評者:昇 亜美子 (政策研究大学院大学客員研究員・日本学術振興会特別研究員)
本書は、岸政権期のアジア外交の歴史的展開を、「対米自主」、「アジア主義」、「独立の完成」という観点から検証することを目的とした外交史研究の成果である。具体的には、岸の東南アジア歴訪、「日印提携」構想、レバノン危機をめぐる外交、在日朝鮮人の北朝鮮送還事業などについて詳しく論じている。さらには、日本のアジア外交の直面する今日的課題という視点からも考察が加えられている意欲作である。岸信介はA級戦犯容疑者としての巣鴨プリズンに収監されながらも、釈放、追放解除後に不死鳥のごとく政界に復帰するやわずか5年で首相に就任したという特異な経歴もあり、戦後の首相のなかにあって現在でも広く一般に関心を持たれている人物といえるだろう。近年、史料の公開に伴って岸政権期の外交史研究が蓄積されつつあり、それとともに、安保改定をめぐる同時代的評価や、岸本人の回顧録に依存して形成されていた岸外交の全体像の修正もなされている。本書もそうした新しい研究のひとつである。まず、以下では本書の構成に沿って内容を紹介する。
本書の構成
第一章「岸政権の成立と東南アジア歴訪」では、岸政権のアジア外交政策の背後に存在している思想や認識について分析したうえで、第一次東南アジア歴訪について詳述している。著者によれば、岸の東南アジア歴訪には、日米対等を目指すという意味での訪米への布石や、アジアにおける日本の地位の確保という目的があった。
第二章「『日米/日英新時代』とアジア外交」では、日米関係と日英関係について、藤山外相の役割にも着目しながら、アジア外交との関連という文脈で論じている。著者は、1957年の岸の訪米の意図が、安保改定だけににあったのではなく、アジア外交のための日米関係の調整の意味があったことを強調する。
第三章「『日印提携』と第二次東南アジア歴訪」では、1957年10月のネール・インド首相訪日の際に、「日印提携」へ向けた動きがあったことが明らかにされている。著者は、岸がネールとの会談において、インド・中国・日本の緊密な協力がアジアのために重要であると力説したことに触れ、「岸のアジア外交は少なくとも構想レベルにおいては、米国の冷戦戦略に従った『反共アジア圏』の構築ではなく、『日印中三国協商』を主軸にしたアジア主義的な色彩が強いものであったといえよう」(107頁)と論じている。
第四章「アジア積極外交と日中関係の断絶」では、長崎国旗事件前後の日中関係について、「冷戦の論理」だけでなく「歴史の論理」および「経済の論理」という視角から明らかにし、岸政権の対中政策は、けっして「中国敵視」でも「対米追従」でもなかったと結論づけている。
第五章「レバノン危機と『アラブ・アフリカ外交』」では、岸政権のアジアへの関心がアラブ・アフリカ地域にまで広がっており、レバノン危機の際には、米英とは違う独自のナセル観とアラブ・ナショナリズムへの理解を基礎に、仲介役を務めようとしたことを明らかにしている。著者は、レバノン危機において岸外交はアジア・アフリカ・グループの一員としての立場をアピールすることができたにもかかわらず、その直後から米国と安保改定交渉に着手したことによって、「日米結託」のイメージを与え、「アジアの一員」としての日本の立場が侵食され、日本のアジア外交の展開にも影響したと議論する。
第六章「岸の訪欧と在日朝鮮人の『北送』」では、1959年12月におこなわれた在日朝鮮人の北朝鮮への帰還問題について、岸政権が目指した戦後処理外交、ナショナリズムを基底においた「独立の完成」というアジア外交の中に位置づけながら分析している。
終章である「おわりに 『アジア主義』の逆説」では、岸政権期のアジア外交について、垂直的分業体制を基本とするアジア地域主義構想から抜け出すことは出来ず、中国、朝鮮半島との歴史問題に正面から向き合う努力をしてこなかったとして批判的に検討している。著者は、岸外交はアジア地域主義への強い志向性をもっていたにもかかわらず、冷戦を背景に、国民や市民レベルの和解を押さえ込む形で指導者レベルで和解を成立させてしまったと指摘している。そして、これにより戦後日本社会に、「アジア問題=歴史問題」が「解決済み」との認識を広まってしまったとして、これをアジア主義の逆説と呼んでいる。
特徴と意義
次に、近年の研究動向を踏まえながら、本書の特徴や意義を論じるとともに、そこから導き出される課題について評者なりに考えてみたい。
岸政権期の外交について多様なケースを包含しながらまとめあげた本書は、岸信介個人そしてその外交の全体像をこれまでよりさらに立体的に明らかにすることに貢献している。特に、対韓外交や在日朝鮮人の北朝鮮への帰還問題、日印提携構想など従来の研究では十分に明らかにされなかった点に踏み込んで詳述している。本書が提示している以下の岸外交全体への評価はダイナミックで洞察に富んでいる。岸政権は就任当初は、対米関係との齟齬に悩みながらも、東南アジアや南アジア諸国、さらには韓国とも関係の緊密化、正常化への努力を積極的におこなった。しかしながら、安保改定への過程において日本は西側陣営により強固に組み込まれることになり、58年秋以降のアジア外交においてはアジア主義的側面は凋落し、「先進国の一員」としての自己認識が強調されるようになったというのが著者の議論である。アジア・ナショナリズムに共鳴した岸と、親米路線を確立した岸という、ときに分裂して見える岸外交の全体像について、「日米基軸」と「アジア外交」というふたつの基軸が有機的に連動していたとする議論は興味深い。
次に、本書の特徴の一つは、今日の東アジアが抱える課題に対する著者の極めて強い関心に支えられていることである。終章では、岸政権が実現できなかった対中国・韓国関係の改善や近代以降の帝国主義的なアジア意識の克服といった問題は、今日に至るまで解決しておらず、日本のアジア外交の課題として残されていることが強調されている。この指摘は興味深く、傾聴すべきものである。一方で、「岸外交の歴史的展開を今日的課題にひきつけて、実証的に研究する」(14頁)という著者の意欲的試みが、本書の目的や分析視角をわかりにくくしてしまっている面があるという印象を受けた。
さて、本書は岸政権期に焦点をあてているが、日本外交史研究において、「岸外交」といったように、政権別に外交の特徴を描くことの妥当性と意義の問題をいま一度考えてみたい。最近、日本を含む各国における戦後外交文書の公開が進み、かなり詳細にわたる外交政策の展開の再構築が可能になってきている。そこでは、首相個人の思想や志向性というものに関わらず、政権を超えてかなりの連続性が見られることが明らかにされている。また、日本外交は相手国の態度の変化といった二国間関係や、アメリカの冷戦政策といった国際環境という外的要因によって強く拘束される。この論点については、政権別の特徴を明らかにしながら1970年代全般の日本外交のダイナミズムを描いた、若月秀和『「全方位外交」の時代―冷戦変容期の日本とアジア 1971~1980年』(日本経済評論社、2006年)が多くの示唆を与えてくれる。同書は、国際環境の変容と外務省の政策決定過程を十分に分析しながら、佐藤・田中・三木・福田・大平・鈴木各政権の外交を「全方位外交」という一貫した視角で論じることにより、それぞれの政権の特徴だけでなく継続性について明らかにしており、きわめて説得力のある議論になっている。本書においても、吉田、鳩山、石橋、池田など前後の政権との比較という視野を取り入れることにより、より明確に岸外交の全般的評価を提示することが出来たのではないだろうか。
問題設定について
次に、本書の分析視角と関連する、「アメリカ重視かアジア重視か」、「対米自主か対米協調か」という問題設定について論を移したい。(なお、すでに保城広至氏が「『対米協調』/『対米自主』外交論再考」『レヴァイアサン』40号、2007年春などにおいて重要な議論を展開している。)本書が、「問われるべきは、自主か否かよりも、その中身である」(290頁)と正しく指摘するように、上記のような二者択一的な評価自体はさほど重要ではないだろう。サンフランシスコ体制下におかれた以上、冷戦下の自由主義圏における米国のヘゲモニー的支配秩序によって日本の政策決定が制約されるという構造が存在したことは間違いない。そのアウター・リミッツの内側で、経済的利益、国内政治の文脈、民族主義、財政的制約、国内世論、アジア主義などに動機付けられた政策担当者が抱いたアジア政策ないしアジア地域秩序構想が、どのような点でアメリカの冷戦的秩序とは異なっていたのか。その実現あるいは挫折に際して、アメリカの政策とのかかわりがどのような意味で影響を持ったのか。そして日本のアジア政策がアジア地域にどのような影響をもたらしたのか。著者の指摘する「中身」とはこうしたものであろう。
たとえば本書では「アメリカとは異なる援助方式および地域構想を、『アジアの専門家』としての日本が積極的に提言することで、アジアに『地域』を創設し、そのアジアに盟主として返り咲くプランがあった」(p.108)などと興味深い指摘がなされている。この地域構想の内実については先行研究において以下の様な議論が展開されている。佐藤晋氏は「戦後日本の東南アジア政策(1955年ー1958年)」中村隆英・宮崎正康編『岸信介政権と高度成長』(東洋経済新報社、2003年)を含む一連の研究の中で、岸政権期を含む1950年代の日本のアジア政策が、アメリカの冷戦戦略によって用意された路線に加えて、多様なオールタナティブを追求することで、先進資本主義諸国の東南アジア政策とアジア・ナショナリズムを調和させようとしたと指摘している。また、末廣昭氏は、岸の東南アジア開発構想が、現在、東アジア型工業化モデルとして注目される政府主導型工業化、開発主義的国家形成に近い発想に基づいていた点で、アメリカが考えるそれとは異なっていたと論じている。(末廣昭「経済再進出への道―日本の対東南アジア政策と開発体制」中村政則他編『戦後改革とその遺産』岩波書店、1995年)
これらの研究書と共に本書は、戦後日本外交の方向性が模索され形成されていった1950年代という重要な時期への関心を新たにするよい機会を与えてくれる。
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