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最低賃金の引上げの影響分析-政策知見に関するデータベース作成の提案-

最低賃金の引上げの影響分析-政策知見に関するデータベース作成の提案-

March 13, 2020

東京財団政策研究所シニア・マネージャー

松多 秀一

※最低賃金引上げを対象にした政策知見に関するデータベース試行版はこちら

1. EBPM実現に向けた課題

エビデンスに基づく政策立案 (Evidence-Based Policy Making、以下「EBPM」という。) が重要との認識が高まっている。しかしながら、政策当局者と研究者との効果的な連携をどのように進めるかなど課題は多い[1]

課題に対処するための一つの方法が、日本の経済政策の効果に関するこれまでの知見を相互に比較可能・検証可能な形で一か所に集約することである(以下、集約したものを「政策知見に関するデータベース」という。)。この集約された情報があれば、政策当局者は、政策課題が出てきたところで既存研究を「つまみ食い」ではなく網羅的かつ素早く把握することができる。研究者は、利用可能なデータの内容や、政策効果に関する実証研究の把握を進めることができ、新たに整備すべきデータや着手すべき研究の発見につなげることができる(詳細は3. 参照)。

このような問題意識の下、経済政策の中でも、個人の行動に影響を与える政策の中から、比較的研究数も多く、国民の関心も高い、最低賃金引上げの影響分析について、当研究所の一プロジェクトとして集約作業を行った[2]。本稿では、その作業結果を「データベース化」の試行例として紹介する。以下、2. で最低賃金引上げの影響分析におけるイッシューと影響分析の集約結果、3. で政策知見に関するデータベース作成のメリットを述べる。

2. 最低賃金引上げの影響分析

(1) 何がイッシューか

最低賃金(以下、地域別最低賃金について述べる。)は各都道府県で働く全労働者に適用され、毎年10月頃に新たな金額の適用が始まる。全国加重平均値(2019年度(10月の引上げ後、以下同じ。)は901円)はこの10年間で188円増加し、特にこの4年間は毎年25円以上(年率3%強)増加している。最小県の最低賃金を最大県の最低賃金で割った値は2014年度の0.76(最小県は最大県の76%)を底に上昇し2019年度は0.78(同78%)となっているが上がり方は緩やかである(参考図表1)。

最低賃金の引上げは、いかなる効果を期待して提唱され、その影響に関連してどのような懸念が示されているだろうか。最低賃金引上げの直近の目安が決まった8月頃の新聞の社説から関連する内容を抜き出してみた(末尾の【 】内は筆者の要約)。

「賃金水準の底上げは、働く人の消費を喚起し、経済再生につながる。女性や高齢者の就労意欲を引き出す効果もあるだろう。懸念されるのは、急ピッチの賃金引上げが中小企業の経営にもたらす影響である。」(読売新聞201986日付社説)【個人消費増への期待、中小企業の経営悪化(人員削減や倒産)への懸念】

「現在の最低賃金の水準は正社員の給与に比べて著しく低く、複数の仕事をしても貧困状態を抜け出せない人は多い。結婚や出産をあきらめる要因にもなっており、少子化が加速していくばかりだ。」(毎日新聞201961日付社説)【貧困からの脱出への期待】

「地域間の格差を縮めなければ、地方からの働き手の流出に拍車がかかりかねない。最低賃金が低い地域の引上げ額を都市部より上積みするなど、具体的な方策を考えるべきだ。」(朝日新聞201981日付社説)【地域間格差残存による地方からの働き手流出への懸念】

このように、個人消費増や貧困からの脱出への期待、中小企業の経営悪化や地方からの働き手流出への懸念といった論点が提示されているところ、以下では、個人に与える影響に主に着目し、日本の最低賃金引上げが賃金や雇用を通じた個人消費や貧困に与える影響についての研究結果をまとめる。

(2) 賃金や雇用を通じた個人消費や貧困への影響

2019年末時点の情報に基づき、汎用的な方法[3]により2000年以降の18の公表研究を包括的に集めた。それらの研究の結論部分に記載している影響をまとめたのが図表1である。賃金、雇用、労働時間、貧困、教育訓練への影響をまとめている。データベース試行版においては「影響分析の対象分野と符号」の項目にまとめられている情報である。

 

この図表から何が分かるだろうか。最低賃金引上げは、最低賃金もしくはその付近の賃金水準で働く労働者の賃金の上昇と、こうした労働者と最低賃金の影響を受けにくい者との賃金の差の縮小(賃金のばらつきの縮小と表示)につながっているという点で結果が一致している。一方、雇用への影響については数で言うと負の方が多いが影響がなしというものもあり一概に言えないということになる。個人消費の喚起は、雇用者所得の増加を通じてもたらされ、雇用者所得は、一人当たり賃金×雇用で求めることができる。労働時間への影響を捨象すると、賃金は上がるが雇用への影響は一概には言えないことから、最低賃金引上げは、雇用者所得の増加を通じて個人消費に正の影響を与えるか否かは不明確になる。また、最低賃金の貧困への影響を分析した研究は少なく、変化の方向性も定まっていない。こうした状況を説明するため、参考図表2では単純化した模式図で示しているので関心のある方は御覧いただきたい。

3. 政策知見に関するデータベース作成のメリット

今回作成した政策知見に関するデータベース試行版には以下の三つの長所があり、データベース作成のメリットは大きい。

第一に、研究の包括的な「かたまり」になっていることである。政策効果は12の研究で確定するものではない。バラバラではなく一つの「かたまり」(群)になり、様々な者が接近可能で共通の議論の土台を提供するデータベースは独特の力を持つ。政策担当者や研究者は、分析結果の方向性が素早くつかみやすくなるとともに、「つまみ食い」的な論文のおさらいによるまとめを行うことが難しくなる。研究群の一部を使った場合にはそれ以外をなぜ引用していないかの説明が求められる。また、包括的であるがゆえに、追加的に何が必要かの情報が見つけやすい。社会が求めているものとの乖離がみえることで、新たに整備すべきデータや着手すべき研究の発見につながる。

第二に、研究名と結果の単なる集合体ではなく、政策効果計測に利用したデータ、手法や結果に関する情報が含まれるため、相互比較可能性と検証可能性が高いことである。研究者は、利用したデータの内容や政策効果に関する実証研究の進捗度合いの把握が素早くできる。集計項目が多彩であるため、複数の研究者による複眼的な比較分析・検証が可能となる。例えば、データベースには、各研究が利用したデータの期間が記入されているため、利用したデータの期間と分析結果に特定の関係がないかを分析することが可能である(最低賃金引上げの影響分析の例は参考図表3参照)。標本の大きさの違いによる結果の違い、年齢層や性別を分割した場合の影響の違いなどの分析も可能である。さらには、同一のテーマについて行われた複数の研究結果を統計的な方法を用いて統合する手法(山田・井上編 2012)である「メタ分析」が行いやすくなるようになることも期待される。

第三に、利用にかかる費用が少なく利用が増えるほどその経済性が高まることである。作成や更新には時間と手間がかかるものの、利用に当たっての時間的・金銭的な費用は最小限にとどまる。また、関心を持つ多くの人々が利用し恩恵を受ければ受けるほど、関係者が全体としてかける時間はデータベースがない場合に比べて大幅に節約されうる。原研究の所在に関する情報はデータベースに含まれており、データベースを利用した後で内容の確認やより詳細な情報取得が必要になれば、原研究にアクセスすればよい。

最後にいくつかの留意点を述べたい。まず、本稿2. では、議論を簡略化するため、研究結果が示す影響の方向を基にした議論を行った。研究毎のさまざまなニュアンスは無視して一定の基準で大くくりでの付与したものであり分析者によっては違う解釈をする可能性もあろう。また、公表バイアス(符号の正負が統計的に有意である研究が公表されやすいというバイアス)の有無については十分考慮する必要がある。論文の質についても考慮していないため多数決では決められない点は強調したい。エビデンスの質を評価している諸外国の例もあるが、エビデンスの質の評価は時間がかかり合意を得ることも難しいため現実的ではないと考えた。

本稿のような取り組みを通じて、共通の土台での議論が進むとともに、エビデンスの蓄積と活用が進むことを期待したい。今後は他の政策分野で試行版を作成することを目指している[4]

[参考図表1の本文へ戻る]

[参考図表2の本文へ戻る]

[参考図表3の本文へ戻る]

参考文献

北條雅一(2017)「高校新卒者の進学行動と最低賃金」『日本経済研究』75号:1-20。 

山田剛史・井上俊哉編(2012)「メタ分析入門」東京大学出版会。 


脚注

[1] 例えば、「政治と学者、官僚と学者、理論と実践の溝をどう埋めるか。そうした構造問題にも目を向けなければEBPMはかけ声倒れに終わりそうだ」(「忘れられた『政策の根拠』 EBPMで政官学に溝」日本経済新聞20191227日付)などの指摘がある。

[2] データベース化するために作成したフォーマットは、個人への影響に焦点を当てた政策効果分析に広く適用が可能である。例えば、介護保険制度の導入が家族介護者の就業に与える影響、保育施設整備が出生率や雇用に与える影響、高校授業料無償化が進学率に与える影響などが考えられる。

[3] 収集方法は次の通りである。まず、国立国会図書館オンライン、CiNii(国立情報学研究所が運営する学術論文や図書・雑誌などの学術情報データベース)、Scopus(エルゼビア社が提供する抄録・引用文献データベース)、EBSCO Discovery ServicesEBSCO社が提供する情報探索サービス)などのデータベースの検索を通じて見つかった研究や、そうした研究に記載された参考論文の中から、研究の候補を学問分野横断的に抽出する。その上で、最低賃金引上げの個人に与える影響が独自に分析されていて、影響についての結果が結論部分に明示的に記述されているものに絞り込んだ。研究の抽出においてお世話になった当研究所政策データラボ関係者に感謝したい。なお、ここに掲載されていないものとして最低賃金引上げが高卒者の進学に与える影響を分析した北條(2017)があるが、時間の都合で含めていない。

[4] 本稿の作成及びフォーマット化に当たって、研究会のメンバーである酒井正 法政大学教授、堀雅博 一橋大学教授、また、神林龍 当研究所上席研究員/一橋大学教授からいただいた的確かつ丁寧なアドバイスに感謝したい。また、当研究所の董艶麗氏のアシストに感謝したい。

 

<<ここまでが論考、以下は政策知見に関するデータベース試行版。>>

 

最低賃金引上げを対象にした政策知見に関するデータベース試行版

 

・論考(「最低賃金引上げの影響分析-政策知見に関するデータベース作成の提案-」)(本稿ページトップへ

研究データ(統一フォーマットでまとめられた18の研究データが閲覧可能)

記入要領

(注)フォーマット化された情報を研究等に使用された場合は、東京財団政策研究所ウェブサイトの「最低賃金引上げの影響分析-政策知見に関するデータベース作成の提案-」を使用した旨、御記載下さい。その他留意点については、利用条件https://www.tkfd.or.jp/terms/ を御覧ください。 

・文献一覧(五十音順、[         ]内はデータベース試行版中のレポートID)

[1] [安部_玉田_2007] 安部由起子・玉田桂子(2007)「最低賃金・生活保護額の地域差に関する考察」『日本労働研究雑誌』563号:31-47

[2] [明坂_et_al_2017] 明坂弥香・伊藤由樹子・大竹文雄(2017)「最低賃金の変化が就業と貧困に与える影響」Discussion Paper No. 999. The Institute of Social and Economic Research, Osaka University

[3] [Aoyagi_et_al_2016] Aoyagi, C., Ganelli, G. and Tawk, N. (2016) “Minimum Wage as a Wage Policy Tool in Japan,” The Japanese Political Economy, 42(1-4): 72-88.

[4] [有賀_2007] 有賀健(2007)「新規高卒者の労働市場」林文夫編『経済停滞の原因と制度 経済制度の実証分析と設計第1巻』勁草書房、所収。

[5] [Hara_2017] Hara, H. (2017) "Minimum Wage Effects on Firm-Provided and Worker-Initiated Training," Labour Economics, 47: 149–162.

[6] [Higuchi_2013] Higuchi, Y. (2013) "The Dynamics of Poverty and the Promotion of Transition from Non-Regular to Regular Employment in Japan: Economic Effects of Minimum Wage Revision and Job Training Support," The Japanese Economic Review, 64(2): 147-200.

[7] [Kambayashi_et_al_2013] Kambayashi, R., Kawaguchi, D. and Yamada, K. (2013) "Minimum Wage in a Deflationary Economy: The Japanese Experience, 1994-2003," Labour Economics, 24: 264-276.

[8] [Kawaguchi_Mori_2009] Kawaguchi, D. and Mori, Y. (2009) "Is Minimum Wage an Effective Anti-Poverty Policy in Japan?" Pacific Economic Review, 14(4): 532-554.

[9] [川口_森_2013] 川口大司・森悠子 (2013) 「最低賃金と若年雇用 : 2007年最低賃金法改正の影響」大竹文雄・川口大司・鶴光太郎編『最低賃金改革』日本評論社、所収。

[10] [Kawaguchi_Yamada_2007] Kawaguchi, D. and Yamada, K. (2007) "The Impact of the Minimum Wage on Female Employment in Japan," Contemporary Economic Policy, 25(1): 107-118.

[11] [Okudaira_et_al_2019] Okudaira, H., Takizawa, M. and Yamanouchi, K. (2019) "Minimum Wage Effects Across Heterogeneous Markets," Labour Economics, 59: 110–122.

[12] [労働政策研究・研修機構_2011_1] 労働政策研究・研修機構 (2011a) 「最低賃金が雇用に与える影響」労働政策研究・研修機構『最低賃金の引上げによる雇用等への影響に関する理論と分析』JILPT資料シリーズNo. 90、所収。

[13] [労働政策研究・研修機構_2011_2] 労働政策研究・研修機構(2011b)「最低賃金が雇用以外の分野に与える影響」労働政策研究・研修機構『最低賃金の引上げによる雇用等への影響に関する理論と分析』JILPT資料シリーズNo. 90、所収。

[14] [労働政策研究・研修機構_2016] 労働政策研究・研修機構(2016)「地域別最低賃金と賃金格差」労働政策研究・研修機構『2007年の最低賃金法改正後の労働者の賃金の状況』JILPT資料シリーズNo. 177、所収。

[15] [坂口_2009] 坂口尚文(2009)「企業にとっての最低賃金-認識と対応」『日本労働研究雑誌』593号:29-40

[16] [橘木_浦川_2006] 橘木俊詔・浦川邦夫(2006)貧困との戦いにおける最低賃金の役割」橘木俊詔・浦川邦夫『日本の貧困研究』東京大学出版会、所収。

[17] [山口_2017] 山口雅生(2017)「最低賃金の引き上げが飲食店事業者の雇用にどう影響するのか」『政策科学』24-3127-146

[18] [勇上_2016] 勇上和史(2016)「日本における最低賃金と所得分配」『国民経済雑誌』2131号:63-78

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