹田に来てもらう。温泉療養保険制度があれば、日本中から来やすくなります。いらっしゃった方は体がよくなる。竹田にはたくさんの人が来て、町が元気になる。市民が潤う。
温泉療養保険制度は、全国に260人ぐらいいる温泉療法医にも興味を持っていただいています。彼らがそれぞれに持っている専門分野、例えば糖尿病、リュウマチ、痛風、こういうのに、炭酸泉を飲んだり入ったりするのが効くという話があります。例えば、温泉ドクターが「いろいろ治してきたけど、今後は薬もいいけれども、あそこに行って、自然治癒能力を高めるという意味で、温泉療養をやってみますか。ヨーロッパみたいに」と患者さんに声をかけて、患者さんが行きたいということになれば、竹田にやって来ることになります。竹田市が国の資格である温泉療法医を温泉療養保険制度の認定医とし、そのドクターが書いた処方箋をもって、入浴料も、宿泊料も保険適用できるようにするわけです。もちろん、竹田市としての負担はありますが、竹田市全体の経済効果を考えれば、経済効果の方が断然大きいんです。
一番の課題は制度の原資をどうするかでした。いろいろ考えたところ、入湯税の活用というのが出てきました。他の市町村で入湯税をどう活用しているかも調べたのですが、いろいろなやり方があります。では、竹田市だったら、どうするべきだろうか、そう考えたのです。技術的には入湯税をそのまま目的税化することはできないので、相当額を充てるというような工夫もあるのですが・・・。
いずれにせよ、庁内プロジェクトを通じて、次から次に新しいアイデアが出てきて、そうしたアイデアを埋め込んで出来上がったのが現時点の姿です。
そうはいっても、初めてのことなので、議会をはじめいろいろな議論があるのも事実で、制度の中身もそうですが、この制度創設が目指す大きなビジョンについても理解していただけるよう、しっかりと説明していきたいと思います。
地域発の政策が国の政策を変えていく
(事務局)
他の市町村の反響はいかがですか。日本にはたくさんの温泉があって、この制度がうまくいけば、各地への影響は大きなものがありますよね。
(首藤市長)
まったくそのとおりです。これは、小さな自治体の挑戦ですが、日本全国に波及することなんです。日本には多くの温泉地があります。温泉療養による長期滞在の、ほんとの意味での温泉療養地が育ち上がることにもつながります。また、竹田市であれば、農家民泊のグループがいますが、農村の人たちがそういう人たちを受け入れていくということで、やっぱり経済的な波及効果も高まっていくとかいう、ありとあらゆる効果がバーッと出てくるわけですよ。
何より、“湯治”という予防医学の拡充によって日本全国の医療費の膨張を防ぐこともできるはずです。
こうした話を日本各地でさせていただくと、皆さんから「これができれば、日本の温泉地は蘇るかもしれない」と言われています。皆さんの期待も大きいんです。実際、各地からお問い合わせもいただいています。反響は大きいものがあります。全国各地で連携してできれば、日本全体に広がっていきますよね。
何よりも「できるじゃねえか」っていう話になることが大事なんです。
役所に入って何年かした頃、私の恩師の先生が「あなた、これ読んどきなさい」って言って、『村長ありき』という岩手県沢内村の深沢晟雄氏の生涯に関する本を渡してくれました。乳幼児が死んでいくという悲しい村をなんとか救いたいっていうので、全国自治体で初の乳児死亡率ゼロを達成しました。そのときの仕組みっていうのは、貧しい人にも病院にかかれるような村をつくろうじゃないかっていって、みんなでその原資を出し合って、で、今の国民健康保険の基礎をつくったわけです。それは国とかいろんなところの相当な抵抗に遭っているわけです。けれども、じゃあ、お前たちが来て、うちの赤子を救えるかっていって、彼は戦ったわけです。まさにその精神ですよね。
いろんな邪魔も、壁もあるでしょう。それでやめるのではなく、「それが日本に広がっていったら、予防医学の普及にもなるし、医療費も抑えられるし。それで、みんながほんとに長期滞在の療養型を目指していくという新しい挑戦が、ここで幕を開けるんです。あなたたち、その可能性を潰すか」っていって戦えばいい。何か目に見えないものが「お前がやらんとだれがやるか」と言ってくれていると思っています。
大切なのは、現場からきちんとものを作りあげていくこと、そして、国の制度が現場から見て足りないとかおかしなところがあれば、現場をベースにして戦っていくことだと思います。
*1 :首藤市長が抱える市政の基本に掲げるのがTOP運動。
Tは竹田市の、そして挑戦(トライ)の頭文字、
Оはオリジナル、またオンリーワンの頭文字、
Pはプロジェクト。
*2 :長湯温泉のこと。日本でも珍しい高温の炭酸ガス含有温泉。
詳しくは http://www.city.taketa.oita.jp/sightseeing/hot_spring/
*3 :農村商社 わかば
詳しくは http://www.taketa-wakaba.jp/page_01/main.php