1 サイバー空間のための国際戦略 *1
インターネットを通じた情報の流通やアクセスを政府は妨げてはならない。
米国バラク・オバマ政権の外交政策では、政権の発足当初から、そういったインターネットフリーダムの考え方を表明してきた。このインターネットフリーダムの対立概念は、インターネット上の情報発信や情報へのアクセスへの国家による干渉である。この国家干渉の具体的な事例として、政権第一期目のヒラリー・クリントン国務長官(2009年1月から2013年2月まで在任。)は、その演説 *2 の中で、中国における検閲、ムバラク政権時代のエジプトによるインターネット接続の遮断、シリアやイランでのインターネット上の発言をした活動家への弾圧等を挙げていた。
2011年5月16日、ホワイトハウスに集結した政権幹部たちは、オバマ大統領の署名した「サイバー空間のための国際戦略」 *3 を発表した。これは、インターネットフリーダムを含むインターネット政策を省庁横断的に包括的に集約し、その国際社会への働きかけの方針をまとめたものだった。
2011年には、フランスのドーヴィルで開催された第37回主要国首脳会議(G8)(5月26日・27日)、ワシントンで開催された第2回の「インターネットエコノミーに関する日米政策協力対話」 *4 (6月9日・10日)、パリで開催されたOECDハイレベル会合「インターネットエコノミー:イノベーションと成長の生成」 *5 (同月28日・29日)といった場面で、日米欧の先進各国がインターネットフリーダム等についての共通の原則で一致を確認しており、次に米国等が目指すのは、途上国、新興国を含めた国際社会で、各国の政府の行動についての国際規範としてのインターネットフリーダムについてコンセンサスを得ることである。
ところが、これは、必ずしも容易なものではない。途上国、新興国の中からは、むしろ、セキュリティの確保のために政府はネットの情報流通に制約を設けることができることを国際規範として明示すべきだという問題提起がしばしばなされてきているからである。
自由とセキュリティが度々相反するものとして捉えられることがあることについて、クリントン国務長官は、2011年2月15日のジョージ・ワシントン大学での演説 *6 で言及している。彼女は、この演説では、自由とセキュリティとの双方を実現することの重要性を説いた。そして、両者は、一方に比重を置けば他方が損なわれる関係にあり、相反するものと捉えられがちであるが、実際は、セキュリティの無い自由は脆いものであり、自由の無いセキュリティは抑圧的となると述べた。
自由とセキュリティとは双方ながら達成されるべきものであり、そのどちらが他方を名目に弱められることがあってもいけないというのがここでのポイントであり、その考え方は、先に触れたドーヴィルG8サミットの首脳宣言 *7 、日米で第2回の「インターネットエコノミーに関する日米政策協力対話」に際して取りまとめた5原則 *8 、OECDハイレベル会合コミュニケ *9 でも強調されている。
ただ、インターネットに関して「セキュリティ」という語が使われるとき、その意味する内容は、場面によって大きく異なる。米国や日本、欧州先進国で等しく強調するのは、ネットワーク自体やネットワークに接続している物理的な施設等のセキュリティ(ここでは、そういった基盤のセキュリティに限定した意味で、これを「サイバーセキュリティ」と呼ぶことにする。)の保護の重要性だ。これに対して、途上国、新興国から提起されるセキュリティイシューは、しばしば、国家の秩序の維持そのものを巡るものであり、この要請からネットワークを流れるコンテントやサービス、アプリケーションについて政府が規制する文脈で論じられるものになっている。
こういったセキュリティとインターネットフリーダムとを巡る議論の中で、途上国、新興国からは、セキュリティ上の必要性から国家によるコンテント規制を正当化するようにも見える新しい国際規範が提案されてきている。
2 政府の取組体制 ― ホールガバメントアプローチ
国際的なインターネットフリーダムの議論とサイバー領域での安全保障の議論とが一体で進められている以上、米国政府でも、これへの対応に政府内の経済所管庁と安全保障所管庁などがばらばらに個別に対応しているわけにはいかない。
国務省では、このような問題を扱う担当者として、2011年4月21日にクリストファー・ペインター氏をサイバー問題調整官に任命 *10 して政府部内の調整と取りまとめに当たらせ、先に触れた政府の対外方針である「サイバー空間のための国際戦略」の発表は、同年5月16日、ホワイトハウスに集結したジョン・ブレナン国土安全保障担当大統領顧問、クリントン国務長官、エリック・ホルダー司法長官、ゲイリー・ロック商務長官、ジャネット・ナポリターノ国土安全保障長官、ビル・リン国防副長官、ハワード・シュミットサイバーセキュリティ調整官によって行われ、関係所管庁一体によるアプローチがここで強調されていた。
こういった姿勢は、米国政府のみの対応で貫徹されるわけではない。本件に関わる先進国間の連携においても、これらの議論を行う所管庁が一体で取り組む必要が必要になっていると認識されてきた。日米間の場合、従来、ともすると、インターネットフリーダムの議論は経済官庁が中心で、また、安全保障の議論は安全保障関係官庁が中心で議論を行ってきた。前者を代表するのが、「インターネットエコノミーに関する日米政策協力対話」であり、そこで中心的役割を果たしてきたのは、米国側は国務省、商務省、連邦通信委員会、国土安全保障省であり、日本では、総務省、外務省、経済産業省、内閣官房であった。後者に関しては、日米安全保障協議委員会(「2+2」)の枠組みがあり、米国側は国務省、国防省が、日本側は外務省、防衛省がその主体的役割を担ってきていた。
本件について、日米政府の全関係省庁(ホールガバメント)での連携を模索する動きは、
2012年4月の野田佳彦総理の訪米を機に一気に具体化した。ワシントンにおいて野田総理とオバマ大統領との間で行われた日米首脳会談(2012年4月30日)に際し、日米両政府では、「ファクトシート:日米協力イニシアティブ」 *11 と題する文書をまとめ、ここで、全関係省庁による政府全体での日米対話について、次のように発表した。
「(サイバー協力)
日米両国は、・・・サイバー問題に関する二国間の連携を深化させる必要性につき一致し,政府一体となった関与を一層強めるような枠組を作っていくとの意図を表明した。この枠組は,・・・優先事項について,既存の対話を利用しつつ,全ての関係省庁・機関の関与を確保するものとなる。」
日本での政権交代の後、訪米した安倍晋三総理とオバマ大統領とのワシントンでの日米首脳会談(2013年2月22日)では、本件について、あらためて、安倍総理から、サイバーの分野で,日米の包括的対話を立ち上げることになったことを歓迎する旨述べられた。続いて行われた日米外相会談(岸田文雄外務大臣、ジョン・ケリー国務長官)(4月15日)では、より具体的に、両外相は,日米サイバー対話を5月9日・10日に東京で開催することで一致した。そして、この対話を通じ、(1)脅威認識の共有、(2)重要インフラ防護をはじめとするサイバー領域での具体的対処の在り方、(3)国際的なルールづくりといった分野で日米協力を進める予定であることが明らかにされた。
こうして東京で開催されることになった第1回日米サイバー対話(平成25年(2013)5月9日、10日)は、今井治サイバー政策担当大使が主催、日本側は、外務省、内閣官房(安全保障・危機管理担当)、内閣官房情報セキュリティセンター、内閣情報調査室、警察庁、総務省、経済産業省、防衛省が参加、米国側は、ペインターサイバー問題調整官が、国務省、国土安全保障省、司法省、国防省を率いて参加した。両国政府で取りまとめた「共同声明」 *12 (5月10日)では、この日米サイバー対話において、「サイバー空間における責任ある国家としての行動規範」について、「サイバーに関する国際的な協議の場における共通目的の確認」が行われたことが発表された。
3 国際規範に向けた米国のアプローチ - 既存の国際法の適用 *13
それでは、インターネットフリーダムとサイバーセキュリティに関して、国家の行動についての国際規範の内容について、米国はどのように主張しているのだろうか。
米国政府の主張でキーポイントとなるのは、サイバー空間について、空・陸・海・宇宙のような他の空間とは異なる特有の新しい規範はそもそも必要がないということである *14 。別の表現を用いるならば、国際規範の基礎となるのは、既に存在する国際法の原則であるはずだというのが米国政府の主張だ。サイバー空間における国家の行動が踏まえるべき規範の基礎は、既存の国際法の中にあるのだから、これについて、新しい特異なルールを構築する必要はないということだ。
それでは、規範の基礎となるべき既存の国際法の原則とは、米国の考えでは、具体的にはどういうものだろうか。
表現の自由、結社の自由を含む基本的な自由は、インターネットフリーダムの根幹をなす *15 。これについて、米国政府で時に強調するのは、1948年12月10日に第3回国連総会において採択された「世界人権宣言」 *16 の次の条項だ *17 。
第19条
すべて人は、意見及び表現の自由に対する権利を有する。この権利は、干渉を受けることなく自己の意見をもつ自由並びにあらゆる手段により、また、国境を越えると否とにかかわりなく、情報及び思想を求め、受け、及び伝える自由を含む。
第20条
1 すべての人は、平和的集会及び結社の自由に対する権利を有する。
2 何人も、結社に属することを強制されない。
ここで述べられているような表現の自由、結社の自由などは、ネット上でも当然確保されるべきであって、これを損なうようなコンテント等への規制には強く反対するというのが米国の姿勢の根幹をなしている。
サイバーセキュリティに関しては、ネットを通じた「武力の行使」は基本的に慎まなければならないこと、「武力攻撃」に対しては自衛権の発動があることを強調している。具体的には、まず、爆撃などと同様な物理的な損害を与えるサイバー攻撃は、国際連合憲章 *18 第2条第4項 *19 の「武力の行使」と見られる場合が想定できるとしている *20 。同項では、そういった「武力の行使」について、「いかなる国の領土保全又は政冶的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」と規定されている。
また、米国が指摘するのは、憲章第51条 *21 の規定だ。ここでは、「国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」とされており、米国では、武力攻撃に該当するようなサイバー攻撃には自衛権の発動が想定できるとしている *22 。米国は更に、武力紛争法の適用も考えられるとしている *23 。
サイバー攻撃に対しては、国家の自衛権の発動による反撃も辞さないという、法規範に裏打ちされた姿勢を強調しているのである。
*1 :本項で略述した2011年頃までの米国とその他の先進国との連携に向けた動きの詳細については、藤野克「第8章 中国のグーグルとインターネットフリーダム」『インターネットに自由はあるか 米国ICT政策からの警鐘』中央経済社、平成24年、285-327頁を参照されたい。
*2 :Hillary Rodham Clinton, Remarks on Internet Freedom (Remarks) (January 21, 2010); Internet Rights and Wrongs: Choices & Challenges in a Networked World (Remarks) (February 15, 2011)
*3 :The White House, International Strategy For Cyberspace, Prosperity, Security, and Openness in a Networked World (May 2011)
*4 :「インターネットエコノミーに関する日米政策協力対話」の発足経過については、藤野克「インターネットエコノミー発展に向けて具体化する日米の連携 サイバー攻撃抑止へ共同戦線」『テレコミュニケーション』2012年5月号参照。
*5 :“Internet Economy: Generating Innovation and Growth”
*6 :Hillary Rodham Clinton, Internet Rights and Wrongs: Choices & Challenges in a Networked World (Remarks) (February 15, 2011)
*7 :G8 Declaration, Renewed Commitment for Freedom and Democracy (G8 Summit of Deauville - May 26-27, 2011)
*8 :Joint Press Statement for the U.S.-Japan Policy Cooperation Dialogue on the Internet Economy, The Second Director General-Level Meeting (June 11, 2011)
*9 :Communiqué on Principles for Internet Policy-Making (OECD High Level Meeting On The Internet Economy, 28-29 June 2011)
*10 :U.S. Department of State, “Appointment of Christopher Painter as Coordinator for Cyber Issues” (Media Note) (April 21, 2011)
*11 :Fact Sheet: U.S.-Japan Cooperative Initiatives
*12 :Joint Statement, Japan-U.S. Cyber Dialogue (May 10, 2013)
*13 :本項の記述に当たっては、シーラ・フリン国務省政策顧問から御教示を戴いた。伏して感謝を申し上げる。
*14 :Ex. The White House, International Strategy For Cyberspace, Prosperity, Security, and Openness in a Networked World (May 2011), pp.9-11
*15 :The White House, International Strategy For Cyberspace, Prosperity, Security, and Openness in a Networked World (May 2011), p.10
*16 :Universal Declaration of Human Rights
*17 :Ex. Harold Hongju Koh, International Law in Cyberspace (USCYBERCOM Inter-Agency Legal Conference, Ft. Meade, MD) (Remarks) (September 18, 2012)
*18 :国際連合憲章(昭和31年12月19日条約第26号)
*19 :国際連合憲章第2条には、次のような規定がある。
「第2条 この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
(中略)
3 すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。
4 すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政冶的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。
(下略)」
*20 :Ex. Harold Hongju Koh, International Law in Cyberspace (USCYBERCOM Inter-Agency Legal Conference, Ft. Meade, MD) (Remarks) (September 18, 2012)
*21 :「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。この自衛権の行使に当って加盟国がとった措置は、直ちに安全保障理事会に報告しなければならない。また、この措置は、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持又は回復のために必要と認める行動をいつでもとるこの憲章に基く権能及び責任に対しては、いかなる影響も及ぼすものではない。」
*22 :Ex. Harold Hongju Koh, International Law in Cyberspace (USCYBERCOM Inter-Agency Legal Conference, Ft. Meade, MD) (Remarks) (September 18, 2012)
*23 :Ibid.
■藤野 克:前在アメリカ合衆国日本大使館参事官