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【書評】『欧州統合は行き過ぎたのか』G・マヨーネ著、庄司克宏 監訳(上下、岩波書店、2017年)

October 24, 2018

  黒田 友哉(帝京大学法学部政治学科講師)

1.著者紹介

 本書の著者のジャンドメニコ・マヨーネは、1932年生まれのイタリアの研究者であり、ヨーロッパ研究のメッカであるフィレンツェの欧州大学院(European University Institute; EUI)の名誉教授である。マヨーネは、EU研究、特に理論研究の大家として知られており、その「規制国家」論は広く学界に影響を与えている。実際、「規制帝国論」を代表として、日本でもその影響を受けた研究がEU研究に見られる。また、『ヨーロッパ統合のジレンマ』(原題 Dilemmas of European Integration、邦訳未刊行)という2005年の単著では、クラブ財や「隠密統合(integration by stealth)」等の概念を用いて、欧州統合の在り方に対する批判、改革案をすでに提示している。新たな諸概念を提示して、その思考をより発展させたのが本書であろう。

2 本書の紹介

 本書は全部で11章からなりたっている。以下、章毎に概要を説明する。

序章「さまざまな地域統合」

 EUを俯瞰するという目的を持つ本書は、この章において、欧州統合を他の地域主義と比較している。特に重要なのは、プロセス重視の統合か結果重視の統合か、という視点である。著者は、EUはその政策や制度のもたらす帰結を重視せず、あまりにプロセス重視でありすぎたと問題提起をしている。その結果が端的に表れているのが(ギリシャ債務危機が波及した)ユーロ危機であると主張されている。

第一章「メタファーとしての通貨同盟」

 EUの危機に際して、著者は通貨同盟(通貨政策を各国から欧州中央銀行に移行するもの)を最も典型的であるとして、それを詳細に分析している。ユーロ危機の起源は1993年のマーストリヒト条約であるとマヨーネは位置づける。そこでは、合意に至ったことが評価されたが、緊急時の対策が設けられない、楽観的過ぎる目標、危機管理の失敗などに問題が見られたのである。

また政策調和の観点からも、通貨同盟は問題である。70年代末に認められた相互承認(一加盟国で適法な活動を連合全域で自由に行うことを可能にするもの)も、中央集権的なトップダウンアプローチを崩すことはなかったのである。また、エリート主導で民衆の支持を得ないで統合を進める「モネ方式」のデメリットも、通貨同盟にみられる。ユーロ圏は高度に経済的に異質性が高いし、欧州中央銀行はアメリカと比べても、カウンターパートが多すぎるのである。

第二章「まったくの楽観主義の政治文化」

 ここでは、政治文化という用語で、EUの政策は批判されている。ユーロの問題点は、そもそも全加盟国がユーロを導入すると考えたことであり、当時のECB総裁も、ギリシャが参加した時、手放しで喜んだことに象徴的である。しかしこの楽観主義はユーロ危機をもたらした。この過程ですでに世論は変化していた。というのも、通貨危機とともに、一般市民が生活に直結するのが通貨問題であったことから、通貨同盟に関する報道は多くなり、世論がEUの政策の結果を評価できるようになったからである。その流れで、欧州全体でポピュリスト(大衆迎合主義)や反EUの動きが生まれていると論じられる。

第三章「統合とそのモード」

 統合をその深さによって、浅い統合と深い統合に分類することをマヨーネは主張している。浅い統合が、国境における貿易障壁を撤廃することを意味する一方、深い統合は、国内の規制体制および政策の波及効果をめぐる対立も視野に入れるものである。しかし、ヨーロッパ統合は、外見上、深い統合の形をとりながら、事実上、ローマ条約は、浅い統合を想定していた。その為、実際に起ったことは、深化のプロセスであった。ローマ条約のような正式なコミットメントよりも、このプロセスを見る必要がある。ヨーロッパ統合は、深化(制度の構築、また、超国家的な政策と規制が国内にますます浸透していくこと)、拡張、拡大(加盟国の増加)にみられてきたと主張される。

 EUの裁判所たる欧州司法裁判所の存在を考慮して、マヨーネは、法中心主義とヨーロッパ統合を位置づけられると主張する。それに比べて、NAFTAは透明性が高く、費用対効果が高く、NAFTAの制度としてのメリットが主張される。EUが理想的な政体ではないと主張したうえで、提示されるのが「クラブ財」である。それは、その便益から個人を排除できるものであり、排除可能な公共財を提供するために設立される団体がクラブである。その一つの例が、共通通貨である。トップダウンによる調和ではなく、クラブが多様に存在することが、今日の問題を解決する適切な対応例として、マヨーネが指摘するものである。

第四章「統合の深化」

 取引費用の政治学の応用が著者により提起される。情報コスト、交渉コスト、影響コストと様々なコストを挙げたのち、マヨーネは、逆選択とギリシャ債務危機の例を中心に論じる。逆選択とは、保険業界で作られた言葉で、契約前の機会主義である。つまり、一方が情報面で有利な状況にある状況を意味するための言葉である。ギリシャは粉飾を知っていたが、それをユーロ参加国側に知らせなかったのであり、それがギリシャ債務危機につながったと一般に解釈されている。しかし、マヨーネは、広範囲にわたる共同責任が背景にあるにもかかわらずギリシャの不正行為にのみ焦点があてられることを問題視している。特に、政治的、社会的、経済的帰結を顧みずに統合を推し進めるという既成事実原則が問題の根源であるとされている。

第五章「欧州統合と政経分離」

 欧州統合の父の一人、モネは政経分離を想定していたが、それは間違いであった。EUの起源とみられるECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)や、EECも農業政策にみられるように介入主義の要素が強かった。政治と経済は分離できないのにである。そのため、モネはテクノクラート的な機関の活動を拡大させ、欧州議会が、民主主義の赤字(六章で紹介)に悩まされる事態を招いた。さらにコミッション(欧州委員会)が立法発議権を独占しているのに、欧州議会ではそれに対し異議が唱えられないのである。

 そして、この章でとりあげられるその他の重要な問題は、政治的独立性である。EUにおいては、ECBやコミッションがその例である。コミッションの委員を選挙で選ぶ構想も、加盟国が20カ国以上の加盟国で選挙を行うことは不可能とされ、頓挫した。そもそもそれらの機関が自制を働かせることはできないので、加盟国がとりうる唯一の解決は、欧州諸機関の権限に明確な限界を設けることであると主張される。また長期的な歴史的視野に立てば、15-19世紀にかけての欧州の世界での優越の背景は、(第九章で見るように)経済というよりはむしろ政治である。つまり、多極的で競争的な国家システムにあるのである。現在の問題は、明確な政治的リーダーシップが欠如していることである。

第六章「民主主義の赤字」から「民主主義の不履行」へ?

 1990年代以降、民主主義の赤字が問題視されてきた。直接選挙されない欧州議員、1979年の直接選挙の導入以降は、欧州議会の権限が不十分であること、によって民主主義がうまく機能していないことが批判されてきた。しかし、マヨーネはこの言説に対し、説明責任の問題であり、民主主義の不履行という見方を提示した。説明責任とは、他のアクターが責任を果たしたかどうかチェックし、責任が果たさなければ、制裁を科すこともできる、というものである。コミッションも説明責任をかされず、サンテール委員会が総辞職した理由も、「管理不行き届きおよび縁故採用」という別の理由だったのである。

第七章「"More Europe"」

 福祉政策を欧州化するという社会的欧州や、共同体方式を拡大するというMore Europeは、危機の打開、問題解決の方向性を与えてはくれない。委員が28名とコミッションも肥大化していることも問題である。さらには、More Europe は予期せぬ否定的な帰結をもたらしている。たとえば、ユーロは、三つの集団、①加盟国、②法律上の適用除外国(英国、デンマーク)、③事実上の適用除外国(スウェーデン)、と分断される。さらには、経済、財政政策に関する責任が国家から欧州レベルへと委譲されると、EUは、活発な競争が阻害されるという点で反競争的になる恐れをもっている。

第八章「リーダー不在の欧州の限界」

 EUには制度的にリーダーシップが存在しないことがまず問題である。リーダーを自負していたのがコミッションであるが、前述(七章)のように、現在は28人体制に肥大化していて、コンセンサス方式のもと効果的な決定がなされない。さらには、リーダーシップは信頼が確立されたときに最もよく機能するのであるが、その信頼が欠如していることが指摘される。さらには、共通外交・安全保障政策であるが、「共通」とは名ばかりである。EUは、コソボ問題やイラク戦争、リビア危機などでは、立場を共通化することができなかったのである。ドイツのみがリーダーと期待される昨今の問題は、ドイツがリーダーシップを取ることを嫌がっていることである。

第九章「協調と競争による統合」

 本章では、マヨーネは長期的な歴史的視野からEUの統合を論じる。マヨーネは、中世ヨーロッパが力をつけて影響力を増した背景として、競争するけれども協調もするシステムを指摘する。競争については、退出と発言が重要で、さらには競争が安定するには、効果的な監視が必要である。さらに他地域の地域主義が、輸入代替工業化を目指してとられた手段であるにもかかわらず、EUは、法中心主義をとり、通貨同盟の存在も他地域主義が持たない特殊な存在である。

第十章「グローバリゼーションおよび地域統合と国民国家」

 終章であり、今までの議論を総括するものである。マヨーネは、ダニ・ロドリクのトリレンマ(同時に三つが実現されないこと)を応用し、超統合のトリレンマ(グローバリゼーション、国民国家、欧州統合)を主張する。そのようななか、EUは単一市場を共通項とした「クラブ(便益から排除される集団が存在するもの)の中のクラブ」としての道を歩む必要がある。というのも、加盟国の拡大につれ、加盟国は団体行動のインセンティブが弱まるからである。EUはそれを構成する国民国家よりずっと脆弱なのである。

 国民国家が直線的に発展するという見方は間違いである。「欧州の結合は、競争、協力、および模倣が独特に交じり合うことで達せられる、ずっと繊細な多様性の中の結合だった」のであり、今日必要とされるのは、従来の国民国家モデルの単なる直線状に位置するものではなく、より豊かであると同時に、より柔軟なものなのである。

3 本書の評価

 以上、本書の内容を紹介してきたが、EU研究の大家による集大成的研究である本書の持つ価値は、非常に多岐にわたる。EUの現状、EU研究の方法論、政治外交分析への視座という諸点に絞ってそのメリットを述べた後、若干の課題を述べて、締めくくりたい。

3-1 EUの現状理解と方向性の展望に関する貢献

 EUに関する言説は、大きく分けると、崩壊する、崩壊しているという極端な悲観論あるいは懐疑論と、危機の際に、EUは権限を拡大できるし、そうすべきという楽観論にわかれる。そのようななか、著者は、冷静でややシニカルに、より実現可能な改革案を提示している。著者によれば、ユーロ危機にあきらかなように、EUは政策、結果ではなく、プロセス重視の統合を進めすぎて、破綻をきたしている。その危機に対し、70年代に提起された、加盟国が参加する制度を選択できる「アラカルト統合」という議論を発掘し、さらに最近の経済学の議論を応用しているのである。つまり、「クラブ財」という概念を用いて、リーダーシップ不在のなか、EUが効率的に改革をしていくことを提言しているのである。 

3-2 本書の方法論がもたらすEU研究、政治外交分析へのインプリケーション

 本書は、政治学だけでなく、経済学(取引費用、逆選択)、歴史学(Milwardなど)、法学の知見も踏まえてEUの歴史・現在を検討した視野の広い研究である。監訳者である庄司克宏のいうように、本書はEUを取り巻く状況の俯瞰を目的としている。そして、そのために、幅広い分野の議論を咀嚼し、応用しており、近年の学問細分化の問題を乗り越える方法論も提示するものである。EUが研究対象として研究者の関心を強くひきつけているために、研究分野が細分化していく方向にあることは、ある意味仕方のないことである。しかし、EUにおいては、政治、経済、法学は、互いに密接な関連を見せていることが、マヨーネの分析から明らかになる。たとえば、「逆選択」という経済学で現在も実証が課題となっている概念も有効である。この概念を利用することで、ギリシャ債務危機の問題が、より一般性を持った問題として整理されるのである。EUは、よく言われる「独特な(sui generis)」政体ではなくて、比較可能なものであることも示唆される。さらには、経済要因が軽視されがちな、外交史を含めた政治外交分析にもマヨーネの視野の広さは大いに参考になるものであろう。

3-3 本書の課題

 課題の一点目は、地域統合の比較がかならずしも十分でないことである。序章にあるように、EUを他の地域主義との比較の視野から分析するのが本書の特色の一つであろう。しかしながら、ほとんどの場合、本書では、EUをNAFTAとしか比較していない。これをより包括的にする場合、2015年に共同体の一応の成立を見たASEANやAU(アフリカ連合)の存在を含める必要があるのではないか。特に、AUは、EUのモデルに影響を受けたという議論もある。AUなどを比較対象に含めた場合、EU以外の地域主義がEUをモデルとしなかったという著者の結論が変わる可能性も大いにある。実際にその他の様々な地域統合を比較対象に含めた場合も、たしかに、法中心主義という特徴は残るかもしれない。しかしながら、本書では比較の対象が過度に限定されているのではないか。

 第二に、最近のEUの危機との関連を取り上げたい。本書の原著が2014年に出版されているために、その後の危機を予測し、明示的に分析したものではない。しかしながら、本書が原著の副題にあるように危機をテーマにした本であるだけに、その後の危機の理解に示唆があってもよいだろう。本書の出版当時顕著でなかった、難民危機、ブレクジットの危機などの起こった後であれば、マヨーネはどのように反応しただだろうか。難民危機は、ドイツの連立政権の存立をゆるがしかねず、イギリスの担当大臣デイヴィスの辞任などもあり、ブレクジットの行く末も定かではない。しかし、マヨーネのリーダーシップの不在という議論からすれば、難民の問題とそこから派生しているポピュリズムの危機は、集合的リーダーシップの問題といえる。ドイツだけでなく他国も難民をより寛容に受け入れなければ、問題は深刻化するばかりである。その意味で、マヨーネの論考は、依然として、有効な視座を与えてくれるのである。このように、二点目のこの課題は、特に大きな問題ではないだろう。 

4 おわりに

 以上のように、本書の内容紹介、評価をしてきたが、このマヨーネの集大成的研究からわれわれが得ることは非常に多い。一般の読者も想定しつつ、翻訳書が出版された価値も大きいだろう。さらには、そのスケールの大きさに刺激を受け、他分野の知見を活用しながら、国際政治、EU研究、外交史の研究を進めていくことが、我々の今後の課題でなかろうか。

参考文献 

  • 遠藤乾『欧州複合危機』(中央公論新社、2016年)
  • 庄司克宏『欧州ポピュリズム』(筑摩書房、2018年)
  • 細谷雄一『迷走するイギリス』(慶應義塾大学出版会、2016年)
  • Jürgen Habermas, The Crisis of the European Union: A Response, translated by Ciaran Cronin, Cambridge: Polity Press, 2012.
    • 政治外交検証研究会メンバー/帝京大学法学部政治学科講師
    • 黒田 友哉
    • 黒田 友哉

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