創立10周年記念シンポジウム「グローバル化時代の価値再構築」
<テーマ> | 第3回「現代社会の“病理”と本質〜地球と生命の未来を考える」 |
<開催日時> | 2008年2月12日 |
<パネリスト> | 松井孝典(東京大学大学院新領域創成科学研究科教授) |
米本昌平(東京大学先端科学技術研究センター特任教授) | |
安田喜憲(東京財団主任研究員/国際日本文化研究センター教授) | |
<モデレーター> | 加藤秀樹(東京財団会長) |
文明という「駆動力」による地球環境破壊
松井:私は太陽系の惑星を研究してきましたが、地球という惑星は約46億年の歴史をもっています。また、私たち人間はこの地球の上に「人間圏」という圏域をつくって生活していますが、この人間圏の形成が始まったのはたかだか数万年前です。そして、人類の経済活動が地球の物質やエネルギーの循環に影響を及ぼすようになったのはここ数百年のことであり、さらに、この影響が目に見えて大きくなったのは最近百年のことです。産業革命の時代から工業化が進み、私たちは今、大量の化石燃料を消費し、大量の鉱物資源を地球から掘り出しています。言い換えますと、人類は化石燃料や原子力を「駆動力」とし、これにより地球圏の物質やエネルギーの流れを一気に加速しました。この流れの速さは現在、人間圏がなかった時代に比べ10万倍になったと思います。
「駆動力」の使用は欲望の充足を目的としています。私たち人間は、駆動力で自然を造り変えることにより、さまざまな製品を作り、物質的欲望を満たしてきました。そして、この人間の営みが地球規模の環境問題を引き起こしました。したがって、地球環境を守るには人間の欲望を抑制する必要があります。ただ、ここで注意したいのは、環境問題が話し合われるとき、議論がとかく人間の営みの善悪に流れてしまうことです。この点について、私は善悪の議論はそれほど意味のあることではなく、私たちはむしろ人間圏の形成により地球が違うシステムになったことを認識するべきだと思います。地球の歴史を振り返りますと、大陸や海が生まれ、生物圏が形成されました。このそれぞれの段階で地球の構成要素が変化し、それに伴って物質やエネルギーの流れも変わりました。したがって、人間圏の形成による自然環境の変化は、起こるべくして起きた変化であると考えるべきです。ただ、問題はそのスピードです。先ほど話しましたように私たちは10万倍ものスピードで物質やエネルギーを利用し、経済的欲望を満たしています。今後もこのスピードで開発を進めると、地球というシステムそのものが危機を迎えてしまいます。このため、私たち人類は物質やエネルギーを利用するスピードを落とすべきであり、それを支える新たな価値観を構築するべきだと思います。
日米欧それぞれに異なる生命倫理への対応
米本:私は近年、科学技術政策の比較を主な研究テーマとしていますが、今日はその中から生命倫理への主要国の対応についてお話しします。「21世紀は生命科学の時代」と言われますが、これは日米欧いずれでも見られる現象です。たとえば、米国の科学技術政策は1991年にソ連が崩壊するまで、軍事技術の民生転用を中心としてきました。しかし、冷戦構造の終結に伴ってこの政策が変更され、生命科学が重視されるようになりました。また、日本ではかつて物理学に優れた研究者が集まっていましたが、最近は生命科学の人気が高まっています。
このような流れの中で1999年に英国で「GM大論争」が発生しました。これは英国のニュースメディアが遺伝子組み換え食品に批判的な報道や論評を一週間ほどの間、集中的に行ったものです。遺伝子組み換え食品の多くは米国で生産されていました。これに英国のメディアが拒否反応を示し、遺伝子組み換え食品の危険性を声高に叫びました。そして、欧州諸国と日本の政策当局がこの影響を受け、遺伝子組み換え食品に対する規制を強化しました。このように国によって生命関連の科学技術への対応は異なります。このため、生命科学に関する国際的な共通価値の構築が求められています。
この観点から生命倫理への対応について国際比較を行いますと、日米欧それぞれに異なります。まず、米国は自己決定と自己責任を原則とし、骨や臓器などのヒト組織の商品化も広く行われています。また、レオン・カスという哲学者がブッシュ大統領の生命倫理評議会の報告書を取りまとめ、「より良い子供を得る」「優れた技能を達成する」など、自然な人間形成に修正を施す行為を今後の論点としてあげています。これに対し西欧諸国は、人体の尊厳を法律に規定し、ヒト組織の商品化を抑制するなど、人体に関する社会的規制を強めています。たとえば、フランスは1994年に生命倫理法を制定し、スイスは1999年に憲法を改正して人間に対する生殖医学や遺伝子技術の適用に厳しい枠をはめました。そして、日本は米国と西欧の中間に位置し、自己決定と社会的規制の間で揺れています。
「地球の意思」が人類を滅亡に導く
安田:私は地球科学を専門としてきましたが、秋田県の男鹿半島で目潟(めがた)という火口湖の調査をしたとき、「地球には意思がある」と感じました。これはこういう経緯です。私たちは2006年に目潟の下にある地層のボーリング調査を行いました。その結果、この地層は白と黒の層が交代に堆積して形成されていることが分かりました。白い層は春から夏にかけて繁茂する珪藻(けいそう)という藻(も)によるもので、黒い層は秋から冬にかけて粘土性の鉱物が堆積したものです。したがって、白と黒の層それぞれ一つずつを合わせると一年分の堆積になり、この縞模様をたどることにより私たちは過去の気候変動や森林の変遷を解明することができます。この縞模様を私は「年縞(ねんこう)」と名付けましたが、これはいわば「地球のDNA」です。この「DNA」に私は「地球の意思」を感じました。
さて、この年縞が何百年、何千年も途切れることなく続いてきたのはどうしてでしょうか。私は男鹿半島の風習「なまはげ」にその秘密があると思います。このシンポジウムの後に実演が行われますが、「なまはげ」たちはそれはもう恐ろしい鬼面で現れます。子供たちはその形相に震え上がり、両親は震える子供をしっかり抱きしめて「なまはげ」から守ります。この子供を守る心が美しい自然を守る心につながり、その結果、年縞が途切れることなく続いてきたのだと思います。
伝統文化の合理性が人間の欲望を抑える
加藤:皆さんのお話をうかがっていますと、人間の欲望の抑制がカギになると思います。しかし、国際社会は今、モノやカネの自由な移動を促進しようとしています。これはむしろ欲望を刺激することになりますが、皆さんはどのように思われますか。
松井:私は今、日中両国が共同で両国共通の環境教育の教材を作るプロジェクトに携わっています。この共同作業では、人類とは何か、文明とは何かといった根本的な問題にまで踏み込む予定です。
米本:先進国の環境に関する価値観を途上国に押し付けると、これは内政干渉になりかねません。そのため、環境に関する国際的な価値観の相違を調整するスキームが必要になると思います。その意味で、松井さんのプロジェクトは興味深いですね。
松井:私は「地球倫理」のような価値基準がこれから必要になると思います。たとえば、大気中の雲の量が増えると寒冷化が進み、減ると温暖化が進みます。そして、雲の量を人為的にコントロールしようと思えば、将来的には不可能ではなく、この手法で地球温暖化を緩和することも可能です。しかし、そうなると、雲の量をコントロールしていいのか、あるいはどこまでコントロールするのかという問題が生じます。このような問題を考えるには「地球倫理」の視点が不可欠です。
安田:私は21世紀が「生命文明の時代」になればいいと思います。人類はさまざまなモノを作ることによって繁栄してきました。しかし、モノを作るとき、私たちは人間以外の生命にどれだけ配慮してきたでしょうか。これからは、人間だけでなく、他の生命もまばゆいほどに輝く「生命文明の時代」を実現しなくてはなりません。
加藤:冒頭の松井さんのお話にありましたように、人類は物質やエネルギーの動きを一気に加速し、その結果、地球温暖化などの環境問題を引き起こしました。この背景には人間の欲望や好奇心があり、この強い欲望を抑える仕組みや制度が今、求められています。この仕組みを構築するにあたり、私は文化が重要な役割を果たすように思います。安田さんの指摘された「なまはげ」もその一つですが、この他にも多くの風習や伝統が欲望の抑制に役立つのではないかと思います。何百年あるいは千年、二千年の時を超えて伝えられてきた伝統文化には、それだけの合理性があるはずです。欲望を抑えるルールの構築も大切ですが、その前に私は伝統文化の合理性に着目したいと思います。