評者:玉置敦彦(中央大学法学部准教授)
内容紹介
日米同盟の費用対効果―自衛隊だと、いくらかかるのか?
日本は安全保障を米国に依存している。米軍が在日米軍基地に駐留し、作戦行動に従事することで、日本の安全は守られている。その引き換えに日本の主権は制約されている。これが日米同盟の基本構造だと、本書は言う。
ではもし、自衛隊が、この米軍が現在果たしている任務を代替したら、いくらかかるのだろうか?必要な装備を整え、人員を確保し、基地を引き継ぎ、作戦に従事したら、どの程度の追加コストがかかるのか?
2018年度の日本の一般会計予算は97兆7128億円であるのに対し、防衛予算は5兆1911億円で、5.3%の予算規模を持つ。同盟の存在を前提として、例えば、米軍の役割全てとは言わずとも、日本の防衛に喫緊の重要性を持つ任務に絞って、自衛隊の役割を同盟の枠内で部分的に増やしてみたらどうだろうか。その代わりに、「日本が負担している基地提供に伴う主権の制約をどこまで軽減できるかを分析する」のである(159頁)。その場合、具体的に、どのくらい防衛費を増やせばよいのか?本書は、そのための必要経費を試算した労作である。
防衛費3割増=約6兆8500億円=一般会計予算7%
議論の骨子を紹介したい。序章と第1章で問題設定と方法が提示され、第3章では現在の日本を取り巻く脅威の所在が特定される。その上で、本書の根幹たる第5章から第7章にかけて、「日本に前方展開する〔米〕インド太平洋軍と在日米軍の戦力の一部を自衛隊に移行することで自主防衛能力を強化」するシナリオを想定した分析が展開される(245頁、〔〕内評者、以下同様)。
すなわち、自衛隊が、①ミサイル防衛を自前で負担し、②三個軽空母機動部隊を導入することで1000海里以遠のシーレーン防衛に従事する。また③自衛隊が在沖米軍の一部任務を分担し、在沖米軍基地(トリイ通信基地、嘉手納基地、キャンプ・バトラー、普天間基地)を日米共同運用として管理する。必要経費は計1兆6588億8300万円である。これを2018年度予算に単純加算すれば、防衛費総額は前年比で30%、対国内総生産(GDP)比で0.3%増加、一般会計予算の7%に相当する約6兆8500億円となる。
日米の負担は不均等なのか?
防衛大学校で教鞭をとる安全保障問題の専門家たる著者は、前著(武田康裕、武藤功『コストを試算!日米同盟解体』毎日新聞社、2012年)において、同盟を解体した場合の必要経費を試算した。これに対して本書は、2019年現在と同様の安全保障環境を維持することと、同盟の堅持を前提に、自衛隊が米軍の任務を部分的に代替する可能性を検討している(250~251頁)。なぜ、そのようなことをする必要があるのか?
本書は、第4章において、主として2000年代はじめから2017年までの日本と米国の費用負担を計算し、ほぼ同等であるとの結論を下している。「米国が負担する在日米軍の維持・作戦経費と、日本が負担する在日米軍関係経費を対比」すれば、その割合は、「在日米軍の人件費を除けば〔日本〕7対〔米国〕3、人件費を含めれば概ね1対1の分担比率」だという(245頁)。しかし、日本が在日米軍基地を提供することによって生じる経済的逸失利益を考慮すれば、「米国の分担比率は20%で、日本が80%」となる(159頁)。このように、費用負担の割合では、日米は同等か、あるいは日本側の方が多く負担している。ではなぜ、日本がさらに防衛費を増額する可能性を考える必要があるのか?
米国の不満と日本の不満
そこには米国の不満がある。本書は、冒頭で、2016年大統領選挙中における、ドナルド・トランプ米大統領(当時は候補)の、次のような発言を引用している。「誰かが日本を攻撃すれば、我々は直ちに赴いて第三次世界大戦を始めねばならない。だが、もし我々が攻撃されても、日本は我々を助ける必要がない。それはあまりに不公平じゃないか」(12頁)。この発言に象徴されるように、トランプ大統領は同盟国に不満を抱いており、NATO諸国や韓国、そして日本にも、さらなる負担分担、具体的には駐留米軍経費の増額を要求している。その原因は、本書によれば、少なくとも日米同盟に関する限り、実際の任務の負担が米国に偏っているからである。
本書第1章によれば、これは、共同防衛という軍事貢献、すなわち「防衛コスト」の「任務の分担」において、日米で不均等が生じている状況である。本書は防衛コストを任務分担と「経費の分担」からなるものと定義している。前述のように経費分担に関しては日本も相当の負担を負っているが、憲法九条で軍事力の行使が制約される日本は、実際に、いわば血と汗を流す任務への参加が制約されている状況にあり、米国はこれに不満を抱いていると著者は指摘する。第2章はトランプ政権の対外政策の分析に当てられているが、これは著者のトランプの負担分担要求への強い警戒と危機感の反映だろう。
一方、日本には異なる不満が存在する。それは、防衛コストは米国が過大に担っているものの、引き換えに日本は、「自律性コスト」を負っているからだ、と著者はいう。自律性コストは、「主権の制約」と米軍の「駐留経費の負担」からなるが、特に問題となるのが主権の制約である。沖縄の状況に象徴されるように、この主権の制約への不満は日本国内で鬱積しており、一方的にトランプの負担分担要求を受け入れることは難しいというのである。
したがって、防衛コストと自律性コストからなる同盟のコストについて、日本が防衛コストにおける任務分担をより積極的に負担することで経費分担の増大を回避しつつ、その引き換えに自律性コストを低下させることで、日米双方の不満を解消する可能性を本書は模索している。そのために必要な日本側の追加費用が、1兆6588億8300万円と見積もられているのである。
評価と論点
必読の一冊―トランプの影
ミサイル防衛や軽空母機動部隊といった具体的な装備と、そのための予算の検討を基礎として、日米同盟の新たな姿を展望した労作である。2020年2月の本稿執筆時点において、トランプ政権は、同盟国・韓国に50億ドルにのぼる在韓米軍駐留経費の負担を、在韓米軍撤退まで示唆して求めている最中にある。さらにトランプ政権は、日本にも米軍駐留経費負担の大幅な増額を求めているとの報道も流れた。また日韓情報包括保護協定(GSOMIA)をめぐっては、米政府関係者が総力を挙げて韓国に圧力をかける様を、我々は目の当たりにした。米国の不満と要求にいかに対応し、日本の利益をどのように実現するのか。本書は、そのための基礎を提供している。研究者や外交・防衛の実務に関わる人々のみならず、安全保障問題に関心のあるすべての読者にとって、必読の一冊である。
論点①―日本の自律性は高まるのか?
本書の特徴は、シナリオとコストを提示した具体性、とりわけ数値を提示して、計量的に日本の「最適解」を検討した点にある[1]。この提言の骨子は、トランプ政権の要求に応じてさらなる在日米軍駐留経費の分担を行うのではなく、防衛費の増額(防衛コストにおける任務分担の増大)による、日本の自律性の回復(自律性コスト削減)の追求である。
では、本書の根幹に位置付けられる自律性(autonomy)とは何か?本書によれば、自律性とは、「他者の命令や意向に従うことなく自身の方向を自分で決めることを指す。対米自律とは、米国に影響されることなく日本が独自に意思決定することを意味する」(16頁)。
しかしながら、本書の提言が実現したとしても、この定義による日本の外交的自律性が向上するとは限らない。それどころか、本書の提言に従えば、日本の自律性が低下する可能性すら論理的には想定できる。
本書のシナリオに沿って、日米同盟の存続を前提として自衛隊が米軍の任務を代替するとすれば、米軍基地の日米共同使用を想定する島嶼防衛に代表されるように、日米間の制度化の進展や相互運用性(interoperability)の増大を伴う可能性が高い。日米の統合運用は深化の一途にあり(37頁)、また在日米軍基地の返還のみでは、中国や北朝鮮、ロシア等に対する「負のメッセージ効果」が発生し、「日本の安全保障を犠牲に自律性だけを回復する試み」(224頁)となるからである。
さらに本書が指摘するように、米国にとっての日米同盟の価値とは、日本を自国の主導する国際秩序の一角に組み込み、そのリソースをグローバルな戦略構想に利用することにある。したがって米国は、同盟を通じて「日本が、独自外交と自主防衛路線に走ることを阻止」してきた(27~28頁)。米国が、日本の負担を拡大させることを望んできたことは確かである。しかし歴史を振り返ってみれば、それ以上に、米国は、自衛隊の拡張が、日本を独自の軍備と外交路線を持つ大国へと変貌させる契機となる可能性を警戒してきた[2]。
したがって、自衛隊の任務分担の拡大は、軍事力の効率的運用という点でも、また日本の「米国離れ」を防ぐためにも、米軍との一体性や同盟の制度化の向上に帰結する、つまり日本の外交的自律性への制約はむしろ強まる結果を招くとの想定は、それほど無理のあるものではないだろう[3]。
もちろんこれは、本書の提言が実現した場合に起こり得る、一つの可能性に過ぎない。しかし、自衛隊が米軍の任務を代替することは、必ずしも「米国に影響されることなく日本が独自に意思決定することを意味する」わけではない。それどころか、米軍と自衛隊の一体性が向上することにより、さらに日本の「他者の命令や意向に従うことなく自身の方向を自分で決める」余地が縮小する可能性すら存在する。この場合、日本は、防衛費を増大しながら、さらに自律性を低下させるということになりかねない。
論点②―「自律性」と「自律性コスト」の定義をめぐって
著者は、任務分担の増加が自律性を向上させるとは限らない、という事実に自覚的だと思われる。同盟では軍事における協力行動が期待されるが、協力とは「相手の行動や選好に自国の選好や行動を合わせることである以上、そもそも協力には自律性の制約が伴う」と的確に指摘しているからだ。(29~30頁)。だが上記の論点が、本書で体系的に検討されることはない。
その原因は「自律性コスト」の定義にある。本書では、「自律性コスト」は「主権の制約」と「駐留経費の分担」からなるものと定義されており、「自律性」とは似て非なる概念となっている(29~30頁)。したがって、本書の定義上、例えば、米軍基地の返還は、それ自体で自律性コストの削減となる。日本の主権が部分的に回復されることになるからであるが、前述のように、これが日本の外交的自律性の向上につながるとは限らない。つまり、本書が定義する自律性コストの削減とは、日本の外交的自律性の向上を意味しているわけではない。
論点③―主権と自律性
このように、主権の部分的回復は、必ずしも外交的自律性の増大を意味しない。しかし、そもそも、主権の制約は、外交における自律性の欠如を意味するわけでもない。
日本から見れば、米国は強大な覇権国である。しかし米国の政府内部における議論や、同盟国をめぐる政策論争に目を向ければ、状況は全く異なる。米国の政策コミュニティには、米国は同盟国を支援しているにもかかわらず同盟国が全く指示に従わない、という苛立ちが根強く存在する。そしてなぜ同盟国は米国に従わないのかという分析や、いかに同盟国を米国の政策に従わせるかという対策も、1971年のロバート・コヘイン、2005年のスティーヴン・ウォルト、2016年のヴィクター・チャに至るまで、時代と理論的立場を越えて模索されてきた。少なくとも米国から見たとき、主権を制約されているはずの同盟諸国は、米国の指示に必ずしも従わず、一定の外交的自律性を発揮してきたということになる[4]。
日本も例外ではない。何よりも、負担分担をめぐって米国が日本に強い不満を抱いてきたという事実こそが、日本が米国の要求に十分に答えてこなかった、つまり米国の指示に従ってきたわけではない、ということを示している。そもそも、「吉田路線」論とは、日本が、日米同盟に国家の存立を深く依存しながらも、外交、とりわけ安全保障政策では米国から一定の距離をとってきたという事実を捉えた議論ではなかったか[5]。主権の制約と外交的な自律性の関連は、慎重に検討されるべき課題であろう。
おわりに―「自主」の行方
では自衛隊の任務分担の増大にはどのような意味があるのか?これによって生じるのは、本書の言葉を借りれば、「自主」あるいは「自主防衛」、すなわち「他国に頼らず独自の防衛力によって自国を守ること」の拡大である。著者は防衛コストと自律性コストという枠組みで議論を展開していているが、序論では同盟と自主防衛のバランスを分析することが(16~17頁)、また結論では「自主防衛能力の強化」(245頁)が必要との見解が明示されている。
すなわち、本書では自律という概念が強調されてはいるものの、実は、日本の外交的な自律性は重要なテーマとはなっていない。むしろ、自律という概念の適用範囲は、米軍基地等による日本の主権の制約(及び米軍駐留経費負担)に、局限されているというべきだろう。
結論として、本書の提言とは、トランプ政権の誕生によって「米国の拡大抑止の信頼性が揺らぐ中で」、「日本として独自の対応を求められる」可能性が高まっているとの認識の下(244~245頁)、自衛隊の任務分担の拡大によって、①トランプ米大統領の不満への対応と②日本の国内の苛立ちの緩和を通じて可能な限り日米同盟を維持し、またそれでも不十分な事態に備えて、③日本の自主防衛能力の拡大を図るという、一石三鳥を狙うものと整理できる。
そのような観点から本書の提示する1兆6588億8300万円という数字を見直したとき、「同盟と自主防衛のバランス」(252頁)と「安全と福祉のバランス」をどのように考えるのか。「有権者の選択」(249頁)と覚悟を迫る一冊である。
[1] 佐道明広「自主と自律のシナリオに応じて 武田康裕『日米同盟のコスト』亜紀書房」『公明新聞』2019年08月19日。特に「最適解」については、中山俊宏「『日米同盟のコスト』武田康裕 負担はじき出し最適解探る」『日本経済新聞』2019年7月20日。
[2] いわば、米国の、「自立しない日本」への不満と、「自立する日本」への不安である。玉置敦彦「ジャパン・ハンズ―変容する日米関係と米政権日本専門家の視線、1965-68年」『思想』第1017号(2009年)。米国の「大国日本」への不安については、以下も参照。中島信吾『戦後日本の防衛政策―「吉田路線」をめぐる政治・外交・軍事』慶應義塾大学出版会、2006年。特に日本の核武装の可能性に関して、黒崎輝『核兵器と日米関係―アメリカの核不拡散外交と日本の選択1960-1976』有志舎、2006年。
[3] 制度化と同盟の持続性/離脱の関連についての論考は多いが、日米同盟について、例えば、吉田真吾『日米同盟の制度化―発展と深化の歴史過程』名古屋大学出版会、2012年。
[4] Robert O. Keohane, “The Big Influence of Small Allies,” Foreign Policy 2 (1971): 161-82; Stephan M. Walt, Taming American Power: The Global Response to US Primacy (New York: WW Norton, 2005); Victor D. Cha, Powerplay: The Origins of the American Alliance System in Asia (Princeton, NJ: Princeton University Press, 2016).
[5] 例えば、高坂正堯『宰相吉田茂』中公クラシックス、2006年。添谷芳秀「吉田路線と吉田ドクトリン―序に代えて」『国際政治』第151号(2008年)。