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「企業の社会的責任」から「企業の社会的価値」へ

C-2023-008

  •  CSR委員会委員/所長
    安西祐一郎
1.はじめに
2.工業化社会における企業の隆盛への反省に立った企業の目的「Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)」
3.デジタル革命のもとでの企業の目的-「Corporate Social Value(企業の社会的価値)」
4.「企業の社会的価値」論と企業戦略論の違い
5.「企業の社会的価値」を決める要因
6.おわりに-「社会的動物」としての人間と「企業の社会的価値」

1.はじめに

 今年は、東京財団政策研究所にCSR研究プロジェクトが創設されてから10年目にあたる。その間、CSRCorporate Social Responsibility; 本稿では「企業の社会的責任」と訳す)は、多くの企業の活動として取り上げられるようになってきた。時代潮流の変化を早くから見越して同プロジェクトを立ち上げた方々、また、毎年行っている企業調査にご協力くださっている企業の皆様を始め、プロジェクトに貢献してこられたすべての方々に、心から感謝を申し上げたい。
その一方で、特に営利企業の多くにとって、利益の追求と狭い意味でのステークホルダーへの配分だけでなく広く社会に貢献していくことが、簡単でないのも事実であろう。CSRを取り巻く課題は広く、日本のいわゆる会社企業[1]だけを取っても内容は千差万別であり、その分布に伴ってCSRについての見方、考え方も多様と考えられる。
そんな背景を背負いつつ、本稿では、むしろ時代を俯瞰する観点に立って、18世紀産業革命から21世紀デジタル革命[2]への社会構造の変化の中で企業の目的自体が変わりつつあること、その結果としてCSRの概念もまたデジタル革命の時代に見合った概念に変化していかざるを得ないことを、問題提起として指摘しておきたい。 

2.工業化社会における企業の隆盛への反省に立った企業の目的「Corporate Social Responsibility(企業の社会的責任)」

【近代企業とCSR概念の歴史的な経緯】

企業の概念やCSRの概念の詳しい歴史、また個別企業の歩みについては専門家に譲るとして、時代を俯瞰しておおまかに言えば、営利企業が今のように世界経済の基盤を成すようになった経緯は、18世紀産業革命による産業資本主義の勃興、及びその後の工業化社会の発展と軌を一にしている[3]
18世紀から20世紀にかけての工業化社会の発展の中で現在の企業の設置形態が育まれてきたのだとすれば、近代企業におけるCSR活動は、企業の形態が発展してきた歴史的経緯のもとで普及するようになったとみなすことができる。
特に、企業活動の影響が狭い意味でのステークホルダーを超えて社会全体に及ぶようになり、社会への影響に対して企業が説明責任を持つ必要が出てきたことが、CSR活動の普及を促してきた。
ただし、CSRの概念自体は、日本にもヨーロッパにも古くからある[4]。これに対して現在のようなCSR活動が20世紀半ば以降に企業活動の一環を担うようになったのは、近代の企業活動の負の側面、例えば環境公害、法令義務違反などが社会に多大な影響を及ぼすケースが増えたこと、及び企業の巨大化によってこれらの負の側面が安全保障をも含むようなグローバルな影響を与えるようになったことによるところが大きいと考えられる。

【「企業の社会的責任」における「責任」の意味】

上に述べた近代企業とCSR概念の歴史的な経緯はごくおおまかな見方に過ぎないが、基本的には当たっているとすれば、CSRすなわち「企業の社会的責任」という言葉には、社会に大きな負の影響を与え得るようになった企業が反省を含めて負わなければならない「責任」というニュアンスが含まれていることになる。
また、現代のCSR活動全般についてのこのような負のニュアンスに加え、日本語の「企業の社会的責任」には別の負の感情が加わっているように思われる。その理由は、「責」の語源が「他者の過失を非難すること」にあり、responsibilityが意味する「行為が他者に与える影響に対して応える(respond)」とは相当の開きがある点にある。日本語で「あなたには責任がある」というと、プラグマティックには「責任を取って早く辞めなさい」のような意味が含まれる[5]
さらに、日本の場合には、「世間」の文化がある。突出すると世間から白い眼で見られる、その一方で皆がしていることに同調しないと世間から責められる、横並びであれば安心していられるという文化がある[6]
企業の主要な目的の一つであるべきCSR活動を企業自体がどうしても付属的な目的と感じてしまうとすれば、特に日本の企業の場合、さきに述べた3点が重なっていることが背景にあるのではないだろうか。それら3点を改めて挙げれば、次の通りである。

①工業化社会の帰結としての負の側面を解消する目的もあって生まれたと考えられる現代のCSR概念
②日本語の「責任」に纏いつく負のニュアンス
③「世間から責められる」という周囲を気にする文化

3.デジタル革命のもとでの企業の目的-「Corporate Social Value(企業の社会的価値)」

【産業革命からデジタル革命へ-社会の転換と企業の転換】

上に述べてきたことは、産業革命以降の企業の発展をおおまかに捉え、その歴史の中にCSR活動を位置づけたときの一つの見方であって、すべての企業が悪いとか、日本の企業がすべて良くないと言っているわけではもちろんない。
ただ、前節に述べたような、近代企業を隆盛に導き、その結果として現在のCSR活動を産んできた時代の流れは、今大きく変わりつつある。この時代潮流の変化は、これまでの企業の概念を変え、結果としてCSRの概念を変えていくことになるであろう。
時代潮流の変化とは、冒頭に述べたデジタル革命による国内外の社会構造の転換にほかならない。18世紀前半以降約100年にわたって続いた産業革命[7]を先導したのが蒸気機関の普及に象徴される技術革新だったように、今は情報技術革新によるデジタル革命が世界を覆い、産業資本主義から金融資本主義を経て、データや知識を資源とする知識資本主義的な新しい経済構造への転換、さらには新たな社会構造への転換が起こりつつある。

【デジタル革命のもとでの企業と「企業の社会的価値」】

とりわけ企業については、デジタル革命によるデータや知識の資源化、及びその資源のグローバル性(世界のどこにおいても資源として活用できる)、コピー可能性(ほぼ無料でいくらでもコピーできる)、及び即時性(処理や運搬に要する時間がきわめて少ない)は、工業化社会を前提とした近代企業の活動形態を抜本的に変えつつある。
デジタル革命が企業活動に与える影響の代表的な例だけでも、デジタルネットワークやデータベース技術に支えられたマーケットのグローバル化、グローバル・サプライチェーンを駆使した資源調達や生産工程の分散化、半導体回路に見られるような設計と生産の分離などの変革はもとより、農業など第一次産業の構造転換、小売業、サービス業、ホワイトカラーの仕事など、挙げればきりがない。新聞、放送、教育、病院、介護施設、さらには研究開発やコンサルティング、弁護士や会計士の仕事、その他、ほとんどあらゆる分野にわたって、企業や仕事の在り方は変わらざるを得ない。
企業の資金や労務の問題に絞っても、資金調達の方法、雇用や採用、勤務体制の在り方、資本家と労働者の関係(同一人が資本家と労働者を兼ねる場合や、資本家と労働者が入れ替わる場合が多々あり、19世紀以来の資本・労働の構造が崩れている)など、多々挙げることができる。
工業化社会の歴史の成果であった近代企業とデジタル革命下の企業の違いは、デジタル革命のもとでは、企業自体が「グローバル性」、「コピー可能性」、「即時性」というデジタルデータの特徴に依存した、状況変化の速さと大きさに「迅速に対応できる」、あるいは速さと大きさを「乗り越えることのできる」、目的、構造、実行体制を持たざるを得ない点にある。 

【「エネルギーと力」の時代から「情報と価値」の時代へ】

特に、以下に理由を述べるように、企業の目的として、社会が短期的、あるいは長期的に求める「価値」を、適応的な組織として柔軟に提供できることを重視していかざるを得ない。つまり、「経済的利益の追求」という目的から「社会的価値の産出、持続、拡大」へと、企業の目的そのものも変化せざるを得ない。
その基本的な理由は、産業革命がエネルギー革命であり、エネルギーは「力」であるのに対して、デジタル革命は情報革命であり、情報はその定義からも「価値」と表裏一体[8]だという点にある(情報と「価値」の関係については[8]参照)。「エネルギー」と「力」は工業化社会を支える科学的な基礎概念であり、近代企業隆盛の基盤であった。これに対して「情報」と「価値」は情報化社会の基礎概念であり、これからの企業は「情報」の処理を行って「価値」を産み出し、その価値を持続させ、拡大させるシステムとして機能することになる[9]
近代企業が背負ってきた「企業の社会的責任」は、デジタル革命下の企業にとっても企業の目的の一環として引き続き重要である。しかし、デジタル革命の時代には、ネガティブな意味を背負った「責任」だけでなく、ポジティブな意味を併せ持つ「企業の社会的価値」を実現し、持続させ、拡大させることを企業の基本的な目的とすることが、時代に適合した企業の在り方を創り出していくのではないか。「情報」と「価値」は表裏一体であるという考え方に立てば、このような企業目的の転換は、時代の転換のもとでの自然な考え方とみなすことができよう。 

4.「企業の社会的価値」論と企業戦略論の違い

「企業の社会的価値」といっても抽象的で、定量的に評価する何らかの方法論がなければ口先だけのことに終わるだろう。その一方で、企業が産み出した社会的価値を評価する方法論の開発や、「社会的価値」の産出を個々の企業が決める目的や戦略とみなす議論は、広く言えばすでに多々行われてきた。以下、それらの議論のうちの3点を挙げて本稿で述べている「企業の社会的価値」論との違いを述べる。その後、次節で「企業の社会的価値」の評価方法について論じる。

【社会的インパクトを評価する指標】

とりわけ、国連が主導したSDGs活動の評価やよく言われるESG投資の評価などへの応用を含めると、企業の社会的インパクトを評価する指標の開発が以前から多々進められている[10]。よく言及される指標には、例えば社会的投資収益率(SROI; Social Return on Investment)がある[11]
しかしながら、こうした経済指標の開発としては、CSR活動の効果を評価するというよりは、ESG投資などへの具体的な応用を目的としたものが多いように見受けられる。
その一方で、CSRとは「企業の社会的責任」であって、SDGsESGの概念とは、共通点はあるものの、基本的には異なるものである。まして本稿で述べている「企業の社会的価値」の概念は、CSRはもとよりSDGsESGとも異なる。したがって、SROIをはじめとして従来から開発されてきた種々の指標を直接応用するだけでは、本稿でいう「企業の社会的価値」を評価することはできない。

【共有価値の創出】

「企業の社会的価値」を前面に押し出す議論には多くの論考があるが、なかでも利益の追求と「社会的価値の創出」の融合を論じた研究が多々行われてきた。例えば、こうした融合が企業の戦略として有効であることを早くから論じた企業戦略論としてよく知られているものに、マイケル・ポーターらによる「CSV; Creating Shared Value(共有価値の創出)」の主張がある[12]
ポーターらによる議論は2000年代半ばに提唱された企業戦略論として大きな反響を呼び、その後の企業の戦略にも影響を与えた。しかし、「価値」という用語を使ってはいるものの、この議論は個々の企業が取るべき戦略としての議論であって、これからの企業の目的一般の在るべき姿を考えている本稿の「企業の社会的価値」論とは観点が異なる。

【「パーパス経営」論との違い】

昨今よく言われる「パーパス経営(purpose-driven management)」[13]は、社会的価値を企業経営の目的と見立てる企業戦略の概念であり、「企業の社会的価値」を企業の基本的な目的とみなす点では、本稿の「企業の社会的価値」論と重なる部分がある。
実際、「パーパス経営」の概念が喧伝されるようになった背景には、本稿で論じているような、社会構造の転換による企業の目的の転換が視野に入ってきた時代の移り変わりがある。ただし、「パーパス経営」の概念は、企業戦略論の一環として提唱された面が強いと考えられる。この点で、「パーパス経営」は、基本的にはポーターらの「共有価値の創出」論と同様に、個々の企業の在り方を説く企業戦略論、ないし経営方法論であって、社会の転換に伴うこれからの企業全体の姿の包括的な変化を提示した概念とは言い難い。
特に、「パーパス経営」を標榜する個別企業によって提示された社会的存在意義が、実現され、持続し、拡大しているかどうかを確認するには、「企業の社会的価値」についての個別企業を超えた評価方法が必要である。本稿の「企業の社会的価値」論が提示すべきことは、むしろこの点にある。(「パーパス経営」の言葉を借りれば企業の社会的存在意義としての)「企業の社会的価値」の構造モデル、及びそのモデルを構成する基本的な要因と要因間関係のリスト、さらにはそれらの要因の定量的な指標群と指標値の算出方法を提示することが、「企業の社会的価値」論の行うべきことにほかならない。 

5.「企業の社会的価値」を決める要因

上の意味での「企業の社会的価値」定量化モデルの構成や「価値」要因の設定は簡単ではないが、モデル化と要因設定の準備のために、要因としてどのようなものが考えられるか、おおまかにスケッチを描いておくことにしよう。なお、「価値」要因の定量的指標とその算出にもいろいろな方法が考えられるが、従来からの「企業の社会的責任」の要因や指標は「企業の社会的価値」の要因や指標に含まれること、また、「価値」を表現する数値は正、ゼロ、負のいずれも取り得ることを注意しておこう。

【「企業の社会的価値」の要因を考える】

「企業の社会的価値」は、基本的に、企業の側が社会に対して供給する価値の要因、社会の側が企業から受け取る価値の要因、企業と社会の間のインタラクションに関わる要因の3種類からなると考えられる。以下、詳細は別として、これら3種類それぞれの要因の代表的な例を挙げる[14]

A.企業の側が社会に対して供給する価値の要因:
規模、歴史と持続性、限界価値(その社会の市場に当該企業が新たに参入することによって企業が社会に供給する価値がどの程度高まるか)、機会価値(当該企業とその社会との関係がなくなることによって当該企業が社会に供給する価値がどの程度減ずるか)、コンプライアンス、雇用の創出、従業員への貢献、利得の配分、社会課題の解決予測(将来にわたってその社会の課題(未来の課題を含む)をどの程度解決できるか)、社会の未来への貢献予測(将来にわたってその社会にどの程度貢献できるか)など。

B.社会の側が企業から受ける価値の要因:
生命、安全、健康、環境、教育の質の保証、就業機会の確保、製品・サービス・雇用などの選択の自由、社会における経済の安定、(組織としての)企業の安全性・安定性(社会の側から見たコンプライアンスの確保、法令遵守などを含む)、社会の総合的な発展など。

C.企業と社会のインタラクションに関わる要因:
企業と社会のコミュニケーションによる相互理解、社会の側が企業に供給する価値、企業の側が社会から受ける価値など。 

上に挙げた要因すべてを解説するための稿ではないので、要因の中でも特徴的な、社会の側の「経済の安定」と「選択の自由」、及び企業の側の「歴史と持続性」、「限界価値」、「機会価値」、「社会課題の解決予測」について、ひとことずつ述べておくに留める

a.その企業の活動(利益の追求を含む)が社会における経済の安定に寄与しているのか(「経済の安定」)
b.社会の側が製品・サービス・雇用などについてその企業以外の選択肢を持ち得るのか(「選択の自由」)
c.その企業は長年にわたって社会から必要とされ続けているのか(「歴史と持続性」)
d.その企業が参入したほうが社会の発展により寄与するのか(「限界価値」)
e.その企業は社会にとって、なくてはならないものか(「機会価値」)
f.その企業がどの程度社会課題の解決に貢献すると予測されるか(「社会課題の解決予測」)

なお、繰り返しになるが、「企業の社会的責任」の要因は上に挙げた要因に含まれる。例えば、「健康や環境の質の保証」の要因は、社会の側が企業から受ける価値として挙げられているが、企業の活動によって社会環境が改善されるような正の値の場合もあり、環境公害をもたらすなどのように負の値の場合もあり得る。
上に挙げた要因以外にもいろいろな要因が考え得るが、どのような要因を挙げるにしても、ただ要因を並べるだけでなく、要因間の関係を明確にした「企業の社会的価値」の構造モデルを構築する必要がある。また、そうしたモデルをもとに、要因や要因間関係を定量的に表現するための指標やその値の算出方法を開発する必要がある。例えば、「限界価値」や「機会価値」、「社会課題の解決予測」などの要因については、「価値」の値を定量化するにはモデルに基づくシミュレーションを導入する必要がある。
こうしたモデル化や指標などの検討は簡単ではなく、別の機会に委ねるが、モデルの重要な点の一つは、すべての「価値」要因の値が他の企業よりも優れた企業の存在はほぼあり得ないことである。また、要因に付けられる重みの分布が、他の企業と比較したその企業の「社会的価値」を示すことになるということである。例えば、ある地域で唯一無二の企業は社会から見れば「選択の自由」はないが、いなくなってしまう「機会価値」には高い評価が与えられる。「企業の社会的価値」は多くの要因のベクトル価値であって、一つの評価指標だけで企業をランク付けできるスカラー価値ではない。

【長寿企業とスタートアップ企業-「企業の社会的価値」はどのように違うか?】

以下、「価値」の要因の重み分布としての「企業の社会的価値」について考えるための例として、日本に多い長寿企業[15]とアメリカに多いスタートアップ企業[16]の在り方を取り上げ、その議論を受けて、次の項目で「企業の社会的価値」の文化による違いに触れることにしよう。
まず、長寿企業を取り上げる。
長寿企業の特徴は、長年にわたって社会的な価値を社会に供給し続けていることにある。このことは、「歴史と持続性」や「機会価値」の要因の評価値が高いことに反映されるはずである。さきに述べたように日本は他国に比べて特に長寿企業が多いが、「企業の社会的価値」を上のように評価することで、日本の長寿企業の存在意義が改めて浮上することになるかもしれない。
次に、スタートアップ企業を考える。
アメリカのITスタートアップに見られるような、短期的にその企業自体が売買されるような企業は、日本に多い長寿企業とはまったく異なる活動形態の組織とみなすことができる。
スタートアップ企業は、もちろん企業にもよるが、基本的には「選択の自由」、「限界価値」、「社会課題の解決予測」などの要因の評価値が高く、その意味で社会的価値があると考えることができる。ただし、「歴史と持続性」や「(当該社会の)経済の安定」に寄与するかどうか[17]は、企業の活動が長期的にどのように展開されるかによって変わってくる。
上に述べたことは、企業の在り方が異なる日本の長寿企業とアメリカのスタートアップ企業の「社会的価値」の要因の重み分布はかなり異なると考えられること、ただし、企業にもよるが、どちらも「企業の社会的価値」を持ち得ることを意味している。

【「企業の社会的価値」への文化の影響】

では、このような「企業の社会的価値」の重み分布の違いは、何に由来するのだろうか。多くの由来が考えられるが、上に挙げた(日本に多い)長寿企業と(アメリカに多い)スタートアップ企業の例をそのまま引いて、日米の「企業の社会的価値」が(日米ともに「価値」があるとしても)、なぜ価値要因の重み分布が異なり得るのかを考えてみよう。
この問いへの答えはもちろん唯一ではないだろうし、明確な答えがあるかどうかも定かではないが、問いを考えるための参考として、社会心理学者の故山岸俊男北大教授が示した「安心社会」と「信頼社会」の違いを挙げておきたい。
山岸氏は、「囚人のジレンマ」ゲームの実験社会心理学的研究をもとに、日米の社会の秩序がどのようにして形成されているかを研究した。その研究から得られた示唆の一つは、山岸氏の議論を筆者なりに解釈すると、次のような日米の企業社会の違いであった。
すなわち、日本では、短期的な利害関係を超えて「あの企業は昔からの付き合いがあるので、短期的な利害関係で自分を裏切ることはない」と考え、長期的な利益を共有する「安心社会」の関係が築かれる。これに対し、アメリカでは、関係が長期的かどうかには関係なく、自分だけの短期的な利益を求めない企業が信頼される「信頼社会」が醸成される。日本の「安心社会」とアメリカの「信頼社会」の違いが、日本では長寿企業の繁栄、アメリカではスタートアップ企業の隆盛の背景となってきた[18]
山岸氏の主張によれば、日本の長寿企業においては、(短期的な貸し借りは棚に上げてお互いに安心できる関係を築く)長期的で安定的な取引関係が重視される。その一方で、アメリカのスタートアップ企業においては、短期的取引での信頼関係(まだシード(創業期)の段階のスタートアップを信頼して社会のために育成しようとするベンチャーキャピタルの存在など)が重視される。この相違は、歴史や文化の違いによる秩序の在り方の違いに由来する「安心社会」と「信頼社会」の違いから来ている。山岸氏のこの主張を受け入れるとすれば、「企業の社会的価値」の要因への重み付けは、その企業が生まれ育まれた文化圏によって違って然るべきだということになる。
上に述べてきたことは、いろいろな仮説に依存してはいるが、「企業の社会的価値」はその企業が依って立つ社会や文化の在り方によっても異なることを示唆している。この意味でも、グローバル化の中で国際的に一律の標準を目指しているようにみえるCSRの概念を再考する必要がある。そして、再考するのだとすれば、本稿で論じてきた時代潮流の変化に対応できる企業の在り方を実現するために、文化圏によって異なる「価値」を表現する諸要因を組み込んだ「社会的価値」の構造モデルを構築することが重要と考えられる。

【「企業の社会的価値」論が描くこれからの企業の在り方】

ただし、文化圏の違いが「社会的価値」の違いを生む可能性があると言っても、日本の長寿企業とアメリカのスタートアップ企業を比較して、定型的な枠組みで決めつけてしまうと、これからの企業の在り方の本質を見失うことになる。特に、前者は長期的で安定的な地域社会の基盤、後者は企業自体が短期的な投資の対象と決めつけ、これらの「社会的価値」の重み分布は異なると言い切ることは、デジタル革命時代の企業の在るべき姿から眼をそらすことになる。
本稿で述べた「企業の社会的価値」論は、このような短絡的な見方を排することができる。特に上の例でいえば、本稿の議論の特徴は、日本の(安心できる)長寿企業とアメリカの(信頼できる)スタートアップ企業の「社会的価値」を総合的に評価できる点にある。
もう少し一般的な言葉で言えば、「社会的価値」を社会に供給することに優れた企業は「企業の社会的価値」の要因の評価値が総合的に高い企業であると考えると、その企業は、長期的な「安心」と短期的な「信頼」の両方を社会に供給できる企業だということになる。
デジタル革命は、倫理的な課題や安全保障に纏わる課題を乗り越えて上手に使うことができれば、対面的なインタラクションに支えられた「安心」とオンラインのネットワークに支えられた短期的な「信頼」の両方を得ることのできる技術にほかならない。
長期にわたって裏切ることのない「安心」できる関係と短期的な付き合いであっても「信頼」できる関係の両方を、デジタル技術を上手に使って社会に価値を供給する企業が、これからの時代の企業の在るべき姿になることが予期される。「企業の社会的価値」論から得られるデジタル革命時代の企業の評価イメージは、おおまかにいえば、長期と短期の価値創出、持続、拡大のプロセスを掛け合わせて努力する企業が報われるということである。

【慶應義塾大学先端生命科学研究所とスタートアップ企業群の例】

こうした「企業の社会的価値」論に基づく企業評価の在り方を示唆する例として、最後に一例だけ、山形県鶴岡市にある、慶應義塾大学先端生命科学研究所[19]とそこからスピンアウトした多くのスタートアップ企業による、長期にわたる「社会的価値」の創造、持続、拡大の例を挙げておきたい。
研究所はすでに20年を越える歴史を持ち、研究開発の成果を挙げるとともに、多くのスタートアップ企業を産み育ててきた。特に、長期にわたって地域の人々に社会的価値を供給するとともに、地域の人々からも社会的な価値の供給を受け、地域社会とのインタラクションを積み重ねて、現在では、研究所やそこからスピンアウトしたスタートアップ企業の勤務者とその家族だけで鶴岡市の市民の約1割を占めるに至っている。また、多くの企業の誘致にも成功して、大規模な産学連携の拠点を形成している。
鶴岡の地で20年余り前にゼロからスタートした研究所とスタートアップ企業が、単に短期的な利益を求めるのではなく、長期間にわたる社会とのインタラクションによって、雇用の創出と持続を含めて「企業の社会的価値」を実際に創り出し、持続させ、拡大させてきたことは、本稿に述べた「企業の社会的価値」論が描くこれからの企業の姿の一例とみなすことができる。

【「企業の社会的価値」の構造モデル構築に向けて】

本稿の議論が描く姿に合致する、あるいはそれを超える企業は、国内にも、あるいは国際的にも、上の例だけでなく、おそらく数多く存在するに違いない。
それらの例を集めて分析するとともに、その分析を通して「企業の社会的価値」の構造モデルを構築することが重要である。また、モデル構築のためには、モデルを構成する要因のリストと各要因の評価指標、シミュレーションを含めた指標値の算出方法、その他を開発することが大切になる。
このような研究開発の努力は、工業化社会の帰結に対する責任としてのCSRの概念や活動を超えるためだけでなく、むしろデジタル革命への時代潮流の変化に伴い、これからの時代の諸企業が、何を目的として(利益を追求することや社会的責任を果たすことも含む)企業活動を進めなければならないのかを、改めて浮き彫りにしてくれるに違いない。

6.おわりに-「社会的動物」としての人間と「企業の社会的価値」

本稿は、筆者自身が以前から考えてきた産業革命とデジタル革命の比較に基づいて、特に近代企業とCSR活動についての現時点での見解の一端を述べた小論である。
本稿に述べた、「企業の社会的責任」の概念や活動を包含した「企業の社会的価値」論は、企業戦略や経営方法の議論ではなく、時代の変化がもたらす企業の在り方の変化に適合したものと考えている。
「企業の社会的価値」論によれば、デジタル革命のもとでの企業の目的は「社会的価値の長期的及び短期的な供給とその持続・拡大」であり、利益の追求や社会的責任の遂行は、この目的を果たすための手段として位置づけられる。デジタル革命を支えるデジタル技術が社会的価値の「長期的」と「短期的」供給、持続、拡大全体の基盤になり得ることについては、なぜなり得るのか、詳細な議論が必要になるため、本稿では詳しく述べることができなかった。この点については、議論の基礎をなす人間と社会についての基本的考え方だけに絞って以下に触れるに留め、詳細は稿を改めて論じることにしたい。
社会的関係の面から見たデジタル革命の特徴は、個々の人間や地域がつながっているように見えて、実際にはバーチャルなつながりであり、下手をすると人間関係や社会関係が希薄になってしまい、社会の秩序が失われる可能性がある点にある。
このことには、特に近年の新型コロナウイルス禍による在宅勤務や在宅学習の経験を経て、多くの人々が(場合によってははっきりとは意識せずに)薄々気づいているように思われる(在宅勤務が続くと組織との関係が希薄になることなど)。その結果として、(在宅勤務の習慣は残るとしても)むしろ対面のインタラクションが重視されるようになってきた面がある。在宅学習では学びの本質であるインタラクティブな学びが希薄になることは、コロナ禍の中での大学教育で多くの学生や教職員が実感したところである。
上に述べたことは、人間は社会的に群れを成す動物であるということにほかならず、このことについては一定の科学的な根拠もある。人間は古来「社会的動物(social animal)」[20]であって、社会との高度に洗練されたインタラクションを求めて生きていく動物である、という社会心理学的な知見がある。
また、人類学において1970年代から知られている、人間の大脳皮質(の脳全体に対する容量の比)が他の動物よりはるかに大きい理由は、進化の過程で複雑な社会関係についての推論をする機会が多くなったことによる、という「社会脳仮説(Social Brain Hypothesis)」仮説)[21]にも適合したものである。
上に挙げたような、対面での社会関係を良好に保つことが生きていくにはきわめて重要だという科学的な知見を基礎として、組織としての企業とそれが埋め込まれた社会との長期的な関係を合理的に検討することが重要である。また、他方では、デジタル技術やAI技術の社会的・経済的効果による企業と社会のインタラクションへの短期的な効用を合理的に見積もることが重要になる。さらに、これらの長期的・短期的な議論を合理的に組み合わせることが必要になる。
こうした議論を積み重ねたうえで、企業から社会へ、社会から企業へ、さらに企業と社会の間のインタラクションを通して、長期的・短期的な「価値」の供給の創造、持続、拡大を続けるのがこれからの企業の目的となること、デジタル革命のもとでこそこのような長期・短期の組み合わせが可能になることを、できるだけ合理的な根拠をもって示していくことが必要である。これらの議論を着実に進めていくことが、デジタル革命下の企業の目的として「企業の社会的価値」を位置づける重要なステップとなるだろう。

執筆者:安西 祐一郎(あんざい・ゆういちろう)
CSR委員会委員/所長/慶應義塾学事顧問・同大学名誉教授/
独立行政法人日本学術振興会顧問/一般財団法人交詢社理事長ほか

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[1] 2021年61日政府実施の「令和3年経済センサス-活動調査」によれば、日本全国の企業数は約368万企業、そのうちいわゆる会社企業は約175万企業(うち資本金1000万円以下104万(59.3%)、1億円以上約3万(1.7%))(中村英昭・河野清英「我が国の事業所・企業の経済活動の状況~令和3年経済センサス-活動状況調査の結果から~」統計Today No.195, 2021, https://www.stat.go.jp/info/today/pdf/195.pdf より)。ただし、これらの数字には20216月以降のコロナ禍による人の移動の変化、経済変動などによる企業数の変化は反映されていない。

[2] 1930~40年代の情報科学の勃興(万能チューリング機械、サイバネティクス、情報理論など)ののち、インターネットのもとになったARPA-Netの開発(1969年)、AI研究の出発(1956年)、遺伝子改変技術のデジタル化の原点とも言えるDNA構造の発見(1953年)、デジタル携帯端末の開発と普及(1990年代)、その他の発明発見を経て、デジタル技術の革新が、単に技術だけでなく、社会、経済、政治、安全保障、環境、インフラ、健康、教育、研究開発、その他、あらゆる面で生活の基盤を変えていく、産業革命(industrial revolution)に匹敵する世界構造の変化をデジタル革命(digital revolution)と呼んでいる。

[3] 持続的な資本を持つような株式会社の嚆矢は17世紀初頭に創設されたオランダ東インド会社だと言われる。ただし、株式会社が世界経済の基盤を成したのは、18世紀以降技術革新と産業資本主義の発展を踏まえ、蒸気船や蒸気機関車が世界経済の輸送インフラを担うようになった19世紀後半からと考えられる。

[4] よく引かれる日本の例に、近江商人の商哲学としての(彼ら自身が使っていた言葉かどうかは別として)「買い手よし、売り手よし、世間よし」の「三方よし」がある。

[5] 漢字の「責」の語源にはいろいろな解釈があるため文献の引用は控えるが、筆者なりに解釈を総合すると、元来の意味は「求めて蓄えること」であり、そこから「借金の返済を強く求める」(「責」の中の「貝」はもともと金品を表す)こと、広く言えば「他者の過失を責めること」の意で使われるようになったといわれる。「責任」の「責」の意味はここから来ているため、「責任を果たさなければ罰せられる」とか「責任逃れは許さない」といった、遂行しないと罰せられるという意味に感じることが多いのではないか。ただし、「責任」という語自体は室町時代から使われてきたといわれる(小学館『日本国語大辞典』)。
これに対して、英語の「responsible」はもともとラテン語のrespondere(応える)あるいはresponsus(応答)に由来し、(ローマ時代の法廷で、あるいは神の前で)相手からの問いかけに説明をして応えるという意味から来たと考えられ(Online Etymology Dictionary)、結果として「権利」や「自由」、あるいは「制度」などの概念と結びつきやすい。responsibilityに似た語としてaccountabilityがある。このような語源を持つresponsibilityと「責める」、「責められる」のような語源を持つ日本語の「責任」のニュアンスには、大きなギャップがあるように思われる。

[6] 「世間」論は昔から繰り返し語られており、多様な議論がある。例えば、専門家以外には、阿部謹也『「世間」とは何か』講談社現代新書, 1995の序章などが参考になる。ただし、ここでいう「世間」の見方は筆者のおおまかな見方である。 

[7] 産業革命の始まりと終わりについては諸説あり、また、英国の産業革命に限定するのか、世界に産業革命が波及するまでの期間も含むのか等々によっても見方が異なるので、一概には言えないが、本稿の関心をもとに、英国に限定せず世界への波及という面で広く捉えると、蒸気機関の技術が普及を始めた18世紀半ば過ぎから、蒸気船が世界を巡り米国の大陸横断鉄道が開通した19世紀半ば過ぎあたりまでの約100年間を想定すればよいのではないか。また、100年をかけた産業革命に対して、デジタル革命はその半分の50年で世界を変えると想定すると、インターネットとデジタル携帯端末が普及した1990年代半ばを起点とすれば、2040年代半ばの頃までに経済のみならず社会の構造が大きく変化する可能性がある。なお、技術革新が近代の社会転換の一翼を担った例は、古くはグーテンベルクの活版印刷術(1440年頃)が宗教改革(1517年)に与えた影響のように多々挙げられるが、これらの例を総括すると技術革新から社会構造の転換までの期間は、おおまかに言って50年ぐらいになる。筆者はこれを「半世紀の法則」と呼んでいる。なお、上に挙げた産業革命の100年間は、特定の技術革新から特定の社会構造転換に至る期間を述べたものではなく、蒸気機関の普及が世界への工業の波及をもたらすに要した、だいたいの期間を指している。

[8] 「情報」の定義の一つとして、システム(例えば地域社会)の状態を変化させる「何か」があれば、その「何か」を情報と呼ぶ、という定義があり得る。この定義のもとでは、ある目標を持つシステム(例えばウェルビーイング社会を目指す地域社会)の状態が、その目標が達成される方向に変化するとき、変化させた「情報」はそのシステムにとって「価値がある」と言うことができる。この意味で、目標を持つシステムについては、「情報」と「価値」の概念は表裏一体である。

[9] 情報化社会においては「エネルギー」や「力」が不要と主張しているわけではない。逆に、大規模なデジタルシステムの運用には多大なエネルギーが必要であり、省エネルギー技術はデジタル革命のもとでますます重要になる。ここで述べているのは、産業、経済、社会を支える基礎概念が「エネルギー」から「情報」に転換することである。

[10] 例えば、三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社(内閣府委託調査事業報告書)「社会的インパクト評価に関する調査研究」20163月。

[11] 20世紀末に米国で開発された、もともとは非営利組織や社会的事業を営む企業の活動成果を経済価値として測定するための指標。その後、むしろヨーロッパで展開され、特に英国政府が運用の基準作成に関わって、世界に広がった。基本的な定義は、社会的価値を産み出すための事業への投資額(事業費、人件費、その他)を事業の遂行によって得られた経済価値(生じた雇用の賃金、事業(例えば健康や教育)の経済効果、その他)で割った値。例えば、企業や非営利組織による経済格差解消やカーボンニュートラル化などの社会課題の解決へのインパクトを経済効果に換算して評価する指標として使われる。慶應義塾大学SFC研究所「『SROI』実施ガイドライン」20143月などを参照。

[12] M. E. Porter and M. R. Kramer, Strategy and society: The link between competitive advantage and corporate social responsibility, Harvard Business Review, December, 2006を参照。この論文をきっかけとして、ポーターらはさらに論考を重ねている。

[13] 企業の経営は、社会的な存在意義を中心的な目的として行うべきであるという、企業経営の在り方についての概念。広い意味を持っているため最初の提唱者を特定することは難しいが、経営戦略論として2010年代に普及が始まったと考えられる。

[14] 以下でいう「社会」には、地域社会から、邦や地域によって限定された社会、国際社会、グローバル社会、その他、いろいろなものがあり得る。また、以下でいう「企業」は、実体は今後のデジタル革命の進行如何によって、近代企業とは異なる形態のものがあり得る。

[15] 2022年727日現在のユニコーン企業(時価総額10億ドル超の未公開企業)の数は、アメリカ633、中国173、英国46、ドイツ29、フランス24社、オランダ7、スウェーデン8、アイルランド6、日本6社(『スタートアップに関する基礎資料集』内閣官房新しい資本主義実現本部事務局, 202210月)。

[16] 長寿(例えば創立以来100年を越える)企業の数は日本に圧倒的に多いことが知られている。ある調査によれば、2020年現在で創業100年以上の企業数(活動中のもの)は、日本33,076(41.3%) アメリカ19,497(24.4%), スウェーデン13, 997(17.5%), ドイツ4,947(6.2%)の順、200年になると日本1340(65.0%), アメリカ239(11.6%), ドイツ201(9.8%), イギリス83(4.0%)で、長寿企業の数も比率も日本が圧倒的に多い(周年事業ラボ「2020年版100年企業<世界編>」https://consult.nikkeibp.co.jp/shunenjigyo-labo/survey_data/I1-03/)。日本の長寿企業のなかには、株式会社のような設置形態が輸入される以前の江戸時代から存続している企業もたくさんある。日本最初の株式会社については諸説あり、株式会社の定義のしかたによって、坂本龍馬の亀山社中、渋沢栄一の第一国立銀行、小栗上野介忠順が1867年に創設した兵庫商社などが挙げられている(平池久義,「小栗忠順と兵庫商社-組織論の観点から」, 下関市立大学論集, 44(2), 1-12, 2000など)。

[17] 長寿企業が経済の短期的な変動を乗り越えて持続しているのに対し、スタートアップ企業の活動は経済の短期的変動に敏感に左右される可能性が高い。例えば、ユニコーン企業(定義は[15]参照)は2021年には世界に月平均約50.5社が生まれていたのに対して、202316月には月平均7.3社で、約8割減少した。特に、創業期投資は伸びているにもかかわらず、初期投資、後期投資が急速に減少している。その主な原因は米連邦準備理事会(FRB)の利上げ加速によると言われる(日本経済新聞2023723日号1面記事「ユニコーン林立に転機-誕生、世界で8割減 苦境の米、育成回帰」より)。

[18] 山岸俊男『安心社会から信頼社会へ-日本型システムの行方』中公新書, 1999参照。同氏による『信頼の構造-こころと社会の進化ゲーム』東京大学出版会, 1998も参考になる。「日本的な」安心社会はアメリカ的な「信頼社会」へ移行すべきだとする著者の意見には議論があり得るが、安心社会と信頼社会の違いを実験社会心理学の成果をもとに示唆した論考は、きわめて興味深い。

[19] 2001年に創設された生命科学の研究所で、その後20年をかけて多くのスタートアップ企業を産み、企業誘致も含めて鶴岡に産学連携の集積拠点を築いてきた。(筆者は創設直後から10年近くの間、同研究所を所管する学校法人の理事長として研究所の経営に関与した。)研究所からスピンアウトした企業には、例えば、構造タンパク質を用いた(環境に優しい)素材の開発と製造のスタートアップで、(20227月時点で)国内ユニコーン企業(定義は注156社の一角して知られる「Spiber株式会社」がある。

[20] E. Aronson, The Social Animal (9th edition), Worth, 2004を参照。(第4版(1984年版)は、筆者が北海道大学文学部行動科学科における社会心理学の授業で教科書として用いた。)

[21] R. I. M. Dunbar, The social brain hypothesis, Evolutionary Anthropology, 6, 178-190, 1998を参照。人間の大脳皮質(の脳全体に対する容量比)が他の動物に比べてはるかに大きい理由として、栄養のある食物(果実など)を見つけるために高度な推論をする機会が増えたこと、優れた子孫を残すために相手を探すための高度な推論の機会が増えたこと、の2つの仮説が、人間や他の霊長類の進化の研究において昔から挙げられていた。これらに対して、第3の理由として1970年代に浮上し、その後研究が急速に発展したのが「社会脳仮説」と呼ばれる仮説である。「社会脳仮説」は霊長類の社会を科学的に研究するにあたって魅力的でしかも十分あり得る仮説と考えられる。ただし、どの仮説が正しいかは、多くの要因に依存するため、議論が収束しているとは言えない。むしろ、これらの仮説がすべて混在していたと考えるのが妥当である。ただし、混在しているからといって「社会脳仮説」の重要性が減るわけではなく、むしろ、栄養の確保、子孫の確保と並んで社会的関係の維持への欲求が大脳皮質の機能を拡張してきたのであれば、「企業の社会的価値」論の基礎ともなる重要な仮説とみなすことができる。

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