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第23回現代アメリカ研究会報告

April 7, 2010

3月15日に研究会が開催されました。今回は、天野拓氏(熊本県立大学)と廣瀬淳子氏(国会図書館)より、オバマ政権の医療保険改革法案について報告していただきました。ご報告をいただいた時期には、アメリカ議会ではまさに医療保険改革が佳境にさしかかっており、時宜を得た研究会となりました。(医療保険改革法案は、3月21日に下院を通過し、23日にオバマ大統領の署名により成立しました。)

第一報告 「オバマ政権の医療保険改革」天野拓氏(熊本県立大学総合管理学部准教授)

1. オバマ政権の医療保険改革の現状

アメリカにおいて、国民皆保険制度は、これまで存在して来なかった。20世紀のアメリカの医療政策の歴史は、国民皆保険制度を導入する試みの失敗の歴史であったとも言える。その意味で、オバマ政権の試みは、アメリカが歴史上最も国民皆保険に近づいているケースということができる(追記:そしてその後、実際にその導入に成功した)。

これにはいくつかの理由がある。第一に、経済不況が深刻化するとともに、無保険者が増加していること。第二に、上院で60議席(エドワード・ケネディの死去とその後の補選での共和党のスコット・ブラウンの勝利により59議席へ)、下院で255議席を獲得し、議会において民主党が圧倒的多数を占める、優位な状況が存在したこと。

第三に、マサチューセッツ州において2006年の段階で州民皆保険が実現し、連邦レベルにおいても、皆保険を目指す上での成功例となっていること。第四に、医療保険改革に利害関係を持つ主要な団体が、相対的に見て激しい反対運動を展開しなかったこと(医師会は改革を支持しており、従来反対の立場であった製薬会社も今回は支持を表明している。また、最も強い反対勢力である保険業界も、オバマの改革については、90年代のクリントン政権による改革のときのような激しい批判を行っていない)、などが挙げられる。

オバマ政権はこのような恵まれた政治状況にあったため、医療保険改革は2009年中には決着するだろうと思われていた。にもかかわらず、結局、最終的な決着は2010年3月まで、伸びることになった。オバマ政権が一年目の最優先課題として注力した改革は、なぜこのように予想外に時間がかかってしまったのだろうか?

その理由は、政党政治レベルでの改革の内容や方向性をめぐる激しい対立の存在である。すなわち、民主・共和両党間の激しい対立ゆえに超党派路線を確立することの難しさと、民主党内における深刻な路線対立の存在である。民主党リベラル派、民主党穏健派、共和党というという三者の間で、改革の内容や方向性をめぐる路線対立を調停することは容易ではないということである。

2. 医療改革をめぐる対立の構図

1980年代以降、共和党内では中道派にかわって保守派が圧倒的多数となった。それにより、民主党との間で積極的な妥協に応じる共和党議員や、超党派的な合意を重視する議員が減っていき、共和党と民主党との間の政治的な合意形成は難しくなっていった。

医療保険改革についても、共和党内では保守派を中心に、とりわけ1990年代以降、政府と企業が大きな役割を果たしている医療保障制度を、個人の自由と自己責任の原則に依拠する方向で積極的に改革する姿勢を打ち出しており、その結果、民主党との妥協は一層困難なものになっている。

オバマ政権の改革案に対する共和党側の代替案には、たとえば次のようなものがある。1)個人が自由と自己責任のもとに医療費を拠出・管理する医療貯蓄口座の推進。2)政府や企業を介さず、個人がみずからの選択で民間保険に加入する個人購買保険の促進。3)連邦レベルではなく州レベルでの無保険者対策の重視。4)損害賠償額に上限を設ける方向での医療過誤訴訟制度改革。5)メディケアの民営化の一層の推進。これらはどれも、民主党案とは相容れない改革案である。

共和党が独自の路線を持つ一方で、民主党内にもリベラル派と穏健派の路線対立が存在している。リベラル派が公的医療保険制度の拡張や公的規制の強化を重視しているのに対して、穏健派は民間保険制度や市場競争原理を重視しているのである。オバマ政権の医療改革をめぐる、具体的な対立点は以下の表の通りである。

3. 改革案の審議過程

3-1 下院

下院では、医療改革法案は、歳入委員会、教育・労働委員会、エネルギー・商業委員会の3つの委員会で審議が行われた。オバマ大統領は超党派での法案作成を訴えてはいたが、それぞれの委員会において、最終的に超党派の路線は放棄され、共和党議員は議論の蚊帳の外に置かれた。結果として、下院法案は、上院案と比較して、リベラル色の強いものとなった。

共和党議員は夏の休会期間に、新たな公的保険プランの創設によって政府の介入が強化され、国民の選択肢が奪われてしまうこと、国民の受けることのできる医療サービスが大幅に制限されてしまうこと、などを訴えて激しい反対キャンペーンを展開した。

法案に盛り込まれたリベラルな内容は、上述したように民主党内の穏健派の反対も引き起こした。民主党には共和党が優位な選挙区から選出されている議員がおり、彼らはブルー・ドッグと呼ばれ、リベラルではなく穏健な立場をとり、民主党内の一つの投票ブロックとして影響力を持っている。ブルー・ドッグの反対は、たとえばパブリック・オプションなどに対して向けられた。

下院案は最終的に、11月7日の本会議で220対215で可決された。中絶に公費が使われることを制限すること、パブリック・オプションの内容を緩和することなどによって、民主党穏健派議員を取り込もうとしたものの、民主党から39人の反対者を出し、さらに共和党からは一人の賛成も得られないという苦い結果であった。

3-2 上院

上院では、財政委員会と医療教育労働年金(HELP)委員会の二つの委員会で審議がされた。リベラル色の強いHELP委員会では超党派路線が放棄され、民主党の単独で採決が行われた。他方、財政委員会では超党派での審議が続けられたが、超党派の合意形成のための協議は長期化するばかりであった。

パブリック・オプションについては、民主党内でもやはり批判の声が上がり、最終的には法案への盛り込みは見送られた。また企業雇用者に対する保険提供の義務付けも削除されるなど、上院案は下院案と比べるとリベラル色の弱いものになった。皮肉なことに、超党派の合意形成を目指して審議を長期化させたにもかかわらず、12月24日の本会議での投票の結果は60対39であり、共和党からは一人の賛成も得られなかった。

4. その後の展開

下院案と上院案は、内容の点で、大きく異なる法案として成立した。アメリカの議会では上院と下院で異なる内容の法案が通過した場合には、両院協議会において一本化した後に、再び両本会議での投票を必要とする。しかし、12月24日に上院案が通過し、これから両院協議会という場面で、医療改革を推進してきたエドワード・ケネディの死去にともなう上院補選で、民主党がまさかの敗北を喫してしまった。この敗北は、医療改革そのもの、さらには議会審議の長期化への不満であったと評価することができる。

オバマ大統領と民主党下院議長のペロシは、再び改革を超党派で進めていくとの方向転換を試みたが、すでに超党派路線は2009年の段階で破綻していた。危機感をもったオバマ大統領は、これまでは全体的に見て議会にイニシアティブを譲っていたものの、ここにきて、リーダーシップを発揮し始めた。2月22日には、保険料規制の強化などを盛り込んだ独自の提案を公表し、2月25日になると、民主党議員と共和党議員を集め、超党派サミットを開催したのである。

5. 今後の展開

上院補選の敗北によって、民主党は上院でフィリバスターを止めるための60票を割り込むことになり、両院協議会で修正された法案が上院を再び通過する見通しは立たなくなった。そこで、考えられたプランは、上院案を下院で可決することによって、上院の本会議に付託することなく、大統領の元へと法案を送るというものである。ただし、下院民主党内の上院案に対して批判的な勢力にそれへの賛成票を投じさせるために、reconciliationというかたちでの予算審議による、法案の修正手続きに盛り込むことが検討された(これによれば、上院でも単純過半数(51票)の賛成があれば、法案は可決される)。(追記:最終的には、法案はその後可決成立することになる)。

全体的に見て、オバマ政権は、クリントン政権とはかなり異なる戦略を採用したということができる。クリントン政権のケースでは、ホワイトハウス主導で法案を作成し、それを議会に持ち込むという戦略がとられたが、それが議会での激しい反発を招き、結局本格的に本会議にかけられることもなく廃案となった。

オバマ政権ではその轍をふまえ、基本的に、議会に法案作成と審議を任せるという戦略に出た。その結果、法案作成・審議には予想外に長い時間がかかったものの、開かれた柔軟な議論が可能となったといえる。また、上院補選での敗北以降は、一転してオバマ大統領自らがリーダーシップをとり、民主党内反対派議員の粘り強い説得にあたった。こうした政治戦略が、長い間国民皆保険は実現不可能だと考えられてきたアメリカにおいて、改革が実現したひとつの要因となった点は確かであり、大統領の戦略は、その点では評価に値する。

第二報告 「オバマ政権の優先政策課題の立法動向:医療保険改革法案を中心に」廣瀬淳子氏(国会図書館)

1. 医療保険改革法案

オバマ政権の医療保険改革法案における戦略は、ホワイトハウスで原案を用意するのではなく、議会の委員会にその法案作成を任せ、議会内での同意形成を円滑にしようというものであった。この戦略は、先の天野報告にあったように、法案が上院と下院の本会議を通過するというこれまでにない成果につながったといえる。

しかし、議会の委員会に政策立案を任せるという戦略は、いくつかの問題も引き起こした。問題の第一は、法案の作成とすり合わせに膨大な時間と労力が必要になった点である。近年の議会では、大きな法案であればあるほど様々な委員会の管轄分野を横断するために、複数委員会で審議が行われるというのが通常である。今回の医療保険改革法案についても、下院で3委員会、上院の2委員会で審議が行われることになった。このことは、連邦議会内に、医療保険改革法についての5つの個別の法案がゼロから作られることを意味していた。

結果として、それぞれの委員会内での原案作成について非常に多くの時間と労力が注ぎ込まれ、さらには下院と上院のそれぞれで、各委員会案を一本化するためにも膨大な時間を割くことになったのである。現在は、下院と上院で通過した異なる医療保険改革法案をどのように一本化するかという段階である。

問題の第二は、5本の法案で法案の主要条項に大きな相違があったために、医療保険改革法案が具体的にどのようなものとなるのか、何がどうかわるのか、国民に明確な統一的なメッセージを伝えることができないままに長い時間をかけたことである。議会や委員会では、このようなメッセージを伝えることはできない。オバマ大統領はこの状況を打開するために9月に異例の議会演説を行った。当初は総論としては医療保険改革の必要性を感じ支持していた国民も、法案の具体像が次第に明らかになるにつれて支持しなくなっていった流れを変える必要があったためだ。

第三の問題は、民主党内の亀裂が明確になった点である。下院ペロシ議長などの党内リベラル派と、ブルードッグ・コアリションという財政保守派のグループの対立である。特にパブリック・オブションと呼ばれた公的保険導入を巡って大きな対立がみられた。財源や移民への適用などの点でも対立がみられる。ブルードッグは現在下院で50名を超えるメンバーがいる。委員会段階でも共和党議員と協働して法案審査が遅れる場面がみられた。今後もこのグループが結束すると大きな影響が出る。

上院案と下院案の一本化は、通常は両院協議会においてすりあわせが行われるが、民主党は上院で60議席を失ったために、二段階の通過戦略がとられるようだ。第一段階は下院での上院通過法案を再通過、第二段階は予算調整法案に盛り込んでの両院の相違点の調整だ。

しかしながら、上院案に批判的な民主党議員も多く、民主党指導部は予算調整手続きを用いることによって彼らと取引をしようとしているのが現状である。予算調整法案の審議においては、特殊な審議ルールが適応され、上院の本会議で通常では許されているフィリバスターが禁止されており、また討論時間も制限される。民主党のこのような試みに対して共和党は、予算調整法案に予算とは無関係の条項を盛り込むことを禁止するByrd Ruleを適用することで、そのもくろみを阻もうとしている。このルールの適用を除外するには60票が必要となるためである。

今後の法案の成否のカギは、民主党議員の結束にある。特に下院法案の採決の際に造反した共和党優位の選挙区から選出されている民主党議員の動向が法案の成否を左右するだろう。

大統領の議会対策についての評価は現時点では難しい。エマニュエル首席大統領補佐官への評価も分かれており、その進退に関する報道も出始めている。オバマ大統領は今年2月のホワイトハウスでのサミット以降、外遊日程も延期して、議員の説得に全精力を傾けている。この法案が成立しなければ政権は完全に求心力を失ってしまう。11月の中間選挙に向けて、この法案が成立すれば民主党の支持基盤を固める効果はあるのではないか。もちろん共和党寄りの選挙区選出の民主党議員にはマイナスの影響があるだろうが、彼らの選挙基盤はもともと弱い。

2. 他の政策課題

オバマ政権一年目の最大の立法成果は景気刺激法であった。他にも、子供医療保険拡充法、2010年度予算決議、住宅差し押さえ防止法、クレジットカード規制法、兵器調達改革法、失業給付延長法、2010年度歳出予算法などを重要な立法成果として挙げることができる。ただし、予算以外のこれらの多くは、当面の緊急課題の解決や前政権からの積み残しの課題の処理であったとも言える。

他の重要な政策課題については、医療保険改革法案に見られるような議会における激しい党派対立、あるいはグアンタナモ基地テロ容疑者収容施設閉鎖問題に見られるような議会の強い抵抗などにより、審議の遅れが生じている。

大統領が立場を明確にした法案に対する議会の支持率は、96.7%と歴史的な高率になっている。前議会に比べて民主党が両院で議席を伸ばしたが、激しい党派対立は継続している。政権一年目の成立法案数は、ほかの政権に比べて少なくなっている。

議会は先の医療保険改革法案について原案を作成したが、これにより議会は重要な委員会の時間と人材のリソースを医療保険改革法案の作成に割くことになった。結果として、他の重要政策における議論の遅れを引き起こすことになっている。

オバマ政権が積み残した政策課題として、気候変動政策、エネルギー政策、アフガニスタン政策、金融機関規制、財政赤字削減、雇用対策などを挙げることができる。いずれも政権が大きな改革を目指したり、解決の難しい問題だったりする。財政赤字削減に向けては超党派での政策の作成を強調している。これらの重要な政策課題において、二年目の政権がどれほどの成果を上げることが出来るかが、11月の中間選挙に向けて重要な焦点となるだろう。

<質疑応答>

Q. オバマ政権の特徴は、大統領も補佐官も過去の大統領の成功や失敗をよく学び、「政権一年目にできるだけ多くの法案を通過させること」を非常に重視したことだ。しかし、実際には一年目の成果は目を見張るほどではなかった。景気刺激法が通過したことさえ、奇跡的であったといえるかもしれない。
それでは、オバマ政権は医療保険改革については、クリントン政権の失敗をどのように教訓にしたのだろうか?

A(天野氏) クリントン政権ではホワイトハウスで全て法案を作成し、結果として本会議にもかからなかった。そのためオバマ政権は、議会に法案作成を任せることで議論をオープンにし、あらかじめ議員たちに交渉をさせることで、上院と下院での法案通過という成果を得たのだと考えられる。また、クリントン政権では医療保険改革の中心となったヒラリーは友好的な少数の団体とのみ関わり、議論からはじき出された団体からの激しい批判にさらされた。オバマ政権では、それらの団体は議会の委員会にアクセスすることができたのでそのような不満が少なく、結果としてネガティブな宣伝がクリントン政権期に比べて少なくなったと考えられる。

Q 民主党にとっては、医療保険改革法案を通した方が政治的に得になるのか? あるいは通さない方が政治的に得になるのか?

A(廣瀬氏) もし法案が通れば民主党はリベラルであるという基本的なポジションを強調することになり、通過させることができなければ無能な政権と議会だと誹られることになる。また、医療保険改革は長年の民主党に悲願であり、民主党としては通過させることが政治的に重要だろう。

Q 今後、下院において上院案を丸呑みさせる場合に、下院案に比べて穏健である上院案は、先の下院案通過のときとは異なる政治力学が働くのではないか。具体的には、リベラルな下院案の投票では穏健派が造反したが、穏健な上院案では最もリベラルな議員たちが反対票を投じる可能性があるのではないか。

A(天野氏) 確かにそのような可能性はある。ただし、上院案では公費を中絶に用いることが許されている。この点で民主党穏健派のブルー・ドッグはやはり下院案と同じく、簡単には賛成しないだろう。

Q 健康保険改革について、世論調査における不支持が支持を上回ったのはいつ頃か?

A(廣瀬氏) 2009年の夏から秋にかけて、医療保険改革法案の審議が長期化するに伴い政策への支持率は低下していった。この時期に、世論はオバマ大統領のリーダーシップを求めていたと考えることができる。

■報告:梅川健(東京大学法学政治学研究科博士課程)

    • 東京都立大学法学部教授
    • 梅川 健
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