第14回研究会の目的
2009年2月3日に第14回研究会が開催された。本研究会では、まず田所昌幸氏(慶應義塾大学教授)から2008年アメリカ発の金融経済危機が国際政治にとってどのような意味を持つのかについての報告がなされ、次にプロジェクトメンバーである高畑昭男氏から、危機に対応すべく発足したオバマ政権がどのような外交・安全保障政策を準備しているのかについての報告がなされた。
1.第一報告「金融経済危機の国際政治上の意味」(田所昌幸氏)
田所氏の報告では、今日の金融経済危機についての歴史的視点からの考察、現状の金融危機の評価、今後ありうるシナリオの提示が行われた。
そもそも金融経済危機とは2008年に初めて起きたわけではない。ざっと思いつくだけでも、1930年代の大恐慌を始めとして、60年代のポンド危機、70年代のドル・ショック、80年代ラテンアメリカの累積債務危機、90年代のアジア通貨危機などを挙げることができる。2008年のサブプライムローンを発端とする金融危機は、経済的な危機としては典型的とも言える。
2008年からの金融経済危機は上述の危機と比較した場合に二つの特徴を挙げることができる。まず、その規模の大きさである。中国、インド、ロシアやアラブ諸国といった新たな市場とプレイヤーの参入によって、金融市場はここ30年ほどで急速に成長している。これまでのケースでは、実体経済が悪化して金融危機が生じていたのに対して、2008年の場合は金融危機が先発し実体経済に影響を与えている。
次に、アメリカ発の危機という点である。80年代のラテンアメリカや、90年代のアジアの危機に対しては、それらの国の金融のガバナンスに問題があったのだとアメリカは主張してきていたのだが、今回の危機によって世界経済にモデルを提供していると主張していたハイパーパワー、アメリカ自身の金融ガバナンスの脆さが浮き彫りとなった。
では、今回の金融経済危機は、国際政治にとってどのような影響を及ぼしうるのだろうか。注意すべき点は、上述した過去の経済危機からもわかるように、必ずしも金融経済危機が政治的危機には直結しないということである。仮に、政治的な危機にまで拡大した場合でも、それが政治的秩序の全面的崩壊につながった1930年代と、新たな政治体制が再編成された1970年代の例がある。
1930年代の大恐慌は各国に保護主義を蔓延させ、振興資本主義国の急進化をまねき、脆弱ながらも存在していたベルサイユ体制を揺るがすことになった。同時に、共産主義という強力な対抗イデオロギーがあったため、資本主義の権威の低下によって、資本主義国を中心とする国際秩序は大きな打撃を受けた。
1970年代のドル・ショックは、国際金本位体制の崩壊と変動相場制の構築につながり、政治体制としてはデタント下ではあっても冷戦の枠組の下で起こったが、結果はアメリカの覇権が再編された。
今日の金融経済危機は、アメリカを中心とする経済秩序を揺るがし、新たな体制につながるのだろうか。現在、ユーロ圏や日本では実体経済に陰りが見え、中国、ロシア、アフリカの経済も連なって打撃を受けている。各国は痛手への対処方法として、ケインズ主義を復活させて市場へ介入し、環境、エネルギー、社会保障などへの大規模な投資を始めている。
各国は自国の経済を守ろうとする反面で、当面の金融安定化について合意があるが、長期的な視点でのドルの役割や金融規制の程度については簡単に意見は収斂しないだろう。ただし、資本主義の他に有力なイデオロギーは存在していないために、資本主義体制そのものからの脱却という話は聞こえてこない。
このように、現在の金融危機が当面の混乱から抜け出した時には、諸国の関係はどのように再編成されるのだろうか。以下の三つのシナリオを提示してみたい。
まず、アメリカによる国際経済秩序の再編成というシナリオである。もしもアメリカ経済が急回復し、他の国々に対して穏健なリーダーシップを発揮することができれば、再びアメリカを中心として経済秩序が作られることがありうる。
次に、国際経済秩序の多極化というシナリオである。アメリカが長期的に低迷し、中国、EU、ロシア、インドなどがパワーセンターとして台頭し、アメリカとある種の勢力圏の相互承認取り決めが行われた場合には多極化シナリオがありえる。この場合は基軸通貨としてのドルの役割が見直されているだろう。最後に、無局化のシナリオである。アメリカの他の経済圏が立ち上がるも、それぞれが保護主義的な政策をとり、複数の経済ゾーンに分解するというシナリオである。これらのシナリオのうち、どのようなルートをたどることになるかは、それぞれの国の経済の回復力、とりわけアメリカの経済的パフォーマンスが鍵を握っている。
2.第二報告「オバマ政権の外交・安全保障政策」(高畑昭男氏)
次に、オバマ政権の外交の基本姿勢と、オバマ政権の外交政策の骨子を作り上げた人々について高畑氏によって報告がなされた。
オバマ政権は、国際協調路線をその基本姿勢としている。「アメリカだけでは21世紀の脅威に対処できず、世界もアメリカなしでは対処できない」というメッセージが、オバマによって繰り返し述べられており、先のヒラリーの公聴会にも同様の発言を見つけることができる。(シカゴ国際問題評議会演説07年4月、Foreign Affairs, August/July 2007)
しかし、基本的に「強いアメリカの刷新」を第一の狙いとし、アメリカの指導力の下で自由と民主主義を世界に拡大しようとする基本路線はブッシュ前政権と変わらず、この意味で民主党版の「ブッシュ・ドクトリンの継承」とも言える。オバマ政権が21世紀の脅威だと見なしているのは、核・WMD、国際テロ、ならず者国家、米国と自由・民主主義に挑戦する台頭国家群、破綻国家・統治不能国家、地球温暖化と疾病・天災である。
オバマはこれらの脅威に対して、「アメリカの時代は終わっていない。世界が新たなビジョンと指導力をアメリカに求めている」のであり、「熟練外交、強力な軍、核不拡散の取り組みによって世界の指導的地位を刷新する」のだと論じている。(Foreign Affairs)
武力行使についてオバマは、「国益に必要なら単独の武力行使も辞さない」が、「自衛以外の公共財としての行使にはできるだけ他国の支持を求める」と述べている。(シカゴ演説、Foreign Affairs)
オバマ政権の外交の基本姿勢を構成したのは、選挙期間中からオバマを支えた四つの基盤である。第一に、2008年6月18日に発足した「国家安全保障上級作業グループ」である。6月7日に、ヒラリーは予備選撤退とオバマ支持を正式に表明した。その直後に、ヒラリー陣営をサポートしていた外交・安全保障の専門家たちはオバマ陣営に合流し、上述のグループを発足させた。
このグループには、オルブライト元国務長官、クリストファー元国務長官、ペリー元国防長官、ナン元上院軍事委員長、ボーレン元上院情報特別委員長、ハミルトン元下院外交委員長、ローマーCNP所長、レーク元大統領補佐官、S.ライス元国務次官補、G.クレイグ元国務省政策企画部長、ホルダー元司法副長官、R.ダンジク元海軍長官、J.スタインバーグ元次席補佐官が参加していたが、ホルブルックだけは不参加であった。
オバマを支えた第二の基盤は、「MGI(世界の不安要因を管理する)プロジェクト」であった。これは、ブルッキングス研究所、ニューヨーク大学、スタンフォード大学によって2007年に立ち上げられた国際協同研究である。このプロジェクトの諮問委員として、オルブライト、ペリー、S.バーガー、S.タルボットといったクリントン政権の重鎮と、共和党のスコウクロフト元大統領補佐官、R.アーミテージらが参加していた。
このプロジェクトの提出した報告書の骨子は後のオバマの外交政策と一致しており、具体的には、アメリカの信頼と指導力の回復、グアンタナモ収容所閉鎖など国際規範の尊重、単独行動主義を改めること、国際社会にグローバルな脅威への対処についての負担を分担させることを提唱していた。
第三の柱は、MGIプロジェクトのメンバーからもわかるように、クリントン政権時代の国家安全保障戦略である。アメリカは世界の国々との関係を深め、民主主義の価値を深めていくという路線を、オバマ政権も継承している。
最後の基盤はヒラリーが公聴会で主張した「スマート・パワー」戦略である。この戦略は、ハムレCSIS所長のイニシアチブでJ.ナイとアーミテージが設立した超党派委員会が2007年に提出した報告書の中に見ることができる。
そこでは、対テロ戦争の誤りを正すために、強力な軍事力に加えて、同盟、パートナーシップ、国際機構にも力を注ぐべきだと勧告されている。軍事力を基調としながらも、米軍と文民の提携・共同作業、民間NGOや民間基金、さらには広報戦略へのハリウッドの利用なども提案している。
オバマの外交政策は選挙期間中から様々な外交・安全保障の経験豊富な専門家たちによって準備されていた。政権が発足してからの外交・安保チームもやはり専門家たちの集団であり、オバマに代わって政策全般やその方向性を管理していくような腹心と言える人物は見当たらないのが特徴的でもある。
過去の様々な政権においても、誰が外交政策についてリーダーシップを握るかという争いが上級スタッフの間で繰り広げられてきたが、オバマ政権の場合も例外ではなさそうである。北朝鮮、中国についてはバイデン副大統領とS.ライス国連大使がお互いを牽制しあっており、中東についてはホルブルック・アフガン・パキスタン担当特別代表とミッチェル中東和平プロセス担当特使の関係がどうなるかわからない。さらにオバマとヒラリーの間には、外交問題についての命令系統そのものが争われる可能性が存在している。
オバマは選挙期間中から外交・安全保障の専門家を陣営に加え、ヒラリー撤退後には民主党系の専門家の大同団結をなしとげた。オバマ政権には十分に準備された外交の基本的な方針が存在しているが、個別の具体策に関してはわからないことや説明不十分なことが少なくないことも指摘できる。この方針が具体的にどのような外交・安全保障政策に結実していくのかは、国際情勢が影響を及ぼすのはもちろんのこと、上級スタッフたちがこれから築き上げていく相互の関係にも大きく左右されるだろう。
(報告:梅川 健)