前嶋和弘 上智大学総合グローバル学部教授
毎年年明けに開かれるアメリカの政治学会の一つに出席した。自分の出番以外にも大統領選挙予測のセッションに出たが、当然ながら、共和党のトランプの動向の話題が議論の大半を占めた。「予備選が始まれば、有権者は目を覚ますだろう」「いずれ消えていくのは間違いない」とトランプに否定的な見方があった一方で、「宗教保守が多いアイオワはまだしもニューハンプシャーでは健闘するだろう」「これまでも何が起こるか予想を裏切っていた。予備選開始後もまさかも指名獲得もあるかもしれない」などといった意見もあった。
気になったのは、トランプを語る研究者の声が共通してどこか楽しげであった点である。まるで、トランプの台頭で民主党、中でもクリントンの本選挙での勝利が確実になったような雰囲気すらあった。実際に「民主党の方は無傷」「クリントンは指名獲得で間違いない」という言葉もいくつかあった。
「トランプで混乱する共和党相手ならクリントンは勝てる」といった独特の雰囲気は、アメリカ政治の学者の多くはどちらかといえば民主党寄りであるためだったかもしれない。
(1)盛り上がらないクリントン支援
ただ、この「盤石なクリントン」という余裕と言えるようなムードこそが民主党の盲点である気がしてならない。勝てるという慢心があるためか、クリントンの選挙戦が一向に盛り上がってこないようにみえる。テレビの向こう側にいる国民は、大統領選挙という長期戦の中で、それぞれの候補者の成長物語をドラマのように楽しむところがあるが、“成長”できる伸びしろがこれまでのクリントンにはなかなか見つからない。
クリントンは順当なら2008年の選挙で民主党候補になるべき人物だった。その後の8年という時間の重みがどう解釈されるのかがポイントとなる。国務長官という経験の蓄積というプラスの面もあるが、イメージそのものがエスタブリッシュメントである。11月の投票時には69歳となる年齢もあり、高齢というマイナス点だけでなく「過去の人」というのは言い過ぎだが、クリントンが時代の変化を体現しにくいのは間違いない。
サンダースのこれまでの選挙戦は75歳(11月の投票時)という年齢を感じさせない“成長物語”が印象的である。学会期間中にお目にかかった、筆者のジョージタウン大時代の恩師が興味深いことを指摘していた。恩師は「キャンパス内を見ていると、サンダースはかつての変わり者ではなく、人々の心をつかむ素晴らしい候補に変身しつつあるようにみえる」とみる。キャンパス内にクリントン支持の学生はほとんど目につかないが、サンダースを支持する学生の熱気は凄まじく、講演に学内に来た際には、超満員でほとんどの学生や教職員が会場に入れなかったという。若者が核となり、実際にサンダースの小口献金の数はクリントンを凌駕している。
クリントンで党内を一枚岩にしようとしているようにみえる民主党全国委員会の「戦略」も、いまのところ、逆効果である。討論会の数を極端に制限したのも、サンダースやオマリーなどのライバルに付け入る機会を少なくさせることを嫌がらせにみえるが、その分、話題では共和党の戦いが先行した。また、12月に「発覚」したクリントン陣営の支援者データをサンダース陣営が盗用したというスキャンダルも、民主党全国委員会とクリントン陣営が予備選開始直前というこの時期を狙って仕込んだようにどうしても映ってしまう。
(2)共和党の悲壮感はトランプ降ろしにつながるか
一方、共和党側に目を向けてみると、さらに「クリントン盤石説」を揺るがすような状況が見えてくる。世論調査でのトランプの大躍進の影で、保守派のいら立ちが非常に大きくなっているためである。特に、ここ数年、小さな政府を掲げて保守派の台頭を担ったティーパーティ運動にとって、必ずしも小さな政府を目指すとは限らないトランプは、これまで様々な形で追い落としてきた「名ばかりの共和党(RINO: Republican in Name Only)」に他ならず、共和党の指名をトランプが獲得したとしてもなかなか支援できないはずである。
12月末に訪日した際に話を聞いた保守派団体フリーダムワークスの幹部も財政保守派の難しい状況を指摘していた。その幹部はトランプ現象をアメリカの保守主義にマイナスになるという意味で、極めて否定的にとらえており、数年前に面会したときよりも、今回はなんとなく顔つきが沈痛でもあった。
フリーダムワークスのような財政保守派が狙っているのは、イデオロギー的に同調できるクルーズやルビオという2人の候補の支援である。この戦略が功を奏し、全米のティーパーティ運動が熱烈に2人を支援したとするならば、共和党の候補者選びの状況が一気に変わってくる可能性がある。世論調査を見ていると、ニューハンプシャー州などでは優勢だったトランプの支持が少しずつ崩れているようにも見える。クルーズとルビオは本選挙時には、まだともに45歳である。若さに伴う政策上の一種の危うさがこれからの選挙戦で消えていき、保守派をまとめる人物に変身するような“成長物語”を描けるとしたら、本選挙での勝利もありえるかもしれない。そもそも3期続けて同じ政党から大統領が選ばれるケースはまれだ。
一方で、特異なキャラクターを武器にここまで支持を集めてきたトランプもライバルを蹴落とす術で抜け目がない。その一つが、他の候補に対するイメージ失墜を狙った執拗なまでの嫌がらせである。クリントンの応援に同行し始めた、ビル・クリントン元大統領の不倫をなじる選挙CMや、カナダで生まれたクルーズの大統領被選挙権についての疑義発言など、実にずるく巧みではある。これまで潰れそうで潰れなかったトランプの真骨頂である。
(3)クリントンの“成長物語”はあるか
必ず勝てるという慢心は、2008年の民主党予備選でクリントンがオバマに負けた大きな理由だった。甘すぎるヒラリー盤石説は8年前のデジャヴのようだ。今後、有権者を引き付けるようなクリントンの“成長物語”が描けるであろうか。あるいは2012年のオバマ陣営のようにビックデータを駆使し、無理やりでも核となる層を確保する戦略に出るのだろうか。クリントン陣営の次の一手に注目したい。