2009年5月21日に第17回研究が開催されました。本研究会では、中東情勢とアメリカの外交政策をテーマとして、水口章氏(敬愛大学教授)からイランの大統領選挙と中東情勢についての報告をしていただき、次に、孫崎享氏(元駐イラン大使、元駐ウズベキスタン大使)から中東に関するアメリカの戦略について報告をしていただきました。
1.第一報告「イランの大統領選挙と中東情勢の行方」(水口章氏)
現在のイラン政府の外交には三つの柱があると言われている。第一に、イラン革命のイデオロギーを中東全域に広めること、第二にイランの国家としての長期的利益を守り抜くこと、第三に中東地域の現状の変更である。
現在の中東情勢は、イランにとって満足のいかないものである。イランはイスラム教シーア派の国家であるが、スンニー派が中東全域で優勢である。イスラム教の聖地であるメッカとメディナを抱えるサウジアラビアにはアメリカ軍関係者がいる。また、エルサレムはイスラエルによって管理されている。さらに、欧米の自由化・民主化の波や、欧米を中心とした安全保障体制が中東を覆うようになってきている。
イランが不満を抱える中東情勢は、イランに拡大を誘引するような政治と経済の潮流を生み出している。湾岸戦争やイラク戦争といったメソポタミアへの異教徒の介入は、イスラム神権体制のイランにとって許すことのできない事態である。異教徒の筆頭であるアメリカは1993年のソマリア介入以降「力の行使」に失敗しており、イスラム社会の中には、アメリカとも戦えるという自信が芽生えている。近年、そのような自信をもとにして、イスラム過激派の武装グループの台頭も見られる。
中東和平交渉は停滞しており、イスラエルと和平合意をしているエジプト、ヨルダンはスンニー派の国であり、交渉中のパレスチナのファタハもスンニー派である。聖地奪還を主張するシーア派のイランの評価はイスラム世界で高まっている。中東地域の民主化の流れも、実はイランの拡大の好機となっている。例えばエジプトなど民主化が進みつつある国でシーア派の宗教組織が政治活動を行おうとする動きも見られる。この活動がモスクのネットワークを利用しながら広がっている点は、イラン革命時に似ているようにも思う。
イランの拡大の手法はその他にも、核開発やミサイル開発、レバノンのヒズボラやパレスチナのハマスといった反体制勢力の支援、さらには「抑圧者からの解放」というイスラム共同体における「正義」のプロパガンダを掲げて、穏健アラブ諸国を厳しく糾弾することなどが挙げられる。
イランの中東和平交渉の戦略は大きく二つに分けることができる。第一にエルサレムの解放を目指した長期的消耗戦による勝利である。イランは、イスラエルとパレスチナの二国家共存路線を目指すアブドゥラ和平提案に反対しており、さらにはハマスやヒズボラといった反体制勢力の支援を行っている。イランはマドリード和平プロセスについても否定しており、イスラエルの存在の否定を骨子として掲げている。イランは、レバノンに対しては、ヒズボラに資金と武器を援助するにとどまらず、総選挙において反米勢力の勝利の支援さえしてきた。
第二の戦略は、国連や国際社会に対して「パレスチナの解放」や「イスラエルの核兵器保有への非難」を提唱することによって、アメリカとイスラエルを国際社会から孤立させるというものである。
ただし、イランと中東情勢をとりまく状況には不確実要素が多く存在している。6月に行われる大統領選挙で、アフマディネジャドが敗北した場合、イランの外交政策は変化する可能性もないわけではない。イランは今後、サウジアラビア、エジプト、ヨルダン、モロッコといった国々に、リージョンパワーとして認めさせることができるのか、イランの核開発はアメリカに認められるのだろうかといった事柄は、イランの外交政策の基本を変更する可能性のある重要性を秘めており、今後の動向が注目される。
2.第二報告「米国戦略と中東情勢」(孫崎享氏)
アメリカの外交政策を考えるときにまず確認せねばならないことは、政策の行方をめぐって様々な立場の政治家、利益集団がぶつかり合い、綱引きを行っているということである。オバマ政権での中東政策でも、そのような利益や見解の対立を見ることができる。国家情報会議議長には、チャールズ・フリーマン元サウジアラビア大使が就任する予定であったが、イスラエル・ロビーがこの人選を嫌い、フリーマンは指名を辞退に追い込まれたが、このケースは中東政策をめぐる見解の対立を鮮やかに示している。
アメリカの中東政策を考えるにあたり、まず、ブッシュ政権が戦ったイラク戦争の意味を問い直す必要がある。アメリカにとって、イラク戦争とは、非常に負担の重い戦争であった。2009年3月までに米兵の死者数は4230名にものぼり、これまでにイラクに関連して3兆ドルを投入しており、経済的負担も甚大である。
なぜこのような戦争をアメリカが始め、継続しているのかについては、イラクが大量破壊兵器を保持しているため、あるいはフセインとアルカイダが関係しているためという説明がアメリカ政府によってなされてきたが、イラク戦争開戦後に明らかになったように、そのような事実はなかった。また、石油利権が絡んでいると、まことしやかに論じられることもあるが、その説にも信憑性はない。
アメリカがイラク戦争を継続している最大の理由は、二つある。第一に、冷戦終結後の世界に「脅威」を設定することによって、米軍を維持するためである。この傾向はジョージ・H・W・ブッシュ政権からクリントン政権、ジョージ・W・ブッシュ政権に受け継がれ、今日のオバマ政権にも引き継がれている。
第二の要因がイスラエルである。2002年にブッシュ政権がテロとの戦いを始めたとき、戦うべきテロリストの集団にはアルカイダに加えて、ハマスとヒズボラがリストアップされており、アメリカによるテロとの戦いは、イスラエルのためのテロとの戦いと同義であったのである。オバマはテロとの戦いというブッシュ政権のレトリックは用いないが、5月18日に、イスラエルの安全を確保することはアメリカの国益の一部であると、述べている。
中東和平はオバマ政権にとっても重要な課題であるが、ここには二つのシナリオがありうる。一つはイスラエルの安全保障を力で守ることである。すなわち、イスラエルに核という軍事的優位を与え、イランの核開発を許さないという戦略である。この戦略では、アメリカはパレスチナへ武器と資金が流れ込むルートを切断し、テロとの戦いを継続する必要がある。
もう一つは、パレスチナ問題を交渉によって解決するというシナリオである。もしも中東和平が交渉によって実現すれば、イスラエルの軍事的優位を追求する必要は弱まり、アメリカはテロとの戦いを沈静化することもできるし、周辺諸国をアメリカの支配下に置く必要性も後退する。しかしながら、イスラエルのネタニヤフ首相は、イスラエルとパレスチナの二国家共存路線を拒否しており、この点でアメリカとイスラエルの見解が異なっている。
<質疑応答>
Q.オバマ政権には、アフガニスタンへのさらなる介入を求めるペトレイアス中央軍司令官と、早期に出口戦略を整えるべきだと主張するバイデン副大統領という二つの路線が存在していたが、オバマがペトレイアスの主張するアフガニスタンへの介入を選択したのはなぜか?
A.現在のパキスタンは破綻国家となる危険性が高く、もしも破綻した場合にはパキスタンがテロの温床となり、核の拡散にもつながってしまう。オバマ政権は、パキスタンによる核の拡散と、アフガニスタンのテロリストの問題も結びつけて考えるようになっており、そのためにもアフガニスタンへの介入を決めたのではないか。(水口氏)
A.ブッシュ政権が始めたテロとの戦いはアルカイダとハマスとヒズボラがそのターゲットであった。もしも、アメリカがイスラエルの安全保障を優先し今日もテロとの戦いを継続するならば、テロ戦争の原点であるアフガニスタンへの介入は欠かせない。(孫崎氏)
Q. 5月20日のイランによるミサイル試射実験はどのようなメッセージを伝えていると考えればいいのか?
A. 一つには、将来にアメリカ配下のイラクが誕生し、周囲をイランの敵対勢力に囲まれて緊張が高まった場合にそなえての実験だと考えられる。もう一つは、イランのアフマディネジャド大統領による、6月の大統領選挙を見据えての国内向けのメッセージだと考えられる。(水口氏)
A.イランは近く大統領選挙を迎えるが、イラン国民は基本的に改革を志向している。この中、アフマディネジャドは外交における危機を演出することで支持率の上昇をねらったと考えられる。 (孫崎氏)
Q.イラン国民は、改革を志向しているという話だったが、どのような変化がイランに生じてきているのか?
A.イランでは女性の高学歴化が進んでおり、理系の分野にも女性が進出するようになってきている。このような新しい動きが、イランを内在的に変化させる可能性を持っている。(孫崎氏)
A.現在、改革派に対しては、ハタミの失敗が非難の焦点となっているが、実はイランには改革派よりもリベラルな人々がいる。彼らはフランスに留学し、自由、平等、博愛といった概念を学び取りイランに戻っている。現在、50代の層にそのような人々がいるはずだかが、いまだ沈黙を保っている。(水口氏)
Q.オバマはイランにむけて、友好的なメッセージを送っている。このようなオバマのメッセージは中東ではどのように受け取られているのか?
A.イランのメディアは、オバマは口だけだという捉え方をしている。イランに対して、イスラエルに対してどのような行動をこれから取るのか、イランのメディアは注視している。(水口氏)
Q.イランとアメリカとの交渉上、パレスチナや核という問題で、イランの譲れないラインはどの辺か?
A.イランの国民にとり核開発は、経済的に合理的であること、および技術の最高水準である分野に取り組むという意識がある。イランは経済発展の結果として、石油と天然ガスだけではエネルギーをまかなうことができなくなってきている。しかしながら、米国はイランの各開発を軍事目的であると決めつけてしまっている。イランの人々にとって、軍事目的ではない経済目的の各開発までも、他国に制限されるいわれはないというのが、共通した見解である。(孫崎氏)
A.イランはウラン濃縮については譲らないだろう。中国がイランの核開発にかつて絡んでいた。安保理の対イラン圧力についてはロシアと中国が積極的ではない。特に中国はイランとの間で合意が形成されなければ動かない。したがって、国連を舞台としたイラン核開発問題はあまり進展しないと思う。 (水口氏)
(文責:梅川健)