前嶋和弘 上智大学総合グローバル学部教授
3月1日のスーパーチューズデー以降、民主・共和両党の指名獲得競争のゴールが次第に鮮明にみえつつある。この中で“大本命”のヒラリー・クリントンはどう動いていくのか。クリントンの戦略・戦術という観点から、今年の選挙を大きく揺るがしてきた「サンダース現象」「トランプ現象」との関係で読み解いてみる。
「サンダース現象」がクリントンに与えた2つのもの
昨年秋から急激に支持率を伸ばし、予想以上に善戦してきたサンダースの勢いがもし、これほどではなかったら、クリントンはどうだったであろう。逆に言えば、「サンダース現象」がクリントンの戦略・戦術をどう変えてきたのか。これについて、選挙公約と“注目度”の面から指摘したい。
まず、一つ目の選挙公約についてはサンダースとの討論会を重ねる中で、クリントンの発言も少しずつ、左寄りになってきた感がある。公立大学の無償化、政府の救済で焼け太りした金融機関の分割、医療保険の政府一元化など、サンダースの掲げている政策はいずれも、アメリカの政治の中では最左翼に位置するものだ。これに対抗し、予備選段階で核となるリベラル派をとどめておきたいという意図もあって、サンダースとの討論会を重ねる中で、クリントンの発言も少しずつ、左寄りになってきた。特に、2015年夏の段階で、すでに打ち上げていた大学学費の支援やTPP反対などのリベラル派を強く意識した政策について語る際には、同趣旨だがさらに一歩進んだ政策を掲げるサンダースと競うように、クリントンの語気がどんどん強まってきたように聞こえる。
さらに、ここ数カ月のクリントンの発言では、サンダースが及ばない国務長官としての外交上の経験や見識をアピールする場面が目立っている。イスラム国対策としての「飛行禁止区域(no-fly zone)」の設定などの国際関係上の影響が大きく、比較的強硬とみられる政策についても、クリントンは必要以上の実効性を強調しているようにみえる。「アメリカが世界の警察である必要はない」と繰り返し、外交政策ではハト派的な立場で具体的な政策をほとんど示さないサンダースとの対比を狙っているのは明らかだ。つまり、サンダースの台頭で、少なくとも討論会やメディアとのインタビューではクリントンはより「左傾化」し、外交では「タカ派」の立ち位置にシフトしているように映っている。
2点目の、“注目度”の面では、民主党支持者の興味をつなぎとめるという意味で、サンダースの存在はクリントンにとっても実は大きかったのではないか。今年の予備選段階ではトランプの躍進で共和党側に注目が集まる中、これまでの各州の状況を見ると予備選・党員集会への投票者・参加者の数は共和党側が大きく民主党を凌いでいる。もし、民主党の戦いが全くの無風状態で、それこそ3月半ばに夏の党大会の半数の代議員である2382をクリントンが獲得し、民主党の指名獲得を確実にしたと仮定すると、夏の党大会まで民主党側の議論がアメリカのメディアに取り上げられることは一気に少なくなったであろう。予備選に影響を受けない特別代議員の数を含めれば、3月半ばにクリントンが代議員の過半数を確定させることは、潜在的には十分起こりえた。そうなった場合、同時に行われている連邦議会選挙の予備選の動員も少なくなり、本選挙への関心も高まらないままだったかもしれない。このハンディを負うことがなかったという意味で、クリントンにとっては、サンダースは「熱がこもった民主党の戦い」を演出する優れた舞台装置だった、といったら皮肉であろうか。少なくとも、共和党側との「熱意のギャップ」を埋めたのがサンダースであるのは間違いない。特別代議員の数でサンダースとは圧倒的な差があったのも、クリントンによっては精神安定剤であり、メディアがあおる「クリントンの苦境」に比べ、実際はかなりの横綱相撲を続けてきたといえる。
「対トランプ」3つの課題
次に、ほんの少し先のことも考えてみたい。クリントン、そして共和党の方ではトランプが候補指名レースをほぼ確実にした段階で、クリントンの選挙戦はどうなっていくであろうか。これについてはクリントンにとって3点の課題がある。
まず、1点目の課題はトランプ対策をどうするかに尽きる。トランプは共和党予備選で、過去の大統領選挙の「ネガティブキャンペーン」といったレベルではない、罵倒に次ぐ罵倒の連続で対立候補を一人ひとり蹴落としてきた。共和党の指名が確実になった時点で、次はクリントンが罵倒の対象となる。クリントンの電子メール管理問題や、所得再分配的な政策をトランプは連日、糾弾してくるであろう。クリントンへの捜査や大陪審の見方など、読めない部分がいろいろ出てくる。そのたびに総攻撃が続く。いずれは想像を超えるような人格攻撃となっていくだろう。
反論せず黙るのはトランプにとって好都合であり、さらにこれまでの大統領選挙ではあまり使われなかった下品な形容詞でトランプはクリントンをさらにヒステリックになじるかもしれない。クリントンとしては、一つ一つ強く反論し、場合によってはトランプの先を読みながら攻撃する必要もある。
1点目の“反撃”とのバランスは難しいが、トランプ対策の中でどのように「大統領らしさ」を保っていけるかが2点目である。トランプはメディアの使い方を徹底的に知り尽くしており、テレビの中での「プロレス」にどんな“技”を使って勝つかを常に計算している。「政治的公平さなどくそくらえ」と常に吠えているトランプの土壌に引きずり込まれ、限度を越した非難合戦の泥仕合となると、クリントンが圧倒的な比較優位を保っている「大統領らしさ」「本物のイメージ」すら失ってしまうかもしれない。これこそがトランプの狙いかもしれない。
第3点目は選挙公約のシフトの可能性である。クリントンの選挙戦略はこれまでのリベラル派を意識した戦いから、本選挙に向けて、サンダースとの戦いで「左傾化」した政策を少しずつ、より中道で多くの国民を対象としたものに戻す必要があるかもしれない。ただ、政治的分極化が進む中、共和党支持者や共和党寄りの無党派層を取り込むのはなかなか難しい。2012年選挙でオバマ陣営がリベラル派を意識した選挙戦を本選挙の最後まで行ったように、中道への回帰といってもリベラル派の乖離は防がないといけない。民主党のコアの支持層を固めた上で、さらに中道層の票を狙うために、どこまで政策を中道に戻せるだろうか。特に、今後いずれサンダースが撤退した際に民主党内の融和のために“手打ち”を演出しなければならないが、いまのところ、サンダースとの和解が難しそうな分だけ、クリントンの政策上の立ち位置はなかなか難しいといえる。
クリントンの強みは、手堅い選挙組織とオバマ陣営から受け継いだ膨大な潜在的な支持者のデータである。上述の3つの課題とともに、ビックデータ分析を踏まえて抽出した情報を、オンラインと地上戦、テレビCMを使った空中戦を効果的に融合させ、トランプに対抗するための地道な戦術がどのように機能するかに注目したい。