本報告は、サントリー文化財団の研究助成を受け、2009年8月から2010年7月までに行った共同研究の成果の一部である。また、本報告の詳細は、2011年1月に慶應義塾大学出版会より刊行される予定の『インターネットが変える選挙:米韓比較と日本の展望』に包含されている。日本でも2009年の政権交代以降、公職選挙法(公選法)を改正してインターネットを選挙運動に利用可能にしようとする動きが国会議員の間で活発化し、メディアの注目を集めてきた。2010年7月の参院選に間に合うように公選法を改正しようということで、与野党で構成する「インターネットを使った選挙運動の解禁についての各党協議会」は2010年5月下旬、公選法改正案のガイドラインをまとめる段階までこぎつけた。しかし、その後の鳩山首相の突然の辞任や国会会期延長がなかったことで、公選法改正案は国会に提出されることなく参院選に突入し、いまだに選挙運動にネットの利用はできない現状である。共同研究チームでは、日本においても選挙運動にネットを利用できるようにしようという議論がこれまでよりも高まったこともあり、日本のネット選挙展望まで含む形で、「インターネットが選挙を変える」という視点からネット選挙に関する日米韓の比較研究書を研究成果として出版するところまで研究を進めた。
本日ご報告させていただく内容は、そうした本研究の位置付けの中で、報告者が担当してきた研究部分についてである。アメリカにおいてはなぜ選挙キャンペーンにネットの利用が活発であるのか、そして、2008年の大統領選挙戦のオバマ陣営が象徴的であるが、なぜ候補者がネットの利用に非常に積極的なのか、という点に関して文脈要因(contextual factors)の観点から検討した内容を報告させていただく。文脈要因とは、ワード、オーウェン、デービス、テラスによる12か国の選挙キャンペーンとインターネットに関する比較研究(2008年)の中で検討された要素である。すなわち、政党システムの特徴、選挙過程の規則、選挙キャンペーンにおける従来メディアの役割、そしてインターネット・アクセスのレベルを指す。彼らの研究では、これらの文脈要因は、インターネットが様々な選挙制度にどのように組み込まれるのか、という点を説明する上で極めて高い関係性を有することが明らかになった。
日本とアメリカの選挙制度を比較して考えると、両者の違いは、第一に、候補者の公認候補の指名を獲得するプロセスにおける政党の幹部と候補者との相対的な力関係にある。日本では衆議院選挙に小選挙区比例代表並立制を導入してから、政党の幹部の影響力は強まっているが、アメリカでは小選挙区制でありながら、予備選挙制度があることによって、日本とは反対に、公認候補の指名獲得プロセスにおいて、むしろ候補者との関係では政党の影響力は相対的に弱まっている。第二に、選挙資金の調達の問題が挙げられる。日本と違い、アメリカの選挙キャンペーンでは資金調達は候補者任せの面が強い。しかも、最高裁判所の判決により、選挙支出額に上限をもうけることが憲法修正第一条の表現の自由を侵害するものであるとされ、候補者が公的資金を受け取った場合を除いて、選挙支出額について希望するだけの金額を支出することが憲法上保障されていると解釈されている。ゆえに、非常に「お金のかかる選挙」になることは避けようがない。よって、候補者側からすれば資金調達の手段として、献金を募るためにネットの利用が大変重要なのである。一方、有権者側も直接的に政治的アウトカムに影響を及ぼす手段として、政治献金をすることは合理的行動だとみなしているし、予備選挙のうちから候補者がいかに資金を集められるか、という点を本選挙で異なる政党の対立候補に勝てる候補者の能力を判断する上で重視している。
以上整理すると、日本とアメリカでは、選挙運動におけるネットの利用は有権者が選挙過程に参加する障壁を低くするメリットが共通点としてあっても、そもそもアメリカの選挙制度、選挙過程における政党と候補者の関係を見てみると、日本とは違い、ネットを候補者側が利用したいと思う条件が内在していると考えられる。
次に、アメリカでは2004年と2008年を比べると、情報通信技術(ICT)の発達により、急速にメディアの多層化が進展している点に注目する必要がある。ブロードバンドのアクセスは2倍近くに増加し、YouTubeに代表されるようにソーシャル・メディアが台頭してきた。また、日本では携帯電話で電子メールやデータサービスの利用は早くから一般的に使われているが、アメリカではモバイル・インターネットの利用はまだ萌芽期である。2010年4月、ワシントンD.C.で開かれたPolitics Online Conferenceでは、2010年中間選挙のキャンペーンに向けて資金調達を目的としたソーシャル・メディアや携帯電話の活用が論題にあがった。とりわけ携帯電話は1人1台持っている点が、パソコンやテレビと違って、選挙キャンペーンにおいてターゲット・マーケティングに使える意味が大変大きいという。今のところは、選挙キャンペーンでモバイルを使う目的は、ボランティアをエンゲージし、有権者相互にコミュニケーションを取らせること、そしてとりわけ資金調達である。2008年の大統領選挙戦でオバマ陣営は携帯電話のテキスト・メッセージを活用したが、当時はまだモバイルウェブの利用はそれほど盛んではなかった。しかし、モバイルを使うと少額な予算でもキャンペーンを始められるため、2010年にはモバイルをどのように陣営側が使っていくか、が注目されているということであった。2008年の「オバマ型選挙」から2年―今や新しいアプリケーションが次々に出てきており、新しいマーケットも生まれている。こうしたことが可能になったのも、テキスト・メッセージの利用者の85%が使いたい放題のプランに入って携帯電話でテキスト・メッセージを使うようになったという変化が背景にある。
つまり、アメリカではブロードバンドや携帯電話の普及が急速に進んだことで、新しい形の選挙キャンペーンが候補者側に可能になったのである。しかし日本との違いから重要な点は、先述の通り、選挙制度に候補者側にとってのインセンティブが内在している点であろう。その上で、ICTの発達に伴いメディアの多層化が進むことで、アメリカの選挙キャンペーン戦略は選挙のたびに斬新で画期的な方法が繰り出される。2012年の大統領選挙ではオバマの選挙キャンペーンも過去の遺物になるだろうが、このメカニズムは2012年においても変わらないと考えられる。
■清原聖子:東京財団「現代アメリカ」プロジェクトメンバー、明治大学情報コミュニケーション学部専任講師