評者:黒崎輝(立教大学兼任講師)
本書の概要
本書は、Peter J. Katzenstein, Cultural Norms and National Security: Police and Military in Postwar Japan (Cornell University Press, 1996)の全訳である。カッツェンスタインは比較政治経済学の専門家として日本でも知られているが、本書では独自の視点から日本の安全保障というテーマに果敢に挑んでいる。その最大の特徴は、国家の制度と規範に焦点を合わせて、戦後日本の安全保障政策を説明する点にある。現実主義(リアリズム)や自由主義(リベラリズム)といった国際関係論の主要なパラダイムでは国家の安全保障政策を完全には説明できないと喝破し、制度や規範に着目する必要があると主張するのである。また本書は、国家の安全保障の国内的側面と国際的側面、すなわち対内的安全保障(国内治安)と対外的安全保障を、ひとつの分析枠組みで捉えようとする野心的な試みでもある。副題の中で「警察と軍隊」が併記されている所以である。
さらに、日本とドイツ(旧西ドイツ)の比較を通じて、規範が両国の安全保障政策に与えた影響を解明しているが、この比較の手法も本書を特徴づけている。日本の安全保障政策が主な分析対象となっているものの、カッツェンスタインの関心は、国家の政策や行動をより一般的に分析・説明する概念として規範がいかに有望かを示すことへと向かっている。しかし、というよりはむしろ、だからこそ、理論的関心は薄いが、日本の安全保障政策には関心があるという読者も、本書から多くの知的刺激を得ることができるであろう。
本書の目次は以下の通りである。
序文
第1章 日本の安全保障
第2章 制度主義、現実主義、自由主義
第3章 規範と日本という国家
第4章 警察と対内的安全保障(国内治安)
第5章 自衛隊と対外的安全保障
第6章 日米関係
第7章 日本とドイツ
第8章 政治的転換――過去と未来
訳者あとがき
本書は、米国の政治学研究の典型的なスタイルを踏襲しており、理論や分析枠組みについて論じた部分と、それを基にした実証分析の部分とで構成されている。以下では、その全容を要約する代わりに、本書の分析枠組みと課題について評者なりの理解を整理し、日本の対外的安全保障に関する実証分析を概観する。このような紹介では本書の魅力が半減することを承知の上で、本書の評価を行なうための予備的作業としたい。
まず、分析枠組みのポイントを要約すると次のようになる。(1)政治的行為者の利益やアイデンティティを所与のものと措定しない。(2)分析の鍵概念となる規範には、行為者の利益を形成し、行為者の適切な行動の基準を定義する規則的規範と、行為者のアイデンティティを定義し、その利益を形成する構成的規範が含まれる。(3)規範は歴史的な創造物であり、政治過程を通じて形成され、変化しうる。(4)規範は制度化を通じて一定の安定性と統一性を獲得し、行為者の利益や集団的アイデンティティに持続的に影響を与えるようになる。(5)国家の安全保障政策を説明する上で重要な制度化された規範には、国家の諸制度と規範的コンテクストがある。前者が国家機構、国家―社会関係、国境を越えた結びつきという三つの次元からなる一方、後者は社会規範と法的規範の相互作用を反映しており、メディアや法廷、官僚制の中に制度化されている。(6)制度や規範、利益は相互作用する。
このような観点から、本書は、1945年以前の近代日本とは異なり、戦後の日本は暴力を用いることに極めて抑制的な国家であったことに注目する。ただ、本書によれば、日本は1945年を境に非暴力国家に生まれ変わったわけではない。その代わりに本書は、平和憲法の制定や日米安保条約の成立を経た1950年代に、実は日本のアイデンティティをめぐって激しい政治的紛争が展開されていたことを強調する。そして、1960年代初頭までに、「多数決による決定を避ける通商国家としての日本」という集団的アイデンティティが形成されたと指摘し、これが30年以上にわたって日本の安全保障政策に影響を与え続けてきたと論じる。本書の議論は、平和主義のような特定の規範によって日本は非暴力国家になったというような単純なものではない。
その上で本書は、日本の非暴力国家としての行動は、日本の安全保障政策に特有の二つの側面から生じているとも論じる。その二つの側面とは、?安全保障が総合的な観点から定義されていること(日本の安全保障政策の総合性)、?社会的・政治的変化への安全保障政策の適応のさせ方(日本の安全保障政策の多様性と硬直性のパターン)である。日本の安全保障政策の暴力的色彩を薄め、非暴力的な政策の形成や行動を促した、この二つの側面を、日本という国家の構造や規範的コンテクストに焦点を当てて説明することが、本書の主な課題となっている。その意味で本書は、日本の安全保障政策を包括的に論じたものではないし、制度や規範が日本の安全保障政策のあらゆる側面を説明できると主張しているわけでもないことに読者は留意すべきであろう。
では、このような観点から、本書は戦後日本の対外的安全保障政策をどのように分析しているのか。本書によれば、日本の国家の諸制度としては、まず、アメリカとの結びつきが特に重要であり、軍事的に日本はアメリカに大きく依存している。また、国家組織の中で防衛庁は制度上の自立性を欠いている上、自衛隊は相対的に大衆から孤立している。ただ、その一方で防衛経済において政府と企業は密接な関係にある。このような日本の軍隊を取り巻く諸制度の効果として、日本の安全保障政策は軍事的な観点というよりはむしろ、政治的、経済的な観点から定義されてきたという。
また本書は、70年代・80年代の環境変化に対する安全保障政策の適応のさせ方に規範的コンテクストが与えた影響を次のように論じる。すなわち、経済的安全保障(経済的な脆弱性の低減)のように集団的アイデンティティの規範が異論の余地のない場合、日本はグローバル市場での経済的安全保障の追求のために柔軟に政策を環境に適応させてきた。しかし、軍事的安全保障のように集団的アイデンティティの規範が論争状態にある場合、法規範と社会規範の間に深刻な緊張状態が生じた。また、「多数決主義的ではない共同体」という手続き的規範も有効に作用し続けた。その結果、「憲法解釈の政治」が展開され、防衛上の役割の拡大を日本に求めるアメリカからの国境を越えた圧力にもかかわらず、政策の硬直性が助長されたと本書は分析している。
しかし、日米関係に焦点を合わせると、一見逆説的な現象が観察される。70年代・80年代の日本の安全保障政策は、経済問題に対して以上に、軍事問題に関して、進展する日米関係に柔軟に適応してきたのである。つまり、この時期、日本の防衛計画の柔軟な適用や「自衛」の概念を広げた兵器技術の変化により、日米軍事協力は進展した。日米安全保障体制を支持する大衆も、これを長期的利益の観点から受け入れた。ところが日本は、技術移転政策への実質的変更を求めるアメリカからの圧力に対して、粘り強く抵抗したのである。本書は、その原因を、利潤最大化を追求する企業利益と技術的自立性を追求する国家という規範に求め、日本の対外的安全保障政策の柔軟性と硬直性を説明する上で、規範と利益の相互作用に着目することが有益であると主張する。
本書の評価
本書の最大の貢献は、端的に言えば、国家の安全保障政策を分析・説明する上で制度や規範が重要な意味を持つことを説得的に示したことである。それを可能にした独自の分析枠組みや比較の手法、そして問題設定の仕方の巧みさを評者は高く評価したい。よくよく考えれば、構造的、状況的要因では国家の安全保障政策を完全に説明できず、制度や規範のような国内要因もみなければならないという主張に目新しさはない。構造的現実主義の生みの親ともいえるウォルツ(K. Waltz)でさえ、構造的要因だけでは国家の対外行動を説明できないことを認めている。さはいえ、自由主義とは一線を画した制度観に基づき、制度や規範が国家の安全保障政策のバリエーションやパターンの形成に及ぼす影響について実証的解明を試みた意義は大きい。少なくとも、そのような制度的説明の有効性の論証には成功しているのではないか。
むろん、本書の主張を受け入れたとしても、問題は残る。形式的な問題であるが、同じ議論を繰り返している箇所が少なくないだけに、全体的にもっと議論を整理できたのではないか。また、規範(規制的規範、構成的規範、社会規範、法規範)、規範的コンテクスト、集団的アイデンティティ、制度化といった鍵概念が登場するが、それらに関する説明が不十分、あるいは明快さに欠けるとの印象を受けた。そうした概念の使い方や相互関係の曖昧さは、時折、議論の展開を追うことに困難を感じさせる。さらに、ある社会的事実を規範や集団的アイデンティティとして認知する判断基準が明示されていない点も気になる。本書で挙げられている諸々な規範や集団的アイデンティティはそもそも存在するのか。自分の分析に都合よく規範や集団的アイデンティティという言葉を当てはめているだけではないか、といった批判を招きかねない。
また、本書の分析の視座や内容に斬新さをあまり感じない読者もいるだろう。本書には興味深いエピソードが随所にちりばめられており、日本の読者にとっても本書から学べることは多い。ただ、法制度に注目して日本の安全保障政策を分析した研究はすでに数多く存在している。日本の安全保障政策をめぐる国内政治や日米関係に関する実証研究の蓄積もある。事実、本書の議論はそうした先行研究に依拠している。また、本書執筆の際にカッツェンスタインは政府関係者などに対して聴き取り調査を行なっているが、画期的な新事実の発見や歴史解釈は本書に出て来ない。歴史的事実をもっと丁寧に解釈すべきとの批判もあろう。本書は明確な問題関心に基づいて日本の安全保障政策の限られた側面に分析の焦点を合わせている。これが本書のよさなのだが、その反面、日本の安全保障政策の重要な側面が分析対象から捨象されるために、本書の分析に違和感を覚えるかもしれない。
しかし評者は、日本の安全保障政策に関する実証研究として本書が有する価値も小さくないと考える。なによりも、日本の安全保障政策を語るために用いられる普遍的な言葉のレパートリーに規範を加え、よりニュアンスに富んだ説明を行なう可能性を切り開いた点は高く評価できる。これは、日本の安全保障政策に関する研究や論議を広く世界に開くことにもつながろう。また本書は、日本の安全保障政策に関する新たな研究課題のヒントを提供しているようにも見える。近年、日本の安全保障政策に関する歴史研究から優れた成果が生み出されているが、たとえば、規範や集団的アイデンティティの形成・変容をめぐる政治過程や、規範的コンテクストが政策に与えた影響は、その分野の新たな研究対象になりえよう。歴史研究にとって、本書のように理論志向の強い実証研究との知的対話は有益であり、もっと活発に行われてよい。
原書が刊行されたのは10年以上前であるが、その間に日本の安全保障政策を取り巻く状況には大きな変化があった。対外的安全保障の面に限定しても、日米防衛協力の「周辺事態」への拡大、「有事立法」の成立、対米協力を目的とした自衛隊の海外派遣、国際平和協力の自衛隊本来任務への格上げ、防衛庁の省昇格、集団的自衛権の見直し、憲法改正を公約に掲げた内閣の発足、そして憲法改正のための国民投票法の成立といった動きをすぐに想起できる。これらは過去30年以上にわたって日本を「非暴力国家」にとどめてきた制度や規範の変化の兆候であろうか。また、制度や規範に焦点を合わせることで、そうした一連の動きをめぐる政治や外交はどのように理解できるであろうか。このような重要な問いを本書は喚起する。本書は非常にタイムリーな作品であり、また現実政治の前で本書の分析の有効性が試されている。
最後になるが、学術書の翻訳という多大な労力を求められる作業に取り組まれた訳者に対し、心より敬意を表したい。原書はすでに日本の安全保障に関する新しい古典としての地位を得ており、その意味で本書は、海外において日本の安全保障政策がどのように理解されているかを知る上で、格好の素材でもある。そのような研究が日本で広く紹介される機会を得たことは、大変有意義である。また、国際関係論の専門家ではない読者にとって、「訳者あとがき」は本書の理解を深めるための一助となろう。ただ残念ながら、明らかに誤訳と思われる箇所や文意をとりにくい箇所が散見される。全体として非常に丁寧に作られた訳書だけに、余計に悔やまれる。