創立10周年記念シンポジウム「グローバル化時代の価値再構築」
<テーマ> | 第1回「グローバル化時代の食文化?スローフードという新たな潮流」 |
<開催日時> | 2008年1月24日 |
<パネリスト> | ジャコモ・モヨーリ(スローフード・イタリア・スポークスマン) |
島村菜津(東京財団「食のたからもの再発見」プロジェクト・リーダー、作家) | |
<モデレーター> | 加藤秀樹(東京財団会長) |
モヨーリ:地域の食材や食文化を見直す「スローフード」はイタリアの小さな町から始まった運動ですが、今や世界的な広がりをみせています。もちろん日本でも盛んで、学校給食に地域の食材を使ったり、地域の食材を地域で流通させる取り組みが各地で行われています。
スローフードはまた、おいしい食品を食べることにとどまらず、自然環境に配慮した食料生産システムの確立や、歴史を語ることのできる食品の供給をめざしています。先進国はこれまで食料の大量生産と大量消費を推進してきました。しかし、その結果、安全性に問題のある食品が流通し、ファストフードに代表される画一的な食文化が広がるなど、さまざまな問題が発生しています。これらの問題に対応して、世界中でさまざまな試みが行われていますが、日本の産直運動もその一つです。産直運動は1970年代に始まった歴史のある取り組みで、生産者が消費者に食材を直接届けます。これを繰り返す中で消費者は食料生産の背景を理解し、その結果、消費者は「食べるだけの人」から生産の一部を担う「共生産者」になったのではないかと思います。そして、この連携はさらに都市と農村の関係にも及ぶのではないでしょうか。私は近い将来、農村のライフスタイルで「都市を耕す」時代が来ると考えています。
島村:日本の食文化は戦後、大きく変わりました。安い海外の食材を輸入して、それを調理するようになりました。また、米国の影響を受けて、食のアメリカ化も進みました。その一方で、自給自足や半農半漁の生活は時代遅れのものと見られるようになりました。しかし、この流れに最近、変化が生じていると思います。食のアメリカ化が進んだ結果、肥満や成人病の問題が深刻化し、そのため最近は健康的な日本食やイタリア料理が見直されています。また、若い世代を中心にスローな生活や自然に寄り添う生活を求める人々が増えています。
これは私自身の話ですが、九州から東京に出てきて、さらにルネッサンス発祥の地、イタリアに移り住みました。私は文化を求めてイタリアに渡ったのですが、そこでイタリア人に「田舎はいいぞ」と言われて、はっと我が身を振り返りました。また、モヨーリさんに「日本をあちこち旅行したが、こんなに山の残っている国はないぞ」と言われて、なるほどと思いました。モヨーリさんは先ほど「都市を耕す」とおっしゃいましたが、そのとおりで、大量生産に支えられた生活を見直す時期に差しかかっていると思います。
適切な食育が賞味期限を不要にする
加藤:私はスローフードの考え方に共感しますが、その一方で、政策シンクタンクの一員として、スローフードをどのように国の仕組みに取り入れていくか考えています。その手がかりとして、「賞味期限」についてご意見をいただけないでしょうか。賞味期限に関連して企業の責任が問われる事例が増えていますが、私は本質は他のところにあるように思います。
モヨーリ:私は食べ方や味覚の教育が大切だと思います。子供の時から適切な教育を受けると、消費者は感性で食品を選べるようになるのではないでしょうか。たとえば、食品に対する文化的嗅覚が養われると、賞味期限が表示されていなくても、その食品が食べられるかどうか分かるようになると思います。また、食品を見たり触ったりするだけで、その食品の価値を評価できるようになるでしょう。ただ、有害物質が含まれているかどうかは、見るだけでは分かりません。ですから、食品についての教育と科学的分析の双方が必要だと思います。
島村:イタリア人はあまり缶コーヒーを飲みませんが、これは缶の臭いが嫌われているからのようです。また、あるお坊さんにチューブ入りのわさびを差し上げたとき、「プラスチックの臭いがする」と言われたのを思い出しました。賞味期限の表示は必要だと思いますが、このような鋭い感覚を養うことも大切ですね。
世界的に進む若者の農村回帰
加藤:賞味期限の根底には大量生産、大量流通、大量消費の食文化があると思います。このあたりから見直す必要がありそうですね。もう一つ、「格差」についてはどうでしょうか。モヨーリさんのお話をうかがっていると、「貧乏の勧め」のようにも聞こえますが。
モヨーリ:貧乏と言うより、控えめに暮らす新しいライフスタイルと言った方がいいと思います。先進国では経済的豊かさに大きな価値が置かれてきました。しかし、最近になって、これとは異なる価値を求める人々が増えています。たとえば、北イタリアにバローロというワイン産地がありますが、以前ここにフィアットの工場がオープンしました。すると、農民がブドウ作りをやめて、この工場で働くようになり、農地は荒廃してしまいました。ところが、最近になってバローロの農地の価格が上昇しています。なぜかというと、若者がこの地域に移り住んできて、ブドウ作りを再開しているのです。そして、新しいコミュニティーや文化が作られています。このような現象はバローロだけではありません。フランスでも、米国でも、世界の至る所で若者の農村回帰が進んでいます。
島村:イタリアに「美しい村連合」という組織がありますが、この代表が日本に招かれたことがあります。日本側は美しい村々を新たな観光スポットにしようと意気込んでいたのですが、連合の代表者は「私たちは観光のプロモーションに来たのじゃない。私たちの生活水準が高いことをアピールしにきた」と話していました。これも価値観の違いの例だと思います。
モヨーリ:食べ物についても同じことが言えます。イタリアでもスーパーやショッピングセンターが増えて、食べ物の画一化が進んできました。しかし、こういった食べ物よりも昔ながらの食べ物を大切にするイタリア人が増えています。
加藤:日本でも昔は八百屋や魚屋で新鮮な食材を買ってきて、それを家庭で調理していました。しかし最近は、この手間ひまを省いて、調理済みの食品を買う家庭が増えているようです。調理済みの食品は新鮮な食材より割高ですから、一食あたりの食費は高くなります。そして、この差額を稼ぐために仕事を増やし、その結果さらに調理済み食品の利用が増えるという循環ができていると思います。これこそが大量生産・大量消費を支えている価値観であり、スローフードの運動はこの価値観に疑問を投げかけているのではないでしょうか。そして、この問いかけは「格差」の問題を考える際の一つの手がかりになるように思います。