※ 本稿は2016年7月14日に開催された 第103回 東京財団フォーラム 「アメリカ大統領選:トランプとヒラリーはどちらが強いか? 全国党大会と本選挙の展望」を元に東京財団が編集・構成したものです。 当日の動画は こちら よりご覧になれます。
常識が試される
渡部 経済政策の視点からはどう分析するか。安井さん、お願いします。
安井 いま西川さんから、選挙の行方を考える要因として景気の拡大を指摘されました。たしかに過去の大統領選で景気は大きな要素でしたし、景気が拡大していれば現職大統領と同じ政党に有利だということは常識のようにいわれています。
ただ、今回の場合、過去の経験どおりにいかない可能性もある。景気は拡大していても、成長の水準が低い。いくら景気が拡大しているといっても世論には届きにくい。低成長時代の選挙動向は注視すべきひとつのテーマでしょう。
今回の選挙の特徴を、「常識を試される選挙」とみています。トランプ現象など未知の出来事が起こっている。わからないことが進んでいるという謙虚な心もちが必要です。
経済政策についても常識が試されています。対立の構図がここ最近の選挙と異なっている。これまでは、大きな政府の民主党、小さな政府の共和党だった。ところが今回は、どちらの候補も大きな政府に傾いている。これはアウトサイダー旋風の影響で、庶民の暮らしを守ることに経済政策の重点が置かれている証です。
クリントンはサンダースに引きずられている面もあるのでしょうが、これまで以上に政府の役割を重視する方向に舵を切っている。
驚くべきは共和党です。近年の共和党といえばティーパーティで、過激に小さな政府を主張していた。ところがトランプは違う。これまで共和党が削減してきた年金を守る、医療保険も削減しないという。インフラ投資はクリントンよりも積極的なぐらいです。
興味深いのは、これはトランプひとりがいっているだけではなくて、共和党の支持者間にも同じ雰囲気があることです。
外との関わり方に関しても常識が試されています。近年のアメリカでは、どちらかといえば民主党が閉鎖的、共和党が開放的でした。しかし今回は、両者が保護主義で足並みを揃える一方、そのほかの論点では、民主党のクリントンが開放的で、共和党のトランプが閉鎖的な気配がある。特に、移民問題。トランプは移民に対してきわめて厳しい政策を主張している。白人を基盤にする共和党とマイノリティを基盤にする民主党との違いが外との関わり方に影響してきています。
2008年と2016年選挙の違い
渡部 ここで、みなさんのお話とも符合するので、今回の大統領予備選挙の主要候補の政策に関する対立軸がこれまでといかに違っているかを図でみていただきたいと思います。
図1は2008年、図2は2016年の大統領選挙予備選の主要候補の政策に関する対立軸を表しています。横軸は右にいくほど国外の紛争等に介入主義的、左にいくほど不介入・孤立主義的で、縦軸は上にいくほど自由貿易、下にいくほど保護貿易(公正貿易)の立場です。
図: アメリカ大統領予備選挙・主要候補の政策軸(2008年/2016年)
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図1は2008年で、共和党は右上(介入・自由貿易)、民主党は左下(不介入・保護貿易)に集まっています。党の立場がわかりやすかった。
では、図2の2016年はどうか。図1では共和党の候補がいた右上に、ジェブ・ブッシュ元フロリダ州知事、マルコ・ルビオ上院議員、ジョン・ケーシックオハイオ州知事という共和党でトランプに負けた人たちがいる。
彼らはシリアへの介入に関しては引きぎみです。2008年にイラク駐留継続といっていたジョン・マケイン上院議員より左寄りです。
面白いのは、クリントンのほうがより積極的な位置、右寄りにいることです。ルビオとクリントンは同じくらいですが、クリントンのほうがより積極的。例えば、クリントンはシリア領内の飛行禁止区域設定を訴えている。アサド政権による軍事攻撃から市民を保護するためです。それが実現すると軍事的緊張が高まって、米国がより介入せざるをえなくなるリスクがあります。
実は、オバマ政権はその立場をとっていない。クリントンが大統領選挙中に、飛行禁止区域をつくるといっても、オバマ政権の国家安全保障会議は、「現実的には実行不可能」といっています。それでもクリントンは「やる」といっている。クリントンはオバマ政権よりかなり介入的です。
中山 ただし、図2のクリントンの位置をみて安心してはいけないと思う。尖閣問題をめぐる状況など、国と国の力がぶつかる局面で彼女がどう行動するかはまだよくわかりません。
渡部 いまの民主党のオバマ大統領やクリントンの周りには、リベラルホーク、つまり人道のためにはある程度軍事力を使うべきだという人たちがいます。国家安全保障担当補佐官、スーザン・ライスもそうです。意外とネオコンと相性がいいのです。
共和党候補は2008年と2016年でもっと違っています。図1では共和党候補はそろって右上にいましたが、図2でトランプは一気に左下(不介入・保護主義)にいって、しかもサンダースに近い。これが今回の大統領選挙の特徴です。
今回、「共和党は自由貿易、民主党は保護主義」ともいえなくなっていることも図2からわかります。トランプはかなり保護主義。クリントンもサンダースにひきずられて保護主義の方向にきていますが、相対的に自由貿易に近いところにいる。
ちなみに、図2の左上に第三の政党、リバタリアンのゲーリー・ジョンソン前ニューメキシコ州知事がいます。第三の政党はなかなか生き残るのがたいへんですが、世論調査で15パーセント程度獲得していると、10月のディベートに参加できます。いま10パーセントくらいとっているので、盛り上がるとジョンソンが入る可能性がある。軍事不介入、自由貿易の立場です。
「責任のあるナショナリズム」を
安井 アメリカはいま、オープンな政策を改めて選び直せるのかどうかが迫られていると思います。
これまで経済では、オープンな政策、特に自由貿易は文句なく正しいと語られてきました。ミクロでみれば悪い影響は出るけれど、マクロでみればプラスの影響が出る、と。しかし、こうした議論が必ずしも、少なくともアメリカにおいては有権者の心に響いていない。現実の前にはマクロの議論はきわめて力がないことを理解しなければいけない。グローバリズムの呪文に逃げないで、なぜその政策がその国の有権者にとって重要なのかを説明できるかどうか。アメリカのサマーズ元財務長官が最近、「責任のあるナショナリズム」といっています。国のことを第一に考えるのだけれどもグローバルな責任も考える、そんなやり方が必要とされているのではないか。
アメリカの白人有権者の間には、グローバリゼーションや技術革新、移民など、自分がコントロールできないことへの焦りや怒りがある。それが自分の手の届かないエリートやエスタブリッシュメントへの批判につながっているのではないか。選挙は自分で直接選択できる数少ない局面なので、どういう選択をしてくるのかに注目しています。
渡部 アメリカだけでなく、日本、世界にも敷衍できるご指摘です。続いて中山さん、お願いします。
トランプ現象はひとつの通過儀礼
中山 11月の選挙に関して選挙人獲得数を予測をしているサイトがたくさんありますが、そのうちほとんどがクリントン優勢という予測をしています。しかし、これらの予測は過去の経緯を前提にした予測で、今回の選挙では次々と起きるはずのないことが起きている。ブレグジットの例をみても、国民が普通の意味での合理性を軸に投票所に足を運ぶとは限らない。イギリス国民がEU離脱を選択したのをみて、こうしてトランプが勝つことがありうるのかとちょっとゾッとしました。これまでの安定した生活空間が脅かされていると感じている人たちが、アイデンティティの確認、模索という次元で投票すると、こういった結果を招くのではないか。
また、ワシントンには、何がなんでもこの町にはトランプは入れない、という雰囲気があります。そういった雰囲気が高まれば高まるほど、なんとしてもトランプにそれを壊してもらいたい、という期待感が高まるのではないでしょうか。
トランプ現象は、オバマ大統領が象徴していたものの全否定という側面がある。2008年の大統領選の際のオバマを思い返してみても、彼はある意味、良かれ悪しかれ変わるアメリカを象徴していた。アフリカ系であり、ハワイ出身であり、一回目の就任演説では信仰をもたない人に語りかけ、同性愛者を認め……とにかく、オバマ大統領の存在自体が変わるアメリカを象徴していた。いま、そのなかで居場所をみいだせない人たちがいる。その不満は外から入ってくる異質な人たちに向かっている。違和感を表明すると、反動的だ、差別的だと糾弾される。トランプは、そういう違和感をもっていていい、表明していいのだと全肯定している。彼らの居場所を提供しているということでしょう。
ただ、この動きは構造的なものではないと思う。トランプ現象は、アメリカが大きく変わっていくためのひとつの不可欠な通過儀礼だととらえています。
渡部 同感です。「トリックスター」ともいえます。何かが変わる前には、少し変わった、最初は半分冗談でやっていると思えるような人が出てきて、ふと気づくと、流れを大きく変えていく。トランプをただの色物とみてはいけない。ちゃんとした大統領になるとみてもいけない。変えるきっかけになる人と考えてみると面白いのではないか。
本日はありがとうございました。
(了)
登壇者略歴
久保 文明
東京財団上席研究員・アメリカ大統領選挙分析プロジェクトリーダー/東京大学法学部教授
東京大学卒業、法学博士。慶應義塾大学法学部教授などを経て現職。2016年よりアメリカ学会会長。編著書に『アメリカにとって同盟とはなにか』、『アメリカ政治を支えるもの―政治的インフラストラクチャーの研究』編著など。
中山 俊宏
アメリカ大統領選挙分析プロジェクトサブリーダー/慶應義塾大学総合政策学部教授
青山学院大学国際政治経済学部卒業。国際政治学博士。青山学院大学国際政治経済学部教授などを経て現職。専門はアメリカ政治・外交、日米関係、国際政治。著書に『アメリカン・イデオロギー―保守主義運動と政治的分断』、『介入するアメリカ―理念国家の世界観』、『オバマ・アメリカ・世界』(共編著)など。
西川 賢
アメリカ大統領選挙分析プロジェクトメンバー/津田塾大学学芸学部准教授
慶應義塾大学法学研究科博士課程修了(博士・法学)。専門はアメリカ内政の分析。2011年より現職。著書に『分極化するアメリカとその起源―共和党中道路線の盛衰』、『ビル・クリントン―停滞するアメリカをどのように立て直したか』、『ポスト・オバマのアメリカ』(共編著)など。
前嶋 和弘
アメリカ大統領選挙分析プロジェクトメンバー/上智大学総合グローバル学部教授
上智大学外国語学部英語学科卒業、ジョージタウン大学大学院政治修士課程修了(MA)、メリーランド大学大学院政治学博士課程修了(Ph.D.)。専門はアメリカ現代政治。著書に『アメリカ政治とメディア―政治のインフラから政治の主役になるマスメディア』、『オバマ後のアメリカ政治』(共編著)、『ネット選挙が変える政治と社会』(共編著)など。
安井 明彦
アメリカ大統領選挙分析プロジェクトメンバー/みずほ総合研究所 欧米調査部長
1991年富士総合研究所(当時)入社、在米国日本大使館専門調査員、みずほ総合研究所ニューヨーク事務所長などを経て2014年より現職。米州・欧州の経済・市場・政策・政治に関する調査を統括しつつ、米国の経済政策・政治を主に担当。著書に『アメリカ―選択肢なき選択』、『やっぱりアメリカ経済を学びなさい』(共著)など。
渡部 恒雄
アメリカ大統領選挙分析プロジェクトメンバー/東京財団上席研究員 兼 政策研究ディレクター
東北大学歯学部卒業。歯科医師を経てニュースクール大学で政治学修士。戦略国際問題研究所(CSIS)上級研究員、三井物産戦略研究所主任研究員などを経て現職。現在、CSIS非常勤研究員、沖縄平和協力センター上席研究員を兼ねる。著書に“NATO and Asia Pacific”,“Asia Pacific Countries and the US Rebalancing Strategy”, 『論集 日本の安全保障と防衛政策』(以上、共著)、『今のアメリカがわかる本―揺れる超大国 再生か、荒廃か?』、『二〇二五年米中逆転』など。