ポイント ○ジョブ型雇用の意味は論者により異なる ○使用者の広範な人事権狭められる側面も ○個別の労使合意の再生か代替案の議論を |
春季労使交渉での経営側交渉方針の発表を機に、「ジョブ型雇用」に関する議論が起きた。もともとジョブ型雇用という言葉は、労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎労働政策研究所長の著作で、いわゆる日本的雇用慣行を「メンバーシップ型雇用」と呼び直し、その背反として定義されることで広まったと筆者は理解する。従ってジョブ型雇用は、日本的雇用慣行ではないものすべてを含んでおり、論者により意味が異なる。
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まずJobを「職務、業務」と直訳すれば、ジョブ型雇用はいわゆる「職務給」として解釈するのが適当だ。職務給は狭義には、職務記述書による職務の定義と職務に基づく給与体系として要約される。職務遂行の有無のみが問われ、職務が変わらない限り賃金は固定され、労働時間により給与が決定される仕組みだ。
欧米では、エンジニア出身の米国人学者、フレデリック・テイラーによる精緻化により大成した。だが同じ職務を遂行する限り能力を評価する契機に乏しく、被用者の技能形成を人事管理制度の中に入れ込めないなど欠点が明らかになり、20世紀半ば以降衰退した。ジョブ型雇用の導入を、単純な職務給への復帰と解釈するのは現実的ではない。
職務給でも日本的雇用慣行の核である職能資格給でもないとすれば、ジョブ型雇用とは何だろうか。有力な候補として、職務給の前提である「職務記述書」を活用しつつ成果給を採り入れる人事管理施策という解釈がある。すなわち職務内容をあらかじめ限定的に列挙して労働契約の内容とするものだ。対立するメンバーシップ型雇用について職務の限定がないと説明されることからも、妥当だろう。
職務記述書は、個々の被用者について作成されるので、労働契約締結時に調整しやすい。被用者間の分業関係を当事者のみならず第三者にも明確にしやすく、責任の明確化につながる。あらかじめ設計された職務配置を現場に直接適用できるので、新技術に基づく効率的な職務配置を速やかに導入できるのも利点だ。
他方、労働契約は一度締結すると変更が難しい。職務記述書に書き込まれていない職務が新たに発生し、現場にいる被用者に担当してもらおうとしても、職務記述書を改定しない限り命令できない。そして職務記述書の改定には通常、使用者と被用者の「両者の合意」が必要だ。使用者による一方的な変更が可能な現行の就業規則とは異なる。
次に成果給との関係について考えよう。賃金制度の職能給から成果給への変化は着実に起きている。リスクと引き換えに成功時の報酬を積むことで、被用者の意欲を刺激する成果給の利点は広く共有されている。
ただし被用者の努力や能力にかかわらず、被用者や企業が置かれた環境が成果に大きく影響する場合、過度な成果給を設定すると被用者の働く意欲は逆に低下してしまう。職務記述書と成果給を結びつけるには、評価対象となる成果に、職務記述書で限定された職務以外の要素が混入しないことが重要となる。特に他の被用者に割り当てられた職務から独立になるように職務と成果の関係を設計する必要があり、相当難しい。
以上のように、ジョブ型雇用を職務記述書と成果給の混合としてとらえると、論理的には利点と難点がそれぞれ存在することがわかる。では、こうした利点と難点は現実にはどの程度存在するものなのだろうか。
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職務記述書が広く用いられているのは派遣労働だろう。現行の法制度では、派遣労働契約に派遣労働者が従事する業務内容をできるだけ詳細に明示する必要がある。厚生労働省の例示をみる限り、ある程度の詳細さで業務内容が限定されており、職務記述書を運用する際の参考になるだろう。派遣労働者の業務内容がどの程度変更されているかを検討することで、職務記述書を導入した場合の内容改定の柔軟さについて示唆が得られるかもしれない。
もっとも、管見の限りでは業務内容の改定について直接把握しているのは、東京都産業労働局が実施している「派遣労働に関する実態調査」に限られる。
調査では登録型派遣労働者に「ここ3年間に派遣契約の途中で仕事の変更や、打ち切りはありましたか」と聞き、肯定した回答者は2018年調査で434人中42人(9.7%)だった。打ち切りも含めての調査結果だが、中途での業務内容の変更はそれほど頻繁ではないようだ。契約改定が困難なことを見越して派遣先が限定された以外の業務を任せようとしなかった可能性も考慮すると、業務を契約で限定した場合、その内容を変更するのは現状では容易でない可能性が高い。
成果給については、派遣労働者に賞与や一時金が支払われにくいことは同一労働同一賃金の文脈でよく知られる。実際、96の産業中分類別に賞与と所定内給与の比率を算出すると、最も低いのが「職業紹介・労働者派遣業」だ(図参照)。派遣会社の社員も含めた数値だが、残業時間の比率はほぼ全産業平均であり、契約上想定される労働時間についての柔軟性は保たれている。一方、賞与比率の低さは特徴的で、現実に職務が限定された派遣労働者には成果に連動する賞与や一時金が適用されにくい。職務を限定することと業績変動給の組み合わせは、相性が悪いことを示している。
結局、ジョブ型雇用を職務記述書と成果給の混合と解釈しても、その道のりは険しい。いわゆる日本的雇用慣行から抜けだそうという意図は察せられるが、その組み合わせは論理的な矛盾をはらんでいる。さらに職務記述書を重視するのであれば、使用者は日本的雇用慣行の下で享受してきた広範な人事権を一定程度諦めねばならない。現場の創意工夫では生産性の向上は見込めず、あらかじめ設計された効率的な工程を採り入れることにより利益を得るようなビジネスにこそ、ジョブ型雇用は適するが、現状の派遣労働の普及率をみてもその範囲は広くはないと考えたほうがよい。
日本社会でジョブ型雇用を広めるには、職務の明確化と契約の柔軟さという二兎(にと)を追う必要がある。一つの工夫として、使用者と被用者の交渉力の不均衡を前提とする日本の労働契約法で可能かはわからないが、職務の明確化についてネガティブリストを活用するというアイデアがある。「この職務を担う」というリストを例示と考えるか、「この職務は担わない」と限定するか、その両方をとるかというアイデアだ。
ただし契約の柔軟さを実現するには必ずグレーゾーンの解釈を経なければならない。ジョブ型雇用は、契約の力を借りて日本的雇用慣行よりも曖昧さを減らすという程度の問題でしかないともいえる。ジョブ型雇用の議論が提起した本質的な問題は、従来の日本的雇用慣行の下でグレーゾーンの解釈を担ってきた個別の労使合意が機能する範囲が狭まり、復旧を目指すか代替する制度を考えるか、早急に考えねばならない点にあるのではないだろうか。
2020年12月4日 日本経済新聞「経済教室」掲載