胡錦濤政権下の政治状況と18全大会への視座
インターネットの普及とネット世論の形成
他方、今世紀に入り、インターネットというコミュニケーション・ツールを得た市民は、ブログ・掲示板・SNSなどを効果的に用いて、抗議運動、政治運動を起こすようになった。インターネット人口は2011年末時点で、すでに5億1300万人に達している。
2008年12月には、インターネット上に、学者、弁護士、新聞記者ら303人の署名とともに「08憲章」が発表された。これは、政治・経済・社会のあらゆるリソースを独占している党の統治体制を批判し、全面的な民主選挙の実施や司法の独立、政治犯の釈放、集会・結社、言論・宗教の自由など19項目にわたる要求を掲げた、正面きっての民主化要求であった。起草者である劉暁波は逮捕されたが、同憲章は、当局の厳しい検閲を巧みにくぐりぬけながら、ネット上で1万人あまりの署名を集めた。2010年10月には、李鋭・胡績偉ら23名がインターネット上に「全国人民代表大会あて公開書簡」を発表し、メディアの自由、党史に関する公開討論、さらには党宣伝部門の刷新を求めた。
また、基層人民代表大会の選挙においても、住民運動のリーダーや知識人が、党の推薦を受けぬまま「独立候補者」として、インターネット上で出馬を表明するケースが増加している。無論、当局の審査や妨害工作を受け、これらの「独立候補者」が最終候補者に残ることはない。しかし、そうした一部始終がインターネットを介して市民に伝えられることによる啓蒙効果を無視することはできないだろう。
知識人のみならず一般市民もまた、インターネットを効果的に利用している。情報交換、デモやストライキなど組織的行動を起こす際の連絡、「人肉捜索(ネット・ユーザーの協力で個人情報を特定する)」による汚職幹部の追究など、市民は、民主的権利を得られないまま、ネット世論をつうじて政府に圧力をかける術を獲得しつつある。
党は、10万人のネット警察によるインターネット検閲システムを構築し、党に不利益な情報が流れないよう監視と規制を強めているが、即時的かつ無制限に広がるインターネット情報を、有効に規制し、誘導するのは至難の業である。党のメディア統制は、インターネットの登場により揺らぎつつある。
集団抗争事件と民主化との距離
それでもなお、ジャスミン革命の波及を受けることもなく、中国共産党が権威主義的一党支配を続けている背景には、「富強」という経済発展の成果を政治的混乱により無駄にしたくないという国民のコンセンサスと、恐怖政治による国民のノンポリ化があるだろう。また、広大な中国に重層的な政治社会が広がっていることも、党中央の権力の温存・強化をもたらしている。現時点で、年間10万件を超す集団抗争事件が起こっていたとしても、その怒りのほとんどは、末端社会で発生した個別具体的な実利の侵害行為に向けられ、そうした侵害行為を生みだす体制そのものへは向かわないのである。
しかし、グローバル化と情報化が進んだ今日、こうした重層的政治社会に築かれた自信・期待と不満のバランス、恐怖と自由のバランスを維持することは、格段に難しさを増している。中国政府の公表によると、2011年の国家予算における治安維持費は、6244億元(前年比13.8パーセント増)に達し、軍事予算の6011億元(前年比12.7パーセント増)を上回った。上記のバランスを保つためのコストは増大の一途にある。
4.政治改革をめぐる指導部内の意見対立
胡錦濤政権の第二期には、政治理念をめぐる指導部内外の意見の分岐が顕在化した。
「普遍的価値」・「北京コンセンサス」をめぐる論争
なかでも注目されたのが、「普遍的価値」をめぐる論争である。これは、自由・民主・人権という概念を世界に普遍的な価値として受け入れるべきか否かをめぐり、保守派と改革派の間で繰り広げられた論争である。これらの価値を全人類が目指すべき普遍的価値として受容してこそ、中国の経済発展は持続できるのだと主張する改革派の言説は、胡錦濤総書記や温家宝総理らの同調を得たが、中国共産党中央宣伝部や社会科学院など保守派は、それをあくまで「西側」の価値であり、中国には適用すべきではないと主張した。結局党は、2009年3月16日付『求是』に、「西側の民主や憲政の概念を『普遍的価値』とし、中国の指導思想にするべきだとの主張があるが、これはマルクス主義指導思想への挑戦だ」という見解を発表し、論争の幕引きを図った。「西側」の価値に迎合することなく、中国独自の発展を追求すべきであるという保守派の考え方は、その後、「中国モデル」および「北京コンセンサス」という言説に対する賛同となって展開された。
論争の過程は、中国において、経済発展と国際的台頭に裏打ちされた自信と、自国の政治体制を肯定する保守的な思想が存在感を増しつつあることを示唆している。毛沢東思想を賞賛し、革命歌を歌うキャンペーンを繰り広げた薄熙来(重慶市党委書記)は、結局のところ副市長のアメリカ総領事館駆け込み事件などの責任を追及され、職務停止、党籍剥奪の処分により政治生命を絶たれたが、文化大革命の再来を思わせる薄の政治手法が一部の勢力の賛同を得た背景には、保守派の台頭という党内状況があるのではなかろうか。
政治改革の方向をめぐる指導部内の温度差
上記の論争は、政治改革の方向をめぐる指導者の意見対立を顕在化させるものであった。
17全大会での報告において、胡錦濤総書記は、「民主」という言葉を多用し、「社会主義民主政治のたゆまぬ発展を堅持しよう」と呼びかけた。また、温家宝総理も、2010年ごろから、外国メディアなどがいる場で政治改革の必要を繰り返し訴えた。温の主張する政治改革の内容は、司法機関の独立を重視し、「党内民主」を踏まえていずれ党外の民主化を推進するという方向を明確化している点で、かなり革新的である。温は、本年(2012年)3月の全国人民代表大会(全人代)閉幕時の記者会見においても、「経済体制改革だけではなく、政治体制改革、とくに中国共産党国家の指導制度改革を進めなければならない」「アラブの人々の民主化要求は尊重し、適切に対応しなければならない。民主化の流れは、いかなる力も阻止できない」と言及し、注目された。
他方で、呉邦国(全人代常務委員会委員長)は、2011年3月、全人代常務委員会の活動報告において、多党制による政権交代、指導思想の多元化、三権分立と二院制、連邦制、私有化は行わないことを明言し、「国家の基本的な制度など、重要な原則的問題については揺らいではならない」と述べた。
5.終わりに―習近平政権への展望
新政権は、中国の政治体制がもたらす汚職の蔓延、不公正な市場、行政効率の悪化とそれに対する市民の不満を前に、政権の安定を維持していかなければならない。その際、諸問題の根本的な解決を図る手段として、自由・民主・人権といったグローバルな価値の実現を最終目標に、現実的かつ漸進的な改革を講じていくのか、それともあくまで既存の体制を「中国モデル」として正当化する姿勢を貫くのかに注目したい。
新政権のうち出す政治の方向を見定めるには、政権発足後の政治の動きを観察することが必要である。しかし、18全大会で決定される指導部の顔触れから、それを推測することもある程度可能である。本報告書を執筆している時点では、胡錦濤総書記が中央軍事委員会主席ポストを含むすべての役職を習近平に移譲する、政治局常務委員会メンバーが現行の9名から7名に減員される、習近平、李克強のほか、兪正声、劉延東、李源潮、王岐山、汪洋の政治局常務委員会入りすることを有力視する報道がなされている。また、胡錦濤が習近平の後継として推している胡春華については、重慶市党委員会書記としての政治局入りが見込まれている。しかし、胡錦濤総書記に近い、いわゆる「共青団派」とくくられる人物(李克強、劉延東、李源潮、汪洋)が委員の過半数を占めることについては、習近平のみならず、政治力の維持を狙う江沢民(前総書記)の反発を招いており、具体的な人選については、引き続き駆け引きが展開されるものと思われる。
現時点で報じられているように、仮に「共青団派」が政治局常務委員として政治の要職を占めた場合、グローバルな価値に適合した政治改革がなされる可能性が広がるのではないかとの見方がある。なぜなら、李克強や李源潮は、民主化運動が盛り上がりを見せた1980年代に、それぞれ北京大学と復旦大学に在籍し、自由・民主・人権などの理念を体得したと考えられるからである。
しかし、今日の中国は、すでに指導者の理念が政治に直接反映される状況にはない。いかなる理念を持つ指導者であろうと、利権ネットワークの中にしばりつけられ、利益調整者としてふるまうのがやっとであろう。観察者としても、政権の変わり目にあたり、わずかな変化の方向をとらえる感覚を養わねばならない。