共和党の大統領候補指名争いでロムニーが抜けきれない中、3月初めのスーパーチューズデー前後からアメリカのメディアでは「オバマ圧勝」という論調が出始めている。ルイ・テシーラ(センチュリー財団)のように、リベラル派の識者の中には「オバマの地滑り的勝利」を期待する声も強くなっている。著名保守派コラムニスト、ジョージ・ウイルの「共和党はホワイトハウスはあきらめ、連邦議会での勝利を目指せ」という指摘は今の保守派のいらだちを的確に表している。
各種調査ではオバマ大統領の支持率は3月中旬に入って再び不支持の方が支持の数字を超える形になっているが、基本的には改善の基調にある。「総選挙が今行われるとしたら」という仮定の質問に対しては、オバマの優位が続いている。特に、代議員獲得数でトップを走るロムニーに対するオバマのリードは昨年10月以降、少しずつ大きくなる傾向にある。候補者を一本化できない共和党側の“敵失”もあるが、雇用情勢が少しずつ好転しているのも大きい。
つい半年ぐらい前には2010年中間選挙の共和党の躍進もあり、「オバマの再選はかなり困難」という議論が目立っていた。そう考えると、いまの流れは想定外である。ただ、この展開にはどこか既視感が漂っている。窮地に立ちながら何度も奇跡的な“復活”を果たしたビル・クリントン元大統領の記憶と重なる。1994年の中間選挙での共和党の歴史的な躍進で「クリントンの再選はありえない」と多くの人が確信した。しかし、翌年末から翌年はじめの政府予算案交渉が決裂する中、状況は一変する。「共和党側が予算案をごり押しした」というイメージが強くなるという“敵失”で、クリントンの支持率は急上昇し、96年選挙で再選を果たすことになる。
共和党側の敵失というオバマの幸運はクリントンと同じだ。もし景気が本格的に回復したら、ハイテクバブルに酔った96年の残像がさらに強くみえてくるだろう。クリントンは自らを「カムバック・キッド」と呼んだ。この愛称は、96年の再選についてではなく、92年の民主党予備選で愛人スキャンダルを乗り越えて健闘した際の選挙PRとして生まれたが、その後も数々の難局を切り抜けたクリントンの代名詞となった。「キッド」と呼ぶには、オバマは冷静すぎるが、これからの展開ではオバマにもこの形容詞が当てはまるようになるかもしれない。
オバマ優位とみる状況の背景には運だけがあるわけではない。積極的な支持層固めも実を結びつつある。実際、オバマ陣営はいま、自分のコアとなる支持層を徹底的に意識しているようにみえる。その代表的なものが、女性である。2008年選挙ではオバマに投票した男性は49%とマケインの48%とほぼ同じだったが、女性票については56%とマケインよりも13ポイントも多かった。この「ジェンダーギャップ」がオバマ勝因の一つとされている。
女性の中でも最もオバマ、そして民主党の盤石な支持基盤となるのがリベラル派であり、オバマ政権はここ1、2カ月間、女性のリベラル派に加担した政策を立て続けに発表している。妊娠中絶を支援する団体への連邦予算の拠出制限を解除する大統領令にオバマ大統領が署名したほか,保守派が「中絶に使われている」と主張してブッシュ前政権時代に中止されていた国連人口基金への予算拠出も再開する意向を表明している。この2つは明らかに妊娠中絶容認派(プロチョイス派)を支援した政策である。オバマ政権はこれまで保守派の反発を恐れて生命倫理問題に踏み込んでこなかったが、今回、オバマ大統領は「妊娠中絶は女性の権利であり、これを守るべき」とはっきりと述べ、プロチョイス派擁護を鮮明にした。
女性のリベラル派に対する政策はこれだけでない。避妊は予防的処置にあたるとして、企業や団体が職員に提供する医療保険の適用対象に避妊薬や妊娠中絶薬も含める規制をオバマ政権は発表した。この導入に対して、当初は宗教法人が運営する病院や大学なども医療保険の適用対象に含めるとしたが、婚前交渉を禁止しているカトリック教会は強く反対したため、例外措置として、宗教法人運営の団体などに対しては避妊費用が保険の適用外になっている医療保険に加入することも認める形となっている。避妊費用負担については、教義とは異なり、実際のカトリック信者の女性の大多数派は避妊を行うことに賛成しているため、この政策にはオバマ陣営にとってはうまみがある。ただ、カトリック教会の反発は予想以上だった。
オバマにとって、ここでも運が味方している。議会の公聴会でオバマ政権が主張した経口避妊薬の健康保険適用を訴えた、カトリック系大学の女性の大学院生に対して、保守派トークラジオホストのあるラッシュ・リンボウが番組中にこの学生を「売春婦」と非難した。これに対して、各種報道ではこの学生を「保守派の暴言の被害者」「悲劇のヒロイン」として大々的に扱った。その結果、リンボウの番組スポンサーが次々と契約解除をしただけでなく、オバマ政権の元々の政策そのものに対するカトリック側の非難もしぼんでいった。猛烈なリベラル批判を繰り返し、ここ数年、インターネットを中心とした保守派メディアの寵児だったアンドリュー・ブライトバートがこの問題の直前に急逝したのも、オバマの運を感じてしまう。
幸運はこれだけではない。詳しいデータはないものの、リベラル派の倫理感に加担した政策がメディアの議題として大きく打ち出されたことが宗教保守の焦りを生み、共和党の指名候補争いではサントラムへの支持が多くなったという可能性も否定できない。もしそうだとすると、本命であるロムニーの勢いがそがれるというシナリオにつながり、オバマ陣営にとっては戦略的な大きな波及効果があったはずである。
避妊費用負担は2010年春に立法化された医療保険改革の一部である。いうまでもなく、この医療保険改革の是非は今年の選挙の大きな争点となる。オバマ陣営は現在、「Nurses for Obama」という全米の看護師女性の組織化に力を入れている。オバマ支援の女性看護師組織を全米に作り、医療保険改革に反対する保守派を抑えようというのが陣営の狙いである。陣営は3月中旬に全米の激戦州に居住する女性100万人に医療保険改革への賛同を呼び掛ける手紙を送るなど、この組織の動きと連携した戦略を続けている。
リベラル派女性の以外についてもオバマ陣営は自分のコアとなる支持層的への配慮が今年に入ってから非常に目立っている。1月の環境汚染が危惧される原油パイプライン「キーストーンXL」の建設不許可は明らかに環境保護主義者への配慮である。また、3月初めには、ユダヤ系の利益団体AIPACの年次総会で、親イスラエルを強く意識した発言で、離れつつあったユダヤ票も掌中にした感もある。オハイオ州やウイスコンシン州をはじめとする共和党知事の組合活動の妨害に焦りを感じている労組もオバマ支持で結集している。2月末のアフリカ系歴史月間のイベントの一環として、ブルース歌手やロック歌手を一堂にホワイトハウスに集めたイベントで、ブルースの名曲「スィートホーム・シカゴ」を口ずさんだオバマの姿は結構、さまになっていた。このイベントではアフリカ系にとって、オバマが「我らが大統領」であることが確認されただけではない。ロムニーにない「ライカビリティ(親しみやすさ)」を多くの国民はオバマの姿に見出した。
さらに、3月15日、オバマ陣営は当選から17分間のミニドキュメンタリー映画「The Road We've Traveled(われわれが歩んできた道)」をインターネット上で公開した。この映画は、ニュース映像などを背景に流しながら、オバマ自身や、閣僚、クリントン元大統領ら民主党関係者が、これまでの政権の実績をアピールする内容となっている。監督はゴア元副大統領の「不都合な真実」を映画化したデービス・グッゲンハイム、ナレーターは名優トム・ハンクスと、ハリウッドのリベラル派を代表する二人が政策に関与している。
このようにオバマ陣営は11月の選挙を見つめながら、様々な形で支持固めを急いでいる。だが、現段階で「オバマ圧勝」が確実であるとは到底言えない状況も数々ある。2008年のオバマの支持層の中でも、若者とラテン系が今回は少しオバマと距離を保っているためである。2008年の若者のオバマ支援は熱狂的だったが、いま、アメリカの都市を歩いていて、オバマのTシャツを着た若者に会うことはほとんどなくなった。2008年には67%がオバマに投票したラテン系の動向も読みにくい。ラテン系はカトリックが多く、前述の生命倫理問題については、たとえカトリックの女性の多くが避妊費用負担を支持したとしても男性票が逃げていく可能性も否定できない。
そもそも現在の雇用回復がどれだけ進むか、半年以上先の状況はかなり不透明である。さらに、本来大統領の政策とは言い切れないようなガソリン価格も共和党側が争点化しつつあり、これが3月中旬のオバマの支持率停滞につながったとする見方も強い。イラン情勢を含む外交状況もアキレス腱となってしまう懸念がある。
オバマは実際に「カムバック・キッド」となれるのか――。「オバマ圧勝」と予断するには、まだ早すぎる。